人魚の開口
「あなたは一人?」
聞く声が固くなってる。そう思っても、優しい声は作れなかった。
隣にいる女の子は人形めいていて、何処か浮世離れしている。
彼女の雰囲気がどうも落ち着かなくて、もぞもぞと身じろぎした。
あたしの緊張に気付いてないのか、彼女はそのまま話を続ける気らしい。
「ぱぱをね、待ってるの」
沢山の人波に目を走らせるが、彼女の親らしき人間はいない。
迷子かな。
なら迷子センターに連れて行かなくちゃ。
気分の悪い身体に鞭を打ち、立ちあがる為に力を入れた。
あたしの変化に気付いた彼女は早口になった。
「ぱぱが来るまで少し時間が有るの。退屈だから、お姉さんお話相手になってくれない?」
慌てる姿にぼんやりと、ああこの子生きてるんだなと現実感が湧く。
それくらい彼女は無機質で異質に見えたから。
「十分だけね」
本当はすぐにでも連れて行くべきだって思ったんだけど、重い身体はもういう事をきいてくれない。
仕方なく彼女に向き合う。仕事柄子供には慣れてる。
十分ぐらいなら具合が悪くてもやり過ごせる自信があった。
だけど、その自信はすぐに崩れた。
「お姉さんは一人?」
彼女の悪気ない言葉はあたしを打ち抜き、心に瀕死の重症を与える。
子供の他愛ない言葉なのに、彼女の口から出ると、攻撃力が高かった。
「ええ」
何とか顔は取り繕えたものの声までは手がまわらない。
話題を変えよう。
固い声をほぐすつもりで声を出す。なのに、口から出たのは話したくもない内容だった。
「ここは思い出の場所でね。昔よくきたのよ」
この話は駄目でしょって思うのに、駄目だと思うほど後から後から言葉が零れる。
「ねえ、人魚姫って知ってるかしら」
どうしよう。止まらない。
「陸に住む王子様に人魚姫が恋をするお話しでしょ?」
「そう、嵐の夜。王子様を助けた人魚姫はもう一度王子様に会いたくて、海の魔女にお願いして足を貰うの」
自分の意志とは関係ない、と言うように口が勝手に動いてしまう。
「声と引き換えにね」
まずいと思うのに頭が回らない。
熱で浮かされたみたいに頭は熱く、考える事を拒んでる。
いう事をきかない頭と心に、投げ出された子供のような気持ちになった。
迷子はあたしじゃない。
「ねえお姉さん」
とても優しい落ち着く声だ。
「知ってる? 魔女ってね。色んな魔女がいるんだよ」
子供に言い含めるみたいに、穏やかな声。
「わたしもね。一人魔法使いを知ってるの」
二周りくらい年下の女の子はあたしよりずっと大人に見えた。
困惑して、思わず口元に手が伸びる。どうしていいか分からない。
「とっても優しい人でね。魔法をかけてもらったんだ」
そういうと彼女は目を細め、胸に手を当てた。
何するつもり?
いぶかしむあたしににっこり笑ってこう言った。
「だから、お姉さんにも魔法のお裾わけ」
途端前から大きな歓声が上がり、驚いて振り向く。
水槽に集まった観客たちが何か感心したように凄い凄いと声を上げる。
何か、やってるのかしら?
少し気にはなったけど、彼女の目があたしを彼女へとひき寄せた。
向き直った先の彼女はさっきと変わらず微笑み続けている。
魔法、と彼女は言った。
そんなもの有るわけない。
分かっているのに、どうしてだかこの子なら使えてしまうんじゃないかと思ってしまう。
馬鹿じゃない? 自分に言い聞かせる。
いい大人が魔法なんて。
「ねえお姉さん。人魚姫は恋が叶わなくて泡になって消えちゃったけど、死んじゃった訳じゃないと思うよ。」
馬鹿みたい。
「アンデルセンは死んじゃったって書いてないんだもん。もしかしたら、人魚のあぶくは海に溶けて新しい命に生まれ変わったんじゃないかな?」
彼女の小さな手が私に何かを握らせる。
「この飴はおねえさんのあぶく。食べて溶けたら、きっと新しい自分になれるよ」
怖々と手を開けると青い塊が乗っかていた。
飴?
彼女と目があう。
どうしてか目の前の子が魔法使いのように見えた。
馬鹿だって自分でも思う。
でも、あたしには人形みたいな彼女が人に変わった気がした。
違う。きっと人形はあたし。
知らない間に仮面を被って強い自分を演じてた。
こんなの人形と変わらない。
「変われるかしら」
変わりたい。
「あなたが望むなら」
言葉の魔法にかかった気がした。
導かれるように手は動き、丸い飴は口へと入った。
目を閉じる。
口に入った青は泡のように弾けて、知らない内に涙が出てた。
止まらないあたしの涙を、魔法使いは静かに見つめる。
何も知らない筈なのに、彼女の顔は憂いで歪む。
そっと、乗せられた手は暖かくとても小さかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます