婚約同盟
山崎世界
第1話 デレてないからヤンデレじゃないもん!
「う~む……」
俺、青葉春信は今、齢十五にして人生の岐路に立っていた。
「どうかしたのですか?」
きちんと急須で淹れられ、茶柱が立った緑茶が目の前に置かれた。
妹の春陽である。俺の実の妹で目に入れても痛くないほどに可愛い。ちなみに年子で学年は一緒だ。
流れるような黒い髪、零れ落ちるような垂れ目気味のつぶらな瞳。小顔で目を引くような美形、というわけでは無いが野に咲く花のような美しさというのか。そういう美人だと思うのだが、何故か学校では前髪で顔を隠すようにして、誰に見せるでも無いであろうに家ではフリフリな服を着て振る舞う。
もったいないな、と何度か言っているのだが、そうですかと嬉しそうに言うだけで聞かない我が妹である。
「そうだな。春陽には言っておかなければならないか」
「一体何を……」
「実はな。俺に婚約者が出来たのだ」
「へぇ婚約……は?」
春陽は口をあんぐりと開け、固まる。そうだろうな。俺としても実感が全くない。
「話は数日前に遡るのだが」
※※※
俺はその日、いつもの日課でランニングをしていた時のことである。
「危ない!」
紙を持ってあちこちを見渡していた老人がそこにいた。そしてそのまま歩道に足を乗り上げていたところに運悪くトラックが衝突するところであり、俺はすぐさまその老人を引き寄せた。
「あ……あぁ済まない」
何とかトラックの方もハンドル操作を誤るということも無く、クラクションを不機嫌そうに鳴らすだけで去って行った。
老人は茶色の上品そうなジャケットに身を包んだ身なりのいい紳士であった。
「何か困りごとかな? もしよければ力になるが」
「ありがとう。ただ、ここには探し物をしに来てね。極めて個人的な事情になるから、詳しいことは話せないのだよ」
「そうか……それなら気を付けてくれ」
老人が何を目的としているのかは分からないが、俺を振り払おうとしている気配は感じた。人に知られてはいけない事情があるのだろう。
「済まないね。聞いていいだろうか、君の名前は?」
「俺かい? 俺は青葉春信だ」
「そうか……ありがとう春信君。実は私には娘がいてね。年老いてから授かった娘だがこれがまた目にいれても痛くないほどに溺愛している。もし、君の様な人があの子に付いてくれるというのであれば私も安心できるのだが」
この時、何故娘の話など持ち出してきたのだろうかと疑問に思うべきであったのかもしれない。
「はっはっは。どうだろうねあいにくと彼女なんていたことが無くてね。その娘さんを幸せに出来るかどうかなんてそんな自信は全くない」
「うん? 本当かい? ならばこの日の礼と言っては何だが娘を貰ってくれないかな」
「そうだな縁があればな」
はっはっは、と別れ、まあ何かの縁だと連絡先を交換し、俺達は去った。
※※※
「まあ冗談だと思っていたのだが先日、『それで娘のことなんだがとりあえずお互い顔合わせしよう』ということになり、何故か仕事で地方にいるはずの両親にも了承を取っていた様で……うん。そういうことに」
春陽はさっきから黙っていた……いや、何か呟いていた。
「有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない有り得ないアリエナイアリエナイ……」
まあいい。話を続けよう。
「というわけでだな。一週間後、だったか。その日にホテルで会うことになっててな……まあ相手にもよるが、あのご老人が俺をこそ、とそう望んでくれたのであればその見込みに応え、その娘さんを精一杯幸せにしようと思うのだが……春陽?」
