Suicide Is シン

Hetero (へてろ)

第1話 ある世界の片隅で。


 少女は胸にしていたペンダントのロケットにつけられた彼の写真を見た。

 彼のことを思い出せば涙は涸れることなく流れ続け、眼下に広がる空に涙の粒は吸い込まれていった。

 少女はロケットのフタを閉め。ペンダントを握りしめる。

 深く呼吸をした後、プレートの縁から目の前の大空へ思い切りよくそれを投じた。

 ペンダントは音もなく空に吸い込まれていった。

 落ちていくペンダントに反射する光が雲間に消え完全に見えなくなるまで彼女はそれを必死に眼で追い続けた。

 そして小さく誰にともなく呟く。

「私も、今からそっちに行くからね……」

 少女は縁から自身の身を投げた。


 直下の居住域のプレートまでは1キロ以上離れている。

 到底助かる高さではない。

 少女はこれで死ねると思っていた。


 朝5時、少年は『網』のメンテナンスを終えて、

 自分の居住スペースに戻っていた。

 手際よく朝食を作り、青菜が多めの野菜サラダを口に放り投げたところだった。

 すぐ目につくように白い壁に設置された赤黄白の3つランプのうち、赤いランプの灯が点った。

 そして機械的な音声で警告音が鳴り響いた。

『NWW11839セクションにてスーサイド事案発生、網にて鹵獲、直ちに現地へ出発せよ』

 あまりに久しぶりの事態に少年は驚き、飛び上がった拍子でテーブルの角に手のひらをしたたかに打ちつけてしまった。

「おいおい……マジかよ。2年ぶりか、ってて」

 少年は急いで『拘束具セット』が納められた鞄を手に取り、白いコンテナのような狭い居住スペースから飛び出した。

『螺旋の塔』の絶壁に打ち付けられたような杭のように飛び出したコンテナからは、上に向かう階段と、下に向かう階段が『塔』の側面に沿って延々と続いている。少年は下へ向かう階段を3段飛ばしで駆け下りて行く。

 勢い余って大空へ落ちて行ってしまうのではないかとも思えるほど急峻な階段を、臆することもなくひた走る。

「生きていてくれよ……」

 胃からこみ上げる、先ほどのサラダの苦い汁を飲み下すかのように、その顔には慌て、恐れている表情があった。


 二日後。午前6時29分


 少女は目を覚ました。

 ここは天国だろうか、

 ここは地獄だろうか、

 いや、それにしてはやけに『白い』地獄だ。

 宇宙船の内部のような白いパネルが張られた広い部屋で、円筒状の壁に磔にされていた。

 視界の端に自分の乳房が見えて驚く。

「!!」

 少女は裸だった。

 声を上げようとするが出来ない。

 口には猿轡がされていて、さらにそこから口腔内に風船のようなものまで入り込んでいる。

 気持ち悪さを覚えて吐き出そうとするも口が固定されていて吐き出すことは出来ない。

 両手両足も壁に金属の輪で固定されていて動かすこともかなわない。

 キリストのように磔刑にされたのだろうか。

 であればはやはりここは地獄?

