第5話 朝議



朝陽が差し込み、わずかな埃がキラキラと宙を漂う。


零音の執務室は無駄に広い。凝った彫刻に縁取られた執務机とフカフカの椅子、応接のための高級感溢れるソファとローテーブル、両脇には整頓された本棚がズラッと並んでいる。天井のシャンデリアは磨き込まれて蜘蛛の巣もなく、大理石の床は光り輝いている。


部屋の扉の正面から見て左側に、質素な造りの机と椅子がある。場違いに実務的で、急ごしらえで運びこまれたとわかる。


「あっちが紗梨亜の席だ」


と、零音が案内してくれる。


「ありがとうございます」


そんなに配慮してくれなくても。むしろこの部屋であたしは何をしたらいいの。


ちなみに愛莉亜はこの時間、宮廷教師から帝王学や行儀作法などを学んでいる。


あたしだってまだ十二歳だし。本来なら学校に通っているはず。


勉強はどうしたらいいんだろう。


小学校程度の知識しかないのに、天下の皇帝様の偉大な執務室に机を置かれても困惑するだけ。


それに、他にも気になることが幾つかある。


零音からあたしの安否を伝えてもらったとはいえ、王宮に来てから実の父母と連絡を取っていない。


あとは宝石帝国中を覆っている宝石の障壁の維持は、大丈夫だろうか?


「紗梨亜?」


と、零音が言う。


「んー。何?」


彼はふいにあたしの眉間を人差し指でつっ、と優しくつつく。


「すごい怖い顔してる。俺と一緒の空間そんなに嫌か?」


零音の変な思い違いに、紗梨亜は慌てて頭を左右に振る。


「違う」


「じゃあ何?」


「昨日のバリアは大丈夫かなとか、ここで何をしたらいいんだろうとか……?」


すると、そんなことはまるで小さな悩みだとでも言うかのように彼は微笑する。


「あぁ。そのことなら何も心配するな。紗梨亜はここにいればいい」


「いて、何をするの?」


「いやだから何もしなくていい。むしろいなくなるな」


「それって……?」


「紗梨亜が危険にあうとき俺のそばにいなきゃ守れない。探すのが手間だ」


ううん……。


「なら……あたしがトイレ行ってるときとかお風呂入ってるときとかどうするの?」


「……どういう意味?」


「そのときは零音と別れるよ。短時間だけど。まさかトイレにもお風呂にもついてくるわけじゃないでしょ?」


零音のそばにはいられなくなるときもあるのに。皇帝の権力でもって、連れションみたいに四六時中くっついていたいとは。


暇なのかな?……忙しそうに見えるだけで?


「あぁそうだな?」


彼が受かべる微笑は怪しげだ。ことばと内心があってるのかな?


先程、あたしが窓を飛び出したとき、彼は助けに来てくれた。


風呂でのぼせて意識を失ったりとか、トイレで下痢で苦しんでいるとき、あたしの元に、何をすっとばしてでも彼は駆けつけてくるのか……? 


