第22話 女の熱き戦い~実況者ベンさん~
「お、お兄さんっ、ダメですよ」
「ダメって、なんで?」
「そんなにしたら、こ、壊れちゃう!」
「――ちょっと何をしているんですか!」
杏子が鬼の形相でこちらへ向かってきた。
しかし僕らを見た途端、いつもの顔に戻る。
「何をしているの、兄さん?」
「それはこっちのセリフだよ。なんでそんなに慌てて走ってきたんだ?」
「だ、だって、沙耶ちゃんのいかがわしい声が聞こえてきたから……」
杏子が恥ずかしそうにしながら、小声でそう答える。
僕と沙耶ちゃんは決して、いかがわしい行為など行ってはいない。
目の前にある自動販売機を確かめていたのだ。
夕日が沈み、辺りが暗くなってきた頃、僕らは東城の家の人たちが用意してくれたホテルへ移動した。
部屋は当然、僕用の一人部屋と女子全員が泊まれる大部屋。
僕は部屋に荷物を置き、少し散歩をしようとホテルの廊下を歩いていたら、自動販売機の前で腕を組み悩んでいる沙耶ちゃんを見つけた。
「どうしたの沙耶ちゃん?」
「お、お兄さんっ⁉」
飛び跳ねるかのように驚く沙耶ちゃん。そんなに驚くようなことかな?
「じ、実はボタンを押したのに飲み物が出てこないんですよ。お金が飲み込まれちゃいました」
「それはひどいな。ちょっと叩いてみようか」
「そんな、昔のテレビじゃないんですから」
「結局は機械なんだから同じだよ」
そんなこんなで自動販売機を叩いていたら、杏子が怖い顔で走ってきたのだ。
「そ、そうだったんですか。よかったです。てっきり兄さんが沙耶ちゃんを襲っているのかと思ったので」
「そんなことするか!」
「兄さんならしかねません」
頰をプクッと膨らませながら、杏子はそっぽを向く。
僕は杏子の機嫌を治そうと頭を撫でてなだめた。
「さて、沙耶ちゃんの飲み物はどうしようか……」
「お困りでしょうか?」
悩んでいると、湯上がりと思われる東城が現れた。全身が少し濡れているせいか、妙な色気を感じる。
「実は自動販売機が壊れちゃったみたいで、飲み物が出てこないんですよ……」
「それは大変ですね……ベン、いますか?」
「――コンマ一秒遅れてしまいました。お呼びでしょうか、お嬢様」
「――ひゃあっ⁉」
どこからともなく黒服のベンさんが登場し、驚いた沙耶ちゃんが尻餅をついた。
いったいどこに潜んでいたのやら。
ベンさんは紳士的な対応で、沙耶ちゃんに手を差し伸べる。
「お怪我はございませんか? 驚かせてしまい、申し訳ありません」
「は、はい……」
ビクビクとしながら、その手を握る沙耶ちゃん。無理もない。こんな筋肉の塊みたいな人を初見で怖がらずにはいられないだろう。
「ベン、そちらの沙耶様が購入したお飲み物が出てこないのです。なんとかしてくれますか?」
「かしこまりましたお嬢様。しかし、少々手間がかかりますので、お部屋でお待ちいただけますか?」
「わかりました。ではお部屋でベンを待ちましょう」
ぞろぞろとみんなが部屋に行く流れに僕も乗ろうとした時、ベンさんに肩を掴まれる。
「涼太さん、あなたは一緒にいてくれますか?」
「え? は、はあ……」
僕はベンさんと一緒に自動販売機を攻略することになった。
僕に手伝うことはできるのだろうか?
ベンさん一人いれば、完結しそうなことのように思える。
「涼太さん、この場に残っていただき申し訳ありません。実はご相談がありまして……」
「相談? ベンさんほどの人が僕なんかに?」
「最近、ご就寝なさったお嬢様の部屋から奇妙な声が聞こえてくるんです」
「奇妙な声? ……まさか……」
「はい。そのまさかです。先日、お嬢様にもっとエロゲを買ってきなさいと仰せつかり、数十作品ほどをお渡ししたところ、このような結果に……」
ベンさんは目を抑えて泣き崩れるように膝をついた。
辛いよなあ。自分のご主人様がいつの間にかエロゲ大好き人間になっているという非常な現実を突きつけられて。
「ベンさん……いいんじゃないでしょうか? 内容がどうであれ、東城自身が喜んでいるのであれば、執事冥利に尽きるんじゃないですか?」
「ありがとうございます。そのお言葉が聞きたかったんです。そうですよね。執事とはご主人様のサポートをすること。これで不安がなくなりました」
そう言うと、ベンさんは何事もなかったかのように自動販売機の前に立ち、目にも留まらぬ速さで沙耶ちゃんが買ったであろう飲み物を出してみせた。いったいどんな手を使ったのか、ベンさんしかわからない。
☆☆☆☆☆
「さあ、ついにお待ちかね! 卓球の時間がやってまいりましたあ! 本日はいったいどんな試合が繰り広げられるのか! 実況は私、東城家の執事ベン、解説は岡島涼太さんでお送りいたします!」
「急にどうしたんですか、ベンさん? さっきと全然キャラが違いますよ。というか、なんで僕はここに座っているんですか?」
「どうしても出たいのであれば、女装をしていただかなければなりませんが?」
「いや、そこまでして出たくはないです。そもそも出たいなんて一言も言ってないです」
「おっと、試合前から両チームの睨みあいが始まっている! 闘志が剥き出しだ!」
無視された……。
卓球台を挟んで女子たちが三人ずつに分かれている。
霧咲先輩、東城、杏子のチーム。
柚希、安屋敷、沙耶ちゃんのチーム。
なぜこんな戦いが始まろうとしているのか。
それは僕とベンさんにはわからない。
ベンさんと一緒にみんなのところに行ったら、すでにこの状態だったのだ。
ベンさんは臨場感を出したいという東城の言葉を聞き、勝手に僕を巻き込んで実況し始めた。
「解説の涼太さん、果たして今日はどんな展開が予想されるのでしょうか?」
「どんな展開も何も、僕に解説の経験なんてないですよ。まあでも、メンバー的には霧咲先輩のチームが有利だと思いますよ」
霧咲先輩と杏子は運動神経が良いから、卓球もそつなくこなすだろう。
ただし、問題は安屋敷だ。運動神経はどうなのだろうか? 昼間にやったビーチバレーは普通にできていたが、それだけで判断するのは難しい。
「勝ったほうが岡島くんの部屋で寝られるで、いいですね?」
「もちろんです……正々堂々勝負!」
「…………は?」
「なるほど。今回の勝負はどうやら、寝る場所の取り合いから始まったようですねー。解説の涼太さん、この勝負は面白くなりそうですねー」
「そうですねー、じゃなくてどういうことですか、霧咲先輩! 全く意味がわからないんですけど!」
…………。
返事はなかった。
「おっと、こちらの声は届いていないようですねー。集中してますねー、これは期待できそうです」
ノリノリだな、ベンさん。
これは卓球が終わるまで待つしかないかな。
「さあ、そろそろ試合が始まりそうです。絶対に負けられない戦いはまもなくスタートです!」
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