「そう……ナキ……ま…………つい……………ふ、ふふふふふ」
グイッと春陽は俯き、そして、
「それではお兄様。早速準備をいたしましょう。やはりお見合いともなるとそれなりのマナーというものがございます」
笑った。うむ。それはもう清々しく。やはり頼りになるな我が妹は。
※※※
何とも落ち着かぬスーツ姿で相手方の登場を待つ。景色のいいホテルのレストランで、相手方のお嬢様を待つ。
「いやあ済まない。待たせたね」
ご老人と……夫人、だろうか。夫人は驚いたことに青い目を持つ白人の様だった。
そしてその老夫婦に連れられ、鮮やかな金髪を持つ少女が、後ろから歩んできた。
「ごきげんよう」
その声が響く瞬間、そこにいた客たちが一斉に目を向けたのではないか、とそう思った。
露出の高い鮮やかな赤いドレスは、彼女の豊満な体を包み、艶やかに彩る。
金色の髪は彼女のお辞儀に合わせて透けるようにハラハラと柔らかに舞う。淑やかな立ち居振る舞いによりまるで芸術作品のように静寂に佇む印象を与え、しかし目を開けば確かに瑞々しい少女の生命を感じさせる。
「私、
「ああ。俺は青葉春信だよろしく頼む」
「……ええ」
にこりと笑い、俺達は握手を交わした。……握手する瞬間、一瞬、顔を顰めた様な気がするが気のせいだろうか。
「それでは後は若いもので」
ガチャリと置かれたのはホテルのルームキーだった。……うーん……これは、どうしたものなのだろうか、とお互いに苦笑いを浮かべる烈愛さんと俺であった。
「そうですね。それでは二人きりでお話しませんか? 結婚、というとやはり個人的なお話になりますし」
「あ、ああそうか……そうだな」
この場の雰囲気がそうさせたのか、熱にうだされたように少しばかりハイになりながら俺達はホテルのかぎを開ける。
「……この時を待っていたわ」
その時である。聞き間違えかと思ったが、つい今しがたまで会話をしていた声を聞き間違えるもあるまい。それは紛れもない本人の声である。ただし、その声はえらくドスが効いていた。
後ろを振り返ることなく、反射的に部屋を転がりまわる。すると、バァン! と耳がつんざくような音と、火薬のにおいがした。
「……これは」
目の前の絨毯を見る。それは……紛れもなく銃弾であった。
「ちっ外したか」
忌々しげに呟く俺の婚約者、佐倉烈愛その人である。何だろうな。改めて初めましてをした方がいいだろうか。
「筋書きはこうよ。ホテルで強盗に襲われた私達だったけれどあなたは強盗の凶弾から私を庇い、何とか私は無事に逃げだす」
「いやぁ穴があり過ぎだろう色々と」
まず俺がみすみす出来たばかりの婚約者を未亡人(?)に出来るかというのだ。
「う、うるさいわね! 仕方ないじゃない! もう……もうこれしか方法はないんだから!」
切羽詰って様な声で気付いた。あー……そうか烈愛も冷静ではないのかと。どういう心境かは分かりかねるが俺との婚約はよほど嫌だったと見える。そして耐えに耐えかねて、と……これがうわさに聞くヤンデレというやつだろうか
「デレて無いからヤンデレじゃないわ!」
何だその理屈は。
「あんたには悪いと思うわ。ええ。そりゃあね。でも! パパもママも何か盛り上がっちゃってるんだもん! 早く孫の顔見たいとかいうんだもん! そんなのイヤ! だって私は……私は……!」
その時、確かに見た。佐倉烈愛という必死になっている少女の、必死な涙を。
そんなに俺が生理的に嫌だろうか、とか。そんな風にちらりと考えるが……恐らくそうではないと思う。もしかしたら、この子は
「れぁ……」
何か言葉を掛けなければならない、と思ったその時である。
ガキン!!
