第4話

翌日、校内新聞が出た。号外である。


⬛︎「俺に触るな」と叫び

 7月13日の昼休み、美術教師の菅野未知瑠(29)が生徒を殴り軽傷を負わせた。男子生徒に絡まれ、立ち去ろうとしたところ肩を掴まれ、「俺に触るな」と叫び拳を振るった。目撃した生徒は、まるで別人のように凶暴な顔をしていたと話している。菅野は同日から自宅謹慎となった。




「俺に触るな、か……」

 亘理は新聞を畳む。


「菅野先生に取り憑いた霊が手を出した、ということでしょうか……うっ」

 山岸は震えていた。霊に体を乗っ取られるなんて、想像するだけでも恐ろしいのだろう。山岸はオカルト研究部に所属しているが、幽霊や怖い話が大の苦手だった。


「彼女の危機に手を出したんだよね。自分の住処の体を守ろうとしたのか、それか……」


 言い終わる前にインターホンを押した。二人は放課後、未知瑠の住むマンションにやってきていたのだった。山岸によると、夫婦二人で暮らしているらしい。

 誰も出ない。もう一度鳴らしたが、やはり返答はない。留守だろうか。自宅謹慎のはずなのだが。


「隣のベランダから入ろう」


 隣の部屋のインターフォンを押し、出てきた女性に事情を説明する。

 未知瑠の学校の生徒であること、彼女が学校を休んでおり、心配で様子を見に来たことを伝えた。今後のご近所付き合いを考え、生徒を殴って謹慎という部分は伏せた。


「いや、でも、ねぇ……」

 頰に手を当てて考え込む。目の前の生徒と名乗る二人組を信用していいのか否か、判断しかねているようだった。

「お願いします。先生が心配なんです」


 亘理はできる限り目を輝かせて言った。すっかり先生想いの生徒の顔になっている。演劇部に入っていても部長を務めていたかもしれない、と内心思っていた。

 ほだされた隣人から許諾を得て、ベランダに入らせてもらった。隣の未知瑠の住む部屋のベランダに飛び移る。窓に顔を押し付け中の様子を窺った。


 カーテンの隙間から、腕が見えた。そして、腕の下には赤いものがーー血を流して床に倒れているのだ! 反射的に拳で窓を叩く。


「先生! 菅野先生!」


 何度叩いても反応がない。意識を失っている。亘理がベランダに置かれていた観葉植物で窓を叩き割ろうと振りかぶったところで、未知瑠が起き上がった。


 頭を押さえながら窓に近づいてくる。窓を開け、未知瑠は驚いた顔で二人を見た。


「どうしてここに?」

「先生の自宅の住所を調べて隣のベランダから入りました」

 亘理は観葉植物をその場に置いた。口に出してみるとかなり犯罪臭のする内容だ。


「先生、大丈夫ですか? 倒れていたようですが」

「私、倒れてたの? 記憶がなくって」

「ま、ままままた体が乗っ取られたんでしょうか。昨日も……」

「昨日……昨日は、私、気付いたら校長室にいて……生徒を殴ったって言われて……」

「菅野先生。血が見えたんですが、どこか怪我をされているんですか?」

 亘理が訊いた。昨日の話も気になるが、今の未知瑠の身体が心配だった。


「えっ? うそ……」

 未知瑠が部屋を振り返り、床の血を見て息を呑んだ。

「頭は痛いけど……どこからだろう?」

 頭にもう一度手を当て、出血がないことを確認して首を傾げる。


「結構な出血量ですし、病院に行った方がーー」

「いい、大丈夫」


 強い口調だった。未知瑠自身もそのことに気付いたのか、はっと口を押さえる。


「あ、ごめんね。今、あんまり外に出たくなくて……何するか分からないから。また、誰かに危害を加えたりしたらって……。あとで確認して自分で手当てするから大丈夫よ」

「それなら、私が」

 山岸が彼女の手を取った。

「ごめんね、それも大丈夫」

 未知瑠は首を振り、そっと手を下ろした。山岸の手が離れる。


「……ごめん。心配してくれてるのはわかるけど……どうすればいいか分からないの。私、今生徒に会うのが怖くて。また怪我をさせるかもしれないから」


 今日は帰ってほしい、と未知瑠は告げた。




 帰り道、山岸が心配そうな声で言った。


「菅野先生、だいぶ参ってましたね……」

「そうだね」

 亘理が相槌を打つ。

「ゆゆゆ幽霊が、先生に怪我を負わせたんでしょうか?」

「でも、昨日は彼女の、というか自分のものでもある体を守ろうとしていたみたいだったんだよね」

「……もしかしたら、身体を奪おうとして、そこで先生が抵抗して暴れて……怪我したのかもしれないです。あの、何回かそういうことがあったんじゃないかなって」

 山岸が気の毒そうに目を伏せる。


「さっき手を取った時、菅野先生の腕に、痣があるのを見たんです。内側だから、気付きにくいところでしたけど……もしかしたら先生は何度も」


 何度も霊に体を奪われようとして、抵抗しているのかもしれませんーーと山岸は言った。亘理は何かを考えるように遠くを見ていた。

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