第四章 雨の日の恋

第1話

 今日も雨か、と山岸海やまぎしうみは窓を見た。

 雨の音は好きだ。建物の中で聞く雨の音も、傘に落ちる雨の音も両方好ましい。

 だが、街中で、傘を差す行為は好きじゃない。人にぶつからないように気を遣う。また、室内に入り、閉じた傘を持ち運ぶのも億劫だった。片手が塞がるのはなかなか不便だ。傘を差さないでびしょ濡れになって歩く勇気はないから、仕方なく持っているけれど。


「山岸さんって雨、好きなの?」


 そんなことを考えていたので、突然された質問に、ひどく動揺してしまった。


「えっ? あ、えっと……」

「ごめん、急に話しかけて。ずっと窓の外、見てたから。雨、好きなのかなあって」


 金田春子かねだはるこが、窓際の山岸の席の前に立っていた。同じクラスの女子だが、話したことはなかった。


 山岸は質問に対する答えを考える。音は好きだが、雨を好きかと言われると、やはり傘の問題が頭をよぎる。

 しかし、雨の日のどこかどんよりした街の雰囲気は好きだし、雨によって肌が濡れる感触も嫌いではない。

 今は雨の話をしているのだから、傘のことは一度忘れた方が答えとしては適切か?

 しかし、雨と傘は切り離せないものだろう。

 そういえば雨によって肌が濡れる感触は嫌いではないが、水溜りにハマって靴下が濡れる感触はかなり苦手だ……。


 五分ほどの沈黙の後、山岸は答えた。


「好きでもあるけど、嫌いでもある、かな……」


 鈴を転がすような笑い声があがった。


「山岸さんって面白いねぇ」

「そ、そうですか?」

 笑っている理由はわからなかったが、春子が楽しそうで嬉しくなる。


 春子は、明るく、誰にでも分け隔てなく接するので、クラスでは男女問わず慕われていた。バトミントン部に所属しており、二年生にして副部長を務めていると聞いたことがある。

 山岸も一応副部長ではあるのだが、オカルト研究部には未だに部員は二人しかおらず、大勢をまとめる必要はないので、自分には想像できない大変さがあるのだろうなあ、とぼんやり思っていた。


「私はね、雨、嫌いだったの」


 春子が窓の外を見る。


「でも、最近は好き」


 なぜ?

 聞こうとした時、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。また話そう、と言って、春子は自席に戻った。



「また」の機会は想像していたより早くやって来た。その日の放課後、下駄箱の前で、春子から話しかけてくれたのだった。今帰り?と聞かれて、はいと答える。そのまま、何となく一緒に帰る流れになった。


 雨の中、傘を並べて歩く。

「今日は部活休みなんだよ」

 春子は言う。

「私も、休みです」

 部長の亘理亘わたりわたるが病欠していた。部員が二人しかいないので、一人が休みだと必然的に部活動も休みになる、と言うと、春子は笑った。

 春子の笑顔はその場を明るくすると、クラスの誰かが言っていたことを思い出す。


「オカ研だよね。新聞で見た。山岸さんのこと詳しく書いてた」


 数週間前、猿渡明音さわたりあかねが校内新聞に載せた記事の話だろう。『オカルト研究部の副部長に密着!』というタイトルで、思ったよりも自分のことが全面に押し出されていたので、少し恥ずかしくなってしまった記事だ。


「読んだ……んですか?」

「読んだよぉ、それで、山岸さんと話してみたいなって思ったの。手芸と料理が趣味って、いいなあって……」


 いいのだろうか。自分では、地味な趣味だと思っていた。


「家庭的だよね。私も、そういう趣味ほしいなって思ってたんだ」


 春子も、料理を始めたいと思っているらしい。山岸が使っている、料理レシピのアプリをいくつか教えると、スマートフォンにメモしていた。今まで作った料理で美味しかったものや、料理で失敗した話などを続ける。

 春子は聞き上手だった。最寄りの駅までもう間もなくというところで、自分ばかり話していたことに気づいた。春子のことも知りたい。


「どうして料理を始めたいと思ったんですか?」


 山岸は聞いた。


「え、えー、えーっとねぇ」


 春子は急にもじもじとし始めた。


「言わない? 誰にも言わない?」

「はい、絶対言いません」

「言っちゃおっかなぁ〜、山岸さんになら」


 ぐふぐふと笑っている。なにやら楽しそうだった。しばらくそんな調子で渋り続け、駅に着いた。お互い逆方面の電車に乗るため、改札で別れる事になると確認する。そこで、ようやく決心がついたらしい。あのね、と小さな声で言った。


「好きな人ができたの」


 それじゃあまた、と春子は駆けていった。

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