第5話
春子を追いかけたが、下駄箱前で見失った。全速力で走ったので、山岸はぜぇぜぇ息をしていた。バトミントン部とオカルト研究部では、脚力も体力も違う。
見失ったがーーきっと春子はN公園に行っただろう。公園に行けば彼女に会える。
でも、会って何を言う?
ふと山岸の足が止まる。
真実を告げる? そして、彼女の行動が間違っていると、非難する? 幽霊より、人間の方が大切に決まっているじゃないかと?
ふらふらと迷ってーー迷った挙句、オカルト研究部に入った。亘理がソファーで寝転んでいた。上履きを脱ぎ、本を読んでいて、自宅かと思うほどの寛ぎっぷりである。
「あれ、山岸くん? もうすぐ授業始まるよ」
仰向けになったまま、山岸の顔を見る。いつも通りの亘理の顔に、何だかほっとした。
「部長。あの、か……Xさんにとって、やっぱり良くない出会いだったのかもしれません」
山岸は今あった出来事を話した。
話し終わって、亘理が言った。
「エルは人間離れしてるくらい心が綺麗なんだね。そして、自然の話ばかりすると。うん、分かった、検討がついてきた」
ソファーに座り直している。
「おそらく何か動物の霊だろう」
「でも、人の姿って……」
「知能の高い動物なら、死後人間に化ける事くらいできるよ。幽霊はぼくらより自由な存在だ。よく狐に化かされたって言うだろう。あれは死後の狐の話なんだよ。そのXは、昔動物を助けたことがあったんだと思う。恩返しに来ているんだろう。Xの好きな容姿をしてるんじゃない?」
「あ、そういえば……」
俳優にそっくりだと話していた。
「Xの好きな姿になって、励ましに出てきたんだろう」
落ちこんでいるときに現れたのは、そういうことか。
「励ましに来たのに、Xさんが依存して、学校で孤立し始めているのは……」
「ぼくは学校に居場所がなくても別にいいと思うけど。山岸くんは心配かい?」
「はい……」
学校に居場所がなくてもいいと思うが、今の春子は真実を知らない。真実を知ってから、何を選ぶか、判断した方がいい。
知った上でどう選択するかは、春子の自由だーーと、山岸は時々言葉に迷いながらも、必死に話した。話しながら、自分の考えがまとまってきた。やはり、春子に真実を伝えるべきだと。
「それはぼくも同感だね。じゃあ行こうか、病み上がりだけど」
今日も雨だった。きっと、今度はエルに会えるだろう。亘理が視えるはずだ。幽霊の正体を見破ると、亘理は幽霊が視えるようになるのだった。
だがーー。
「あの、部長……お願いがあります」
私一人でいかせてください。
今亘理を公園に案内すると、春子と鉢合わせすることになる。Xは春子だと分かってしまう。
すでに亘理に状況を話してしまっているが、せめて、『春子』に好きな人ができたことを誰にも言わない約束だけは破りたくなかった。いざとなったらすぐに亘理を呼ぶと約束し、公園の場所だけ伝え、山岸は一人でN公園に向かった。
春子はやはりいた。雨の中、傘もささずにベンチに座っていた。飛び出して行ったから、傘を持ってくる余裕もなかったのだろう。誰もいない隣を見て、笑いながら話している。
「金田さん」
山岸は春子の頭上にそっと傘を差し出した。
「海ちゃん! ごめん、さっき……」
「金田さん、あの」
「あっ。紹介するね、今隣にいるのがエル。エル、この子が話してた海ちゃんでーー」
「見えません」
「え?」
「私には見えません……エルさんのこと」
「何、言って……」
「エルさんは、この世の人ではないんです」
にわかに雨が強くなる。山岸の全身がずぶ濡れになった。
「海ちゃん、風邪ひく……」
春子が傘を押し返そうとする。山岸は首を振り、ぎゅっと目を瞑った。そして、春子の隣の空間に手を思い切り伸ばす。
「ゆ、ゆゆゆゆ幽霊なんです」
「っひ」
春子は小さく、悲鳴にも似た声をあげた。奥手な彼女は彼に触れたこともなかったはずだ。おそらく山岸の手は彼の体のどこかを貫通したことだろう。その場面を想像してしまい恐怖に震えながら、山岸は言う。
「エ、エ、エルさん。あなたはきっと、金田さんの味方なんだと思います。でで、でも、それでも、真実を言わないと……」
「幽霊でもいいよ!」
春子が叫んだ。
「エルはエルだもん。……ううん、幽霊のほうがいいよ。生きてる人間は、自分のことばっかり考えるから」
ねえ、エル。と、横を向いて言う。エルがどんな反応をしたのか、山岸には見えない。
教室でも垣間見えたが、春子の人間への嫌悪はどこから来ているのだろう。一見朗らかな彼女に何があったのか。
「金田さんは、嫌なんですか? 人が……」
春子はうつむく。言いにくそうに、胸の内を語り出した。
「人間っていうか……学校が嫌い。ちょっと自分達と違う人の陰口とか、先生の悪口で盛り上がるの、ずっと嫌だった。でも私も空気壊したくなくて合わせてた。そういうの、汚い……。部活も、ずっとしんどかった。副部長になってから、陰口言われることも増えたし」
でも、エルは違うのーーと、金田は言った。
クラスのムードメーカー的存在だった春子が、そんな悩みを抱えていたとは。誰にでも好かれる彼女は、その分人間関係で苦労していたのかもしれない。
山岸はクラスから一歩離れて人間関係も持たなかったので、気楽なものだった。しかし、春子が今までしてきたことは、間違いだったのか?春子の、大勢と友達になれ、楽しませることができるのは、素晴らしい長所だろう。このまま一人を選んでいいのか?
