第2話 宮殿へ

あたしの育った郊外は人里離れた場所。


宝石の寵愛を受けた嬰児みどりごを授かると、生まれる前からその母の腹に、嬰児と同色のあざが現れる。母はそれで、生まれる子が〈寵愛を受けし者〉だと気付き、帝都から僻遠の郊外へ引っ越したのだという。


とは言え、あたしは本来生まれてはならない子供だった。


母は、妻のいる帝国軍人と一夜を共にし、その結果、意図せず生まれたのがあたし。


父はあたしが寵愛を受けていると知り、知り合いを介して〈宝石の騎士団〉の専属医や、団所有の隠れ家を母とあたしの住まいとして用意してくれた。宝石の寵愛がなければ、あたしは堕ろされていただろう。


それでなくても母の胎にいるときから、寵愛を受けし者は狙われる。


命だけではなく、生まれたときから赤子を思い通りに手なずけようと、母子共に狙われる。隠れ家生活は外出を禁止されていた。


それ以外は快適で、非番の日に父は、母と私に会いに来てくれた。


だけど、年若く、美しい母には。


子連れだとわかっていてもお付き合いを申し込む騎士がいて。


あたしが十二歳のとき、新しい父ができた。


母はあたしを産んだとき二十歳で、軍人の父は三十一歳。


母は初めての結婚時、三十二歳になっていたけど、変わらず綺麗だった。軍人の父が、家庭崩壊をも顧みず、気まぐれで一夜を過ごした理由が何となくわかるくらい。


でも、本来であれば存在してはならない存在、だから。


あたしは、母と新しい父の邪魔にならないよう隠れ家を去ると決めた。


〈宝石の騎士団〉に入団し、後方支援で働くのだ。帝都にある〈帝立宝石騎士養成学院〉に入学できれば学院寮に入り、卒業して就職するまで家を離れて生活できる。合格すれば、費用は周りが用意してくれるはず。


中等部の試験は明日からで、宿を予約し、探していたのだが。


辿り着く前に、皇帝に捕まってしまった。


彼は母の再婚相手のように若い。しかも変態で、整った顔立ちをしている。


彼は、あたしがここに来るまでの話を聞き、あたしの頭を撫でる。


「がんばったな」と。


思わず涙が溢れかけ、彼にしがみつく。


彼はあたしの頭を撫でてくれる。


しばらくして、彼は言う。


「紗梨亜、皇帝の名で騎士団には紗梨亜を保護したと伝えておく。明日、試験を受けろ。だが今晩は宮殿に泊まれ。予約した宿はキャンセルだ」


「……えっ?」


彼は宿室のドアを開け、外にいる城弦と何か話す。それからあたしの手を取り、立たせる。


「出発だ。一人で、民間の宿には宿泊させられない」


彼は宮殿につくまでも、ついてからもずっとあたしの手を握ったままで。背後から城弦の視線を感じる。


宮殿のある一角はとても広く、木々が生い茂り、花々が咲き乱れる外庭が延々と煌めく白銀の鉄柵に囲われて続いている。正面には近衛兵が二人、門の前に直立している。彼らを背景に、宮殿前で記念撮影をする観光客が後を絶たず、列を成している。


零音はそちらではなく、人気のない、荒れ果てたようにツタが鉄柵に絡まる方へ歩いていく。そこには誰も見向きしないような掘っ建て小屋が柵の外にあり「死にたくなければ立ち入り厳禁」と、新しめの看板がすぐ脇に立っている。


看板を無視し零音と後に続いて城弦も中に入る。小屋に入った二人が無傷なので、あたしもそれに続く。埃っぽい室内の中に差し込む陽光が柱を二、三本つくっている。床の扉を開けると地下へと降りる階段があり、灯りをつけて進む。先頭が零音、真ん中があたし、最後が城弦。


