管理人「プールの水は近くの山の新鮮な湧水を使用しています」

 とりあえず拘っておけ。






「出来ねえ!! なーんも出来ねーわ!!」

「いいからもうちょっとイメージして。せーの!!」

「あーーー飛ばねえーーーー!!!!」


 オルクスが、首都イーヴァリドをのんびりと散策しているころ。クランは、シャハールの自宅で悪戦苦闘していた。もうそれはそれは悪戦苦闘していた。

 魔力を己の身体の外へ出し、操り、目的の所でそれを己の属性に合った性質へと変化させる。それが、遠隔魔法のカラクリである。予備動作なしに魔法を遠くへ飛ばせる点や、普通に生成物を投擲するより速いことが多い点、更に発動直前まで不可視であり、魔力感知でのみ回避が可能なため、避けにくいという点など、様々な面において優れている。

 特に術者にも危険が大きい炎の魔法においては、“遠くで発動できる”利点が顕著である。そのため、クランの目下の目標は、とりあえず“1メートル先で炎を発動させること”であた。これくらいなら密着した相手と一緒に自爆する際に、相手の背後で爆発を起こすことで相手を盾にすることができる。


 しかし、ダメだった。たった1メートル、手を伸ばせば届きそうなレベル。なのに、発動できない。そこまで己の魔力が動いてくれないのだ。


「くっそお、難しい……。なんで皆、これがほいほい出来るんだよ……」

「んー、君の魔力は随分と内側に向いているんだね」

「内側……?」


 本を捲りながらクランの特訓を眺めているシャーリィが、言葉を拾って繰り返すと、シャハールは頷く。


「結構そのあたり、人によるんだよね。魔力の感覚が内側に向いちゃう人と、外側に向く人。クランはその中でも極端だなー。恐らくは癖だね。ずーっと自分の手元でしか使って来なかったから、悪い癖がついてる」

「そりゃそうだろうなあー……くそっ」


 クランは一つ息を整えると、精神を統一し、もう一度、魔力を込める。掌にそれを集中させるのは簡単だ。しかし手から離そうとすると、動かない。無理に離すと溜めた魔力が霧散してしまう。


「ま、ゆっくりやりなよ。色々とこちらでも手は考えるから」

「……おう」


 戦う相手なしにこうして魔法だけを見ているのは、何か違う気がする。しかし、そのあたりはシャハールも承知だろう。彼が考えていてくれるというのなら、まだ文句は言うまい。