 頭はかろうじて動かすことが出来たので、まずはとにかく周囲の状況を窺おうと首を動かした。

 ここは白い、明るい、暖かい広い空間だった。

 においはない。音は暖房の機械的な空調音だけ。

 部屋は少女が磔られている壁から同心円状に広がっている。

 20メートルほど離れたところに高さ数十メートルの白い壁。

 その壁と天井の隙間から日の光だろうか、燦々と白い光が入り込んでいる。

 それから数分ほど、少女はまず自分の置かれている状況を把握しようとした。

 まず理解したのは、これは、間違えなく、死ねなかったと言うことだ。

 そしてここが、噂に聞いていた自殺者用の『矯正施設』だというのだろうか。

 それにしてはこんなに綺麗で明るいのは意外だった。

 自分はこれからここでどうなるのだろうか。

 この状態から逃れた方がいいのだろうか。それすら解らなかった。

 数分後、不意に白い空間の奥にある赤い枠のように見えていたところが扉のように横に開き、誰かが入ってきた。

 よく見ると歳が同じくらいの少年だった。

 少年は何らかの組織の制服のようなものを纏っている。

 少年は少女の前まで歩いてくると目を合わせた。

「起きたか」

 少女は自分が裸だと思い出し少年を見てパニックになるが、

 少年の瞳は少女の身体ではなく、あくまでその瞳だけを捉えていた。

「君は『自殺未遂』に終わった。ここは地獄じゃない。天国でもない。ただの現実だ」

 少年は投げ捨てるようにそう言うと回れ右して後ろを向いた。

「もし、もう自殺する気がないというのならば、まず口の拘束具だけは取ってやる」

 少女は口が聞けない状態なのでうなるしかない。

「!!……!!……」

 少年は背を向けたままだ。

「もし、拘束を解いた瞬間舌を噛んで死のうとするようならば、口の拘束さえ取ってやることはできない」

 少年の口ぶりは事務的だった。

「人類の総人口が3千万人まで減ったこの世界での最大の禁忌事項はなんだか解るか?」

 少年は後ろ手を組んだ

「自殺だよ。これ以上人類を減らさないためにも最も避けなければならないことさ。」

 少年は少女の方を向き直り、再びその瞳を睨みつけた。

「理由はどうあれ、僕は君を自殺させたりは絶対にしない」

 少女は自分が自殺しようとしていたことをこの人は止めてくれたのか? と気づき始めていた。

「ああごめん。自己紹介がまだだったね、ここは自殺者防止プログラムユニット『マスト』だ。僕は管理人のオオトリタイチ」

 そういう間も少女の瞳だけを見つめてタイチと名乗った少年は喋っている。鋭い視線になんとなく眼を合わせ辛くなり少女が眼を伏せても、その間も瞳だけを見つめている。

「口の拘束をしている間は、僕は君の瞳だけを見て喋るよ。

 君がどうしたいか解りたいからね。

 君には人権が保障されている。

 この自殺防止プログラムは国際法に基づいて、

 自殺を図った人を『救う』ためにやっていることだ。

 だから人権に反して君の発言を抑止したり、自由を制限することは本意じゃない

 ――つまり自殺を図る意図がないならば口だけじゃなく身体の拘束も幾らでも解くことが出来る」

 少年はそう言い、少女が伏せた目を少し屈んでのぞき込んだ。

 少年は少女より頭一つ分くらい背が高かった。

「……」

 少女は自分がどうして自殺をしようとしたのかを思い返していた、

 こうして誰かに助けられることを望んだわけでもないのに助かってしまった。

 この深い藍色の少年の瞳をどういう視線で、表情で見つめ返せばよいのだろうか。

 少年はのぞき込んだ顔を離して続けた。

「この僕たちの『螺旋の塔 エリア2』では自殺者がここ2年間ゼロだったって知ってた? しかも2年前の『自殺未遂』は薬の大量服薬によるもので、いま僕たちがいる『マスト』に『投身自殺』を図って来た人は君が初めてだって。」

 年々増加し続ける戦死者と反比例し自殺者は加速度的に減っていると言うことはこの世界の住人であれば誰でも知っていることだ。

 世界に6本しかない『螺旋の塔』に残された人類はその中では争いも諍いもせず、ただ生きなければならないのだ。

 少年はぼさぼさの黒髪に手をかけ何度かぽりぽりと掻いたあと、

 おもむろに少女の首に手をかけた。

「うーん……ほんとはちゃんとした手続きとかが必要なんだけど、この仕事してると解るんだ、君の様子をみてるだけで、君はもう死なないみたいだって。だから、口の拘束はもう解くよ」

 少年の顔が少女の顔に近づく、少女は不意のことで呆然と少年を見つめることしか出来ない。少年は少女の頭越しに、少女の長い茶色の髪の下に手を回し、数瞬の後、後頭部でロックされていた猿轡のカギが電子的な解除音とともに解ける。

「……!!」

 少年は少女が痛くないよう丁寧にゆっくりとそれを外した。

 少女の口の中にあった風船のようなものがぬるりと抜け出していく。

 これは舌を噛むことを防止するための拘束だった。

「……っはぁ、はぁ」

 少女は拘束が外れたことに少しだけ安堵した。

「ごめん、苦しかったかな。でも、これはルールだから仕方ないんだ」

 少女は呼吸を整えこう告げた。

「……はぁ、はぁ、なぜ、なぜ私を助けたの?」

 少年は一瞬回答を迷い、

「なぜってそれが仕事だからに決まってるだろう?」

 と応えた。

「そう――私はこれからどうなるの?」

 少年は少女の薄紅色の唇を凝視し、次にどんな言葉が発せられるのかに全神経を集中していた。

 自殺者のケアは初動が肝心だからというのもあるが。

 いきなりこんなところに放り込まれた人の心なんか想像出来ないからだ。

「君はとりあえず、気がついてから24時間はそのまま『壁面拘束』される。

 自殺意思なしと解れば、その後壁面拘束から解放。そして24日間僕とここで『治療』に当たってもらうことになる。

 が、治療を受けるか受けないかも自由な権利さ、もしこんなところでそれを強要されるのが嫌ならばこの場所から『帰る』こともできる」

 帰る、元いた場所へ、彼の居なくなってしまった世界へ。

 死ぬことよりも恐ろしいのではないだろうか。

「あの、私の服は?」

 そこで初めて少年が少女の顔以外の部分に一瞬眼を走らせたように見えた。

 すぐに慌てて回れ右して咳払いをしたが。

「失礼、慣れてないんだ。

 何度も言うけど君の人権は保障されている。僕の行為で何らかの不審な行為があったら司法機関に訴え出てもらってもかまわない。こういう細かい動作もさ。

 質問に答えよう、君の服は、というかなぜ君が裸で磔にされているか、ということからだけど、

 まずは自傷行為を避けさせるため。そしてレイプ検査を行う必要があったため。後は薬剤などを隠し持っていて自殺をされないように、そして病的な要因による自殺じゃないことを調べるための健康チェックもした。そのために服は取り上げた。