「う~ん……? 面倒だなぁ」


「何が?」


と、彼が目をキラッと光らせて訊いてくるので、紗梨亜は正直に答える。


「たとえば、あたしが下痢のときとか、トイレに来てくれるの?」


「フ……フフフっ。何かと思えば」


「……?」


「同時刻に俺もトイレで苦しんでいれば行けるわけないだろ? そのときにならないとわからない」


「あぁなるほど」


確かに、零音自身が命の危機に瀕しているときは、あたしが命の危機に瀕していても助けられないだろう。


「ちなみに俺は朝議があるのでこれから議事堂へ行く。紗梨亜も来るか?」


「えっ?」


行ってみたいが行きたくない。なぜ皇帝のそばに若い女がいるのかと議員たちが思考するとき、その回答が〈宝石の寵愛〉を受けているからだなんて、目立ちたくない。


派手好きで知られる零音は、神から与えられし生まれつきの煌めく白銀の髪を、金の方が華やかだからという理由でわざわざ金色に染めるような皇帝なのに。


きっと何をするつもりでなくとも、彼の派手派手に巻き込まれて、ナチュラルに目立ってしまうだろう、避けたい。


「勿論答えなくても、紗梨亜の出席は決定事項だ。俺の侍女としてそばに仕えれば詮索されることもないだろう」


……見透かされている、なぜか。


初めからそのつもりなら形だけの質問するなよと思ってしまったので、話題を変える。


「侍女の服って可愛い?」


「あぁ。紗梨亜が着たら何でも似合うだろう」


彼は魅惑的な、漆黒の瞳をまたキラッと光らせる。流れ星が一瞬、瞬くように。


う〜ん。具体的な話が聞きたかったんだけど。


「フリルとかレースとか、ふわっふわのスカートとか?」


「あまり気にしたことがないな。まぁ、ついてるんじゃないのか?」


そこへ、城弦が入ってくる。


「どうぞ」


と、零音に手渡したのは、フリルとレースのついた紺色の服。


「わぁ」


あたしが覗き込むと、城弦は言う。


「陛下。こういうことは私ではなく女に任せてください」


「悪いな。ありがとう」


「いえ」


零音は侍女服をあたしに手渡し、言う。


「外にいるから、着替えたら来い」

 

「はい……」


執務室で着替えるなんて。


とりあえず素早く着替えて、部屋を出る。


元の服は室内の、あたしの机に置いておく。


「少しいいか」


零音は断ると、あたしの首元に手を伸ばす。


「えっ?」


「襟が」


「あっ、ごめん。……ありがとうございます」


「鏡がないから」


それから、零音と城弦のあとに続いて朝議に出席する。侍女なので零音の背後、壁際の城弦の隣に座る。


侍女の椅子はクッションも背もたれもフカフカだ。皇帝付であればそれなりに待遇がいいらしい。


城弦は眼光鋭く、零音に盾突くものがいないか見張っている。


議事堂内、朝議を行う第一会議室は天井が高く、アーチ状で、ステンドグラスから採光され開放的な雰囲気が漂う。一段高い奥の席に皇帝、それから対面の扉までずらっと臣が着席している。手前の方が有力者だろう。


議題は多岐に渡り、何を話しているのか途中で飽きる。


眠くなってきたがウトウトできないので踏みとどまっていたが。


ふいに気配を感じて思わず首を左に傾けると、壁にキラリと光るナイフが刺さっている。


居眠り未遂に気付かれたかと驚くが、隣の城弦は素早く零音を守るように飛び出していく。


「陛下っ」


「いまのは?」


「侍女が何者かに狙われました」


零音は立ち上がり、場内に聞こえるように通る声で命令する。


「議事堂を封鎖しろ! みな、護衛の者と共にこの場を離れるな。騎士団は周辺警備の超強化を、そして犯人を見つけ次第捕縛しろ」


「「「御意」」」


「何か飛んできたと思ったが。私の侍女を狙うとは」


「陛下の可能性もあります。お気をつけください」


城弦が、落ち着いた声音で返す。


「紗梨亜」


零音はいきなりあたしを見つめ、駆け寄り、抱き上げる。


「紗梨亜、昨日かけた障壁に綻びはないか? 攻撃されたらわかるだろう?」


「無事です。障壁は機能しています」


「ん? なら何だ?」


「ただの暗殺者では?」


「狩人以外に心当たりはあるのか?」


狩人……〈星狩り〉のことを言っているのか?


「いえ、全く」


「ラフィア・悪意の標的」


零音は、宝石の力を借りるようだ。


白銀の雪花が閃き、スルスルと線を結ぶ。


煌めく白線は移動していく。


「捕縛」


零音は呟く。


城弦から、壁に刺さったナイフを受け取り、段を降りる。あたしを片腕に抱えたまま。議員や貴族たちの居並ぶ中を颯爽と歩いていく。


彼が生みだす空気抵抗の圧により、彼の金髪がサラサラとなびき、あまい匂いが鼻腔をつく。


「あたし、自分の足で歩けますよ」


「……」


「敵捕まえたんですか?」


「あぁ」


第一会議室、正面の扉をくぐる。ここまでつづいてくる階段の一番下、ロビーに男が倒れている。白銀の鎖に巻かれて。


降りて、近づく直前、彼は掻き消える。


「人間なの?」


と、言うと。


「泥人形かもな」


と、零音が返す。「どうやって侵入した?」


「刀は消えてないですね」


と、城弦が言う。


あたしは、零音の持つ刀に手を翳す。


「スファナローリア・カタルシス」


ブアッと、明るい蒼い光が刀に絡みつく。


昨日はすごい雨粒だったのに比べ、光量がわずかだ。


刃の煌めきが消える。


後に残ったのは、黒いモヤ……呪いだ。


……どういうこと?


「危ないっ」


「え……?」


零音が鋭く警告する。


モヤは、刃に翳したあたしの手首に巻き付く。


刀はカモフラージュで、本来の目的は呪い。


「やばっ」


急に頭が、目の前が真っ暗になる。


……紗梨亜は、気を失って倒れる。










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