 そうして、クランは二時間ほど、午前中の間魔力の放出訓練を続けた。結局、その甲斐なく魔力は飛んで行ってくれなかったが。

 そして、昼ご飯にしようかとシャハールが言い、シャーリィと二人で台所へ向おうとした、まさにその時。


「!」


 シャハールが、不意に窓の外を見る。


「おい、どうした」

「……来た。が、この魔力は想定外だぞ!! 相当でかい!!」

「は!? っ、くそ、あっちを襲いやがったか!」


 何のことかは、直ぐに分かった。オルクスの方に死神が現れたのだ。


「オルクスが危ない。行くよ、二人とも!」

「ああ!」

「わかりましたわ!」


 三人は、直ぐに家を飛び出した。

 首都までは、シャハールの車に乗れば直ぐだ。……無免許だが、この際、気にしない。




***




 ヴァルナルが、動く。

 重量感たっぷりの鍛えに鍛えたその体は、しかし、見た目からは想像のつかないほどの速度を発揮する。死神ギルベルトへと、住宅街を駆ける。

 眼前の死神は黙って鎌を振るう。風の刃――ギルベルトが放つ刃は、回避が困難なほどに速い。

 ヴァルナルの取った対策は、爆発。

 眼前を爆発させ、爆風によって風の勢いを相殺する。相殺しきれない刃を身に受けようとも、その鋼の身体は止まらない。


 そして、第三位――魔導師としても最上位の男、ギルベルトを、拳の射程圏内に捉える。


「ほう」


 ギルベルトが初めて、感嘆の声を漏らす。

 ヴァルナルの愚直に振り上げられた拳が、死神の身体へと吸いこまれる、その刹那。


「――!」


 遠巻きに水を構えていたヘンリーは、目を見開く。

 決して遅くない、いや寧ろ凄まじい速度に破壊力を乗せたその一撃は、流された。

 言葉にすれば簡単な一言だが、ダンプカーの如く迫る筋肉の塊、その先陣を切る拳を、一瞬の交錯の間に受け流す――その技術、その繊細な風の扱いたるや、人間業ではない。

 そしてヴァルナルの身体に、綺麗な蹴りが入る。ぐらり、と彼の身体が傾く。

 ギルベルトがその機を逃すはずもない。身体を両断せんばかりの風の刃が生成され――。


「やらせは……ッ!!」


 止めたのは、ヘンリーの撃ちこんだ水流だった。タイミングを合わせ放ったそれは、ギルベルトの身体に当たり、数歩後ろへとよろめかせる。


「ちっ」

「死神ともあろうものが、案外大したことありませんね!!」


 挑発しながら、ヴァルナルに視線を送る。ここは一般人の目に触れる可能性が高く、これ以上のドンパチは危険だ。


「何処へ」

「Fで」


 短い会話で、ヴァルナルは理解し、二人はギルベルトに背を向けて走り出した。文字通りの逃走行為である。それもまた、ギルベルトの頭に血を上らせたようだ。


「待て、人間ども――神を愚弄した報い!! まだ、与えてはおらん!!」


 ギルベルトが叫び、追ってくる。こういうところは単純な思考回路をしていてくれて助かる。

 二人が向うのは、F地点と呼ばれている場所。簡単に言えば、非科学対策本部の面々が魔法使いとの荒事に発展した場合に備え、人目につかないように戦うために確保してある地点の一つである。あくまで彼らの使命は、魔法絡みの事件を『できるだけ人目に晒さずに』処理すること、なのだ。

 それぞれの地点は、廃棄されたビルだったり、塀に囲まれた空き家だったり、建設途中で建築会社が倒産してそのままになった建物だったり――そういう、人気がなく、暴れても誤魔化しやすい場所だ。F地点は、ここから走って五分も掛からないところにある、廃学校。近くに通学路があるのが少し気になるが、オルクスから聞いた死神レガートの最期を思えば、むやみやたらに一般人を人質にとったり殺したりすることはないはずだ。


 途中、飛んでくる風の刃をなんとかいなしながら、辿りつくは、古ぼけた学校のなれのはて。


 二人、校庭へと飛び込み、息を整える。

 人のいないコの字型の校舎が、周囲に聳え立つ。


「……ここを死に場所と決めたか?」


 ギルベルトが少し遅れ、グラウンドの土を踏みしめる。

 ヘンリーも、ヴァルナルも、覚悟は決めていた。死ぬ覚悟ではない。戦い、勝つ覚悟。


「死ぬ気はありませんよ」

「無論。筋肉は不死身だ」

「戯言を。死の運命は変わらぬ。オルクス、クラン、両名の定めも――加担する貴様らの定めもな!!」


 言葉と共に、ごう、とひときわ大きな風の音。

 ヴァルナルとヘンリーの視線の先――ギルベルトの銀髪が翻る。校庭の砂埃が舞い、魔力による竜巻がその姿を露わにする。それは二人に向けられた、まるでロボットアニメに出てくるドリルのような、風刃の渦。円錐螺旋状の先端、抉るための、殺傷のための刃が、こちらを向いている。

