第3話

 伊吹は人波を縫うようにしてビーチを進み、山岸が人にぶつかって謝っているうちに見失ってしまった。


 一人、浮き輪で海に浮かびながら、彼との会話を反芻する。亘は、亘理家で唯一幽霊が見えない。そして、亘理から離れた方がいいという忠告。かえって謎が増えてしまった。


 山岸が頭を抱えていると、

「どうだった? 海ちゃん」

 春子が泳いで近づいてきた。花柄のショートパンツと、白いホルターネックの水着を着ている。


 その場に立って山岸に顔を寄せる。ーーどうやら足がつくくらいの浅瀬だったらしい。


「どうって……」


 ふと、春子に訊いてみるか、と思いついた。


「あの、離れた方がいいっていうのは、どういう時に言うものでしょう?」

「離れた方がいい? それ、伊吹くんが言ったの?」

「はい……」

 春子の眉が下がる。悲しそうな顔だ。


「うーんと、本人じゃないからあくまで予想だけど。ひとつは、脈なし。あとは、ほんとに何か危ないことをしてるから、近づかない方がいいって言ってくれたとか。高校生が、そんな危険な事してるとは思えないけど……」


 声のトーンが落ち、見るからにしょんぼりしている。


「あの、金田さん、何か誤解をされているかも……」


 山岸がようやく気付いて言った時、背後から悲鳴が聞こえた。


 振り返ると、少年が海の中でもがいていた。

 あ、と山岸と春子が言ったのと同時に、人影が海に飛び込んだ。


 仙堂だった。筋肉隆々な腕で、暴れる少年を引っ掴み、浜辺に連れていく。声を聞いたのか、遅れて伊吹もやってきた。


 少年は海水を少量飲んでいたが、手早く救出されたため、横になると割合すぐに回復した。しかし、口をきくことができなかった。しばらくすると、母親がやってきて、緊張がとけたのか、寝転んだまま話し出した。


 彼がいたのは、足がつくくらいの浅瀬だった。彼はもう中学二年生だったし(小柄な伊吹と同じくらい身長もあった)、泳ぎも得意だった。だから、目を離して下の子と海の家に行っていたのだーーというのは母親の補足だった。


 彼が特に泳ぐともせず、海に浮かんで浮力を楽しんでいると、突然何者かに足を引っ張られた。とっさに、叫んだ。


 二本の手が、彼の両足を掴んでいた。腕は、彼を海にひきずり込もうとしていた。明確な意思を感じ、恐ろしかった。


「温度がなかった。ううん……海と一緒の温度の手だった」

 紫色の唇が震えていた。


 念のため病院に行くと言い、彼らは去っていった。一刻も早くこの海から去りたい様子だった。


「みんなを連れ戻してくる」


 親子を見送ってから、仙堂と春子は海に入っていった。まだ海の中でクラスメイト達が泳いでいるからだ。山岸と伊吹は波打ち際に取り残された。


 山岸は先程の少年に負けないくらい血の気の引いた唇を動かして言った。


「こっこここここの海について調べてみます」

「いや、いいよ。俺が対処するから。その間みんなをどっかに連れてってくれへん?」


 伊吹であれば、正体が分からなくても祓うことができるのだろう。しかし、それでいいのだろうか。

 霊が何を考えているか、何を求めていてるのか、知らないままでーー。


 その思いが顔に出ていたのか、伊吹は強い口調で言った。


「人を海に連れ込もうとするなんて、悪霊に決まってるやろ。事情を知る必要なんかない」


 それは、そうだがーー。


 山岸が答えに窮していた時、背後から声がした。


「やあやあ、諸君。どうかしたのかい」


 聞き慣れた声に、山岸は振り返った。海パン姿の亘理亘がそこに立っていた。

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