二つ目の星
南腰ヶ谷駅近くの駐車場ビル「スターパーキング」の入り口の直前で、それまで機嫌良さそうに歩いていた彼女の足がピタリ、と止まった。
「どうしました?」
「……」
その目が、入り口自動ドアと並ぶガラス面にデカデカと貼られたイベントポスターを凝視する。
『新体感おばけ屋敷! 血のジングルベル! サタンが街にやって来た‼︎ 8Fイベントスペース 12/5〜12/27』
そしてその右下角に貼られた星に腰一文字のあのマーク。
「ああ、次のチェックポイントはおばけ屋敷か。季節外れですけど面白いかも知れませんね。……水谷さん?」
「え? あ、はい。そう……ですね。季節外れです」
「大丈夫ですか? 一休みします?」
「い、いえ。大丈夫、です。はい」
なんだか様子がおかしかった。
顔色は悪く、受け答えの歯切れが明らかに悪い。
「あの。水谷さんもしかして、おばけ屋敷とか苦手……」
「そんなこと! ありません! こんなものは全て作り物だと分かっていますし、人間が演じるタイプのおばけは、決してお客さんに触れては行けないと指導されるんです。恐れる理由がないでござる!」
早口で理知的に巻くし立てた彼女は口上の最後で盛大に言い間違いをした。
はっ、となった彼女は顔を赤らめてうつむく。
僕は吹き出しそうになるのを全力でこらえながら、ぽん、と彼女の肩に触れた。
「大丈夫ですよ。上に行けば係の人くらいいるでしょう。ここは飛ばして、事情を話して次のポイントのヒントだけ貰いましょう」
「でもそうしたら星が……」
「貰えない、かも知れませんね。でもまあいいじゃないですか。誰にでも苦手なものはあります」
「星が揃わなかった、なんて知れたらあのセレブのカップルにどんな嫌味を言われるか……」
「言わせておけばいいんですよ。正直、僕はあの二人のことなんてすっかり忘れてました。今は、水谷さんとこの企画を楽しく回れたら、それでいいです」
「青木さん……」
「和成、と呼んで下さい。自分で言うのもなんですが、僕らは中々いいコンビだと思います。ちょっと上に行って、担当の人がいないか見て来ますね」
僕は一人でスターパーキングに入ろうと踵を返した。
すると僕の袖が何かについっと引っ張られた。
ん? と思って袖を見れば、彼女の白くて細い指がしっかと僕の袖を掴んでいる。
「……ます」
「え? なんです」
「私も、行きます。入ります。おばけ屋敷」
「いや、でも……」
「大丈夫です!」
「しかしその様子じゃ……」
「大丈夫です。青……和成さんが、一緒にいてくれたら」
うつむいていた彼女は顔を上げた。
少し赤い、潤んだ瞳に僕が映る。
僕の冷静な部分が、何か警報めいた音を脳裏に鳴らしたが、胸の鼓動はあっさりとその警報の鐘の音を掻き消した。
「水谷さん……」
「私も、由香理、と呼んで下さい」
小さな声で、彼女が言う。
彼女の眼鏡に、その瞳に、僕が映っている。
僕は、僕の袖を掴んでいた彼女の手を取った。彼女はそれを拒まず、僕の手を握り返した。
僕は、恋に落ちた。
---------------
腰ヶ谷市のロゴの入ったパーカーを来た眼鏡の若い職員は、僕らに広報誌を提示するように求めた。
「はい確かに。お二人にはこのおばけ屋敷にチャレンジして頂きます。揃って出て来られたらここのチェックポイントの『星』と、次のポイントへのヒントを差し上げます。では頑張って」
にこやかだがどこか事務的にそう告げると、眼鏡の職員は我関せずを決め込んだ。
「こうしましょう。水た……由香里さんは目を瞑って僕に引かれるままに付いて来て下さい。恐らく大きな音の仕掛けもあるでしょうから、片方の手は、片側だけでも耳を塞いで」
「はい」
「大丈夫。あなたがさっき言った通り、中の諸々は全部作り物ですし、おばけは泣こうが喚こうが決して触っては来ません」
「はい」
「万が一、不心得なバイトおばけがいた場合も、僕が責任を持って相手をします。あなたは転ばないようにだけ気をつけて」
「はい」
「施設内は走ってはいけないらしいですから、なるべく短い時間で早歩きで歩き抜けましょう。これが現状、怖さを最小限にこのチェックポイントを抜ける方法だと思います」
「はい。そう思います」
「それから……」
「はい」
僕は照れ臭さを押し殺して言った。
「僕が付いてます。多少、頼りないかも知れませんが」
「……いいえ。そんなことありません。和成さん」
「行きましょう。由香里さん」
僕は左手の彼女の掌を、少しだけ強く握り直した。
---------------
がしゃん、と壁に穴が開いて、血みどろに溶けた顔の怪人が現れ、甲高い叫び声を上げる。
彼女の手が僕の手をぎゅっ、と強く握る。僕は同じだけの強さで握り返す。
「ご苦労様でーす」
僕はバイト仲間に挨拶でもするような調子でおばけに声を掛けると、その前をスタスタと早足で通り過ぎた。
「段差があります。気をつけて」
「はい」
由香里さんは作戦通りほぼ真下だけを見て僕に引かれるままに付いて来る。
がしゃん、と何か仕掛けが動く度、彼女は僕の手を強く握った。悲鳴を我慢しているのかも知れない。
その度に僕は同じだけの強さで握り返し、おばけに挨拶して早足で駆け抜ける。
そんなことを十二、三回程繰り返して、僕らは驚く程短い時間でおばけ屋敷を抜け出した。
「抜けました。もう顔を上げて大丈夫ですよ」
彼女はそーっと顔を上げて周りの様子を確かめた。恐怖のエリアから抜け出したことを確認した彼女は、心からほっとしているようだった。そして手を繋いだままだったことに気づき、慌てた様子で手を離した。
「すみません、気づかなくて。あの、ありがとうございました」
「謝られるようなことはされてませんよ。こっちこそ無理をさせて申し訳ありませんでした。よく頑張りましたね」
彼女は何か言おうとしたが言葉にならなかったようで、照れたように少し笑うと恥ずかしそうにうつむいた。
「お疲れ様でした。こちらがこのポイントの『星』です。それとこちらが次のチェックポイントへのヒント。では幸運を」
出口の先で待っていたパーカーに眼鏡の職員が、淡々とした調子で小さな革袋と封筒を渡してくれた。
彼女は革袋から二個目の星のチャームを取り出すと、一個目に連ねて指先でつまんでぶら下げた。
「二つ目、ゲットですね」
「あと一つ。他のペアの方々は順調なんでしょうか」
「ヒント、見てみましょうよ」
「そうでした」
声にも、表情にも元気を取り戻した彼女の様子に安心しつつ、僕は封筒から小さな紙を取り出した。
そこには次のような文字列があった。
21P-12-6
4P-34-11
8P-6-6
7P-15-4
2P-12-2
2P-21-18
14P-15-9
6P-2-12
5P-9-20
12P-11-12
「これは……」
正直意味がさっぱりだった。
「今までのヒントより難しいですね」
彼女も僕と同様に分からないようだ。
「いつの間にかお昼も大分過ぎてますし、どこかで御飯でも食べながら考えましょうか」
「賛成です。実を言うとお腹ぺこぺこだったんですけど……言い出しづらくて」
「僕もです」
僕らはまた、顔を見合わせて笑った。
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