 数は四。時折蛇の如くのたうつ、人を飲み込む大きさの刃の螺旋。少しでも触れれば肉を削られ、直撃すれば――。


「腹に当たったら内臓採掘されますね……あれ」

「全くだ。というよりあの大きさだと、胴が二つに分かれるな」


 魔力を魔力で相殺したとしても、生き残れるかどうか。

 ヘンリーは息を呑んだ。一瞬でも迷えば、気を抜けば、間違えば、死ぬ。


「怖いか」

「正直」

「案ずるな。いつも通り、だ」

「……はい」


 隣にいるシャイな男は、笑う。彼は危機に瀕しては鋼のような精神を持つ。

 鼓動が落ちつく。そう、冷静に。

 怖くなどない。

 ビビリでも、戦わなければならない時はある。そのために、緊張しながら平静を保つ術は、磨いてきたのだ。


「創造主の生贄となり――首を捧げろ!!」


 ギルベルトの言葉に呼応し、四つの竜巻、言いかえれば風の蛇――その螺旋が、唸りを上げて二人へと迫る。地は無惨に削れ、空は轟々と鳴く。


「はあッ!!!」


 裂帛の気合と共に、ヴァルナルが竜巻を爆破する。しかし、一瞬拡散したかに見えた風は、また元のように螺旋を作り始める。


「……威力が足りん」

「ってことは、私、ですね」

「なんとか時間を稼ぐ。急げ!」


 ヴァルナルが、ヘンリーを庇うように前へ出た。ヘンリーは、普段の攻撃力こそお察しだが、この場、用意されたこの廃学校でなら、最大限の実力を発揮できる。

 庇うヴァルナルを抉らんと殺到する、竜巻。蛇蝎のごとく。

 対する筋肉まみれの足が、赤く輝く。彼の得意技は身体強化。炎の魔力を内なる――というか筋肉の力に変え、脚力、腕力、ボディービルダー力を極限まで引き出す。

 ばねのような足がたわむ。その体が跳ねた……一瞬で左へ。

 竜巻が追い縋る。ヴァルナルは前へ出た。ギルベルトを殴るため。


「馬鹿が。貴様から殺してやる!!!」


 後ろに竜巻。前に死神。

 真ん中に、筋肉の塊。


 ヴァルナルは直進する。攻撃は最大の防御。ギルベルトの脅威となることで全ての竜巻を己に引きつけているのだ。

 ヘンリーはこっそりと、自分のすべきことに着手する。向うは、プールのある方向。狙いに気付かれないように、じりじりと――加勢の機を窺うふりをして、そちらへと移動する。

 視界の先で、ヴァルナルがギルベルトへと吶喊。

 受け流そうと構えたギルベルト。が、二度同じ手は食わないとばかりに、二人の間で小さな爆発が弾けた。空気の流れは乱され、空間の主導権を、一瞬ヴァルナルが得る。赤熱した拳が、赤い暴力と化し。


「――」


 叩きこむ。

 咄嗟にギルベルトの腕が防御の姿勢を取った。そこに拳がめり込む。ヴァルナルの渾身の一撃。踏ん張った死神の足は耐えきれず、その体が低く宙を舞い、背中から落下する。しかし、その衝撃を風が和らげる。

 まだ、まだ、足りない。この死神を止めるには。

 更にもう一撃――ヴァルナルが踏み出す。しかしながら、そこで時間切れであった。


「後ろ!」


 ヘンリーが叫ぶ。

 背後の竜巻が追いついたのだ。ヴァルナルは咄嗟に振りかえり、爆破して風の勢いを削ぐ。それでも、爆風によって広がった風の刃が、皮膚を裂き、肉を断つ。血の赤が鮮明に吹き出すのが見える。……そして、ヴァルナルは膝をついた。


「……ふん。人間にしては、中々、やる」


 ギルベルトは、ヴァルナルの数歩前で腕を押さえて、立ちあがる。腕の一本は貰っただろう。しかし、その程度。創造主の狂信者は、涼しい顔で笑う。


「だが、ここまで――」


 ギルベルトの周囲にまた、竜巻が、刃の螺旋が。円錐の矛先が、ヴァルナルを睨む。

 もう、ヴァルナルには逃げられない。彼の肉体強化が幸いして致命傷にはなっていないが、大量の裂傷が、血まみれの身体が、それを物語る。

 しかし。

 ギルベルトは、動かなかった。

 それよりも重大な、対処すべき脅威に気がついたからだ。


 そう、ヘンリーである。


「終わるのは、お前だ!!」


 ギルベルトが見たのは、迫る大量の水。

 25mプール内のすべての水が、ヘンリーの支配下に置かれて集約され、そして――ヘンリーの弓引く動作と共に、それこそ矢の如き速さで、ギルベルト一人を狙う濁流となって襲い来る姿だった。

