「コエ」と「コタエ」04
5
ワイワイと作業すること一時間と二十五分。
全てチェックし終えて、ふう、と二人そろって息を吐く。疲労感と満足感が薄い膜になって僕をぼんやりとつつむ。
しばしの沈黙が、生徒会室を支配した。
「結局、捨てる写真は一枚も無いんですね」
静寂の中、友香がそんなことをぽつりと、呟いた。
「まあ……そうだな」
「いいんですか? アルバムかさばりますし、生徒会室狭くなっちゃうかもですよ?」
「僕はもう居ないし。どうしても捨てるって言うなら僕が持って帰るけど……」
「いえ。……捨てませんよ」友香はアルバムを胸に抱えて、笑う「捨てません。絶対」
「そっか」
僕も笑って、心から、思う。
この写真から蘇る思い出を感じて、この上なく楽しかった思う人が、僕一人でなくて良かったと。
「……さて、それじゃ帰るか。流石に暗くなってきた」
大きな伸びをして、窓の外を見る。日が長くなってきたとは言え、まだ夜が訪れる歩調は速い。薄焼けだった空はすでに真っ赤に燃えていた。
「そう、ですね」
「どうした? なんかテンション低いな、疲れたか?」
「ちょっと思い出しちゃいまして。・・・そうですよね、先輩は私が一年のころから先輩なんですよね」
「何を当たり前のことを」
空になった銀箱に蓋をして、どこにしまおうかなんて考えながらツッコミをいれる。
「いえ。でももう三日後には、この学校からいなくなるじゃないですか」
「まあ、そうだな」
「当たり前が当たり前じゃなくなっちゃうんだなあ、ってそんな感じです」
「……まあな」
しかし、それもまた当たり前のことなのだ。どれだけ嫌でも、卒業という行事からは誰も逃げられない。それが当たり前。
けれど。
それを今、友香に向かって言葉にするのはなぜだか、はばかられて。
「てか、感傷的になるのは早いって……卒業式、まだ三日も先だしな。それよりほら、帰ろう。外もかなり暗いし、危なくなると悪い。家近くだよな? 送るよ」
一気にまくし立てるように言葉を紡ぐ。言葉を途中で分断するのは危ないと、よく解からないけれど感じた。
「いえ、先に帰ってて下さい。私この後、職員室に倉庫の鍵を返してから、教室によってクラスの友達と帰るので」
鍵の束を掲げて、少し遠慮がちなトーンで友香は出口を指差す。
「ん。そっか。気をつけてな」
「はい。先輩もお気をつけて」
友香がそう言いながら微笑むのを見てから、背を向けて、生徒会室の扉を開けて──閉めた。
瞬間。
「──先輩」
扉の向こう、空間を板一枚で隔てたすぐ近くから、呼び止める声が聞こえた。
「ん?」
「そのままで、聞いてください」
扉を開こうとした僕を静止させた、真剣な、けれど少しだけ震えた声。扉をこえてなお、まるで耳元で囁かれているかのような近さだった。
「……ああ」
「今は返事はいりません。というかここからは一言もしゃべらないで、ただ聞いて帰ってください。終わったら三回ノックしますから」
なんだそりゃ、と思いながらも返事代わりのノックをする。
「それもいりません」
はいはい、了解。僕は沈黙を返事に代えて、閉めた扉によりかかる。
「先輩」
「…………」
「先輩は大きな仕事を適当に割り振って、自分は特に手伝うでもなくずっとPCで地味な仕事してますし。なんかいつもへにゃへにゃしてますし、ぶっきらぼうで適当で面倒くさがり屋でひねくれてて、えっと、やっぱりぶっきらぼうですし……」
それは、いつか遠い秋の日に聞いた言葉の羅列。違うのは──その後の、
「なんだかんだ言って陰で残って仕事してみたりとか、いらないところでやる気を出してみたりとか」
それに続く、言葉。非難してるのか褒めてくれているのかわからないような、少し照れの混じった声。
「先輩ははっきり言って妙な人です。でも、尊敬してます。他のみんなはどうだか知りませんけど、少なくとも私は尊敬してます」
「…………」
「会長として尊敬してますし、先輩として面白い人だなって思ってます。先輩と──皆といろんなとこ行ったり、学校で騒いだり、先生に振り回されたり、この前のバレンタインだったり……先輩のお陰で、楽しいこといっぱいで……」
そこで少し言葉につまって。ドアの向こうで、呼吸を繰り返すのが、解った。
数拍の沈黙の後、搾り出すように、
「先輩、楽しい二年間をありがとうございました」
と言った。
「っ……!」
思わず言葉を出しそうになった。けれど、それを下唇を噛んで無理矢理押さえ込む。約束だし、それに、声を出したらそれは間違いなく震えているだろう。
そして、コンコンコン、と三回ノックの合図。
そこからは、もう音は聞こえなくなった。
「…………」
息をつく。少しだけ、上を見上げる。
天井の蛍光灯の光が、すこしだけ揺らいでいる。
卒業式はまだ先だけど、なんだかもう、さっきの一言で三年間の苦労なんて何処かに行ってしまったようだった。『宣言』は撤回された訳ではなかったけれど、他ならぬ友香の口から出たソレは、もう僕にとって十分すぎる言葉で──。
けれど、ここで言葉を紡ぐわけにはいかない。扉を開けることもせず、約束通り黙って一歩を踏み出した。
寄りかかっていた扉が僕の重みから解放されて反動でガタン、と音を立てる。
そして、少しの逡巡と共に、少しずつゆっくりと僕はその部屋から遠ざかる。
一歩。
二歩。
三歩──
「──悠先輩、好きです」
四、歩。
不意にそんな、ひどく震えた声が、聞こえた。
足を止め、振り返る。今すぐ、目の前の扉に駆け寄って、開けてしまいたいという衝動に襲われる。
きっとその扉に錠はかかっていないし、そうでなかったとしても僕のポケットには
けれど──
「…………」
僕は無言で踵を返し、昇降口へと向かった。
『今は返事はいりません』 その言葉は、きっと友香の精一杯の自己防衛に近いだろう。
だから、今は答えない。
だけれど。
そう。だけれど──その答えはもう、決まっている。
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