第七章 祝福された子

第1話

 父様はお忙しくて、たまにしか帰らなかったけど、帰ると必ずぼくを膝の上に乗せてくれた。父様の膝に乗り、「お前は祝福された子なんや」と頭を撫でられる時、ぼくは幸福感に包まれる。


 今回は約一ヶ月ぶりの帰宅だった。父様の部屋で、椅子に座った父様に背を向ける体勢で膝の上に座っていた。


「ねえ、父様」


 ぼくは父様の顔をみあげる。


「いつ母様に会える?」


 父様の顔が曇る。


「まだやなあ。まだ、病院から出られへん」


 ぼくは母様に会ったことがなかった。ぼくを産んですぐ、母様は床に伏したのだ。まるで自分の役目を果たして安堵してしまったようだと、父様が言っていた。


 ぼくには兄がいるが、兄は霊感がなかった。


 ぼくの家ーー伊吹の家では、霊力の強い娘を嫁にもらい、子を作るならわしになっている。生まれた子は強い霊感を持っている。その子がまた、子を作る……そのようにして明治時代から、除霊業を営んでいる。


 母様は、霊力が強かったが、身分が低い家から嫁いできた娘だったので、元々親族の目は厳しかった。兄を産んでから、その問題が一気に表面化した。


「できそこない」を産んだと責められた。周りは敵だらけで、味方は父様しかいなかったらしい。

 母様は、心身ともに追い詰められていたが、「祝福された子」を産んで、やっとその苦しみから解放されると思った。しかし、ぼくを産んでから体調が回復せず、そのまま病におかされ、退院できない状態になってしまった。


 ぼくが今七歳で、兄は十七歳だから、兄を産んでから、ぼくが産まれるまで、およそ十年。その月日は、母様をぼろぼろにしてしまうには十分すぎた。可哀想な、母様。


 家には、母様の写真は一枚もなかった。どうして?と、父様に聞いても、悲しそうに微笑むだけだった。ぼくは母様に会いに行くことも許されなかった。


 母様の顔を一目見たかった。ぼくには世話役として専属のメイドが一人ついていたが、近ごろ、そのメイドを虐めては、立て続けに辞めさせていた。

 母様に会うためだ。来た者みんな辞めさせて、もう雇う世話係がいなくなれば、母様が帰って来てくれるのではないかと思っていた。一日、いや、数時間でもいい。


 だから、いじわるを言ったり、スープに虫を入れたり、言いがかりをつけたりと、嫌がらせを重ね、三人ものメイドを辞めさせた。


 しかし、数週間前に新しく来た女は手強かった。長身の女で、名は中川。いつも表情が変わらないので、鉄仮面と心の中で呼んでいた。

 鉄仮面には今までのメイドにしてきたことをすべてしたが、それでも辞めない。スープに虫が入っていても無反応だったどころか、目を離した隙にぼくのスープとすり替えていた(ちょっと飲んでしまった)。


 さて、次はどんな嫌がらせをしようか。鉄仮面はどうしたら怒るだろう。ぼくはこのゲームが、少し楽しくなってきていた。


「何を笑ってるんや、律」


 父様がぼくの頬を撫でる。鉄仮面にする嫌がらせを考えて、いつの間にか頬が緩んでいたらしい。


「パーティーのこと、忘れてないよな?」

 父様が訊く。

「うん」


 来週、亘理家でパーティーが開かれる。亘理家は、伊吹家より歴史がある、同業の一家だ。年に一度、催されるパーティーには、世界中から除霊師が集まる。


 そのパーティーに、ぼくは父様と出席することになっている。今までは父様一人で出席していたので、初めてのことだった。大半の者は、人脈を広げる目的でパーティーに参加しているそうだが、父様はそれより、亘理家の除霊術に興味があった。


 父様が言うには、亘理家の術は、幽霊の時を戻すものらしい。一時的に人間だった頃に戻すことができると。

 そんな魔法みたいな事ができるなら……たしかに、すごいと思う。でもぼくは、父様の除霊の方がすごいと思うし、憧れている。


「律。父様と約束したこと、できるか?」


 父様の大きな手が、ぼくの両肩を掴む。力が強く少し痛かったが、口には出さなかった。


「できる」

「うん、いい子や」


 父様が抱きしめてくれる。背中に父様の温かみを感じ、ぼくは安心した。そのとき、部屋の扉がノックされた。


 父様が入室を許可し、現れたのは鉄仮面だった。細い身体に皺ひとつないメイド服をまとい、黒い髪は後ろでお団子にしている。

 アクセサリーの類は一切つけていないし、化粧もしているのかしていないのか分からないくらいで、洒落っ気がない。年齢は二十六だと聞いた(ぼくは老けて見える、と言ってやった)。


衣扶由いふゆ様が……進路の事で、ご主人様に相談があるそうです」


「また今度聞く」


 父様は低い声で答えた。兄の名前を聞くと、父様の機嫌は氷点下まで下がる。


「お急ぎのようでしたので、話を聞いてあげてください。今を逃すと、もう来週まで帰られないでしょう」


 鉄仮面は引かない。


「お前は律の世話係やろ。何でそないに衣扶由の世話を焼くんや」


 そうだ。これが初めてのことではなかった。前から鉄仮面は衣扶由を気にかけている。きっと衣扶由を気に入っているのだ。衣扶由に同情しているのかもしれない。


「仰る通り、私は律様の世話係ではありますが、伊吹家に仕えています。ですので衣扶由様のお手伝いもさせていただきたいと考えております」

「……意固地やなあ。しゃーない、どこにおるんや? あいつは」

「リビングにいらっしゃいます」


 父様の膝から降ろされる。鉄仮面を連れて、部屋から出ていった。


 ーー今度のパーティーで、父様の期待に応えなければ。


 ぼくは決意を固めた。いつも怖くなるのだ。この家での兄の扱いを見て、兄に向ける父様の目を見て、怖くなる。自分がその立場になったらどうしようと、怯える。きっと耐えられない。


 でも大丈夫だ。そんな事はありえない。ぼくは祝福された子だ。できそこないの兄とは違うのだから。ぼくが役に立てば、父様はぼくを愛してくれる。

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