 ヘンリーの必殺技、水呼。一定範囲内の水全てを支配下に置く。水を作りだすのが得意ではない彼は、しかし、操作出来る水の絶対量なら誰にも負けないのだ。そしてそれを最大限活用するため、第一部隊が確保している首都の戦闘地点には、大量の水を支配下に置けるギミックが用意されている――例えばこのプールのように。

 ギルベルトの興味はもう、動けないヴァルナルから外れていた。人質になど取る暇もない。止めなければ止まらない。それは、そういうものだ。殺すための道具、刃の竜巻を、水に向かって叩きつける。全身全霊を持って、その水を止めんとする。だが。


「止められるもんですかぁっ!!!」


 高速で殺到する水は、竜巻を飲み込む。魔法と魔法の激しいぶつかり合い。加速による凄まじい面の圧力が、風を押し返し、吹き飛ばす。


「水禍虎砲――ッ!!!!」


 そして、ヘンリーの言葉に応じて更に速度を増したそれは、ギルベルトの身体に容赦なく追突。

 十数メートル先の廃校舎の正門に、その体を勢いよく叩きつけた。

 轟音が、響く。


 水は己の衝撃で飛散し、或いは校門の外へ、或いはグラウンドへ、ぽたぽたと降り注ぐ。ヘンリーは、その冷たさを浴びながら、一度大きく息を吐きだす。そして、校門を視界に収めながら、ヴァルナルのほうへと近付いた。

 まだ終わってはいない。


「大丈夫ですか、ヴァルナル……」

「なんとか。……やったのか?」

「やっては、いないと思います。手ごたえは、ありましたけれど……あの風を撃ち消した時に、こっちも、だいぶ相殺されました」

「……そうか」

「これで五分、くらいだといいんですけどねえ……」


 二人はお互いの状況を省みる。

 ヴァルナルは全身の傷が災いし、まともに戦闘が出来ない。

 ヘンリーはと言えば、外傷こそ軽いが、最初に体内に受けたダメージがここに来て響いて来ていた。その上、水は既に手の届かないところに飛んで行ったり、地面に吸収されたりしているため、あの威力はもう出せない。

 ギルベルトが相当ダメージを受けていてくれないと、絶望的だ。


 そのギルベルトはというと、膝をつき、動く様子を見せなかったが、しばらくして、ゆらりと立ち上がった。足取りはおぼつかないが、まだ魔力もあるようだ。ヘンリーは唇をかみしめる。


「……!」

「まだ立つか……!」


 二人を見る目は、狂気に歪んでいる。


「ひ、ふふ、あははははは!!! 認めよう、主への反逆者ども!!! 素晴らしい!! ああ、認めよう、お前たちは我々死神の脅威となるものよ。私は主の代理人として、速やかに、確実に……殺さねばならぬ!」


 二人は身構える。見た目には平気そうに見えるが、ダメージは受けているはずだ。そう言い聞かせながら。

 風の音。かまいたちがギルベルトの周囲を吹き荒れる。


「今の状態であれは喰らえませんね」

「同感」


 避けるしかない。

 だが。


「――ところでこの水、随分と、綺麗だな?」


 ギルベルトが、自分の髪についた水滴を払い、まるで世間話をするように、言った。


「え――?」

「なるほどこのために私をここへと誘き寄せたか。しかし、個人が咄嗟に仕込める罠ではあるまい。廃校舎にこんな綺麗な水の入ったプールがあるわけがない!!」

「……だから、なんだと言うのです」


 応じながら、……ヘンリーには分かってしまった。その言葉の意図するところが。


 ああ。

 殺される。




「創造主の御前である。さあ、答えよ。“貴様らの組織の名は”」




 ヴァルナルが隣で青ざめた。

 防衛省、非科学対策本部。その名を許可なく明かせるのは、隊長たる者だけ。即ち、第一部隊においてはティベリオのみ。この組織の存在は、国家機密だ。

 ギルベルトも恐らくは、ヘンリーとヴァルナルの所属する組織が秘密裏のものであると見抜き、この質問をしている。答えられないことが、分かっているのだ。


 答えなければ、どうなるか。

 二人は、不可避の体内ダメージを受ける。そして、次の風刃は、かわせなくなる。

 まず確実に、ここで死ぬ。


 では答えたら?