「ひ!?」
ガッ! ガガッ! グギギギ! 不気味に金属が軋みを挙げるそんな音が烈愛の背後……ドアの方から聞こえる。
色々ぶっ飛んだ行動をしてはいるが、烈愛という少女は恐らく普通の少女なのであろう。
こんなスプラッタ映画なんぞでよく見る様な光景なぞ好んで目にしない程度には。
「はぁ……はぁ……」
バタン! とドアが蹴飛ばされる。どうやらオートロックのドアを破って来たようだ……大丈夫だろうか。色々と。
「あぁお兄様……何とおいたわしや」
そして、そこに現れたのは俺の妹の青葉春陽であった。何故か白いドレス……ウェディングドレスに身を包んだ妹の目はひたすら黒く、何物をも呑み込むように沈んでいた。
「そこの女に誑かされるなんて、あぁ……だから兄と妹でないカップルなんてただのお遊びだと。ただ私がお兄様を諭すなんて烏滸がましいとそう思っていましたが」
先程から妹は何を言っているのだろう。
「仕方がありません。お兄さまに真実の愛とは何か……それを教授する前に。この女を」
春陽が持っていた日本刀が、すっかり腰が抜けて這いつくばっていた烈愛の顔の近くへぐさりと刺さった。
「ひ、ひぃ!」
「待て! 待つんだ! 春陽!」
俺は春陽を羽交い絞めにする。
「あぁ……お兄様の匂いに包まれて……ずるいですお兄様。これでは私、力が抜けてしまうではないですか。お兄さまという、唯一無二の存在に、全てを預けてしまいたくなるではないですか」
春陽め。いつの間にこれほどの力をつけていたんだ。抑え付けるだけで精いっぱいだぞ。……春陽の謎理論のせいかいつの間にか力は幾分か収まっているが。
「烈愛! 今の内に逃げろ!」
「お兄様! 何を言うのです!? 離してください! その女を殺せません!」
烈愛は現実離れした今の光景に理解が追い付かないのだろう。呆然としていた。うむ。俺も出来ればそうやってぼうっとしていたいところだ。
だがそういうわけにはいかないのだから、まあしょうがないな。
「いいから逃げろ! お前には成し遂げなければならないことがあるのではないのか!?」
「!」
その言葉で何かを思い出したのか、烈愛はいそいそとその場を逃げ出した。
そして俺達は、駆けつけた警備員たちにより事情聴取を受けることになったが、その数時間後、何故か突然釈放された。
恐らくだが佐倉翁が何かしら手を回したのだろう……礼を言うべきなのだろうか。それとも言わぬべきなのだろうか。
※※※
その数日後のことである。俺は、近所の喫茶店に呼び出された。
「遅かったわね」
呼び出したのは、佐倉烈愛その人だった。
「……まずは、その……謝っとくわ。ごめんなさい」
「いや構わんさ。お互い無事だしな。その後、大丈夫だったか?」
「……何で」
プルプルと手を震わせ、やがてガチャンとテーブルに手を強く叩き付ける。
「何で一人で来たのよ!? 何で私に怒んないのよ!? バカなの!? ねえバカなの!?」
「……? 一人で来てほしいと言ったのはそちらだろう? まあ気持ちは分かるが春陽のことをそう怖がらないでほしい。あれは本当にいい子だ。出来れば仲良くしてやってほしい」
「だから……ああもう!」
いらいらをぶつける様に、烈愛はクリームソーダをずずず、とストローに口をつける。
「……ごめんなさい。ほんっと……謝って済むような問題じゃないと思うけどさ。まあいいじゃん。私みたいなのに引っかかんなくってさ」
「どうしても済まないと思うのであれば、聞かせて貰えないだろうか。お前がそこまでに至った想いを」
烈愛はテーブルに顔を付けたまま俺を怪訝そうな目で見上げてくる。
これは俺の勘だが、あくまで俺と結婚をするのがいやだ、などとそんな理由であそこまではならないと思うのだ。あくまで従順な演技をこなして、二人きりになったところで俺を亡き者にしようと。少し……いや、大分冷静でなかった部分も含めて。
「そんなこと知ってどうしようってのよ……ホンット、バッカみたい」
でもしょうがないか、と呟いて、烈愛は話し始める。
「私ね。好きな人がいるの……ていっても全然覚えてないんだけど。小さい頃さ。私家出したことがあるの。何だったかなぁ……ちょっと嫌なことがあって、でもそんな時に限ってパパもママも構ってくれないとかそんなんだったかな。うん……その時に会ったの。
