第2話 園遊会

 時は流れ。

 園遊会当日、飾り付けられたバーランド宮の庭は幾つもの円卓と町の人々で埋め尽くされていた。

 その賑やかな庭を見下ろすテラスの片隅で…アル・イーズデイルは深く深く溜息をついた。

「…ったく、何でこんなことに…」

 人々の賑わいから身を隠すように呟くアルの姿は、いつもの旅装ではなかった。

 高い襟に、金のボタン。かっちりと型を取った、黒とも見まごう濃緑の上着に、ごく淡い色のズボン。薄い色の地に真紅で紋章の染め抜かれたマント。これで髪に櫛でも通していれば、文句なしの騎士の正装である。

 屋根裏で見つかった衣装からピアニィが見立て、アルの体に合わせて直したものであるから、サイズに問題はない。――だが、どうにも窮屈だった。

「……こんなに人が来るなんて、聞いてねえぞ」

 ぶつぶつと呟きながら襟元のスカーフを緩める。その背後から、明るい声が響いた。

「ややっ、こんなところにいたでやんすね? ピアニィ様のお側にいなきゃダメでやんすよ~!」

 現れたベネットも、普段の服装からは似ても似つかない姿となっていた。

 明緑の髪を引き立てる朽葉色の地に、大きな黒い襟のついた上着。同色の短い乗馬ズボンと大きな帽子が、少年めいた印象を与える。

「ほほう、それが姫様お見立ての正装でやんすな? 孫にも衣装とはこのことでやんすねぇ」

 …着飾った姿を台無しにするいつもの口調に、アルは即座にツッコミを入れる。

「孫じゃなくて馬子だろうが。つーか、それは誉め言葉じゃねえ」

「キレが無いでやんすな…。ところで、あっしはどーでやんす?」

 くるりと回って、さあ誉めろと主張するベネットに、アルはうんざりとした視線を返す。

「………そうだな。犬にも衣装ってところか」

「か――っ!! そっちのほうがよっぽど誉めてないでやーんすっ!!」

 切れるベネットを殊更に無視して、アルは大きく溜息をつく。

「―――何でもいいから、早く終わって欲しいもんだ。こんな格好、二度としねえぞ……」

 アルの限りなくローテンションなぼやきに、ベネットがにやりと笑った。

「はは~ん、その様子だと、まだピアニィ様のドレス姿を拝んでないでやんすね?」

「…見てねえけどよ。なんか関係あんのか」

「イヤイヤ、アレを見たらなかなかテンションが上がるでやんすよ? さすがは姫様…って、噂をすれば影でやんす」

 訝しげに眉を寄せるアルの背後に向かって、ベネットが満面の笑みで手を振る。

「ピアニィ様、こっちこっち! アルを発見したでやんすよ~」

「――ありがとう、ベネットちゃん。探しちゃいましたよ、アル」

「……あのなあ。姫さん、俺は――」

 近づいてくる少女の声に、文句の一つも言ってやろうと振り返って――


 アルは文字通り、言葉通りの意味で――息を呑んだ。


 柔らかに微笑むピアニィの姿は、美しかった。

 身を包むドレスの色は、秋の果実を思わせる、かすかに紫がかった真紅。

 ほっそりとした体に添うように作られた胴部には、同色の糸で細かに草花の刺繍が施されている。

 腰から下は大きく花のごとく広がり、すそに銀糸で蔓草の刺繍。他の装飾は襟元と袖口の淡い色のレースのみ、というシンプルさが、かえって着る者の若々しさを引き立てる。

 襟ぐりの開きは広いがごく浅く、細い首筋と鎖骨のなだらかな線を強調しながらあくまでも気品を失わないデザイン。

 普段は一部をくくっただけで下ろしている髪を軽く結い上げ、露な首元には華奢な造りの銀の鎖。揺れているペンダントは、銀の台座に黄水晶とガーネットで木の実の意匠。

 ドレスをまとい、優雅に堂々と微笑むその姿は――正に生まれついての姫君と呼ぶにふさわしいものだった。


「……………」

 目も口も、ぽかんと大きく開けたままで。瞬きすら忘れたように立ち尽くすアルの脇腹を、ベネットの肘が突付いた。

「…アル、ちょいと。な~んか言うことがあるでやんしょ?」

「――――あ………え…」

 それでも呆然と、ただ口をぱくぱくさせるばかりのアルに――ピアニィの眉が悲しげに寄せられる。

「………あの、あたし――どこかおかしいですか?」

「!――いや、そう言う訳じゃ…その…っ」

「…じゃあ、似合ってない、とか」

