第6話 それはヤンデレと母の探り

「あら、よく来たわね。オカピ」


 放課後、誰もいなくなった教室に霧咲先輩の声が響いた。

 全開にした窓から教室に入り込む夕方を知らせる暖かな風が、窓の前に立つ霧咲先輩の艶やかな黒髪をなびかせる。

 同時にふんわりとしたフローラルな香りが僕の鼻孔をくすぐった。


「ついに自分から来るようになったわね。また私の足で踏まれたいのかしら?」

「いや、一度も踏まれたことがないんですけど……」

「あら、そうだったかしら? ……まあ、いいわ。それで、今日は何をされたいの? まさか、私が今朝から履いていたタイツをクンカクンカしたいの?」

「しませんよ! ちょっとを聞いてほしくてですね」

「ちょっとを見せてほしくて?」

「は・な・しです! 実はですね……」


 僕は昼休みの柚希のことについて……もちろん柚希の名前は出さずに、あくまで『知り合いが』と頭につけた。

 ふむふむと頷きながら僕の話を聞く霧咲先輩。

 普通にしていれば美人に見えるのだが、僕一人の前ではそれは叶わない。

 なぜ僕がペットに選ばれなきゃならないんだ。


「なるほどね……それはもう、答えは一つしかないわ」

「それは何ですか?」

「…………ヤンデレよ」

「ヤンデレ……?」

「そう、ヤンデレ。つまりその知り合いは特定の人を好きすぎて病んでいるのよ」


 柚希が僕のことを?

 確かにずっと一緒にいたけど、それは長い付き合いだから好きというようなラブよりかはライクよりの好きではないのか?


「さあ、リピートアフターミー……ヤンデレ」

「ヤンデレ」

「僕は」

「僕は」

「あなたに」

「あなたに」

「忠誠を尽くします」

「忠誠を尽くしま――って、引っかかりませんよ」

「チッ」


 この生徒会長舌打ちしたよ。今はっきりと舌打ちしたよ。


「ヤンデレは悪化すればするほど厄介になるわ。早めに対策を施すことを勧めるわ……」

「……え? 教えてくれないんですか? せっかくだから教えてくれな――」

「黙りなさい」


 ごめんなさい。


「まあ、実のところ私も対策案を出せないのよ。ヤンデレってけっこう深いのよね」

「霧咲先輩でもわからないのかあ……」


 僕がボソッと少しガッカリ発言をした時、霧咲先輩の眉がピクリと動いた。


「私がヤンデレごときに屈するなんてありえないわ。今の発言は撤回なさい」

「は、はい……」


 どうやら、霧咲先輩はプライドが高いらしい。

 というか逆に、入学式から今までの僕に対する発言を撤回してほしい。僕のプライドは無視してますよね?


「こうしましょう。私が直接会って話術でヤンデレを治すわ」

「マ、マジですか?」

「マジよ。マジックでもなんでもないわ。種も仕掛けも自分で作るわ」


 いや、ちょっと意味がわからないんですけど。


「今週の土曜日。三日後よ。空いてないとは言わせないわ。午前十時にそのヤンデレを上山駅前に連れてきなさい。絶対よ」

「そんなあ」


 落胆している僕を見た霧咲先輩は思い出したかのようにニヤリと笑った。


「というわけで、オカピ。前払いよ。言うことやること舐めることクンカクンカすることがあるでしょ?」

「後半二つは確実にないですよ! ……教えてくれてありがとうございました」

「もっと素直になりなさい。きっと気持ち良いわよ」


 いったい何の根拠があって言っているんだ。気持ち良いと思うのは僕じゃなくて、僕をいじめる霧咲先輩のほうでしょ。僕はドMじゃない。


☆☆☆


 金曜日の夜。


「杏子さん? できれば降りてほしいんだけど……」

「お兄ちゃんひどい〜。杏子が重いってことぉ〜?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど。家ではくつろぎたいなあなんて」


 居間のソファーに深く腰をかけ、一日の疲れをとろうとのんびりしていたところ、杏子が僕の膝の上に座ってきたのだ。

 これでは疲れをとるどころか、余計に疲れてしまう。

 決して杏子が重いと言っているわけではないが、重いんだ。


「ただいま〜。あら、二人とも仲良しね」

「おかえり、お母さん!」

「母さん、おかえり。今日は早かったね」


 岡島律子りつこ。僕らの母親だ。

 歳には似つかわしくないほど若々しく、非常に活発だ。


「今日はミーティングだけで終わったのよ。ケーキ買ってきたけど、食べる?」

「食べるぅ〜!」


 杏子が一目散にケーキの元へ駆け寄っていった。


「なんでケーキ買ってきたの? 特に何もないよね?」

「なんで? まったく何かと理由を欲しがるわね、涼太は。ケーキがあったからよ」


 そこに山があるから、登る的な?


 僕もケーキが置かれたテーブルに移動し、椅子に腰をかける。

 僕の向かいには母さん。僕の隣には杏子。

 いつもの配置だ。


 僕は箱の中から取り出した苺のショートケーキの先端をフォークですくい取り、それを口へと運ぶ。


「う~ん、甘い! おいしい!」

「そんなことより、涼太。もう彼女はできたの?」

「――ぶっ!」


 僕は口に含んでいた生クリームを前へと盛大に吹き出した。

 だが母さんは、わかっていたかのようにしっかりとハンカチを広げてガードしていたのだ。タイミングを計ったな?


「いきなり、何を言うんだよ」

「だって気になるじゃない。息子のガールフレンドが誰なのかあ。ね、杏子」


 それを今、杏子に聞くのか。

 僕は恐る恐る、隣にいる杏子の顔色を伺う。

 杏子は僕をじっと睨みつけ、頬をぷくっと膨らませていた。


「お兄ちゃんは、杏子のだもん……」

「だよね〜。杏子がお嫁さんだもんね〜。それじゃあ、ちゃっちゃと合体して私に孫の顔を拝ませてくれな」

「何を吹き込んでいるんだ、マイマザー。一応、食事中だぞ」

「ごめんって。そんなに怒らないで」

「別に怒ってるわけじゃないけど」


 僕は再び杏子の顔色を伺う。

 予想どおり、杏子は俯き、赤面していた。そういうお年頃だからね。


「それで実際のところ、どうなのよ?」

「どうって、別にそういう相手はいないよ。高校生になってまだ一週間ちょっとなんだから」

「そんなものかね〜」

「そんなものだよ」


 母さんはモンブランを食べながら、僕に探りを入れてくる。

 すると、思い出したように母さんが僕を指差す。


「そうだ、涼太! 明日お財布とか洋服とか買いに行きましょ。高校生になったんだから、少し良いものにしないと」

「あ、うん。でも明後日でいいかな? 明日はちょっと予定があるんだ」

「何? 女?」

「まあ、あながち間違えてはいないけど……」

「杏子、ちょっとこっちに来て」


 母さんはそう言って、杏子を呼びよせる。そして僕に聞こえないようにヒソヒソ話を始めた。

 数分後、杏子は何事もなかったように席に戻り、ケーキを頬張る。


「それじゃあ明日楽しんできなさいね」


 あの探りの後にそんな助言とかどう見ても怪しすぎるでしょ。

 いったい何を企んでいるんだ?

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