第三章 人面鯉のぼり

第1話

「パパ。顔、顔」

 小さな男の子が、前方を指差して言った。男の子と手を繋いだ父親が、指差した方向に目を向ける。一軒家の庭に大きな鯉のぼりが飾られていた。

「うん、魚さんだねぇ」

 三匹がぱたぱたと風に揺れている。

「血だらけ」

「え?」

「おじさんの顔」





 調査の必要があると思います、と猿渡明音さわたりあかねが進言した。


「オカ研の亘理という男は、何か怪しいにおいがします」


 オカ研ことオカルト研究部。部員二名なのになぜか存続している不思議な部だ。先日の男子トイレの幽霊騒動にももちろん関わっていたし、橘という新任教師が突然辞職したのは亘理が呪うと脅したせいだ、なんて噂も流れている。


「ふむ」


 東雲紫しののめゆかりが閉じた扇子を口元に当て、考え込む表情を見せた。おかっぱ頭の彼女は新聞部の部長を務めている。


 明音の所属する新聞部では、二週間に一度校内新聞を発行している。中身は大きく分けて、校内行事などについて書いた「学校だより」的な内容と、自由に書ける記事の二つに分かれる。

 今はその自由な記事のテーマを決める会議の最中だった。入部して間もないこの時期の一年生はほとんど発言しない。しかし、明音はテーマを提案した上、大胆にも言った。「自分に調査させてほしい」と。

 明音は、将来ジャーナリストになることが夢だった。明音にとってはただの部活動ではないのだ。夢に向けての訓練だと思っていた。特ダネをつかみたい。


 東雲はにやりと笑みを浮かべ、扇子を広げた。


「面白い。あの曲者を調査しようというのか。良い、任せる。ただしくだらん記事は書くなよ」

「ありがとうございます!」




 会議を終え、明音はさっそくオカルト研究部に突撃することにした。扉を開けると、ちょうど中から出てきた人とぶつかってしまった。


「ごめんなさい!」

「こ、こちらこそ、すみません……」


 でかい。と、明音は心の中で思った。ぶつかったのは、身長が175、いや180センチはある女性だった。小柄な明音が見上げると、胸で視界が埋め尽くされる。いや、これは距離が近すぎるからだ。明音は背後に下がり、女性を見た。


 やや猫背気味だが、高い身長。青白い肌に、濡羽色の髪を後ろで一つに結んだ姿。間違いない。事前に調べていた特徴そのままだ。山岸海やまぎしうみーーオカルト研究部の数少ない部員の一人である。

 ぶつかってしまったことをもう一度詫びてから、彼女と入れ違いで部室の中に入った。


 教室は、椅子や机が取り払われた上、窓や黒板が黒いカーテンに覆われていた。中央にはテーブルが鎮座し、縁が金色になっている豪奢な赤い椅子と、黒いソファーが向かい合わせになる形で置かれている。


 窓際にはホルマリン漬けの謎の物体や気味の悪いオブジェが飾られており、部屋の奥の天井まで届きそうな大きな本棚にはぎっしりとオカルト本が詰まっているようだ。まるで洋館に迷い込んだ気分になる。教室をここまで改造するなんて、更に怪しい。


 本棚の前に、男がいた。入口に背を向けて立っているため顔は見えない。

 だが、あの銀髪に近い白髪はーー部長の亘理亘わたりわたるに違いない。


 明音はすぅ、と息を吸い込んだ。緊張を落ち着けるため。そして、取材を申し込むため。


「新聞部一年の猿渡明音です! 亘理先輩、取材をさせてください」

 静かな教室に明音の快活な声が響いた。


 本棚の中から一冊本を抜き、緩慢な動作で男が振り返った。


 鋭い切れ長の目に射すくめられ、明音は身を固くした。山岸ほどではないが白い肌は陶器のようで温度を感じさせない。なまじ美形なので、無表情で見つめられるだけで迫力がある。


「取材?」

「……は、はい! 新聞部の記事にしたいんです、オカ研のことを」

「君に罪はないけど、ぼく、新聞部にいい思い出がないんだよね。現部長のせいでさ」

 亘理は手に持った本を広げる。

「で、でも……」


 その部長から聞いてきたとっておきのセリフがあった。

「あの男は過去に色々あってアタシを嫌ってるけど、この一言さえ言えば、首を縦に振るだろう」とーー。


「自分、とっておきの怖い話があります!」


「ほんとかい?」

 食いついたーー。

「ほんとです。嘘ついたらハリセンボンでもコーラでもなんでも一気飲みします。もちろんただでは教えられません」

「冒頭だけ教えて」

「鯉のぼりが……」

「鯉のぼり? この本にも載ってないな。面白そうだね」

 本を閉じる。表紙に『世界中の怖い話〜あなたもきっと今夜眠れない〜』というタイトルが書かれていた。


「うん。取材していいよ」

亘理はあっさりと言った。

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