 規律だけの問題ではない。政府が関係していることが死神に広まれば、第一部隊だけではなく、なんの防衛手段もない政府の要人が、主への反逆者として殺される可能性がある。メイラのような被害者が、複数出る。国が大混乱になる。


 答えられるわけがない。

 だが、この距離から、時間切れまでに死神を仕留める方法も、ない。


「……ヴァルナル」

「なんだ」

「今まで、ありがとう」

「………ああ」


 二人の心は、決まっていた。

 戦場での死など、いつだって覚悟はしていたことだ。


「時間切れだ」


 無慈悲な言葉と共に、二人を襲う衝撃。

 そして、痛みに呻き、回避もままならない二人を、風の刃が襲い、直撃する。


 ……はず、だった。

 ヘンリーとヴァルナルは目を見張った。風の刃は止まっていた。一瞬で生成された氷の厚い壁が受け止めたのだ。役割を果たしたその壁はひび割れ、即座に砕け散る。がらがらと。そして。




「お待たせ! ごめんよ、待った?」




 その場の雰囲気とは百八十度違う、彼女との待ち合わせに来ました、みたいな声が聞こえてくる。足音は、背後から。校舎の裏門から入って来たらしい。

 見るまでもない、聞けば分かった。ヘンリーは、全身の力が抜けるのを感じる。


「選手交代……ですね。待って、ました、よ……」

「……頼む、ぞ」


 ヘンリーとヴァルナルの横を、二つの人影が通り過ぎる。

 そして、死神に相対し、ヘンリーたちを庇うように立つ。


「……貴様らは」

「知ってんだろ? クラン・クライン。てめえら死神のターゲットだよ」

「おまけはこの俺、シャハール・フェリエ! 悪いけど、可愛い弟子たちのためだ。介入させてもらうよ」


 戦況は、またひっくり返る。




***




「さあて、どうしてくれようか」

「俺がやる。……シャハール、援護を」

「はははは、自信家な馬鹿弟子だねえ! いいよ。君の憂いは、俺が全て除こう」


 クランは一歩進み出る。


「人間風情が……舐めた口を。何人よってたかろうと、私を倒すことなど、叶わんぞ」

「それはどうかな。いくら強がっても、随分とこいつらに消耗させられてるじゃねえの」


 ギルベルトは何も言わなかった。否定しないということが、雄弁に肯定を物語る。


「お二人とも、気をつけてください。彼は、第三位……ギルベルト・カイネスヴェークス。嘘をついた者にダメージを与える能力があります。もう一つは、まだ、不明です」

「なるほど。二つ目の能力が、戦闘用だったら……ひっくり返される可能性もあるねえ」

「さあ……て。だが、そうでなければ、押し切れる」

「ふふ。それでいこう、能力を知る方法なんてないんだろ?」

「そういうこと」


 シャハールの許可を得て、クランは、心を決めた。

 第三位が相手なら、出し惜しみは厳禁。何を持っても、倒す。それならば、切り札は即切ってしまえばいい。幸いにも頼れる師匠も背後にいる。


 髪留めを取る。

 握る。


「んじゃ、いくぜ。――解錠≪アンロック≫」


 無造作に発する解放の言葉。それと共に、彼の髪が赤く、赤く染まる。身体の構成が魔力に変わる。彼の切り札、シャハールいわく、『身体を炎で構成する祈魔法』――。

 それは火の化身。

 如何なる傷も、彼がイメージする通りの彼に再生され、なかったことになる。魔力が尽きるまで続く、超強力な再生魔法とでも言い換えようか。


「な……、っ……!?」


 ギルベルトが目を見張る。そしてその意味を理解したのか、苦い顔で、じりと、後退した。


「行くぜ。止めてみな」


 クランが飛びだす。

 当然、ギルベルトが風の刃を放つ。鋭利なそれは、魔法としての精密さ、威力、速度、どれをとってもクランに勝ち目がないレベルの素晴らしい魔法だ。突っ込んでいくクランの足を正確に狩る。

