最後の星
空気が変わった。
僕と由香里さんは、飛び退くようにお互いに距離を取った。
「まさか……まさか、そんなことが。違いますよね?そんなわけ、ないですよね? 由香里さん!!!」
彼女は答えない。
その表情には、さっきまでの優しい雰囲気はどこにもなく、今の彼女の纏う空気そのものが、思い詰めたような冷酷なような、影の濃い気配へと変貌している。
彼女の形の良い唇が、震えながらようやく言葉を紡ぐ。
「あなたが……まさかあなたが、そうだとは。こんな形で出会うことになるとは。思いも寄らなかった……私は……私は……!」
怒り狂っているような、涙を流さずに泣いているような表情で、彼女が僕に何か言いかけた時──。
どかん、という大きな爆発音と、公園の来訪者の上げる悲鳴が響き渡った。
警備員は避難誘導を始め人々は散り散りに逃げてゆく。
『アマゾーナよ!』
低い男の声。拡声器か何かで大きくしたような。
「お父様……」
彼女の視線の先を追えば、公園に隣接する美術館の屋上に奇妙な人影がある。
長身の黒ずくめのシルエット。高い襟の付いた黒いビロードのマント。真っ白な、ドクロのようなデザインの仮面。
爛々と紅く燃える眼。
まさかあれが、ドラグパルスのボス──そして、由香里さんの……お父さん……⁉︎
『ホウセンカドラグと合流してその指揮を獲れ』
「かしこまりました。総統」
彼女はそういうとバッグからコンパクトを取り出し、バッグを地面に置いて、剣を持たずに剣を構えるような動きをした。
僕には、その意味が分かった。
僕も、良く似た装備を身に付けているから。
僕は左手首の腕時計の文字盤に右手人差し指と中指の指紋を押し付ける。
「ジオチェンジャー」と呼ばれるそれが、個人認証の完了を電子音で告げた。
「こうするしか……戦うしかないのか⁉︎ 由香里さん‼︎」
「気安く話しかけるなガヤンレッド。私は由香里ではない。科学宗教結社ドラグパルスの大幹部。龍の巫女。アマゾーナだ!!!」
彼女はコンパクトのボタンを押した。
『アマゾナイズ』
ゾッとするような不気味な音声が、コンパクトから発せられた。
「うぉぉぉぉぉぉっっ‼︎」
僕は迸る感情のままに雄叫びを上げながら、ジオチェンジャーの着装ホイールを思い切り回した。
彼女の身体を闇が、僕の身体を光が包んだ。
次の瞬間そこにいたのは、悪の女幹部アマゾーナと、正義の安心戦隊コシガヤンのレッドだった。
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「待ってくれ! 考え直してくれ! 由香里さん!」
「くどい。私はアマゾーナ。ドラグパルスの理想の為に放たれた一本の矢。立ち塞がるものは──」
手にした鞭がヒュッとまっすぐに伸びる。それは硬質化して一振りの剣になり、ヴヴヴヴ……と不快な唸りを上げた。
「刺し貫くのみ‼︎」
彼女は僕に突進して来る。
「嘘だ! 君は、本当の君は……!」
『ガヤンマグナム・ソードモード』
銃がモードチェンジ開始を音声で告げる。
僕らコシガヤンの専用銃は、そのL字のシルエットを変形して真っ直ぐに変え、銃口の部分には単結晶ジオパルス粒子の刃を精製した。僕らが「ガヤンセーバー」と呼ぶ刀剣形態だ。
眼前で交差する撃剣の火花。
僕はその予想以上の激烈さに、由香里さんのアマゾーナスーツが増力機能を備えた包外骨格動甲冑──「着るドラグパルス怪人」なのだと知った。
ガヤンスーツも要所に誘電エラストマ型人工筋肉が内蔵され増力補助をしてくれるが、どうやら見た目にスマートさを求めていない分、その手の技術の増力効率ではドラグパルス側に分があるようだった。だが元の人間の体重と筋力との兼ね合いで、変身した僕らの力はまさに拮抗していた。
しかも彼女の剣術の腕も相当なものだった。大地の反発力をきっちり活かし、しっかりと体重の乗った生きた剣撃が次々と繰り出されてくる。
この娘は、真っ当な剣術の訓練を受けている……!