「よく、こんな所から侵入されないですね?」


と、あたしは零音の上着の裾を掴み掴み、言う。


「それは、俺がいるからな」


と、零音は答える。


「宝石の加護と関係が?」


「そうだ。俺と、俺の半径2メートル以内にいる者は皆、守られるようだ。ラフィアに守られなければ、あの小屋に立ち入った時点で塵と化す」


「……っ」


あたしは、彼の上着だけではなく、灯りを持たない右腕にしがみつく。


「怖いのか?」


と、零音は笑う。


「まだ、死にたくないだけ」


「死なねぇよ」


「ううう……」


やがて、踊り場に出て、正面に扉が見える。


「持ってろ」


と、彼から灯りを渡される。見ていると、零音はしゃがみ込み、扉の鍵穴に鎖骨を近づける。


カチャリと、音がする。扉がひとりでに開き、零音は立ち上がる。灯りをあたしから受け取り、


「ありがとう」


と、微笑む。


あたしは笑みを返す。


燦々と明るい光、あまい香りが降り注ぐ。


扉のむこうは淡いパステルカラーの花々が咲き誇る庭園になっている。


地下との光量の差に目がくらみ、思わず目をつむり、零音の影に隠れる。


「眩しいだろ?」


「うん」


花の匂いと、零音の香水の香りで、あたしの胸はむせ返りそう。


しばらく歩き、通された客室で。あたしは盗聴及び盗撮の類がないか、宝石〈スファナローリア〉の力を借りる。宝石は静謐を保ち危険を知らせない。あたしはフカフカのベッドに腰かける。夕食まで自由にしていいと言われた。皇帝附きとはいえ、城弦にいとも簡単に捕まった悔しさに、身体のストレッチから始める。


一時間後、侍女が部屋に呼びに来る。食堂には皇帝と城弦、その他おそらく皇族の面々がおり、整えられた食卓に豪勢な料理が並べられている。上席の皇帝の隣に、空席が一つあり、


「紗梨亜。ここへ」


と、零音が呼ぶ。


「は、はい」


無数の視線を感じながら席まで歩くと、零音自ら椅子を引いエスコートしてくれる。


「どうぞ」


「あ、ありがとうございます……」


「お兄様、お客様ってその子?」


白銀の髪を腰までおろした白皙の美貌の少女が訊く。


愛莉亜アイリア。そうだよ」


「ふぅ~ん」


愛莉亜は、あたしをじっと見る。


「紗梨亜。愛莉亜は、妹だ。そして弟の羽玖ハク翡翠ヒスイ。この子は紗梨亜。迷子になっていた所を保護した」


「迷子を憐れむというだけの理由で、兄上が食事を共にするのはおかしくないですか? ましてや僕たち家族に紹介するなど」


と、羽玖が訊く。意外に鋭く、物言いが率直だ。


「俺にも気まぐれがある」


「言いたくないなら、訊きませんが。兄上に仇なす存在なら容赦しないです」


「羽玖は俺を愛してるから。紗梨亜、俺に敵対しないなら、気にしなくていい」


「ふぅ。あたしにむしろ仇なしているのでは?」


と、あたしは言い返す。


「何?」


と、零音は訊き返し、食堂は緊張に包まれる。


あたしはクスッと笑う。


「だって許可なくあたしをベッドに押し倒したじゃないですか?」


「許可なく……?」


「ベッドに押し倒す……?」


「お兄様っ」


姉弟たちはみな唖然としている。


「紗梨亜?」


と、隣の零音はにこやかな口調で、しかし目が笑っていない。


「それにこのスープ、何か味に細工してあるようですが?」


「毒ではなく?」


「飲んでも死なないと思いますので」


「なぜわかる?」


「この手の訓練は受けていますので」


「よし、俺が飲もう」


彼はそう言って、あたしの前のスープ皿を自分の方へ移動し、スプーンですくう。


ごくん、と飲み込んだ彼は盛大にむせる。


「お兄様っ、大丈夫ですかっ?」


悲鳴のような声を上げ、愛莉亜が席を立つ。


あたしはそれより早く、隣に座る彼の頭を抱き、優しくひと撫でする。青い光が零れる。


「陛下、大丈夫ですか?」


「うん? あぁ……激辛だった。このスープを配膳したのは誰だ?」


「こんな可愛い悪意ならほうっておきましょう? 殿下に近付く悪い虫を追い払うのに有効ですから」


「……紗梨亜、慣れすぎ。つぅか悪い虫って紗梨亜のこと?」


「陛下こそ無茶しすぎ。あたしが助けなかったら今頃まだ喋れてない」


「それに関しては助かった。ありがとう」


「お兄様、紗梨亜さんとどういう関係なの?」


と、そこへ愛莉亜が口を挟む。


「どう、とは?」


「仲よすぎっ」


「妬いてるのか」


「むぅ」


「愛莉亜は可愛いな」


「……っ」


全力で頬を赤らめる愛莉亜の重度のブラコンに、紗梨亜は内心で息を吐く。


宮殿と言えば陰謀渦巻く伏魔殿だと思っていたが意外と平和すぎて。勿論、上辺だけの可能性も否定できないが。


それに、皇帝の座が姉弟たちに狙われているとも思えない。だとすれば外戚や臣下が、面従腹背なのだろうか……?


グルルル……と、間の抜けたようなあたしのお腹の音が聞こえて、零音はくくく……と、笑う。


「さぁ食べよう」


あたしも別の意味で顔が熱くなってしまった。

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