「コエ」と「コタエ」05
6
それから2日間、僕は友香の姿を見ることは無かった。
探した訳でも、教師に聞いた訳でもないけれど、噂を聞く限り学校そのものを休んでいるらしい。
探すことも聞くこともしなかった理由は、ほんのささいな疑念だった。
果たしてあの日の告白は、真実だったのだろうか。
あくまで『あの宣言』に則した友香の皮肉ではなかったのだろうか。
そんな、疑念。
僕は、怖かったのだろうか?
何が?
真実を確かめることが? 友香に答えを伝えた後の反応が?
いくら自問を繰り返しても、解からない。自分のことも友香のことも。
そして。
卒業式の当日さえ、僕は友香に会えなかった。
7
ふと、生徒会室に足を運んでいた。
「おいおい……」
僕らしくない。自分で感傷に浸ってしまっているのが解かる。
卒業式は午前中で終わっている。まだ高い太陽が光を小さな窓から生徒会室に送り込んでいるけれど、それでもまだ薄暗いこの部屋。僕は円卓を模した並びの机を、軽く撫でる。
高校生活も今日で終わり。生徒会の後輩たちが別室で送別会の準備をしてくれているし、その後は友人たちと卒業祝賀会だ。寂しいけれど、楽しく祝うべき出来事。
けれど、この部屋に来て思い出すのは──
ここにいた連中と、馬鹿騒ぎしてきた日々の記憶と。
その思い出の中には困る位いるのに、彼女が今ここに、僕の近くにいないという事実。空白。
──そんなものが、こみあげて。
思わず、少しだけ、うつむいてしまって。
「ん」
その拍子にふと、視界の端にあの写真の缶が入った。何故だろう、無性に袖を引かれる。
僕はぼんやりとそれを引き寄せて、まじまじと見る。振るとからからと何かが封じられている音がした。そしてその箱の側面には、この前写真を整理したときは無かった異変が二つ。
恐らく
その作りはいい加減で、少し力を込めれば開きそうだけれど、なんだろう、それは少し違う気がした。それこそまさしく許可を得られていない感覚に襲われる。
「ん……」
一つ、脳裏にひっかかる思い出──ほんの数日前、同じ場所での何気ない馬鹿なやり取りが、少しだけ僕の指を震えさせ、動かした。指先が探るポケットには、あの日から入れっぱなしの小さな鍵が一つ。取り出して南京錠に差込み、ひねる。
もしかしたら、なんて考えるまでもなく、それはカキンっと軽い音を立ててすんなりと外れた。
正式な通行証を提示して銀の蓋を開け、中をのぞく。
そこには──何葉もの写真、ではなく、悠先輩へのメッセージ、と書かれた封筒が一つだけ。
「ははっ」
思わず、妙な笑い声が口からもれた。
友香は何もかも計算ずくだったんだろうか? いや違うだろう、きっとあの後の思い付きだ。あの会話に、やり取りに、そんな
けれど。
だけど。
結果的に偶然の
なぜだが、そんなことが少しだけ、嬉しい。
たとえその内容が、僕に対する皮肉の嵐であっても──どんなものだったとしても、別にいい。
僕は、そんなことを思いながら、その封筒を開いて──
◆
先輩、この手紙、読んでくれていますか?
見つけられないかもしれないなあ。だって先輩ですもんね。
たぶん、一生見つけられないか、一瞬で見つけるかどちらかですかね?
でもまあ、きっと見つけて読んでくれているって信じて、ちょっとだけ伝えたいことがあるので書いちゃいます。
えっと。
私、転校することになりました。
本当は去年の夏ぐらいから決まっていて、もっと早く言おうと思ってたんですが。
言わなきゃ、言わなきゃと思っている間に、結局生徒会の皆さんには誰にも言えないままでした。
言い訳じみて聞こえるかもしれませんが、いちおう理由まで。
理由は、ほんの少しの怖さでした。
なんだか、転校することを口にしてしまったら、一足先にこの生活が終わってしまう気がして。
今までとそこで何かが変わってしまうんじゃないか。そんな気持ちになってしまって。
いままでしてきた約束も消えてしまって。これからの約束をすることも出来なくなって。
いろんな何かが、全部壊れてしまうような不安に襲われて。
ずっと、言えなくて。
すみませんでした。
親の都合なんてありきたりな理由でアレなんですけれど、新学期からこの高校には通えなくなります。
そのために、ちょっと難しめの編入試験を受けるために、これまたちょっと遠くまで向かうので、卒業式には出れません。
ごめんなさい。
あ、私が卒業式にいないからって寂しがったらだめですよ?
それこそもう卒業なんですから、しっかりして下さいね。
私はもうこの学校にはいれませんけど、先輩もいなくなるんですから同じですよね。
おあいこです。
おあいこなんです、けど。
……でも、一年だけ。
もう一年だけ、私に時間をくれるなら、きっと先輩と同じ道を辿って──同じ大学に受かって帰って来てみせます。
私、頭悪いですけど。先輩よりもずっと馬鹿ですけど。
だけど、きっと同じ学校を目指します。
だからもし、一年後会えたなら、返事を下さい。
一年後、私の姿を見たその時に、返事を下さい。
私は先輩の背中を追います。だから、先輩は立ち止まらないでください。
先輩は、優しいから。自分のことより、他人のために怒っちゃうような変に優しい人だから。
きっとためらって、迷って、立ち止まっちゃうから。だからここで言っておきます。
迎えも、待つこともいりません。
今までと同じ、絶対に追い抜けない背中を見せてください。
私はそれを見ながら、先輩の足跡を辿ります。
それでは、また。まる。
◆
「そっか」
僕は読み終えたそれ──文字がぶれて歪んで、その上何箇所もインクが丸く、雨の雫が落ちたときのように滲んでいた手紙を、机に置いてそう呟く。
「馬鹿だなあ」脱力して机に肘をついて寄りかかる「ホント馬鹿だ──僕」
薄暗い部屋の中、手紙のインクがまた少し、丸く滲んだ。
8
満開の桜並木の下を僕は歩く。
春の柔らかい日差しが時々揺らめいて、花びらがフワリと僕の鼻をかすめていった。
一年間で既に通いなれたと言ってもいい大学の中央通りを、いつもよりゆっくりとしたペースで進む。
新年度の通学初日のせいだろう、今日はなんだか早く目が覚めてしまった。
時間がまだ早いからだろうか、その道に学生の姿はほとんど無くて、時折春の風と自転車が一緒になって僕を追い越していく。ほんの少しだけ、日常からはみ出した光景。
それがなんだか嬉しくて。意味もなく、その台数を数えてみたりなんかして。
1台、2台、3台──
そして、4台目の自転車が、僕を追い抜いていった時──
声が、聞こえた。
微かだったけれど確かに。懐かしい声が、聞こえた。
本当に小さなその声は、けれどなぜかまるで耳元で囁かれているくらいに、近く感じて。
僕は、足を止める。
振り返るまでもない。昔。近くて遠い昔。長い間ほとんど毎日聞いていた声だ。
さあ呼吸を整えよう。
そして表情を引き締めよう。
けれど心臓の鼓動だけは、高らかに鳴らしたままにしよう。
忘れたことのないあの時の感覚と間隔を、せめて少しでも再現出来るように。
だって、そう、
なにせ、次に僕が口にする言葉はもう、
──甘い風が吹き抜けて、思い返す。
あの夕焼けの日から数えて、もう、二回目の春だった。
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