第7話
男に連れて来られた部屋は、やはり店内と同じく黒いソファとテーブルのある個室だった。
大きなソファだったが、男が手を握ったまま腰を下ろしたので、僕もその横に座らざるを得なかった。
「さっきはすまなかった。怖かっただろう?」
気遣わしげに男が顔を覗いて謝ってきた。
距離の近さに戸惑いながら、僕は首を横に振った。
男はほっとしたような表情をして、またすぐに口を開いた。
「そういえば、名前も言ってなかったな。俺は
僕は言葉に詰まった。
声を出せば男だとばれてしまう。
目の前の綺麗な男――黒羽さんが、僕に好意を持っているかは定かではないが、どちらにせよ騙していることには変わりない。
本当のことを知れば、さきほどのスキンヘッドの男に向けた、いやそれ以上の凶暴性を見せるかもしれない。
首を動かすだけの返答が使えなくなった今、どう返事をすべきか思いあぐねていると、黒羽さんがわずかに眉根を寄せた。
「もしかして、俺に名前教えたくないのか?」
悲しげ問われ、僕は慌てて首を振った。
黒羽さんは安心したのか眉間の皺を緩めた。
「じゃあ、教えてくれ」
しかし僕が名乗れないでいると、黒羽さんはハッとしたようにして言った。
「……もしかして、しゃべれないのか?」
労わるような問いに僕は逃げの糸口を見つけ、こくこくと必死に頷いた。
すると彼は突然立ち上がり、部屋を出て行った。
置いていかれた僕は、黒羽さんの行動の意味を図りかねしばらく一人でおろおろとしていたが、すぐに彼は戻ってきた。
そして僕に紙とペンを差し出してきた。
「店からもらった。よかったらこれに書いてくれないか」
彼の優しい笑みと行動力に気圧され、おずおずとそれを受け取った。
しかし受け取ったものの、何と書いていいか迷った。
もちろん本名は書けないし、かと言ってすぐに偽名も思いつかず、僕は咄嗟に前の席のクラスメイトの名前を書いた。
女子のように可愛らしい字ではないのでばれやしないかと冷や冷やしたが、僕の心配に反して黒羽さんは「へぇ、明日香っていうんだな」と特に不審に思った様子を見せなかった。
僕は心の中でほっと胸を撫で下ろした。
「明日香って呼んでいい?」
僕が頷くと、黒羽さんは口端を綻ばせた。
「俺のことは薫でいいよ。明日香は何を飲む?」
メニューを渡されたが、お酒なんか飲めるはずもなく、僕は『オレンジジュース』と書いた。
「明日香はお酒飲めないんだな。でも、そんな感じする」
黒羽さんは嬉しそうに微笑んでから注文した。
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