 ますます俯いてしまうピアニィの前で、挙動不審なほどに慌てるアルを見て…ベネットの口元が意地悪く釣りあがった。

「――違うでやんすよピアニィ様、アルは…姫様がキレイ過ぎて言葉が出ないんでやんす♪」

「―――……っ!!」

図星を刺されて真っ赤になったアルと、にやにや笑うベネットを交互に見て――ピアニィは恐る恐る、アルに呼びかけた。

「………本当、ですか?」

「―――――~~~~」

 口元を抑え、顔どころか耳まで真っ赤にして…アルはそっぽを向いてしまう。

「………………その、……似合ってる」

 ――横を向いたまま、本当に小さな声で。

 誉め言葉というには、あまりにも遠まわしで――簡素な言葉。

 けれど、その言葉に――ピアニィは満面の笑みを返した。

「――――ありがとうございます、アル…嬉しい…」

「………」

 無言のまま、横を向いたままでアルが頷き返す。

 ―――その横にいながら、すっかり存在を忘れ去られていたベネットが、耳を垂らしてげんなりと呟いた。

「………あ~、なんとゆーか……耐えがたい空気でやんすな…」

「――良い事を教えよう、ベネット。この空気には、耐えるのではない……慣れるのだ」

「ちょ、何でやんすかそのスパルタ理論…ってナヴァールっ!?」

 振り返ると、いつもとほとんど変わらぬ――上着に袖を通しただけの服装で、ナヴァールが変わらぬ笑顔を浮かべて立っていた。

「皆様、お揃いのようですな。――では陛下、間もなく時間でございますので、参りましょう」

「あ、はいっ。行きましょう!」

 ドレスの裾を持ち上げ、先頭切って歩き出そうとするピアニィを――柔らかな動きで、ナヴァールが遮る。

「失礼ながら、陛下。園遊会は公式の場となりますので、お一人で行かれてはいけません」

「え、そうなんですか? じゃあ…」

「はい、公式の場で貴人の女性は、騎士にエスコートされるのがしきたりとなっております」

 戸惑ったように顔を上げたピアニィに、軍師は涼しい顔で告げる。――途端、『貴人の女性』と『騎士』の顔に血が昇る。

「えぅ、え、え…と…っ」

「―――き、汚えぞ旦那! 最初っからわかってやがったな!? 居るだけだって言ったじゃねえか!!」

 あわあわと顔を伏せるピアニィと、噛みつかんばかりのアルを笑顔でいなして、竜人は穏やかに断定する。

「それは、陛下に言ったことで私に関わり無いだろう? それに、女王のエスコートとなれば騎士がふさわしいではないか」

「確かに、騎士ならうってつけでやんすねえ」

 うむうむと頷くベネットを怒鳴りつけようと、アルが口を開いたとき――上着の裾がくいと引かれた。

「――――あの、アル………お願い、できますか…?」

 小さく囁いて、上目遣いに。…ある意味では既に見慣れた光景だが、ドレス姿となると勝手が違う。

 目を合わせることもできず、ぎこちなく顔を逸らして――アルは乱暴に、手を差し出した。

「……………ほんとに、居るだけだからな…」

 唸り声のような小さな呟きに頷いて、ピアニィがその手を取ると…意外なほどに優しく、アルは手を引いて歩き出す。

「さあ、では――女王陛下の園遊会を始めるといたしましょうか」

 会心の笑みを浮かべ、ナヴァールは女王と騎士をテラスから庭へと導いた。



 結果として、園遊会は大成功に終わった。

 バーランドの人々は、なぜか仏頂面の騎士様を従えた女王陛下との歓談を大いに楽しみ、兵士達は護るべき貴人との邂逅に士気を募らせた。

 是非次回の開催を、との国民からの要望に――長老会議も、フェリタニア首脳陣も諸手をあげて賛成し、次期開催への検討を始めたとのことである。

 ………………たった一人を除いて。



 だがこの後、フェリタニアの王都はバーランドからノルウィッチへと遷り。

 また、情勢もさらに不安を極めたためか、後期フェリタニア王国(ピアニィ朝フェリタニア)において、バーランドでの園遊会が再び行われたという記録は残っていない。


 だからこれは、たった一度の、夏の終わりの幻の物語。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夏の終わりのロンド さいころまま @saikoromama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