頭の中で様々な思いが駆け巡り、うまく言葉にできない。山岸はいつもそうだった。思いを言葉にするのが遅くて、間に合わない。
「エル?」
春子の声に、しばらくフリーズしていた山岸がはっとする。
「エル……エル」
「金田さん?」
「海ちゃん、エルがいないの。消えちゃった」
春子の目に涙がたまる。
「どうしよう、エルがいなくなったら、私ーー」
「ど、どどどど……」
春子の動揺に釣られ、山岸もそれを超えた動揺を見せる。もしかしたら自分のせいかもしれない、という思いがよぎったのだ。正体を暴いてしまった。
「ぼくが探してあげよう」
二人して狼狽していると、いつの間にやら、ベンチに亘理が座っていた。先程までエルがいたと思われる場所に、足を組んで座っている。
「部長」
頭上に差した黒い傘を傾け、顔を見せた。
「やあ。通りすがりのオカルト研究部の部長、亘理だよ。ぼくは幽霊探しのプロだからね」
「えっと……」
春子は怪しい人間を見る目をしている。山岸は春子に白状した。春子の話を、亘理にしていたことを、深く謝った。そして改めて、春子のことを亘理に紹介する。
山岸が話し終わった後、亘理が言った。
「君の名前は出さないようにしてたんだよ。山岸くんも。ぼくもさっきはついていかなかったし。ただ、やっぱり心配で来ちゃったんだよね」
亘理はベンチに腰掛け、山岸と春子は立ってふたりで相合傘をしている。相変わらず雨脚が強く、亘理は少し声を張っていた。
「幽霊にはいい幽霊と悪い幽霊がいてね。人間でもいい人、悪い人という言い方はあるけどーーそれは大いに主観が入っているだろう? 人間と違って、悪い幽霊はある程度定義づけられる」
二人は黙って聞いているので、まるで亘理の演説のようだった。
「この世に恨みを持って、人間に害をなそうとする幽霊。これが悪い幽霊だ。君が会っているエルくんが悪い幽霊かどうか、山岸くんは見極めようとしたんだよ。だからぼくに相談したんだ」
「エルは、悪い幽霊じゃないと思います」
春子が言った。
「うん、それはぼくも同感だよ。ぼくの推理によると、エルくんは君に恩返しをしにきている」
「恩返し?」
「君は、動物をたすけたことがない? 知能の高い、哺乳類なんかのーー」
「特に、ないと思いますけど……」
「そこをなんとか、思い出して」
「ううん、うーん……」
「なくても、絞り出して」
「わ、わからないです」
「ぼくの推理が間違ってるってこと?」
「ぶ、部長、冷静に……」
亘理が立ち上がる。
「何か見逃してる」
ベンチに傘を置き、公園の中をぐるぐる回り出した。あっという間にびしょ濡れになり、白髪に水が滴った。
「風邪が悪化します」
という山岸の声も届いていないようだった。
「雨の日にしか現れない……」
ふと、公園内の埋め立てられた池の跡地に目を向けた。まだ地盤が柔らかいらしく、「立ち入り禁止」の立て札がささり、ロープで周りを囲まれている。
「エル……」
ぽつりと、亘理がつぶやき、そして。
アッハハハハ、といきなり哄笑した。
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