第3話

 どれほど降りただろう。分からなくなるほど階段を進み続けた先に、襖があった。


 ーー襖?

 洋館のような家の地下にはそぐわない。地下は改装されていないのだろうか。


 明らかに異質な場所だった。ぼくは不気味に思いながら、今更ひきかえすこともできず、襖を開けた。


 十二畳ほどだろうか。広い和室の中で、ぼくと同い年くらいの子が、座布団を枕にして寝転がり、本を読んでいた。

 寝転んでいる近くの机には、メイドが運んでいたトレイが置かれている。


 髪が長く、腰ほどまである事にも驚いたが、ぼくは何よりその色に目を奪われた。

 髪は銀に近い白色をしていた。染めたのでは、とうてい作り出せないような、透き通った色だ。


 白銀の髪の子は、黙って本を読み続けている。


「あの……」

「ん?」


 本から目を離し、ぼくを見た。眼光の鋭さに少しドキリとする。


「なんだ、珍しいお客さんだね」

「……誰や?」

「どちらかと言うとぼくの台詞だよ。あと少しで読み終わるから待ってくれるかい?」


 ぼくの返事を待たず、再び本の世界に入ってしまった。「ぼく」と言っていたが、男の子ーーなのだろうか。髪がすごく長いけど。


 知らない場所に知らない人と二人きりでいるのは居心地が悪かった。それに相手の正体もまだ分からないのだ。


 落ち着かなくて、立ったままきょろきょろと辺りを見渡す。部屋の奥に、大量の本が天井に届くほど積まれている。本棚などはなく床に直接置かれていた。

 それ以外は、ちゃぶ台と座布団と、畳まれた布団のみで、シンプルな部屋だった。


 再び、本を読んでいる子に目を向ける。ふと、足に鎖が繋がっていることに気付いた。鎖は、部屋の壁に固定されている。


「あ……」

「お待たせ」


 その子が本を閉じた。読み終わったらしい。起き上がって座布団に座る。鎖がジャラリと音を立てた。


「もっと近くへ来たらどうだい」


 優しく微笑まれたが、足に繋がれた鎖が気になる。


 ぼくは首を振った。入口に一番近いところから、動きたくなかったのだ。特に気にした様子もなく、そうかいと言って、その子は話し始めた。


「君は今日のパーティーに来た子?」

「そ、そうや」

「じゃあ、君も除霊師の子なんだね。ぼくは亘理亘。この家の子供だよ」

「え……?」


 亘理家には、子供は一人しかいないはずだ。困惑が顔に出ていたのか、亘は続けた。


「今、この家の長男とされているのはぼくの弟なんだよ」

「きみが本当の長男ってことか?」

「そう」

「なんで……」


 亘が、机の上のトレイからパンを手に取ってかじった。


「ぼくは霊が視えないんだ。亘理家にとってそれはまずいことらしくてね。霊力が弱まっているとか……バチが当たったとか、恐ろしい霊に呪われたとか噂されると、仕事の依頼に影響が出るかもしれない。


 それに、同業者に大きい顔ができなくなるという理由もあるみたいだ、これは直接言われたわけではないけど。そんなわけで霊が視えないと分かった直後、父によってぼくの存在は隠されるようになった」


 亘は淡々と話す。そんなことが……あっていいのか。ぼくは兄の顔を思い浮かべた。兄と同じ存在が、亘理家にいたとは。


「ぼくに話していいんか?」

「隠したがっているのは父の意向だ。ぼくは別に、家のために自分の存在を隠したいとは思ってないからね。それで、君はどうしてここに来たの?」


 彼の目は不思議だった。目つきが悪い、とまでは言わないが鋭くて、一見、大人びている。しかし、正面から覗き込むと瞳がきらきらと輝いていて、子供らしく澄んでいる。


 そのアンバランスさが不思議な効力を持っているのか、彼に見つめられると、嘘は通用しない気がした。


「……ここに食事を運んできたメイドがおったやろ。それを追いかけてきたんや」

「でも、メイドと同時には入って来なかったね。追跡がバレてはまずいと思ったんだ。ぼくとあまり歳は変わらなさそうだけど……とっさにその判断ができるかな。君は何か、元々秘密の匂いを嗅ぎつけていて、計画的にここに来たんじゃないかい?」

