第2話
LINEを交換し、明日の約束も取り付けてしまったのは、勢いに負けたからではなかった。
亘理を信頼したわけでもない。
ただ、そろそろ参っていたのだ。
自分の妄想とは言え、二ヶ月間、四六時中見知らぬ女に見張られている状況は、遊馬の心身を少しずつ蝕んでいた。
現状を、打破する可能性が少しでもあるならーーと、藁にでも縋る気持ちからだった。
翌日、朝早く駅に集合したのだが、遊馬が事故に遭ったトンネルは山奥にあり、バスを乗り継いでやってきた頃には、もう昼過ぎだった。
最初は窓から見える満開の桜並木などにいちいちはしゃいでいたが、腹は減るしずっと田舎道で景色に代わり映えもないしで、降りた頃には皆口を閉ざしていた。今にも雨をこぼしそうな重い雲が空にかかっているのも原因の一つかもしれなかった。
バスを降りてからも何十分も歩いて、ようやくトンネルの入り口に着いた。小さなトンネルには一面苔が生えている。それほど長さもないので、トンネルを出た奥に、これまた苔むした地蔵が並んでいるのが入り口からでも見える。
もっと長いトンネルだったら、山岸の顔が更に青くなったかもしれないので、これくらいでよかったなあ、と遊馬は思った。
亘理が先陣を切り、一同はトンネルに足を踏み入れた。
トンネル内はしんとしていて、冷たい空気で満たされている。
これから何をするのだろう。
遊馬が亘理に目をやったが、意外にも喋り出したのは山岸だった。
「昨日調べたのですがーーここは所謂、心霊スポットでした。おばあさんに追いかけられるとか、女の幽霊が出るとか……いろいろ、怖い話とか都市伝説があって。事故も多いから、それが余計、人々の恐れを呼ぶみたいですね、うっ」
自分自身の話に怯えながら話している。
遊馬は愛しい恋人ーー愛梨沙の手を握った。
昨日電話し、この二ヶ月間、沙希以外には秘密にしてきたことをとうとう打ち明けた。事故の日から幻覚に悩まされていること、それを解決できるか分からないが、ある先輩に相談していること。
愛梨沙はついてきてくれると言った。
「直也は知ってたの?」
愛梨沙は遊馬を見上げる。
「いや、全然。たまたま走ってただけだから」
「こんな山奥にどうして来たんだい?」
「思い出せないんです」
事故前後の記憶がないと話していたね、と亘理が頷く。
「山岸くん、このトンネルにまつわる話で、髪の長いワンピースの女の話はあった?」
「はい。夜このトンネルを通ると、髪の長い、ワンピースを着た女が……。なんでも、男に恨みがあって。……ドライブ中に男に振られて、トンネルで降ろされたところを車に轢かれてしまったらしくて、男を見かけると、どこまでも追いかけてくるとか」
「なんか、嫌な話だなあ」
愛梨沙は怖がるより憤慨している。元々愛梨沙はホラーが好きな方で、お化け屋敷なんかにも喜んで入るタイプだった。それでもやはり、心霊スポットで聞くと多少恐怖も感じるらしく、無意識かもしれないが、直也に肩を寄せてきた。
「その霊が、遊馬くんにくっついてしまったのかな?」
亘理は遊馬に目を向ける。
「うーん、そういう感じじゃーー」
ふと隣の女を見て、遊馬は腰を抜かした。
黒い血だらけの顔が、歪んでいた。
やはり黒で塗り潰されていて、顔の細部はわからないのだが。
目や口があるあたりがぐにゃりと吊り上がり、顔中にいびつな皺が入り、顔のパーツが全てひん曲がっているのがわかる。
そして、黒の中から、白い歯がこぼれた。
女が笑っている。
違う。これは……歯を剥き出しにして威嚇している顔だ。猿のような。
「直也!」
愛梨沙の声ではっとする。立ち上がらないと……と思うが足に力が入らない。
やはりこのトンネルの幽霊なのか?
それとも脳がその霊を想像して見せた幻覚なのか?
「何が見えた」
亘理が遊馬の体を支え、立たせながら問いかけた。
「怒ってます、たぶん……顔が。歪んでて。怒ってる。すげぇ、怒って……」
「こここここここのトンネルの幽霊ってことなんでしょうか? さっき私が話した」
「いや違う、ぼくにはまだ見えてない」
遊馬と愛梨沙が同時に亘理を見る。
「ぼくは普段は霊感がない。昨日言った通りだ。ただ、幽霊の正体を見極めると、視えるようになるんだ。そして視えれば、祓える」
亘理に肩を貸してもらいトンネルを出た。
「今までは攻撃性はなかったようだが……きみに怒りを見せてきているし、放っておけば悪霊化するかもしれない」
「でも、おれの幻覚のはずで……」
「まだ言うのか、きみは!」
亘理が言った。
「頑固なのは悪いことではないと思う。でも、見えてるものを見えていないふりをするのは、よくないな。いつか災いが起きる」
見えているものを見ないふりーーしているのだろうか。
その方が怖くないから、楽だから?
「事故が起きた日を振り返ろう」
ーー事故が起きたのは、二月十四日だった。
「ヴァレンタインデーだったんだね」
世俗に疎そうな男の口から不似合いな言葉が出た。バ、でなくヴァ、な発音のところはなんとなく亘理らしい気がするが。
四人は喫茶店に入り、事件を振り返りはじめたところだった。
「そうなんす。付き合ってはじめてのバレンタインデーだったから、一緒に帰ろうって約束してて」
愛梨沙はパフェをつつきながら回顧する。
遊馬が真剣な面持ちで続ける。
「で、放課後に愛梨沙からチョコもらったんです、手作りの。トリュフ」
「えー! そこも言う? 言っちゃうー?」
うふふ、と照れながらも嬉しそうである。
「二人で一緒に帰ったのかい?」
「あ、一緒には帰ってないっす。沙希先輩が来て」
と愛梨沙。
「えっ、沙希?」
「直也覚えてないの?」
「あー……愛梨沙にチョコもらったあたりから記憶曖昧なんだよなあ」
「急ぎの用があるって言って、直也を連れて行ったんだよ」
「何の用だったのかな」
亘理が珈琲に角砂糖を次々と入れながら問う。
「んー、なんスかねぇ。でもすごく焦ってた。いつも学年一位でかしこくて、落ち着いてる先輩って感じなのに、全然ちがくて。よっぽど大切な用だったのかなって思ったっす」
そしてその後、学校からは遠く離れたトンネルで、遊馬は事故に遭った……。
「相手はいない事故だよね?」
「はい。スピード出しすぎて、自分でトンネルの壁にぶつかったんです」
「もしかして、急いでたのは……沙希先輩の用事と関係があるのかなあ」
愛梨沙がうつむく。
砂糖を大量に入れた珈琲をすすり、亘理は聞いた。
「二人はいつから付き合い出したんだい?」
「えっ! えっと、去年の八月からっす。夏休みに……これ言う必要あります?」
「うん。必要なことだよ」
からかっているのか、真剣なのか。亘理の表情は読みづらい。
「付き合い始めたこと、沙希くんには伝えた?」
「一番に伝えました。ずっと沙希が協力してくれてたんで」
「そうか」
それから、亘理は黙り込んでしまった。
愛梨沙がパフェを食べ終えると、今日はもう疲れたから帰ろうか、と亘理が言った。
幽霊の正体を見破る話はどうなったのだろう。と、頭によぎらないこともなかったが、正直遊馬も疲れ切っており、異議を唱えることはしなかった。
隣の女の顔が今どうなっているのか、見ないように意識しながら、帰路に着いた。
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