第8話
筆談が新鮮だったのか、黒羽さんはいくつも僕に質問をしてきた。
好きな色や好きな音楽、好きな男性のタイプなど……、こんなものを知ってどうするのだろうという質問の答えを、手首に軽い疲労感を覚えるくらい書かされた。
ようやく質問の嵐が止んだところで、僕はずっと疑問に思っていたことを訊いてみた。
『どうして、私をここに連れて来てくれたんですか?』
おじさんを追い払ったのは単なる善意からだと片づけられても、その後お店に連れて来た理由が分からない。
僕に対する丁寧で優しい接し方から、信じ難いが僕に好意を抱いているのかもしれないとも思ったが、何か裏があるのかもしれないという考えも拭えなかった。
僕の質問に、黒羽さんはめずらしくまごついた。
この優しさの裏には何かあるのかもしれないとは思っていたが、こんなあからさまにうろたえるとは思っていなかった僕は、まさかの反応に少し驚いた。
やがて黒羽さんは意を決したかのように口を開いた。
「こんなこと言ったら不愉快に思うかもしれないが、その、明日香が俺の初恋の子に似ていて……」
僕の反応を窺うようにしてちらりと弱々しい視線が送られる。
その目が、おじさんやスキンヘッドの男に向けていた冷たく鋭いものとあまりにも違い、本当に同一人物なのか疑うほどだった。
目を瞬かせる僕を気にするように視線をこちらに置いたまま黒羽さんは続けた。
「声を掛けようかどうしようか迷っていたら変なオッサンが明日香に近づいて言ったから、思わずあんな形で声掛けてしまって……。それで明日香と話してみたいと思ってここに連れて来た。……なぁ、明日香」
ペンを持つ右手を包むようにして、黒羽さんの大きな手が重なった。
心臓がびくっと跳ね上がる。
「今日あそこに立ってたのはナンパ待ちだったのか?」
右手の感触に戸惑いながら僕は頷いた。
理由はどうあれ、ナンパを待っていたのだから嘘ではない。
黒羽さんはゆっくり一呼吸置いて言った。
「じゃあさ、俺にしといてくれないか。……俺と付き合ってほしい」
僕は息を呑んだ。
彼は本気だった。
右手を包む手の微かな震えや僕を見詰める真摯な瞳から、彼の言葉が嘘偽りのない言葉だということは容易に分かる。
僕が女であれば、もしくは彼が女だったら、この告白に首を縦に振っていたかもしれない。
しかし僕らは男同士だ。
はいとは答えられない。
けれど、だからといってここで断るのはあまり賢い選択とは思えなかった。
密室で二人きりというこの状況だ。
今までは優しかったが、彼の申し出を拒むことで、逆上する可能性だってあり得る。
さっきは他者へ向けられていた狂暴な面が自分に向けられると思うと、心臓が凍りつきそうな気分だ。
「明日香……」
なかなか返事を寄越さない僕に、切なげな響きを持って名前を呼んでくる。
答えを急かすというよりも、乞うような必死さがそこにはあった。
彼は本気だ。
だからこそ、彼の期待を裏切った時の反動が恐ろしくもあった。
ここはとにかく穏便に過ごそう。
後日、人の多い安全地帯で振ることだってできるのだ。
僕は強張った首を何とか縦に動かした。
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