 だからなんだ。

 そんなもの、再生してしまえばいいだけだ。


 クランの考えは単純明快にごり押しである。そしてこの場においては、その選択こそがギルベルトを最も追いつめるものであった。

 もし、ヘンリーとヴァルナルが彼の魔力を消耗させていなかったら、体力を削っていなかったら。この死神は万全であれば、解錠したクランをも圧倒することが出来た筈だ。しかし、今の彼には出来ない。クランを狩りきるだけのリソースが、ない。


 クランはそれを察したからこそ、解錠を選んだ。


「援護、行こうか。さあ――死神さん! 鍛え上げた人間の技、とくとご覧あれ!」


 シャハールがクランの背後で笑う。そして、その軽い笑みとは裏腹に――ギルベルトを囲うように、分厚い氷壁が出現する。彼お得意の遠隔魔法。しかも、発動速度が尋常じゃなく速い。


「ちっ!!」


 発動前に脱出することなど、叶わなかった。ギルベルトは、止むなく風魔法で壁を破壊する。刃の一撃に氷は砕け散り、道は開けた。しかしながら、それはクランに対して隙を作ったも同然であった。再生を強いることで彼の足を止め続けなければ、危険な爆弾を近づけてしまうというのに。

 まだ遠隔魔法などとは縁がないクラン。ここぞとばかりに正門前のギルベルトへと接近し。


「爆ぜろォ!!!」


 解錠による溢れんばかりの魔力を贅沢に使い、巨大な爆発を、放つ。


 が、相手もさるもの。クランを近づけないことには失敗したが、風をクランに向って叩きこむことは出来る。また、ヘンリーやヴァルナルにそうしたように、螺旋状の風刃をクランへと捻じ込む。


「――ッ!!!」


 至近距離での魔力のぶつかり合いは、それだけで危険な破裂を引き起こした。熱と、刃と。お互いにお互いの暴走した魔力を受ける。二つの身体が軽く宙を舞う。


「っと、クラン! まだいけるよねえ!!」


 シャハールがそこで、無茶ぶりをした。

 ヘンリーやシャハールたちの方へ吹っ飛ぶクランの体を、氷の槌で、思いっきり撃ち返したのだ。野球のバッターの要領で、クランに向って容赦のないフルスイングを決め、来た方向へと跳ね返す。

 およそ人間に対する扱いではない、が。


「――、ふ」


 嬉しくて、笑った。

 氷に衝突したことによる痛みも、傷も、爆発でボロボロになった身体も、全て再生した中で。シャハールのそれは、最高の心遣いだと、援護だと、思った。

 体勢を立て直そうとしたギルベルトが、目を丸くした。まさか、ピンボールのようにクランが跳ね返って戻ってくるとは思わなかっただろう。

 地面に足がつく。その傍から、折れる。凄まじい勢いで地面を擦ったのだ。気にしない。手をついて、みしり、軋む――飛び込むように前転、地面を蹴って、勢いのままに前へ跳躍。


 終わりだ。

 そう言う暇すら、なかった。

 炎を身に纏い、勢いづいた、右ストレート。


「っ、は……!!!」


 腹に突き刺さったそれが、ギルベルトの身体を焼き、骨を砕き、五臓六腑を破壊する。

 確かな手ごたえ。彼の身体をぼろ雑巾のように地面に叩きつけ、それでも止まらずに、廃学校の門にぶつかってようやく止まりながら、クランは、満ち足りた気分で視線をギルベルトへと向けた。

 明らかな、一撃必殺だった。


「す、凄い……何、今の」


 ヘンリーが、唖然として言った。

 ギルベルトは、動かない。流石にこれで死んでいないということはあるまい。クランの再生能力も、無茶ぶりのせいで殆ど尽きていた。最後の再生を使い切ると、茶髪に戻った髪を揺らし、ギルベルトの横を通り、シャハールの方へ戻る。


