第3話
トイレに鍵がかけられ入れなくなると、生徒達の関心は急速に逸れていった。元々、新学期が始まったばかりで新しい環境に慣れることに忙しい時期だったし、怪談話ばかりしている暇もなかったのだろう。
翌日には男子トイレの周りにはもう誰もいなくなっていた。
山岸とは違う方法で、亘理も情報を集めることにした。至極単純な方法である。聞き込みをすることにしたのだ。職員室に入り、この学校でいじめがあったかとーー聞いて答えてもらえるわけはないので、死亡事故があったかを聞くことにした。
また、亘理は日頃の行いのせいで教員からの信頼があまりないため、代わりに優等生の沙希に聞いてもらうことにした。(沙希については前章を参照)
しかし、死亡事故ももちろんないらしい。それもそのはず、あったらニュースになっていて、山岸が見つけていないはずはないのだ。ならばと、亘理は質問を変えた。
在学中に命を落とした男子生徒がいるかを聞き出すことにした。この高校に勤めて十年になる、社会科の教師の
「何人かいたよ。本当に悲しい話だけどな、長い間教師を続けてるとそういうことも起きる。事故に遭った奴もいるし、病気も……でも、トイレで死んだやつはいなかったよ」
ここ十年の間で、在学中に亡くなった生徒を教えてもらった。
女子生徒は省き、二人の名前があがった。
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日野竜矢は七年前にバイク事故で、安藤航太は五年前に肺炎で亡くなったという。日野は高校三年生で、安藤は高校二年の年だったらしい。
若くして亡くなった二人のことを考え、沙希がメモ帳に書き留めてくれた名前を見つめる。資料室のアルバムに写真も残っているそうで、沙希が借りた鍵を手に、資料集に入った。
そして、アルバムの中のある写真に映った二人の男を見てーー亘理は真相に近付いた事を確信した。
更に翌日になり、新しい噂話が流れ出したことを亘理はキャッチした。
トイレにいるのは、「いじめられて死んだ男の子の幽霊」だと。そして「そのいじめの首謀者が現在の生徒会長」だと。
放課後、生徒会の仕事をこなしている南園の腕を掴み、無理やりオカルト研究部に連れてきた。
「この、阿呆!」
亘理が言った。体力がないのに、体格の良い南園を引っ張ってきたせいで息が切れている。
「噂話の無責任さを知らないのか、君は」
「知っているとも」
ソファに座らされた南園がきっと睨む。
「だったら余計に浅慮な行動だな」
亘理は南園を見下ろし、ため息をついた。そして、先程耳にした噂話を教えてやった。
さすがにショックを受けたらしく、しばらく黙り込んでいたが、
「まさかビラ配りをしていた俺が疑われるとは……自分から自分の犯罪行為を広める奴がいるか?」
と納得がいかない顔で言った。
「最初の目撃者だからね。それに噂話に辻褄があうとかあわないとか、そんな考えはいらないんだよ。本人は武勇伝だと思ってるとか、こじつけもできるし」
「……でも、この話が消えてしまうよりかはいい。忘れられるよりはいい、このままずっと続けば……」
「いい加減に死者を愚弄するのはやめろ」
亘理が遮った。
「愚弄しているだと?」
「ああ、そうだよ。君は死者を利用している」
「違う! 違う、俺はただーー」
「復讐を果たすつもりだったんだろう」
正義に燃えていた南園の目が。
爛々と輝いていた真っ黒なそれが、曇った。
「何を」
「悪いが、君のことを調べさせてもらった。三年前に両親が離婚している。南園は母親の姓だ。離婚する前は安藤潮だった。君には兄がいたね」
南園の肩から力が抜けた。脱力してソファーに沈み込む。
「君の兄、安藤航太はこの高校に通っていた。二年生の時、自宅で息を引き取った。風邪をこじらせ肺炎に……」
「そうだ。俺の兄が死んだのは肺炎のせいだ。だが……」
「お兄さんはいじめに遭っていたんだね」
南園はうなだれた。
「一年の時からずっとだ。クラスが変わっても続いて……耐えられなくなって二年の春に不登校になった。元々体が弱かったから、そのせいで通えないってことに表ではなっていたようだ。本当に弱っていたからな、歩けないくらい。でも、いじめがあったことは認められなかった」
激しいいじめだったという。南園の兄は、大人しい性格だったが、彼に似て正義感が強く、いじめられている子を庇ったことがきっかけでターゲットになった。