その子は、私と同じ年くらいのその男の子は、泣いてる私を慰めてくれて、もう帰りたくないって私の話を聞いてくれて、もう帰りたいって私の願いを聞いてくれた。
顔も名前も思い出せなくて、もしかしたら、そんなのただの夢だったのかもしれない。
だけど、私……その子のこと、忘れられないの。これが恋じゃなかった何が恋なんだって。私だけなら、何年、何十年かかってもきっとこの恋を見つけて見せる……それくらいの覚悟はある。けど、パパとママは、私が幸せになって欲しいって……だから」
せめて、共に過ごすパートナーを。家族を築けていると見せてほしい。そういう願い。その願いを、烈愛としても叶えてあげたい。けれど、それでも……そんな風に想いがこんがらがって、ああなった、と。
「あんたとはもう会うことないだろうけどさ。ありがと。何だかんだで、過ちは犯さないで済んだのはあんたのおかげ……大丈夫。もう、私は」
「本当にいいのか?」
「え?」
「本当にいいのか、と。お前の心に問いかけている。今、お前が俺を退けたところできっと第二第三の婚約者やらがお前を襲うだろう。そういうことだろう? そして、お前は……もう、諦めてしまうつもりなんじゃないのか?」
何が大丈夫だというのだ。私はもう、昔の初恋など忘れて、適当な結婚をして、幸せになると両親に胸を張れると、自分を騙せると? 佐倉烈愛よ。本当にそうだというのであれば俺はとんだやられ損ではないか。
「……じゃあどうしろっていうのよ!」
叫ぶ。そうだ。叫んでいる。このままでいいはずがないと。受け入れてたまるかと今もまだその想いが燃え盛っているのだ。こいつの中では。
「俺を使え」
「……はぁ!?」
「何も今日一日やそこらで即入籍、などと言うわけでは無いだろう? あくまで婚約者だ。本当に結婚するかどうかなんて、誰にも分からない。もし、お前が探す男が見つかったのなら、その時は喜んで婚約破棄するとしよう」
「ば、バカなの!? 何で!? あんた、私に殺されかかったくせに!」
「まあ死んでないからな」
「そういう問題じゃないでしょ!」
やれやれ。お前がそれを言うのか、と面倒くさくなってきたな。だが仕方がない。俺は俺の想いを伝えるのみだ。
「眩しいのだ」
「眩しい……?」
「お前のその想いが。本気で誰かを想うその気持ちが。恋というものが。俺にはまだないものだから。だから、お前の近くで、その恋を。見せてくれないか?」
俺は未だ恋というものを知らない。けれど、佐倉烈愛という少女の輝きが、きっとそう呼ぶべきものなのだろうとそう思う。だから、見せてほしい。その輝きを。そうすれば、きっと俺にも
「分かったわ……それじゃあ、私達はこれから戦友ね」
「戦友?」
「ええ。私達は、これから周囲を騙すためにお互い協力し合って、演技をするの。順調なカップルの、ね……勘違いしないために。私達の関係に名前を付けるの」
「それが戦友か?」
「ええ。色気も何もない方がいいでしょ?」
「ううむ……微妙にワクワクするんだがいいか?」
「バーカ……しょうがないわね。それくらいはまあ。許してあげるとしますか」
こうして、俺達は偽物の婚約者同盟を結ぶこととなった。
※※※
「というわけなんだが、協力を頼めないだろうか」
戻ってきた俺は春陽に事情を話すことにした。
「何故私に? そのような事情を話してしまってよろしいのですか?」
「う~ん……何でだろうな烈愛が何かそっちの方がいい、と戦略的判断だ、とな。春陽だけは敵に回したくないから味方に引き込めないか? と。それに関しては同意なのだが……どうだろうか?」
「……そうですね。正直、いつお兄様を裏切るやもしれない女と勝手に同盟を組んだお兄様には色々といいたいことはありますが」
う……そうか。仕方なかったとはいえ、たった一人の妹に相談しなかったのは悪かったと思っている。
「まあいいでしょう………………私の目的にも都合がいいですし」
「何か言ったか?」
「お兄様、愛しております」
「ああ。俺も愛してるぞ」
こうして、俺こと青葉春信、佐倉烈愛、青葉春陽による婚約同盟が成立するのであった。
婚約同盟 山崎世界 @yamasakisekai
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