第16話 誤報のもたらしたもの② 大人気観光スポット

 群馬県富岡市の観光スポットといえば第一に富岡製糸場、第二に群馬サファリパークである。まあ他のものもないではないが、県外にある程度名前を知られてるいるのはこの二ヶ所の他にはせいぜい群馬県立自然史博物館くらいのものだ。

 上記の三つの観光スポットであるが、富岡市民にはそこまで人気はない。まあこれは富岡市に限らず全国津々浦々どこにでも見られる傾向だろう。東京23区に住む人々は東京タワーに出向かないし、京都に暮らしながら金閣寺に行ったことがない、などはよく聞く話だ。

 しかしあらゆる趣向に応えられる大都市ならともかく、逆に観光スポットや名所しかないような田舎に住むような人間は、果たして休日どのように過ごすのだろうか、その答えの一つが今回の家事で判明したような気がした。


 前回、焼け跡の前を通りかかった老若男女が野次馬根性に従い、我が家の残骸を嘗め回すように見ていったと書いたが、今考えてみれば通りすがりに見る程度は可愛いものだった。見学者の中には、明らかに火事の現場を見てやろうと市内各地からわざわざ来た人々もいた。

 

 前回と同じく、火事の翌日私が家の前で番をしていた時の話である。我が家の前にワゴン車が停まった。道路を挟み、家の対側にごく自然に停車したので、ひっきりなしに訪れていた火事見舞いの方かと思い様子を窺ったのだが、停めてから特に動きがなく、どうにも妙な感じだった。

 訝しんで車内を窺うと、父母の知り合いにしては全体的に若い家族が乗っていた。後部座席にはまだ小さな子供が二人おり、興味津々の様子でこちらを窺っている。人災を受けどこかおかしい精神状態にありながらも、彼らの目的が何であるかはすぐに察せられた。無遠慮な視線に車の中ではしゃぐ様子は、彼らが娯楽の一環として、我が家の惨状を見にきたという事を如実に示していた。


 湧き上がる怒りとともに車に接近すると、なんとか彼らもそこを立ち去ってくれた。半ばやけくそだったので、彼らにも博物館の解説員の如く火事の状況を説明しようと思ってたのだが、幸か不幸かそれは叶わなかった。

 それにしても、富岡市にはそれなりに見る所があるというのに、わざわざ火事の現場を見に来るというのはどいう発想なのだろうか。純粋に子供のためを思うなら、サファリパークか自然史博物館でも行くべきだろうに、彼らはわざわざ焼き討ちの現場を見に来たのである。


 ある種の教訓を得ることを目的としたのだろうか、いや、火の不始末からこうなったのならその効果もあるだろうが、完全に我が家は巻き込まれただけである。正直この火事現場を見ても、火をつけた方がほとんど無事で、一切の責任をとらなかった事実を知らなければ「正直者が馬鹿を見る」ということわざにも辿り着かないだろう。


 今一度冷静に車内の様子を思い出しても、やはりそれは純粋な娯楽だったと思う。観覧料や入館料のいらない娯楽であった。およそ富岡市民に限れば、防災無線やこの日出た上毛新聞の火災の記事は、富岡製糸場の世界遺産内定の報道以上の集客力があったと断言できる。

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