第2話

 明音の弟には霊感があった。今年で九歳になるが、三歳になるまで一言も喋らず、何もないところを見て泣き出したり、指差したりと、両親をひどく悩ませていた。

 ようやく喋り出したかと思えば、家の中であそこにいるおじさんは誰だとか言ったり、知らない人を見てあの人の肩に何か憑いている、などと言ったり厄介なことばかり話すようになった。


 しかし、両親にしてみれば弟が喋ったことがとにかく嬉しかったのだろう。弟は愛されて育ち、強い霊感をもちながらもわりかし幸せそうに過ごしている。

 明音は正直、弟が苦手だった。両親が弟につきっきりで寂しい思いをしてきたし、幽霊の話をされると気味が悪かった。


 だが、弟から聞いた話が取材に役立つとは。今日は弟の好物を買って帰ってやろう。


 そんなことを考えながら、赤い椅子に腰掛け、明音は話し出した。


「これは自分の父から聞いた話です。弟は霊感があって……この前、父と弟で散歩してたときに、鯉のぼりを見つけたらしいんです。弟は指さして、顔って言ったんです。

 父は魚だよって教えてあげました。でも、弟は血だらけ、おじさんの顔って繰り返して……。父は気味が悪くなって、その場所を離れてから、弟に詳しく聞きました。


 弟は鯉のぼりの頭が、人間の顔だったって言うんです。魚の頭があるべき場所に、人間の生首がついてたって。鯉のぼりが三匹いて、そのうちの一つが血だらけの顔だったって」


 暫くの沈黙の後、向かい側のソファーに座る亘理が言った。


「面白い」


 先程までの近寄りがたい雰囲気はどこへやら、瞳が輝き、おもちゃコーナーでほしいおもちゃを見つめる子供のような顔をしている。


「その鯉のぼりはどこにあるんだい?」

「そこまでは聞いてなかったです。明日までに聞いてきます」

「よし、じゃあ明日ーー行こうか」

「え?」

「鯉のぼりを見に」


 当然の流れではあるか。明音は頷いた。弟のおかげで、多少は怪談に耐性もついている。話がまとまったところで、部室を出ていた山岸が帰ってきた。

 猫の柄が描かれたエコバッグを手に提げている。買い出しに出かけていたらしい。


「あ、さっきの……」

 明音と目が合うと、山岸が微笑んだ。


「新聞部一年の猿渡明音です。オカルト部の取材をしに来ました」

「山岸海です。よろしくお願いします……猿渡さん。良かったら何か食べますか?」


 エコバッグから机の上にせんべいやグミを取り出す。その間に亘理が、先程明音がした話を伝え、明日は鯉のぼりを見に行こう、と誘った。山岸の顔色が悪くなる。


「大丈夫ですか?」

「山岸くんは怖い話とか幽霊が苦手なんだよ」

 明音は鞄からペンとメモ帳を取り出した。オカルト研究部なのに怖い話や幽霊が苦手? 何か秘密があるにおいがする。メモに殴り書きする。


『山岸さん 怖いもの 苦手』

「私のことも記事にしてくれるんですか……?」

「はい。二人とも、面白そうですから。文字数に限りがあるので削るかもしれないですけど」

「そうですか。もしなるなら、ちょっと楽しみかも……」

 山岸は取材に肯定的なようだ。オカルト部の一員だから、もっと変わった女性と思っていたが雰囲気も柔らかい。山岸からいろいろと亘理のことを聞き出せるかもしれない。


 仲良くなっておこうか。明音はぺろりと舌を出した。丸顔で、くりくりした大きな目に長いまつ毛、少々出っ歯気味の前歯ーーと、人畜無害なリスのような顔をしている明音だが、計算高いところがあると自負している。

 人心掌握のスキルも、ジャーナリストには必要だ。取材相手には気に入られないと始まらない。頭の中で計画を立て、明音はほくそ笑んだ。



 その頃。

「どういうつもりですか、部長。一年に一人で、しかもオカ研の取材をさせるなんて。いったい何があるか……」

 明音がいなくなった部室では、東雲が二年と三年から詰められていた。

アタシは猿渡に期待している。とても優秀な子だからね。ただ、彼女には少しハートが足りない。今回の取材でそこを克服してほしいんだ」

 荒療治になるかもしれないけどねぇ、と東雲は笑った。


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