第3話
翌日の放課後、三人は鯉のぼりを見るため出発した。
学校から徒歩二十分ほどの、何の変哲もない一軒家の庭にその鯉のぼりはあった。明音は、父親が描いてくれた地図をもう一度見て場所を確かめる。
「間違いなくここです」
長さ五メートルほどの白いポール。カラフルな吹き流しの下で、黒、赤、青の三匹の鯉のぼりが優雅に泳いでいる。
「私たちが見るとごく普通の鯉のぼりですね……」
山岸がほっとした声で言った。庭にも特に変わったところはない。一面に整った青い芝生が敷かれ、玄関前には植木鉢が並べられていた。植木鉢の花は美しい庭を彩る役目を果たし、その植木鉢の横には補助輪つきの小さな自転車が置かれており、子供も住んでいるのだろう、と推測される。
家の表札には『石田』と出ていた。
「幸せな家の庭って感じですね」
ピンポーン、と軽快な音が鳴る。亘理がインターホンを押したのだった。
「ちょおっ!」
明音が慌てて駆け寄る。
「突撃取材だよ、猿渡くん。言い分は任せた」
『はい』
女性の声だった。
「あ、えっと……猿渡と申しますけど……立派な鯉のぼりだと思って、良かったら写真に撮っていいですか?」
『まあ、ご丁寧に。いいですよ』
玄関の扉が開き、エプロン姿の小柄な女性が出てきた。
「良かったらお茶でも飲んで行く?」
気さくな可愛らしい笑顔を浮かべる。亘理と明音は同時に頷いた。
三人は広いリビングに案内された。掃除が行き届いており、フローリングがピカピカに輝いている。大きなテーブルの上には花瓶が飾られていた。
椅子にかけて待っていると、温かい紅茶と、あげたてのドーナツを出してくれた。大皿に入ったドーナツは四人でも食べきれないくらい大量にある。またあとで揚げるから、よかったら持って帰ってね、と言った。
「今時、珍しいですね。鯉のぼりを出してるお宅って」
ドーナツを手に、亘理が言った。
「出すのもちょっと大変だし。でもあれは、思い入れのあるものだから……」
「思い入れ?」
美奈子が次の言葉を言いかけたとき、ドドドッと階段を降りてくる足音が聞こえ、小さな子供がかけてきた。
「ママ、宿題できたよ!」
男の子は青い目をしていた。美奈子が色素の薄い髪を撫でる。今まで見せていた笑顔とは違う、穏やかな母親の顔を向けていた。
「吾蓮、お客さんよ。挨拶は?」
「
言うが早いが、ドーナツを一つ取った。美奈子が苦笑いを浮かべる。今年から小学校に入学し、宿題を済ませるまでおやつを我慢させているのだという。
吾蓮が椅子に座るのを見届け、美奈子は鯉のぼりの話を再開した。
「この子の父親が買ったんです、あの鯉のぼり。日本文化が好きな人だったから」
オーストラリア人の元旦那、ダニーは、彼……吾蓮が生まれる前に亡くなったという。
「転落事故だったわ。私達は結婚したばかりで、お腹に吾蓮がいることもまだ知らなかった。彼が死んでから知った」
子供ができたとも知らなかったのに、ただほしくて鯉のぼりを買ったのだ。純粋な人だった、と美奈子は目を細める。偶然買っただけだが、ダニーが息子に遺したもののように思えて、毎年飾っているのだった。
「ダディが死んで、パパが助けてくれたんだよね」
ドーナツを頬張り、吾蓮が言う。
「そうよ。ママが落ち込んでいるところを、ダディの友達だったパパが助けてくれたのよ」
経済的にも精神的にも石田が支えてくれたと話した。そして吾蓮が三歳の時、石田と再婚したのだという。吾蓮はダニーをダディと呼び、現在の父親の石田のことをパパと呼んだ。二人もお父さんがいるなんてぼくはお得なんだ、といった。
ドーナツをいくつか食べた後、吾蓮は二階に戻った。テレビゲームをするらしい。吾蓮が去った後、亘理が聞いた。
「ご主人は優しい方ですか?」
「ええ……穏やかな人よ」
テーブルに飾られた花に目を向ける。
「ダニーと同僚だったんだけど、ずっと彼の面倒を見てくれてたの。会社の昼休み、いつもダニーをランチに誘ってくれたり……」
美奈子は少し躊躇した後、言った。
「ダニーは私と出会う前、ドラッグに溺れてて……やめたあとも後遺症で苦しんでた。今の主人はそれを知っても偏見なく親しくしてくれて、ダニーは喜んでたわ」
ダニーは、薬を絶ったあとも幻覚などの後遺症と闘っていたので、美奈子が結婚を提案しても、苦労をかけると言って首を縦に振らなかった。長い時間をかけて「二人で乗り越えよう」と説得し、ようやく結ばれた矢先の事故だったと言う。
「すごく悲しかったけど、今は幸せよ。……ありがとう、こんな話を聞いてくれて。最近子どもと主人としかロクに話してなかったから、楽しかった」
三人は家を出た。ドーナツがぱんぱんに入った袋を一人一つ持っている。美奈子と吾蓮が庭まで出てきて見送ってくれた。
二人が家に戻ったのを確認してから、明音が言った。
「鯉のぼりについてる顔は、ダニーさんですかね?」
「思い入れのあるものに憑いてしまうのはある話だね」
亘理が顎に手を当てる。
「お子さんの成長を見守っているのかもしれないです」
と、山岸。
我が子を見守りたいダニーの魂が、男児の健やかな成長を願って飾るという鯉のぼりに宿った……ということだろうか。それならば少々不気味だが、害はない。いや、かなり不気味だが。
「祓う必要はないかもしれないですね」
と、明音が言う。亘理が祓い屋のようなこともできることは調査済みだ。
「でも、まだ視えないんだ」
亘理が言い、鯉のぼりを見上げた。亘理は普段、幽霊が視えないが、正体が分かれば視えるようになるはず。しかし、鯉のぼりを見ても、何も視えないと言った。
「真相に辿り着いていないのか……」
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