「やめてくれ! 由香里さん! 君と戦いたくない!」
「……問答無用‼︎」
斬り結んだ剣を巧みに引いて僕のバランスを上手く崩した彼女は、無防備な僕の腹部に強烈な蹴りを見舞った。
「ぐ、はっ……」
3mほど吹っ飛ばされた僕の身体は地面に叩きつけられた上、更に5、6mは地面をごろごろと転がってようやく止まった。
蹴られた部分は感覚が麻痺し、背中に抜けた衝撃の為か、寧ろ背中全体に激痛が胡座を掻いていた。カーボンナノチューブ装甲繊維製のスーツの上からなおこの威力。生身だったら即死だったに違いない。
屈み込んで悶絶する僕に追い打ちを掛けるように彼女が突きの構えのまま突っ込んで来る。痛む身体を捻り、自分のものとは思えないような重たい腕をなんとか持ち上げ剣を構え、恐ろしい威力を孕んだ切っ先を躱す。
彼女の剣を受けて軋みを上げるガヤンセーバー。それた彼女の剣先が僕のヘルメットを激しく打つ。
威力を削いでさえ、ヘルメットの耐衝撃強度を軽く超えたその痛烈な刺突は重積ポリカーボネートのバイザーとその縁を軽々と削りとり、右目の直近に指二本分ほどの穴を穿った。
僕は初めて、直接肉眼で変身した彼女を視た。
口や首筋、二の腕の一部などが露出した禍々しいデザインの女性シルエットの鎧。
だが僕はどうしてもその姿に、さっきまでの、優しく、賢く、本当に楽しそうに笑う由香里さんの姿を重ねてしまう。
二度。三度。四度。五度。
斬り結ぶ剣と剣が放つ閃く電光の中に。
緊張した面持ちで通りを眺める彼女が。
二人のスマホを並べて見せて得意げにメールの違いを指摘する彼女が。
元気よく「せっぱ!」と返事する彼女が。
おばけ屋敷に怯えて本気で凹む彼女が。
僕の手を取って観覧車への階段を登る彼女が。
次々とフラッシュしては消えてゆく。
「やめろ! やめてくれ由香里さん‼︎ 僕は……」
「その名を呼ぶな! 私はドラグパルスのアマゾーナ。総統の理想こそ我が理想。総統のお喜びこそ我が喜び!」
「だったら! それが本当だったらなんで……!」
鍔迫り合いする彼女の剣を、彼女の身体ごと力任せに押し返す。
渾身の力を込めながら、僕は更に一歩踏み込んで彼女を強く突き飛ばした。
「だったらなんで君は! 戦いながらずっと、泣いているんだ⁉︎」
「……」
彼女の動きが止まった。
だが次の瞬間、彼女は大声でドラグ怪人の名を叫んだ。
「ホウセンカドラァァァグ‼︎ 」
『ぐげげっ!』
どこからともなく、ツタと葉、根が絡まったようなデザインの怪人が現れた。頭は巨大な紅い花、体のそこかしこに緑色の丸い実を付けている。
「邪魔者を! 焼き払えぇぇぇ‼︎」
天を仰いだ彼女の、それは悲痛な絶叫だった。
ジオパルスを動力源に動く半生体、半機械の破壊活動用ドロイドは、両手を広げた姿勢になった。
と、体中の緑色の実が、不気味な色で明滅しながら見る見る膨らんだ。
次の瞬間、爆ぜたそれぞれの実は無数のゴルフボール大の黒い塊を半径30mに渡ってバラ撒いた。
危険を感じた僕は、咄嗟に右腰のパワーコンソールを操作して、スーツの防御用ジオパルスフィールドを僕の正面だけに集中させる。
ばらばらと落下し着地した黒い塊は案の定次々と爆破した。
半球状のエネルギーバリアの中から、僕は見た。
植物の種を模したその爆発物の一つが空中で綺麗な放物線を描くと、真っ直ぐに由香里さんが地面に置いたバッグへと落下を始めた。
夕闇が訪れ始めた景色の中で、バッグの持ち手の付け根で何かがキラリと光を反射した。
彼女もそれに気が付いた。
小さな紅い唇が、あ、の形になった。剣を持たない左手が、その方向に頼りなく伸びた。
その瞬間の彼女は紛れもなく昼間の、僕と時間を共にした普通の女の子の仕草だった。
刹那、時間の流れが止まった。
次に時間が動き出した時、彼女のバッグは小さな輝きと共に業火と爆煙に飲み込まれて消し飛んだ。
彼女は差し伸べた手をきゅ、と握り締め、何かを振り払うように力を込めて下げ切ると、痛みに耐えるようにうつむいて、両手をわなわなと震わせた。
「ホウセンカ……ドラグ!」
『ぐげっ』
「散華・鳳凰破陣よ……!」
『ぐげげっ!』
その命令を受諾したホウセンカドラグは急にマネキンのように棒立ちになると、今度はその体全体が脈打つように赤黒く明滅し始めた。
