第21話 楽しい気持ち
焼けるような日差しが僕を照らしている。
ワイワイとはしゃぐ声、海らしい波の音。
夏定番のイベント、海だ。
僕は海パン姿になり、熱をもった砂浜の上にブルーシートとパラソルを広げる。要は場所取り。
てっきり東城の執事やメイドさんたちが事前に用意してくれるかと思っていたが、姿すら見えない。この海までの交通手段は手配してくれたが、それからは自分たちで楽しんでほしいということなのだろう。
それでも、東城の専属執事であるベンさん(本名は山田太郎)はきっとどこかで見守っているのだろうけど。
女性陣は着替えをするため、更衣室へ行っている。唯一の男である僕は必然的に場所取りをすることになった。
今日のメンバーは少ないと思っていたのだが、あろうことか全員が参加。
不安しか見えないが、平和に海を楽しめることを願うしかない。
「兄さん、お待たせ!」
パラソルを広げてできた影に身を潜めていた僕の耳が杏子の声を察知する。
僕は身体を影から真夏の強い日差しの下へと出した。
眩しい水着姿の集団が目の前に現れる。
フリルのついた黒い三角ビキニの霧咲先輩。
緑色のパレオの沙耶ちゃん。
赤いパレオの杏子。
紺色のホルターネックの東城。
茶色のチューブトップの柚希。
ピンク色のタンキニの安屋敷。
青色の海パンを履いたベンさん…………ベンさんっ⁉
僕は目を擦り、もう一度確認するとベンさんの姿はなかった。残像か、幻覚か?
気を取り直して……ちなみにこれは大きい順だ。
わずかな誤差は男である僕にはわからない未知の領域であることを了承してほしい。ベンさんはもしかすると安屋敷よりもあるのかもしれない。
「ちょっと岡島、なんで私を可哀想な目でみてるのよ?」
「兄さん、それはさすがにひどいです。いくら安屋敷さんが貧相な身体をしているからって」
「杏子ちゃん、ストレートすぎるよお!」
安屋敷が杏子を軽くにらみつけるも、何事もなかったように平然な顔をして受け流す。
そんな杏子の横でなだめようと沙耶ちゃんがわちゃわちゃしていた。
「では、私がみなさんの飲み物を買ってきますね。岡島くん、手伝ってもらえる?」
「わかりました」
みんなを残して僕と霧咲先輩は海の家へと向かう。
僕の隣を歩く霧咲先輩はやっぱり綺麗だった。
端正な顔立ちは見慣れているが、水着になったことで露出が増え、普段よりもさらに妖艶さを増している。本当にモデルのような女性がなぜ、冴えない僕なんかの隣を歩いているんだと周りの人は疑問に思うだろう。
「オカピ、ちょっとこっちに来なさい」
「は、はい!」
僕は霧咲先輩に連れられ、人の気配がしない岩場へ向かった。
大きな岩が乱雑に並び、岩と岩の間を通り抜けてくる海風が僕と霧咲先輩の髪を遊ぶようになびかせる。
二人っきりになると、突然霧咲先輩が僕を閉じ込めるように両手で後ろにあった岩をついた。
いわゆる壁ドン、いや岩ドンだ。
霧咲先輩の顔が目の前にある。
未だかつてこんなに至近距離で霧咲先輩を見たことはあっただろうか。
両手が僕の顔の左右にあることで、霧咲先輩の脇が丸見えだ。
それに目を逸らそうと俯くと、霧咲先輩の豊かな胸の谷間をガン見することになる。
「どうしたのかしら?」
顔を真っ赤にした僕を見て霧咲先輩がしめしめと嘲笑う。
「何が目的なんですか?」
「何のこと?」
「このイベントですよ。なんでいきなり海なんかに……」
「でも良かったでしょ? こうやって私の身体をまじまじと見つめることもできるし」
「か、からかわないでください!」
霧咲先輩は僕から離れて、雄大な海を眺める。
遠くを見つめる霧咲先輩の後ろ姿からは、上品で雅なオーラが感じられた。
「オカピ、命令よ。今日一日中、あのヤンデレ娘をからかいなさい」
「柚希をからかう? いったい何の意味が?」
「私の従順なる下僕なら、ただ従いなさい。理由なんて求めるものではないわ」
「いや、従順なる下僕になった覚えがないんですけど……というかそんなこと一言も宣言して――」
「黙りなさい」
ごめんなさい。
「へえー、そういう関係だったの……」
岩陰から声がしたかと思うと、そこから腕を組んだ安屋敷が現れた。
「まさか生徒会長が岡島と主従関係を結んでいたなんて……表では良い生徒会長を演じて、裏では後輩を攻めるドSだなんて、誰が信じるかしら?」
「いや、僕は別にそんな主従関係とか結んでな――」
「黙りなさい」
ごめんなさい。
「安屋敷さん。あなたはなぜここにいるの?」
「たまたまですよ。ちょっと気持ちの良い風に当たろうとしたら、二人の後ろ姿が見えたもので……それでこっそり覗いてみたらこれですよ。面白いですね」
安屋敷はにやりと笑いながら、ゆっくりと霧咲先輩のまえに歩み寄る。
しかし、霧咲先輩に動じる様子は微塵もなかった。
「安心してください。このことをむやみやたらと他人に流すつもりはありません。私の口が硬いうちはね……」
「そうね。いつまでもあなたの口が硬いことを願うわ……さあ、戻るわよ」
霧咲先輩は僕の腕を掴むと、引っ張るようにしてその場を離れた。
海の家でみんなの飲み物と軽食を買い、浜辺へと戻る。もちろん、買ったものは僕が全て持った。
「遅いですよ、兄さん」
「ごめんごめん、けっこう混んでてさ」
杏子はそれを聞くと、海へ向かって颯爽と駆けていった。杏子が座っていたスペースに僕は飲食物を置く。
その際、パラソルでできた影に身を潜め、暑そうにしながら顔を手で仰いでいる柚希を見つけた。
そんな僕を霧咲先輩がじっと見つめている。
さっき言われたことを実行しなければ、また何をされるか……たまったものじゃない。
「柚希、これ飲むか? 涼しくなるぞ」
「今はいいよ」
僕はそっけなくあしらわれた。
でも……今日は柚希をからかう。今日は柚希をからかう。今日は柚希をからかう……!
