第4話

(伊吹目線)

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「何で、あんたが」


「君が悪さをしてないか見に来たんだよ。山岸くんに場所は聞いてたからね」


 額にはゴーグルをつけ、小脇にビーチボールを抱えている。


「その割にはなんか、海を楽しむ準備万端やけど……」


「これは海に来るドレスコードみたいなものだよ。あまり目立つのも嫌だし。ただでさえぼくは目立つ容姿をしているからね」


 亘理の銀に近い白髪が風に揺れた。ビーチボールが伊吹に向かってふわりと投げられ、思わず受け取ってしまう。


「それで、何か困っていたようだけど」


 山岸がかいつまんで事情を説明する。海の中に霊がいること。少年が足を引っ張られて溺れたこと。伊吹が祓う、という話になっていること。


「……そうだね。伊吹くんならぼくより早く祓うことができるだろう」

「せやろせやろ」

 伊吹が頷く。

「でも、少しだけ待ってほしい」

「待つ? 何を言うてるねん。その間にまた次の被害者が出るかもしれへんやろ」

「その心配はない、すぐに解決する」

「根拠はーー」

「ぼくだから」


 不敵な笑みを見せ、ゴーグルを装着する。


「ぼくと山岸くんの、オカルト研究部だからね」


 返事をする暇もなく、亘理が海に飛び込んだ。


「お、おい」

 驚きでビーチボールが手から滑り落ちる。

「アハハハハハ、一度幽霊に襲われてみたかったんだよね!」

 背泳ぎで海面を進み哄笑している。

「あんたんとこの部長、いっつもこんな感じなん?」


 伊吹が振り返ると、山岸はスマートフォンに齧り付いていた。高速で何か文を打ち込んでいるようである。伊吹の声も届いていない。


「なんやねん、このオカルト研究部ってのはーー」


 ため息をついて、伊吹も海に入った。立ち泳ぎで亘理に近付く。


「亘理先輩、出てきて。俺が祓うから。先輩がおったら邪魔やし」


 ひたり、と。右足に柔らかい感触があった。


「あ」


 続いて、左足にも同じ感触。両足首を掴まれた。温度がない手だった。海と同じ温度。少年の言葉を思い出す。


 海の底へ強力な力で引かれる。手は、柔らかくて人間のようだった。だから、その手から殺意が伝わることに、余計に恐怖を覚える。


 指の一本一本に、沈めたい、という強い意志が宿っているようだ。まるで人間に足を引っ張られているような感覚だった。


 本能のままにもがく。大量の海水が口に入った。苦しい。クソ。幽霊なんかに。除霊道具はパラソルの下の鞄に入れたままだ。とにかく上にあがらなければ。苦しい。思考がまとまらない。


 こんなところで、死ねない。家を継ぐのだ。継いで、俺はーー。


 誰かが伊吹の手を掴んだ。


「伊吹くん」


 亘理だった。パニックになっていたが、憎らしい男の声を聞いて頭がすっと冷えて冷静になった。

 亘理が引っ張り足元の手は引き剥がされた。肩を借りる形で浜辺へあがる。


 横になり、大きな咳をした。喉が痛み、涙が目に滲む。その間、山岸が背中をさすってくれていた。咳が収まった頃、亘理が顔を覗き込んでくる。さっと目を拭った。


「大丈夫かい?」

「平気や。それより、早く祓わんと……」


 死者が出るのではないかと思うほどの力だった。這いずりながら海に戻ろうとすると、亘理の手で制される。


「山岸くん、事件は見当たった?」

「かなり古いものは省いて、四件この海で死亡事故が起きています……」

「伊吹くん、大体でいいから手の大きさはわかる? 子供の手だった?」

「……そんな小さい手ではなかったな。子供の手ではないと思うわ」

「ありがとう。山岸くん、死亡事故の中で女性が亡くなった事故を教えてほしい」


「女性?」

 伊吹が口を挟む。


「ああ。ぼくはあまり力が強い方じゃないけど、そのぼくでも振り払えるくらいの力だった。子供か女性の手かと思ったけど、それほど小さな手ではなかったっていうなら、女性が悪霊化したんじゃないかと思うんだ」


