第4話

 明音が家に帰ると、暗い顔をした両親がリビングで向かい合っていた。何事かを囁き合っている。テレビが垂れ流されていて、バラエティ番組の笑い声が静かな部屋に虚しく響いていた。

 二人が話している話の内容は聞かなくてもわかった。両親が喜ぶのも悲しむのも、全て弟に関わる事だ。


 一応、ただいまと声をかけたが返事はなかった。聞こえていないのだろう。もう一度言ったら返ってくるかもしれない。でもそれは意味がなかった。一回で答えてくれないと意味がない。だって、弟の声だったら聞こえたはずだ。


 時々、明音は家の中で透明人間になった気分になることがあったが、今日もそういう日らしい。せっかく取材一日目でいい気分だったのに台無しだ。むしゃくしゃして手も洗わずに二階にあがった。


 コンコンと扉をノックする。扉には「奏」と書かれたネームプレートがついている。


 間もなく扉が開き、弟ーーかなでが顔を出した。さらさらの黒髪のおかっぱで、顔の全てのパーツが小さい。

 明音は天然パーマだし今は茶髪に染めているし顔のパーツはどれも大きい。明音は父親似、奏は母親似だった。言われなければ、この二人が姉弟とは誰も思わないだろう。


「またなんかしたの?」

「遠足で、幽霊が見えるって言ったら、りほちゃんが泣き出しちゃったんだ。それで、田山先生に嘘つくなってまた怒られたの」

「ああ……」


 予想通りの答えに手で顔を覆う。どうして学ばないのか。


「なんで言うかなあ、そういうこと。パパとママが心配するじゃん。黙ってればいいんだよ」

「見えたから」

「損するよ。そんなに素直だったら」

「幽霊も、助けてって言ってた。ずっと沼にはまって出られないんだよって。ひっぱるのをみんなにも手伝ってもらおうとしたの」


 自分のずるさを見習えば良いのに、とイライラする。奏は要領が悪い。そして優しすぎる。今も不機嫌な姉にあたられても、じっと耐えている。それが余計に腹が立つ。


「無駄じゃん、誰もあんたの言うことなんて信じないのに。パパとママは違うだろうけど!」


 あ。言いすぎた。

 と、すぐ思った。


「ごめ……」

「でも、姉ちゃんは信じてくれたよ」


 奏のビー玉のような曇りない目が、まっすぐ明音をとらえていた。


「一番最初に信じてくれた」


 ーー幽霊の話をしたら、パパとママは、ぼくをいろんな病院に連れて行ったけど。姉ちゃんは信じてくれた。幽霊が見える人を取材したいっていったよ。それで、いっぱい質問した。どういう風に見えるのとか、いっぱい。ぼくもいっぱい答えた。楽しかった。


「そんなの……」


 そんなの覚えてない。取材ごっこは昔からいろんな人にしていたし、明音にとっては覚えていないくらい些細な出来事だ。でも、奏はずっと覚えていた。初めて信じてもらえた思い出を、宝物のように大事にしていたのだ。


「ごめん……奏」

 涙をこらえ、うつむく。

「姉ちゃん、何かあったの?」

 奏が心配そうに顔を覗き込んでくる。明音はニッと笑顔を作った。

「うん。良いことあった。奏のおかげでね、取材できることになったんだ」

「ほんと? ぼくのおかげ?」

「うん。奏の鯉のぼりの話のおかげ」

「やったあ」


 奏が笑う。こんなに長く奏と喋ったのは久しぶりだった。


「奏、また取材していい?」

「いいよ」

「じゃあ、鯉のぼりについて教えてもらおうかな」




 時を同じくして、亘理と山岸は部室に集っていた。とっくに下校時間は過ぎていたが、調べ物があった。


「七年前の転落事故ですね、ダニー・タイラーさん、享年二十八歳。職場の屋上から誤って転落し、死亡……。地元の新聞で小さく報じられたようです」


 山岸がカタカタとキーボードを叩く。アングラな掲示板で情報収集をしている最中だった。


「新聞では転落死とだけ書かれていましたが、実際は転落して、下にあった花壇の柵に頭が刺さって亡くなったそうです。屋上と言っても三階からで、その柵さえなければおそらく助かったとか。頭に鉄製の柵が突き刺さって凄惨な光景だったらしく……ネット上では密かに語り継がれている事件だそうです。有名ではないですが」


 亘理の目が光る。

「花壇について何か他に分かる?」

 山岸がパソコンになにかを打ち込む。

 数分後、首を振って言った。

「そこまでの情報はなさそうです……。ただ、当時ダニーさんが働いていた職場の情報は掴みました」

 企業のサイトにアクセスする。家族経営している小さな会社で、オーダーメイドのスリッパを売っているらしい。載っていた番号に電話をかけた。


 女性が出て、言い慣れた調子で早口に社名を告げた。長く働いていそうな様子が窺える。


「もしもし、亘理と申しますけど。会社の花壇、どうして片付けてしまったんですか?」


 人の頭が突き刺さった柵付きの花壇など、撤去されたに違いないと踏んでのことだった。


『えっ。片付けたのは、もう何年も前ですけど……何か?』

「ぼく昔から植物が好きで。何年も前に見たんですけど、すごく綺麗な花壇だったからずっと覚えていたんです。最近通りがかるとなくなってたから」

『……そうねぇ、いろいろあってねぇ』

 言葉を濁す。

「どんな花が植えられてましたか? もういない父との思い出なんです……綺麗だねって笑い合って……ぼくも同じものを作りたくて……」

 亘理の演技に熱が入る。


『あら、まあ。私は覚えてないけど……あの人なら覚えているかもしれないねぇ』

 親切そうな声が返ってきた。

『昔石田って人がウチにいてねぇ、その人があの花壇を作ったのよ。花が好きらしくてねぇ。今はもう辞めちゃったけど毎年年賀状は来るから、住所ならわかるわ』

「そうですか……ありがとうございます。大丈夫です、名前さえ分かれば……」

 不思議そうにしている先方にもう一度礼を言ってから、亘理は電話を切った。

「山岸くん、謎が解けたよ」


 亘理の携帯が鳴った。

 今かけたところが折り返しの連絡をくれたのかと思ったが、明音からの着信だった。


「もしもし、猿渡くん?」

『亘理先輩、今弟から、改めて鯉のぼりの話を聞いたんですけど……』

「うん」

『先輩に伝えておかなきゃと思って』


 明音が、弟から聞いた内容を話し出した。

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