 これは規定の手順に沿って行われたことだ。

 これから24時間経って壁面拘束が解除された時点で君には衣服を着てもらう権利も返される。

 その時まではこのまま裸で居てもらわなきゃならない。

 正直年頃の女性には厳しいだろうし、僕みたいな男しか『マスト』に居ないのに、

 それに肌を晒すのも抵抗があるだろうが耐えてくれ」

 少年は背中を向けていたが頭を下げてお願いをした。

「僕みたいな男しかって、ここには貴方のほかにだれか人は居ないの?」

 少年は首を横に振った。

「ここには僕一人だけだ。自殺は今や多発する事案じゃないからね、お役所も人員を割けないんだ、女性の所員が居ればよかったんだけど、すまない」

 少女は少年の言ったことを噛み砕いて考えた、

 レイプ検査か、確かに自殺の要因にはなり得るだろう、ニュースでも滅多に聞かない事象だ、しかしそれには膣の傷の検査が必要だったはずだ、自分が気を失っている間にこの人にそんなところまで晒してしまったのかと思うと、相手は男性だ、恐れる気持ちが沸き起こる。

 それを察したのか少年は続けた、

「レイプ検査の結果は陰性だった。健康チェックも問題なし。一応医療、看護のライセンスは持ってる。気休め程度だろうが医者が診たものだと思ってくれればいい」

 少年の声音は穏やかだった。これまでずっと一定のトーンだった。相手を不安にさせないように訓練を受けているのかもしれない。

「私はレイプを受けて自殺をしようとしたんじゃないわ、私は――」

 少年は振り返り手を挙げて少女の言葉を遮った。

「あ、自殺の具体的な動機については言わないでいい。

『今は』、というか身体的な要因でなく精神的要因だとしたら僕には無理に明かす必要はないし、

『恒久的に』明かさなくてもいい。それも君の権利の一つだ。もし話したくなったら程度でも構わない。

 今はまだ目覚めたばかりで冷静な判断が出来る状態ではないだろうから僕の方から止めさせてもらうよ」

 少女は出かかった言葉をとどめた。そして聞くことを改めた。

「私の身元や身分を質さないのもそのせいなの?」

 そうだった、彼は一方的に自らの身分を明かし、自らの名を名乗り、ここの説明を、これまでの経緯を、話してくれている。

 なのに私は未だに自らが何者なのかも質問されていなかった。

「そういうこと。あとあとの社会的な影響とかを考慮した場合、自殺経験は君にとって不利な材料になる可能性もある。

 必要なら僕に偽名を名乗ってくれても構わない。いくらか事態が飲み込めてきてるみたいだね」

 少年はそう言うと少女の掲げている両腕を見た。 

 磔になっている白く細い腕は壁面に沿って斜め上に反るように掲げられている。

 少年はポケットから端末を取り出し、なにやら操作を行った。

 機械的な動作音がして少女の腕の拘束具が身体の横に来るように下ろされた。

「拘束具を外したり、緩くしたりするのは僕の裁断だ。曲げられないところもあるけど、これでちょっとは楽になったかな」

 少女は掲げていた腕に血流が行き渡るのを感じて今更ながら疲労感を覚えた。

「ええ、少しは。ありがとう。貴方、なぜ自殺者の私にそんなに、なんていうか、丁寧なの?」

 少年は再び踵を返し後ろを向きつつ応えた

「自殺は最大の罪だし、忌むべき行為だ。でも君は、自殺未遂で助かってここに来た。だから僕は僕の出来る範囲で君の命を守る」

 少女には理解しがたい言葉だったが、出来る範囲で命を守ることが彼の丁寧さの表れなのだろうか。

「でも、私は――、私は死にたかったのよ。なぜ死なせてくれなかったの」

 殆ど独白に近い、小さい声で放った、思い返して出てきただけの言葉だった。

 だがその言葉を耳にした瞬間少年の背中がふるりと揺らいだように見えた。

「でも君は助かった。」

 静かに、ただ物事を断定する口調だった。

 少年は腕にしている時計を見つめ、また少女の方を振り返り告げた。

「長話、急には疲れるだろう? それにお腹も減ったんじゃないかな。

 何か適当に食べるものを用意してくるから。あんまり重くないものを。

 ただ僕の手で食べてもらわなきゃいけないけどね。準備してくるから少し待ってて」

 少年は言い切ると、入ってきた扉の方に歩き出した。

「待って!!」

 少女は少年を呼び止めた。

 少年は足を止めたが不要に少女を見ないよう振り返ろうとはしなかった。

「リンよ。……リン・アシュティール。私の名前。」

 少年はそうか、と言うと部屋を後にした。その顔には少しだけ微笑みが浮かんだが、少女からは見えなかった。

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