「霊は生前の身体能力を引き継ぐんですね」

 と、山岸。


「うん、あまり強い霊ではなければね。何らかの条件でパワーアップしている霊は人離れした力を発揮するけど……基本的には生前以上の力は出せないんだ。じゃないと、もっと霊による殺人事件は多発しているだろう」


 山岸によると、この海で女性が亡くなった事件は二件ということたった。


 一件目は、二年前に母親が溺れた我が子を助け、母親のみ死亡した事故。当時小学五年生だった息子は生き残った。


 もう一件は、六年前、警察に追われていた女性が、海に飛び込んで死亡した事件だった。女性はペットボトルの飲料に毒物を入れた無差別連続殺人の容疑者とされていた。事故とも、逃げきれなくなったことを悟った自殺とも言われている。


 山岸のスマートフォンの画面を覗き込み、伊吹が口を尖らせる。


「毒を使った無差別殺人ねぇ。そいつちゃうの? 死んでからもまた殺人しようとしてるんやろ」

 亘理は顎に手を当てて、

「……ねえ、伊吹くんの前に溺れた少年の背丈はどのくらいだった?」

「えっとーーたしか」

「160あるかないかくらいやな」

 俺が162cmやから同じくらいや、と補足する。


「ぼくは、母親だと思う」

「え?」

「ぼくや他の人物は狙われずに、君とその少年だけ狙われたのはーーおそらく、この死んだ母親の息子と同じくらいの背丈の男だったからだ」


「息子を探そうとしてるってことか?」

「それか、悪霊化して息子を同じ世界に引きずり込もうとしているか、だ」


 先程のことを思い出し、ゾクリと肌が粟立った。ならば一刻も早く、と立ち上がったが、亘理に肩を掴まれる。


「正体が分かればぼくの出番だよ」


 任せてくれ、と言われ、その手を振りほどけなかった。助けられた恩を感じていた(溺れかけたのも亘理のせいかもしれないが)。


 それに彼の術が見れるなら見てみたい気持ちもあった。除霊師の憧れだ。伊吹自身は憧れの気持ちは持ち合わせていなかったが、興味がない、と言えば嘘になる。


 沈黙を了承と受け取ったのだろう、亘理が作戦を話し始めた。


「まず、霊を海から出す必要がある。水中で除霊はできない」


 海パンのポケットから懐中時計を取り出す。


「残念ながら防水仕様ではないからね」


 これが亘理家の除霊道具かーー。実物を見たのははじめてだ。


「……どないするんや?」

「伊吹くんに協力を頼みたい。呼んでほしいんだ、彼女を」


 ーーお母さん、と。


「浜辺からでいい。彼女は君に狙いを定めている。今も機会を見計らっているはずだ。きっと息子の声は届く」


 お母さん。それは伊吹が、口に出したことがないフレーズだった。まさか悪霊を誘き寄せるために言うことになるとはーーと、半ば自嘲気味に口角を上げる。


「ええよ」

「危険な目には合わせないことを約束するよ」

「別に、除霊師に危険はつきものや」


 波打ち際に腰を降ろした。すぐ後ろに亘理が立った気配を感じながら、息を大きく吸い込んだ。


 そしてーー。


「お母さん」


 反応はなかった。二回目、先程より声を張って呼んだが、やはり反応がない。


 伊吹は目を閉じた。まぶたの裏に、己の母親を浮かべた。顔の細部はもう思い出せないが。彼女の死に顔を必死に思い浮かべた。


「お母さん」


 痛切な声が出た。亘理達に聞かれていることを思うと複雑だが、除霊のためだとグッと歯を食いしばり、もう一度呼ぶ。


「お母さんーー」


 突然大きな波が立ち、伊吹の頭上目がけて降ってきた。

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