第6話

「ぐっうううう……」


 鉄仮面はその場に崩れ落ちた。


 霊は強い感情でこの世に留まっている。霊に憑かれたとき、霊の持つ「感情」が人の肉体が受け止められるキャパシティを超えた場合、害を及ぼす。精神が狂う場合が多いが、三体も入っていればその前に体が耐えきれず崩壊するだろう。


 三体の悪霊は怒りを抱いていた。普段、成仏もできず、伊吹家に飼われている憎しみを募らせているのだ。それを霊に向かわせ、除霊に利用しているのだが、今はその怒りが、鉄仮面の身体を蝕んでいる。


 祓わなければ、とぼくはとっさに自分のポケットに手を突っ込む。


 なかった。


 鎖が、なかった。今までそんな事は一度もなかったのに。元々、修行をサボっていたから。父様に失望されたと、落ち込んでいたからーー。



「律、様」


 ポケットを漁るぼくの手を、鉄仮面が掴んだ。

 口の端から血が流れている。腹がぼこりと膨らんでいた。悪霊が、彼女の腹を突き破ろうとしている。


 三匹で肉体を取り合っているらしい、と、元メイドの女が手を叩いて笑った。


 ぼくは泣きながら、立ちあがろうとするが、鉄仮面が首を振ってそれを制した。


「ごめん、ごめん、鎖、今取りに行くから……」

「間に合いません。っ……、律様。今から私が言うことを、覚えていてください」


 ぼくの頬に流れる涙を、鉄仮面の指が拭った。


「どうか……他の誰でもない、あなたの意思で、生きる道を選んでください。後悔をしない、ように」



 鉄仮面は優しく微笑んだ。





 ーーーーーーーー

 喫茶店は寒いくらいに冷房が効いていた。窓際の席なので陽は差し込んでくるものの、長居しているためじわじわ体温が下がってきているのを感じる。

 伊吹は片腕をさすりながらアイスコーヒーを啜る。氷が溶けて、ほんのりコーヒー味のついた水になっていた。話すのに夢中になっていた。


 聞き手側も同じだったのだろう。山岸は、伊吹と同じタイミングで、レモンスカッシュを口にした。亘理はコーラに刺さったストローをくるくると回した。


「それで、鉄仮面……ええと、中川さんはどうなったんだい?」


 向かい合っている亘理が聞いた。亘理の隣の山岸から、気遣うような視線が飛んできて、鬱陶しい。


 窓に目を逸らしながら、言った。


「死んだよ。そのあと、俺の父親が来て、祓った……。俺は、父親が来てから安心したんか気絶して、次に目覚めた時は丸一日経ってたわ」


 ふう、とため息が漏れた。


「取り返しがつかへん」


 取り返しがつかないのだ。二人の命を奪ったのは、自分自身の行いのせいだ。メイドを辞めさせなければ。あの時鎖を持っていれば。兄を蔑ろにしていなければ。


 伊吹は俯いた。そしてまた味の薄まったアイスコーヒーを飲んだ。不味くて、飲めたものではない。次の言葉が出てこなくて、沈黙を繋ぐために飲んだのだ。


 ーーまるで懺悔だ。


 元々は、山岸に現実を教えるために始めた話だった。すでに知ってるかもしれないが、亘理の過去もバラしてやって、祓い屋の闇は深いと知らせてやるつもりだった。そして伊吹自身も取り返しのつかない罪を背負っていることを教えて絶望させたかった。


 だが、今まで過去の話は誰にもしたことがなかった。

 人に話すと、亘理に話すと……まるで、教会の神父に向かって話しているような妙な気分になった。彼の持つ独特な雰囲気がそうさせるのか。異常なほどにぴんと伸びた背筋をしているうえに、まっすぐ目を見つめてくるからか。


「目が覚めた時、父は俺を責めへんかった。前と同じように抱きしめた。復讐のために兄とメイドは協力したらしい。兄は追放したと……だけ、言っていた。ほんまに兄は家から消えていた。それから二度と会ってない」


「君の兄は霊を操れたのか?」


「ああ。見えへんけど、方法は知ってたらしい。父が言っていた。メイドもどうなったかは、知らん。対処したとだけ」


「なぜ真実を追求しないんだ」


「真実?」


 亘理は伊吹を睨め付けていた。貫くような鋭い目だ。裁くつもりか、神父。黙って話を聞いてくれる懺悔室ではなかったようだ。


「細部があやふやだよ、あまりにも。そんな酷い目にあって、父から聞いただけの話で納得するのか?」


「追求ってなにをや。兄やメイドがどうなってようと、俺のせいで母親が死んで、鉄仮面まで死んだことは変わらんやろ。……なんや、父が嘘をついてるとでも?」


「わからないが、どうにも君の父親に都合のいい話だ。君を洗脳し直せた」


「……いい加減にしろよ。口が過ぎるわ。あんたの父への恨みを、俺の父親に投影してるんちゃうか?」


「あの時の少年は君だったと教えてくれたけど……結局君は今も、父親の支配から逃れられていないんだな。中川さんにも、自分の道を選べと言われたんじゃないのかい?」


「俺は償いのためにも霊を祓うと決めた。自分で決めた! 霊は憎い。原因は俺やけど、二人を殺した存在やからな。祓うべきや。これは俺自身の感情に違いない」


 少しの静寂の後、なら一つ聞きたいんだけど、と亘理は言った。


「なぜ君はぼくと同じ高校に転校してきたんだい? 偶然か?」


「はあ?」


「君の父親が指示したんだろう。あの日君に尾行をさせたのと同じように」


 伊吹は答えない。


「沈黙は肯定ととる。さっきは言い過ぎたと思うが、結局君は父親の操り人形じゃないか」


「ぶ、部長」


 山岸が口を挟む。


「あ、ごめん。今も言い過ぎてるね。……ぼくは、徹底的に真実を知りたい質なんだよ」


「そんな事言われても……俺はーー」


「今からでも、知りたいと思わないかい。君の兄やメイドがどうなったか。兄は何を考えていたのか」


 伊吹は黙り込んだ。蝉の声が聞こえる。あの時も確か、夏で、目が覚めたとき、蝉が鳴いていたーー。



 ーーーーーーーーーーー

 蝉の声が聞こえる。


 ベッドのうえで目が覚めてーーふと横を見ると、父様がぼくの手を握っていた。鉄仮面が中から破裂させられた直後、父様が部屋に飛び込んできて、霊を祓ってくれた。ぼくは気を失って……そして、今か。少し頭がぼんやりする。


 ぼくが目覚めたことに気づき、父様が優しく抱きしめてくれた。


「律。無事でよかった」


 怖い思いをさせたと、言った。


「ごめんなさい、父様」


 ぼくは何も分かっていなかった。霊は恐ろしく……それに毎日立ち向かう父様は偉大な人だった。そしてぼくはあまりにも浅はかだった。 


 これから、一生をかけて霊を祓い、二人に償おう。ただ霊を祓うだけの存在になろう。父様に従おう。鉄仮面の言い残した言葉は守れないかもしれない。しかしもう疲れてしまったのだ。

 自分の意志で何かを行って、父様に逆らい、こういう悲劇が起きた。もう何も考えたくないと、思った。


 母様も鉄仮面もいない。もうぼくには父様しかいない。


「大丈夫や、律。俺が守ったる。父様の言う通りにしていれば、これからも大丈夫やからな」


 ぼくは安心してうなずいた。父様が、頭を撫でて、いつもの言葉をかけてくれた。


 ーーお前は祝福された子やからな。

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