第5話

 少々、時は遡る。

 明音は自分の部屋に奏を連れてきて、勉強机の前に座らせた。マイクに見立てた丸めた雑誌を向け、インタビューを始める。


「猿渡奏さん。ジャーナリストの猿渡明音です。本日はよろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

「さっそくですが、鯉のぼりの頭の部分が、人の顔になっているのを見たと聞いています。それは、どの鯉のぼりでしたか?」

「黒い鯉のぼり」

「一番上の……お父さん鯉ですね。どんな顔でしたか?」

「苦しそう」

「え?」

「眉毛の間にシワが寄ってて…舌がだらって出てる」

「そんな顔だったんですね」

「血だらけで、片方の目玉がぎょろってこぼれ出てた」

「……」

「頭に鯉のぼりの串がささってるから、苦しそうだった。ずっと、助けてって言った」


 ーーそして、慌てて亘理に電話をかけたのだった。


「自分が予想してた様子とは違ってて……」

『助けを求めていたんだね。ぼくらもダニーさんの死について調べてたけど、転落して花壇の柵に串刺しになって亡くなったらしい。そのせいで、思い入れのある鯉のぼりのポールに突き刺さった状態で現世に残ってしまったのか……』

「もしそうなら、ずっと死んだ時の状態で固定されてるってことですね。相当つらいんじゃ……」

 明音の言葉に、奏がピクッと反応した。

『悪霊になってもおかしくないくらいだ。それに明日、君にも詳しく話すけど……おそらくダニーさんの死には石田さんが関わっている』


 明日の土曜の早朝、またあの家に行く予定を立てる。集合時間をメモするため、ペンを取ろうと勉強机に目を向けた時、奏がいないことに気付いた。


「ーー奏?」


 机の上に置いていた、石田家への地図がなくなっている。


「奏?」

『どうしたんだい?』

「弟が、いなくなってるんです」

 急いで一階に降りる。


「ねえ、奏見なかった?」

「上にいるんじゃないの?」

 父と母がキョトンとしている。玄関に行くと、奏の運動靴がなくなっていた。


 まさか。


「奏が……」

『え?』

「もしかしたら、弟があの家に行ったかもしれないです」

『わかった。今からぼくと山岸くんで向かう』

「自分も行きます!」


 奏の前で幽霊に同情したことを悔やんだ。弟は優しすぎることを知っていたのに、軽率だった。家の外に出ると奏の自転車がなくなっていた。あの家までは、ここからだと自転車で十分もかからない。自分の自転車に飛び乗り、全速力で漕ぎ始める。


 間に合え、間に合え。


 頭の中で警告音が鳴り響いていた。




 石田家に着いた。奏の自転車が、庭の前に置かれている。嫌な予感が的中してしまった。自転車を乗り捨てる。がしゃんと音を立てて倒れた。


「奏ぇー、奏」


 奏が鯉のぼりのポールに掴まり、じりじりと登っていた。学校にある登り棒を登るように。おとなしい子だと思っていたが、いつの間にあんなことができるようになっていたのだろう。一緒に暮らしていたがなにも知らなかった。


「降りてきて!」

 一瞬、動きが止まった。声は届いている。だが、また進み出す。

「奏ぇー!」

 奏が黒い鯉のぼりに手をかける。そして鯉のぼりと金具を繋いでいた紐を、引きちぎった。



 風も吹いていないのに、黒い鯉のぼりがばたばたと大きな音を立てて揺れ、奏の顔に直撃した。ポールから両手が離れる。奏の体が下降する。とっさに身体が動いた。奏をキャッチし、背中から地面に激突する。


「っーー!!」

「姉ちゃん」


 激痛をこらえながら抱きしめる。


「怪我ない?」

「うん……姉ちゃん、ごめんなさい」

 奏は無事だ。安堵で涙が出てきた。

 いや、違う、安心するのはまだ早い。黒い鯉のぼりの姿が見えない。


 ーーダニーさんの死には石田さんが関わっている。


 亘理の言葉を思い出した。心臓が早鐘のように打つ。

 そこから動かないで、と奏に声をかけてから、石田家の玄関に向かう。


「開けて! 開けて!」

 拳で、扉を思い切り叩いた。しばらくしてから扉が開き、心配そうな顔をした美奈子が顔を出した。


「いったいどうしたの?」


 説明しようと口を開いた時、ぎゃああああああ、と奥で男の悲鳴が響いた。声の方向に明音は走り出す。心臓はどんどん早くなり耳鳴りが聞こえる。


「うっうぐ……ううう……」


 唸り声がする。部屋の扉は開いていた。隙間から覗くと、大きなベッドが中央に置かれていた。夫婦の寝室のようだった。

 そして黒い鯉のぼりがーーベッドの上の男性の身体に巻き付いていた。

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