「いやあ、お疲れ様。流石だよ、見込んだ通り!」

「……くくっ。最高だった」

「あの、クランさん? その力は、一体……」


 シャハールがヘンリーの疑問に、何故か我がことのように自慢げに説明する。


「これが彼の祈魔法さ。いやあ、俺もあそこまで使いこなしてるとは思わなかったけど!」

「……あれが。祈魔法、ですか。昨日も不思議な力……祈魔法らしきものを、見ましたが……一つ一つ、全然違うのですね……」

「効果は本当に人それぞれだからね」

「存在している、のか。死神の能力だと思っていたが……違ったのだな……。確かに、火の魔法というには……あの再生力は、おかしい」


 二人の反応を聞きながら、クランは頭を掻いた。


「そうらしいな。俺は、自分の魔法がおかしいなんて、シャハールに言われるまで気付かなかったんだけど」

「……そんなものですかね」

「おう。ま、とりあえず……奴は倒れた。あとは、オルクスが魂を刈れば終わりだ」


 そう言って、伸びをする。二人が踏ん張っていてくれたおかげで、随分と楽な戦いだった。


「そういえば、オルクスさんは?」

「ああ、シャーリィが探してる。シャハールが大体の位置を教えてあるから、そのうち連れてくるはずだ」

「そうですか。なら、安心ですね」


 ヘンリーが息を吐きだす。

 終わった。その気持ちが、全員を脱力させた。クランもこの時ばかりは、同じだった。ギルベルトの肉体は確かに死んだのだ。闘気も殺意も消えたのを確認した。


 はずだった。





「ッ!?」

「――危ない!!!!」




 クランが反応したのと、シャハールの声とは同時だった。

 シャハールが咄嗟に氷の壁を作りだした。と同時に、黒い何か、得体の知れない棘が、氷に無数に突き刺さる。


「ふ、うっ……。なんなんだろうね、全く!!!」


 彼が悪態をついたその時には、クランも、ヘンリーたちも、事態を把握していた。

 ギルベルトの、鼓動を止めたはずの肉体から、黒い霧のような何かが溢れているのだ。殺意、害意、悪意――そういう敵対心を纏めて詰め込んだような。暴力的で破壊的な何か。それが実体と化し、こちらを見ている。


「おい、どういうことだよ。確かに、殺したのに!」


 思わずクランも叫んでいた。さっき完全に沈黙したはずのギルベルトに、何故このようなことが出来るのか。


「……まさ、か。二つ目の、能力」


 ヘンリーが、愕然として呟く。


「なんだと……?」

「二つ目の能力は、戦闘向けではないのだと、思っていました。でも、違ったのだとしたら。もし……それが……“死ぬことにより発動する能力”だとしたら」

「可能性はあるね。祈魔法にも、死んだ後蘇生する、みたいな能力が存在したし、肉体の死によって止まらない能力が存在してもおかしくはない」

「そんなの……ありか。全く、反則だっての!」


 クランの切り札はもう、切り終わっている。この中で万全のスペックを発揮できるのは、シャハール一人。流石のシャハールも、苦笑いを浮かべる。


「こうなるとは思わなかったなあ。クラン、まだいける?」

「ふ、ははは!! 勿論。死ぬまで、死なねえから、俺」

「いい覚悟だ。それでは、足掻いてみるとしようか。……あの霧、人体が触れると何が起こるか分からない。出来るだけ、距離を保つよ」

「分かった」


 と、クランの後ろでヘンリーとヴァルナルも、立ち上がった。

 かなりおぼつかない様子だが、それでも、逃げるためではなく戦うためなのは直ぐに分かった。


「……お前ら、大丈夫なのか?」

「あはは、少し休憩も貰いましたし。……足手まといには、なりませんよ」

「痛みなど、筋肉の前では霞むものよ」


 頼もしい。

 クランは、まるで普通の青年のように笑った。


「そうか。んじゃ、頼むわ」

「無理しちゃダメだよ、二人とも」


 シャハールの言葉はお母さんのようである。

 まだ闘志の潰えぬ四人を見て、黒い霧は不快そうにゆらゆらと蠢く。その害意が肌を刺す。戦力が消耗しきっているこの状態、それでもクランは笑っていられた。楽しい。まだ生きている。まだ戦える。


 戦況は二転し、終幕へ向う。



(第十二話 了)

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