第15話 誤報のもたらしたもの① 呪われた土地
上毛新聞の小さな記事であっても、群馬県下においてはやはりそれなりの影響力があるものだ。他県の方からすればにわかには信じ難い話だろうが、これは誠に遺憾ではあるものの厳然たる事実である。
「なぜこのような新聞社が報道機関として受け入れられているのか?」当然こういった類の疑問を抱く読者の方は多いだろうが、その当然の疑問に対して私は精々「群馬県民のメディア・リテラシーに著しい欠陥があるから」という深刻な郷土の現状を語ることしかできない。
今回から誤報がもたらした報道被害についても言及したいと思うが、その前に、この荒唐無稽な誤報が広まってしまったような背景に関して、説明をする必要があるだろう。誤報と虚偽に塗れた新聞が受け入れられる為には、やはりそれ相応の風土と読者が必要であるからだ。
1月10日(日曜日)、千葉県千葉市から群馬県富岡市へと直行した私は、我が家だった残骸の前にいた父や伯父、お見舞いに駆けつけたその他の親戚と短い挨拶を交わした後、焼け跡をしばらくの間呆然と眺めた。
あまりの惨状に現実感が湧いてこなったが、火事現場を訪れる親戚や知人たちの応対をする度に、少しずつ自失から立ち直っていった。父や伯父と会話し種々の情報を整理し、近所の家に避難していた母や兄の顔を見てとりあえず安堵した後、父と叔父と交代に焼け跡の番をすることになった。火事見舞いの客の対応が主な仕事であるが、意識のほとんどは燃えた家に向けられていた。
呆然自失からは一度立ち直ったものの、暮らした家の焼け跡を見続けているとまたも精神がおかしくなりそうだった。外から見れば二階にあった自室は完全になくなっているし、辛うじて原形が判別できる玄関には焼け焦げた靴箱や崩落した二階の床材が散乱していた。正直、狂っていいなら狂いたい惨状だったが、火事を発生させた張本人(k氏)が煙草を吸いつつ警察の聞き取りを受け流している所を見ると、憎悪の感情が勝り妙に冷静になって客観性を取り戻してしまうのであった。
k氏以外にも、私を冷静にさせる要因は幾つかあった。伝聞による情報は苛立ちを覚えさせ、ある意味で私の精神を安定させた。消火活動に手間取ったという発言は数人以上から聞いたし、上毛新聞の記者が立ち入り規制のあった火災現場に入り走り回って写真撮影をしたということも自然と耳に入った、どれも信じがたいことだが、焼け跡と10日付けの新聞を見れば悲しい事にどちらも事実である事がわかる。
そして、伝聞以外にも私の胸中を乱すものがあった、それは、我が家だったものに向けられる通行人の好奇の目線である。我が家の前を通る道はかつて国道であり、現在でもそれなりの交通量がある、不躾な視線の往来もそれに比例していった。
我が家の前をスピードを落として通り過ぎる車は果たして何台あったか、交通量の調査をする人でも雇わなければ数えきれなかったのは間違いないだろう。しかし、それくらいは可愛いもので、自転車で通りかかった人が、調査を行った警察官よりも念入りに我が家を覗いている時はさすがに辟易した。
立ち入り禁止のテープに近づき、かぶりつきで人の家の中を見る見知らぬ老人に「これ、私の家なんです。火元はお隣の工場ですが、被害状況を見るとまるでこっちが火元みたいですよね」と語り掛ける。中には多少面食らったような様子を見せる老人もいたが、気まずそうな態度もせずに私の解説に聞き入る老人もいた。遠慮の無さには驚くものの、彼らの勘違いを正せるならと、ほとんど見た目に変化のないk氏の家(工場)から延焼し、我が家は御覧の通り消し炭になったと真実を伝えることができた。
他にも、興味をもって立ち入り禁止のテープを越えようとする子供を止めたり、通りかかると同時に「あの椅子だけ燃えてない」と大きな声をあげる子供にも遭遇した。善悪の判断のつかない年齢だから仕方がないとも思ったが(いや、そもそも富岡市民に善悪の判断がつく年齢というものがあるのだろうか? 今でも還暦を大幅に越えた隣人から家を焼いたことに対する謝罪はない)、当然怒りは沸々と湧いた。私にできることは「親の顔が見てみたい」という、先の老人の場合とは違い実現可能な望みを口にすることだけであった。
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