「……悪さをするつもりはない」


 嘘ではない。父様が秘密を握って何をするつもりなのか、ぼくは知らない。ぼくはただ報告をするだけだ。


「そうだよね。君は、この家の秘密にそれほど興味はなさそうだ。誰に言われてきたの?」

「……言われへん」

「怯えてるね。地下に繋がれた人間より、その人に君は怯えているんだね。子供にこんな危険な事をさせる人だから、よっぽど酷い目にいつも遭わされてるんだろうね? 可哀想にーー君のことを大事にしてないのかなあ」

「父様はぼくを愛してくれてる!」


 叫んだ直後、はっと口を抑える。


「ああ、やっぱり父親か。両親のどちらかだとは思ったんだ。子供は親の期待に応えたがるものだから……」


 挑発されてまんまと口を滑らせたことに気付いた。顔が熱くなるのを感じる。

 先程から、亘は、高いところから世界を見下ろしているような話し方をする。何もかもお見通しと言った風情に、ぼくは苛立ちを覚える。


「何がわかるんや。地下に閉じこもってるだけの、お前に」

「君が父親の愛を欲している事はわかるよ」

「お前よりは愛されてる」

「それはそうだね」


 亘は傷付いた様子もなく、平然とした顔でパンをちぎって口に入れた。


「なんでそんな顔でいられるんや。父親に……閉じ込められて」


 父様に認められないことは、ぼくが何より恐怖することだ。どうして彼は平気そうにしているのか、知りたかった。


 亘はぼくの顔をじっと見ていた。感情を見透かそうとするように。少し考え込んでから、


「ぼくと父は違う価値観だと思っているから」

 と言った。


「価値観?」

「幽霊が視えないから劣ってる、と考えて隠したがるのは父の価値観だ。でも、ぼくはそうは思わない。


 本の中では幽霊が視える視えないなんて、どうだっていいことが多い。登場人物に霊感があるかないかなんて言及されない事がほとんどだ。幽霊が視えないからヒーローになれないなんてキャラクターはいない。


 だから、ぼくは霊感がないから劣っているとは思わない。だから閉じ込められていても惨めにならない。父に認められなくても、ぼくは自分自身を認めている」


 父親と違う価値観を持っている。そんなことが、あり得るのか?


 父様の言うことは、絶対ではないのか? 亘の考えは、ぼくの根底が覆されるようだった。


「おせっかいだろうけど、あまり父親の言うことばかり聞かないようにね。本を読むと所詮家なんて狭い世界だと分かるよ」


 なぜ、自身はこんなところに閉じ込められた状態で、ぼくを気遣えるのだろう。彼の優しさに触れて、ぼくはどうすればいいのかわからなかった。


「外に……出られへんの?」

「もうしばらくしたらここにある本を全部読み終えるから退屈になるし、父に交渉するつもりだよ。とっておきの切り札があるんだ。どう作用するか分からないけど」


 実はぼくはーーある条件を満たすと幽霊が見えるんだ。


 と言って、亘がにやりと微笑んだ。


「さあ、そろそろ父が見回りに来る時間だ。出て行った方がいい。さすがに子供相手に無茶なことはしないと思うけど」

「……亘」

「うん?」

「外に出たら、友達になろう」

「うーん。まあ、考えとくよ」


 なんやこいつ。

 今のは喜んで頷く流れとちゃうんか。と、少しモヤッとしながらも、地上に戻るため階段を登るぼくの心は躍っていた。


 新しい価値観に触れて、生まれた時から感じていた窮屈さから解放され、何だか息がしやすくやったようなーーそんな心地がしたのだ。

 この世界は厳しいと思っていたが、本当はとても優しいのかもしれない、とすら思った。


 しかし、それは気の迷いだったと、すぐに分かることになる。

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