「もう……もう終わりよガヤンレッド。散華・鳳凰破陣。ホウセンカドラグが地脈の力、ジオパルスを極限まで収束し、自爆する技。半径300mは瓦礫の山と化す。広範囲に四散したホウセンカドラグの種からは、また新たなホウセンカドラグが生まれる。そして生まれたホウセンカドラグは充分な段階に成長するとまた地脈からジオパルスを吸収、収束し爆発する。腰ヶ谷の街はいつ起こるか分からない爆発に、永遠に悩まされることになる」
「由香里さん……」
「そしてホウセンカドラグが自爆を完了するまで、私がホウセンカドラグを護る。最後は私も爆発に巻き込まれて──死ぬ」
ホウセンカドラグの赤黒い明滅の脈動は激しく速くなってゆく。
「和成さん。私が……普通の家に生まれた、普通の女の子だったらどんなに良かったか。でも私は、そうじゃなかった。ドラグパルス総統の娘として生まれた定めは変えることはできない。でも、ありがとう。こんな私でも最後に……普通の、恋する女の子の夢を視ることが出来た。その夢を道連れに、私は、私自身を消す。永遠に」
「由香里……やめろ」
「もう遅いわ。散華・鳳凰破陣は、もう私にも、ホウセンカドラグ自身にも止められない。逃げて。和成さん。ごめんなさい。星は、私たちの三つの星は……消えてしまった」
僕はデジタル時計を模した変身ブレスを操作する。
光が僕を包む。
ガヤンスーツはジオパルスの相転移により、膨大なジオパルスエネルギーと組成情報とに分解され、地面の地脈を伝播して市内某所のコシガヤン本部に保管されている、さっきまで僕が着ていた普通の洋服に向かって光の84.57%の速度で疾駆する。基地からは逆に僕の服に同じ現象が起きていて、僕に向かって疾駆する。1/24秒後、武器も装備も持たない一般市民・青木和成の姿がそこにあった。
「いけない! 何をしてるの和成さん⁉︎ 自殺行為よ! 今変身を解くなんて‼︎」
「確かに、僕たちが今日探し出した三つの星は消えてしまった。その事実は……変えることはできない。君の生まれが、親御さんとの関係が、変えることができないように」
「そうよ、だから……あっ‼︎」
僕は彼女に駆け寄ると、アマゾーナ姿の彼女を有無を言わさず抱きすくめた。
「だけど星は! また見つけ出すことが出来る! 君がこれからどう生きるかは! 君自身で変えることが出来る! 君だけでは無理だと言うのなら、僕が側にいて、力になる‼︎」
「和成……さん」
「自分を消す、なんて言わないでくれ。君は、僕がようやく見つけ出した、この世界にたった一つの……掛け替えのない『星』なんだ!!!」
僕の腕の中で、彼女も変身を解く。
闇に包まれその闇からまろび出た彼女は、既に普通の女の子、水谷由香里だった。
彼女は、泣いていた。
僕は彼女を改めて強く抱き締めた。
「駄目……もう時間がない。私たちも爆発に巻き込まれて、全ては終わる。……奇跡でも起きない限り」
「今日はクリスマスだ。奇跡には、こと欠かないさ」
僕はそっと彼女を離すと、激しく点滅するホウセンカドラグに向かってダッシュする。
急いでその左手に僕の手から変身ブレスを移すと、指紋認証をクリアして、スーツを転送し、大爆発寸前の怪人にガヤンレッドのスーツを纏わせた。体格不一致のエラー音を無視し、怪人の体のそこかしこに半端にひっかかったスーツの腰のパワーコンソールを操作して、防御フィールドを全方位最大にする。
球状の青白いバリアが、すっぽりと植物意匠の自爆怪人を覆った。
全速力で取って返した僕が由香里さんに抱き付き押し倒してその上に覆い被さったのと、白い閃光が辺りを包んだのがほぼ同時だった。
莫大な爆発のエネルギーはジオパルスエネルギーのバリアにより逃げ場を奪われ、その有り余る熱量はバリアの形成する球体の中を荒れ狂い、その中身を焼き尽くして渦巻く熱と光とプラズマの奔流に変え、それでも飽きたらずにバリアそのものを粉砕して、花火のように華々しく爆発した。
爆風と衝撃波が僕らの上を通り過ぎて行ったが、それは既に僕らを消し炭に変えるほどの威力も、温度も持ってはいなかった。
「散華・鳳凰破陣……」
僕の下で、由香里さんが呟く。
「君のお父さんには言いたいことが山ほどあるけど」
僕は続いて押し寄せた煙と、巻きあがった埃とに咳き込みながら言った。
「必殺技のネーミングのセンスは、嫌いじゃない」
僕らは倒れこんだ体勢のまま、もう一度、顔を見合わせて笑った。
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