第2話

 さっそく亘理と南園の二人で男子トイレに向かった。入るなり、どの個室から聞こえたんだい、と亘理が訊く。

 三つ横並びになった個室の中から、奥の個室を指差した。今は扉が開いている。

 亘理は中に入りじろじろと眺めまわす。特に異変は感じられない。水にも濡れていなかった。


「今は……いないんだろうか」

 と、南園。

「みたいだね。君は霊感が強い方なのか?」

「いや、そういう自覚はない。今までもこのトイレは使ったことはあるし。その時は何もなかったんだ」

 南園はあまり奥に進みたくないらしく、入り口付近で腕組みしている。


「じゃあ、考えられる可能性は二つかな。なんらかの原因で君の才能が開花したか、何かが引き金となってトイレの霊が刺激されたか」

 南園はじっと考え込んで言った。

「前者には心当たりがないな」



 部室に戻ると、山岸がノートパソコンの前に座り高速で文字を打ち込んでいるところだった。


「今情報を集めてますが、特に関連しそうな事件は過去起きていないですね」

「山岸くんは怖い話は苦手だが情報収集に関してはプロなんだ」

 亘理が言うと、南園が感心したように頷いた。


「自分達の高校ですし、何かあればもう耳に入っているはずだと思います。噂は広まるものですから。ただ」

 山岸が手を止めた。いつもより声に力がこもっている。

「事件が表沙汰になっていなかったら……たとえば、故意に隠されていたとしたら。生徒であっても知らない可能性はあります」


 その言葉を聞いた瞬間。

 南園の正義の炎に燃える大きな目が、更に燃え上がったように見えた。


 チャイムが鳴った。昼休みが終わる合図を耳にして、南園は声にならない叫びをあげながら走り出した。

 状況を加味して考えると、生徒会長が授業に遅刻するなんて、とかそういうことを言っていたようには思えるがーーほぼ聞き取れなかったので定かではない。


「そろそろぼくらもいかないとね」

 亘理は支度を始める。

「はい……。授業が終わったら、また調査を進めます」

「ありがとう。彼が暴走しないといいけど」




 亘理の悪い予感は的中した。翌朝、校門前でビラ配りをしている南園の姿を見かけ、さすがの亘理も目を丸くした。地面に落ちていた一枚を拾う。

 ビラには、男子トイレの写真と、大きな文字で以下の内容が書かれていた。

「男子トイレにてすすり泣く霊目撃!? 情報求む」

 そして小さな文字で、昨日南園が体験した心霊現象の詳細が付け加えられている。


「おい生徒会長くん、君は一体何をしているんだ」

 後ろから南園の肩を掴んだ。


 南園が振り返って言った。

「おはよう、亘理。新聞部に頼んでね、刷ってもらったんだよ」

「そういうことじゃなくて……どういうつもりだ」

「こういうつもりだよ。俺が見た少年を成仏させてやるんだ」

 南園の眉が更に吊り上がる。


「多少荒っぽいやり方でもいい。過去に起きた何かがもし隠蔽されていたのなら許せない。トイレットペーパーまみれになってずっと泣いている少年がいるなら助けたい」

「気持ちは分かるが、こんなことをしたらいたずらに霊を刺激することになる。それは更に彼を苦しめることになるかもしれない。君は救いたいんじゃないのか」

 南園の瞳が揺れる。


 少しの沈黙の後、

「……彼を泣かせた奴がいたなら、そいつに裁きが必要だ。そのためにも情報を集める」

 肩に乗った亘理の手を振り払い、ビラ配りを再開した。



 一日も経たないうちに、二階の男子トイレで幽霊を見たという目撃情報が多発した。中には、お前を呪い殺してやると脅されたという話や、トイレットペーパーで巻かれそうになった、という過激な噂まで飛び交っていた。


「あきらかに尾鰭がついて、見せ物になっています。南園さんに、情報が集まった様子もありません……」


 山岸がやってきて、沈んだ声で言った。くだんの男子トイレの前で、亘理は立ち塞がっていた。

 休み時間の間に噂の幽霊を一目見ようとやってくる野次馬を「お前を呪う」と脅して追い返している最中だった。


「おーい、えっと、亘理君?」

 山岸と話し込んでいると、長身の若い男が控えめに声をかけてきた。


「お前を呪う」

「ああ、いやいや……僕は野次馬じゃないよ。いちおうここの教師なんだけど」

「見たことがない」

「今年から赴任されて……うーん、一応始業式で挨拶もしたんだけどなあ。傷つくなあ。まあいいや。橘良二たちばなりょうじっていいます。二十二歳で教師一年目だから、お手柔らかにね」


 橘はへらっと笑い、緩くウェーブがかった茶髪をかいた。


「君達はもう戻って、僕が鍵かけとくから。封鎖していいって、校長からもお許しもらってるからさ」


 ポケットから鍵を出してウインクする。今時ウインクする人間がいるのか、と呆気に取られつつ亘理は扉から離れた。


「あ、あの……」


 山岸が声を上げた。


「始業式の時、橘先生はここの卒業生だって仰ってましたけど、何か知ってますか? 男子トイレの噂とか……」

 橘は首を傾げた。


「ううん、まったく知らないなあ」



 二人で部室に戻っているときに、山岸が言った。


「調べても出なくて、私達も卒業生も知らないって……南園さんはいったい何を見たんでしょう」

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