トイレの中でトイレットペーパーでぐるぐる巻きにされて、水をかけられたのもいじめのひとつだ。そんな行為はまだ可愛い方だよ、と南園は口元を歪めた。
「兄さんの日記で知ったよ。遺品を整理してた時だ。俺は……兄さんが死ぬまで知らなかった。健康の問題で通えないって家族みんなで口裏を合わせてたんだ」
兄は死ぬまで兄でいたかったのだ。しかし、残された南園は知らなかったことにショックを受けた。それに加えて書かれていた内容の惨さに、日記は途中までしか読むことができなかった。
「母が日記を学校に持って行ったが何も変わらなかった。兄さんは病死だし……なかったことにされてしまった。俺は復讐しようと思ったが、父さんが兄の日記を燃やしてしまった。兄さんが死んだのは病気のせいだ、と言って。直接の死因は病気だったかもしれないが、兄さんがあそこまで弱ったのはいじめのせいだと思う。兄さんは悪意に殺されたんだと俺は思う。ただ……父さんの言う事もわかる。許せないけど、乗り越えようと思った」
しかし母はそうではなかった。母は許せず、その許せない母を父も受け入れられず、すれ違いの果てに両親は離婚した。南園は母親の哀しみを一人で受け止めることになった。壊れかけた母親を支えるのは辛かった。
だが、復讐はしないと決めていた。南園は教師になろうと思っていたからだ。復讐するのではなく、自分が教師になっていじめと闘うことを決意したのだ。兄の夢も教師だった。その兄の夢を継ぐという気持ちもあった。兄と同じ高校に通い、毎日必死で勉強をしていた。
だが。
「彼が来てしまったんだね」
亘理は痛ましげに南園を見遣った。南園は無言で頷き話を続けた。
今年の春。
始業式の日、へらへらとした笑顔で壇上に上がった男は、信じられない言葉を吐いた。
今年からこの学校で働くと言う。
教師、なのだという。
「いじめを見つけたら僕がぶっ飛ばします」
男ーー橘良二は生徒の味方をアピールする言葉で挨拶を締めて、白い歯を見せた。
南園は頭に血が上るのを感じた。心臓がこれ以上ないくらい速まり、立っているのがやっとだった。その男は、兄をいじめた男だった!
いじめのリーダーと日記に書かれていた男、そのままだった。名前も知っていたが、自宅に郵送されてきた卒業アルバムで写真を見たことがあった。兄の隣で橘が笑っている写真もあり怒りを覚えた(亘理が昨日見た写真と同じものだろう)。
軽薄な表情は昔と変わっていなかった。橘を見るたびに、兄がされた行為が南園の頭をよぎった。日記を読んでから一度も忘れたことはなかった。兄が受けた屈辱を。
「復讐しようと決めた。いや、ただ……教師を辞めさせたかったんだ。それだけでもよかった。それくらい、奴が教師をしていることが許せなかったんだ」
「だから、幽霊を見たと嘘をついたんだね」
南園は顔をあげた。
「幽霊に追われた、と芝居を打ってオカルト研究部を巻き込んだ。一人で言い出すよりはまだ虚言と思われにくいと思ったんだ。オカ研以外には受け入れられなさそうな話だったから君達を利用した。とにかく話を広めたくてビラも配った。あいつに少しでも罪悪感があるなら効くだろうと思った。……それは無理でも、君や新聞部なんかが興味を持てば、いつか真相にたどり着くんじゃないかとも少し思っていた。しばらくしたら俺から橘の噂を流して、計画はひと段落する予定だった」
たとえ決定的な証拠がなくても、橘の過去の噂が広まれば、学校には居づらくなるだろう。生徒達はゴシップニュースだとは頭で分かっていても「もし本当なら」という思いが生まれ、橘を白い目で見るようになる。今までそういった例を見てきた。噂の恐ろしさを利用しようとしたのだ。
それに表向きは噂とはいえ、れっきとした事実ではあるから、リアリティーもある。
「俺に疑いの目が向いてしまったから、今更橘の噂を流しても難しいかもしれない。でも諦めない。あいつを辞めさせるんだ」
テーブルにどんと拳を置く。
「たしかに俺は兄さんを侮辱した。幽霊になったなんて言って……」
「君の兄さんは幽霊にはなっているよ。トイレにはいないけどね」
「えっ」
「君の後ろにいる」
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