再会



男はその日、牢から出た。


男は長い間、牢に入っていた。


男の属していた組織の、不祥事の責任をとったのだ。


別に男一人が悪いわけではない。男が責任者だったわけでもない。


だが、無実、なのでもない。


誰かが罰を受けなくてはならなかったのだ。


牢から出た彼を迎える者は、だれもいない。


男一人に罪をかぶせ、多くの人が救われたが


誰も感謝などしなかった。


むしろ、男の存在を汚いもののように、


頭の隅から追い出したかったのである。


だが、男は当然の事と受け止めた。


男は別に感謝や見返りなど、最初から求めていなかった。


現役時代、冷静、沈着、切れ者と評判であった彼はまた、


人間関係に過剰な期待など、一切もっていなかった。



長い間、牢にいた男には、


家はなく、財産はなく、身寄りはいなかった。


ただ、一人、牢に入る前、彼には婚約者がいた。


牢の中から、婚約破棄の手紙を出したが、


数年前に死んだと、風のたよりで聞いた。


たまたま彼女が埋葬された教会は、遠くではなかった。


いくあてのない彼は、旅に出るつもりであったが、


そのまえに、寄ってみようと思った。


ふだんの彼では考えられないような行動だが、


単に、きまぐれであったのかもしれない。



何人かの人々に尋ねながら、彼は教会にたどりついた。


人のよさそうな老人が一人、この教会の神父だという。


神父は彼女のことを、おぼえていた。


神父も生前の彼女と面識はなく、どんな人生であったかは


知るよしもなかったが、生涯独身で、死のまぎわでは


天蓋孤独であったという。


女は病弱だが、気立てはよく、美しかった。


言い寄る男も少なくなかった。


はて、てっきり誰かと結婚したものと思ったが?


もちろん、男は待っていてくれなどと、頼んだ覚えはない。


そんな人間関係は、むしろわずわらしいので、


自分から婚約を破棄したのだ。


なにか、理由があったかもしれないが、


なにも、独身でいる必要もあるまい。


本人の勝手ではあるが。



墓は離れて、ぽつんと海を見下ろす丘の上にあるという。


そのまま行こうとすると、神父が男をひきとめた。


「花をお持ちなさい」


神父はてばやく、庭に咲いている花をみつくろって、


ささやかな花束をつくると、男に差しだした。


彼が神父に感謝をつげ、教会をでようとすると、


神父は戸口まで見送りに来てくれ、男にいった。


「あなたに神の祝福があらんことを」



教会のわきの道をまっすぐ行くと墓地があり、


そのまま進むと少し離れて丘になる。


丘の上にたつと、そこには海と沈みかけた夕日、


小さな彼女の墓があった。


男は花束を墓にそなえる時、めだたない墓碑銘に気がついた。


そして、祈るでもなく、ひざまずくでもなく、


ただ、長い間、瞑目していた。



墓碑銘にはひとこと、こう書かれていた。


「おかえりなさい」



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