「なんだよ、僕が買ったジュースは飲めないっていうのか?」
「え?」
柚希の開いた口が塞がらない。とても驚いた様子で僕を見る。
その光景を見ていた霧咲先輩は口を手で塞ぎながら必死に笑いをこらえようとしていた。
僕は恥ずかしくなってきたのを顔には出さないように我慢して続ける。
「僕がせっかく買ってきたのに飲まないなんて僕は心が痛くなるよ」
「え、あ、ごめん。じゃあ貰おうかなあ……?」
何が何だかわからなく、ひどく困惑した様子で柚希は僕から飲み物を受け取る。
そんなやりとりを後ろから見ていた霧咲先輩は吹き出すように笑っていた。
なんて人なんだ。僕が一生懸命柚希をからかおうとしているのに、それを高みの見物しているなんて……そうか、それが狙いか。
でも、もう引き下がることはできない。
最後まで貫いてみせる。
「さあ、柚希。せっかく海に来たんだからとことん遊ぼう! 青春の汗を一緒に流そうじゃないか!」
僕は日陰に隠れていた柚希の手を引いて、真夏の太陽の下に引きずり出した。
「東城! 僕らも混ぜてくれ!」
「あ、涼太様! はい、喜んで!」
先に海へと入ってキャッキャとはしゃいでいる東城や杏子、沙耶ちゃんに混ざる。
ビーチボールで遊んだり、誰かの身体を砂で埋めたり、スイカ割りをしたり……。
こんなに身体を動かしたのは久しぶりだ。たまにはこういうのも悪くない。
それに、柚希の沈んでいた顔も次第に笑顔になっていった。
楽しい時間というものは、あっという間に過ぎてしまう。こればかりは神様に願っても叶わない。
水平線に沈んでいく夕日は海の利用客に対して帰宅を促す合図だ。
続々と人が砂浜を後にして静けさが生まれる中、柚希は座り込んで夕日を眺めていた。
「どうしたんだ柚希?」
僕は柚希に駆け寄り、隣に腰を据える。
「どうしてだろうね……」
「何が?」
「楽しいっていう気持ちに、嘘はつけないんだね……」
柚希は俯きながらも自分の気持ちを素直に口にした。最近は僕らを避けて塞ぎ込んでいた柚希だ。
「でもね……この気持ちにも、嘘はつけないの」
そう呟いた瞬間、僕は両肩を掴まれて柚希と見つめ合う形になる。
こんなに柚希を間近にしたのはいつぶりだろうか。
さっきも霧咲先輩とこんな感じに顔が近くなった。デジャヴすぎる。
小さい頃からずっと一緒にいたから気づかなかった。
柚希はこんなにも綺麗で大人びていたのか。
「涼ちゃんが生徒会長やまりりんと一緒にいるのをこの目で見るとすごく……悲しいの……胸が痛いの……だから……」
「だから?」
「……私だけを見てほしい……私と一緒にいよう。今までもそうだったじゃない……」
「ごめん。それはできない」
「どうしてできないの? 涼ちゃんは私が嫌いなの?」
「嫌いじゃない、柚希は極端すぎる。僕は今がすごく楽しいんだ」
「私とじゃダメなの? 生徒会長が好きなの?」
「そういうことを言っているんじゃない。みんなでいることが楽しいんだ。霧咲先輩や東城、みんなと……もちろん、柚希もその一人だよ」
僕の両肩を掴んでいた柚希の手が一層力強くなる。
見ているだけでわかる。これは負の感情だ。
「ダメだ柚希。そういう感情はもってはいけない。この高校生活を無駄にしたくはないだろ? 楽しくすごそうよ」
柚希の手がゆっくりと力を弱めていき、次第に僕の両肩から離れた。
「…………うん、涼ちゃんがそう言うなら……」
柚希の瞳から一雫の涙がほろりとこぼれた。
浜に押し寄せる白波が音を立てて、また引いてゆく。
柚希の瞳からこぼれた涙はその一雫だけ。
再び落ちることはなかった。
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