吹き飛ぶクレープと死神と不良
作りたてのクレープ、ほんと美味しい。
シャハールの家は広い。片付けを終えた家の中は綺麗さっぱり、清潔感と解放感にあふれていた。そして当然の如くとっくに陽は沈み、当たりは暗い静寂に包まれていた。
……で、こんな夜から魔法レクチャーを始めるわけにもいかないので、シャハールに勧められ、三人はこの家に泊まることになった。使われていない二階の一部屋にオルクスとクラン、本だらけの部屋にシャーリィ、ちょっと古い布団で眠った。
朝、クランが目覚めると、シャハールは既に朝食の準備をしていた。手慣れた様子で、しかしかなり適当に、パンを焼いてジャムを塗っていく。
「ああ、おはよう。そこに座って」
「ん」
オルクスとシャーリィはもう起きており、シャハールの手伝いをしていた。シャーリィが緑茶を運んでくる。クランは何一つやる気なく、テーブルに座った。
「あはは、君は何もやる気なしかい」
「俺がなにかしたってパンが焦げるだけだぞ」
生活能力0。屑の見本のような発言であった。
「そりゃそうか」
「でしたら皿でも用意なさい!!!」
シャハールはけらけら笑い、その横でシャーリィがぴしゃり。クランはしぶしぶ立ち上がると、皿の用意を始めた。一番付き合いの長いオルクスは、諦めたように優しい目でクランを眺めており、正直その視線が一番痛い。
こうして用意された四人分の朝食を、皆でいただく。その朝食の席で、シャハールが言った。
「とりあえず、食べ終わって食休みしたら、クランとオルクス、君たちは俺と手合わせね」
「……あんたと?」
「うん。まずは君たちがどれくらい魔法を使いこなしているのか、見てみないと」
「分かった」
クランは疼く身体を抑え、頷いた。ティベリオが言っていた、最強の魔導師。その実力が見られると言うのなら、願ったり叶ったりだ。
しかし一方で、オルクスは冴えない顔だ。
「え、僕もなの? ううー、緊張しちゃうな」
「君も戦うんじゃないのかい?」
「僕は……その」
クランはオルクスを見た。彼は戦うのが好きではない。そういう道を選んで割り切っていても、やっぱり戦いが嫌いなことは変わっていない。
「無理にとは言わないけれど……君も、強くなりたいんだろう?」
「それは、うん。……クランにも負けないくらい強くなって、クランの足を引っ張らないようになりたい。僕の為に戦ってくれているのに……僕が弱いのは、申し訳ないよ」
「そうか……そのためには、まずは君の可能性を見てみなくてはね」
「……うん」
オルクスは、控えめながら頷く。
クランは彼が戦えなくとも、力がなくとも、態度を変える気も護衛を辞める気もない。寧ろ、こうしてクランに出逢い、狂っている危険な爆弾と知っても共に相棒として歩んでくれる、それだけで彼は強いと思っている。……だけど、そう言ったところでオルクスが安心するわけではないだろう。
だからクランは何も言わなかった。代わりにパンを咀嚼し、卵スープを喉に流し込んだ。
「ごちそうさま」
「クラン! 自分の分は、洗いなさいな!」
「わーったよ! うるせえな!!!」
シャーリィにまたひっぱたかれる形で、クランは皿洗いを始めたのであった。
***
「さーてと!」
広い庭で、まずはクランとシャハールが向き合う。
「戦うといっても、力量を見るだけだからね。出来れば色んなことを試してみてくれるかな」
「分かった」
……分かっていないが。
シャハールはティベリオの言った、当代最高の魔法使い。ここでその実力を拝まずして、いつ拝むと言うのか。クランはにやりと笑みを浮かべ……紅の翼を生やすと、一気にシャハールに向かって吶喊する。
「なるほど、速い」
シャハールが呟く。そして何の予備動作もなしに、氷の盾が次から次へとクランを阻む。しかし、その程度なら、ギデオンにだって散々やられてきたことだ。
「――ッああああ!!!」
裂帛の気合と共に、炎の拳が氷の壁を撃ち砕く。氷が無くなり、目の前にシャハールを認識した瞬間、クランは火球を生成。一切の容赦もなく、投げつける。
「うんうん――」
シャハールは余裕そのもの。クランの動作から何かを確かめるように頷くと、いとも容易く火球を相殺する。動作に無駄がないというより、魔法に動作を必要としない、といった具合だ。そして。
「これは、どうかな」
再び動こうとしたクランは、不意に、後ろから腕を引っ張られて強制的に立ち止まった。振り向く。その腕には、氷の鎖が絡みついている。
「っ、なんだ、これ……!?」
氷の鎖を握るは、巨大な人型の氷。それが量産されていく。
凄まじい早さ、そして精確さ。あまりのことに、クランは目を見張った。そうしていた時間も一瞬であるが――次の瞬間にはクランは氷の鎖に全身を絡め取られ、氷の彫像達に引っ張られ、指先くらいしか動かせなくなっていた。
自爆しかないか。即断する。このくらいの修羅場ならいつだってくぐってきたのだから。
しかし。
「あ、こらクラン。自爆はダメだ」
「……!」
クランが自爆しようとしたのを見るや、シャハールは魔法を全て解いた。氷の巨人と鎖が崩れて消え、クランの身体は自由になる。勝ち逃げされた気分になったクランは、子供のようにくってかかった。
「なんでだよっ」
「え、これから修行って時に、怪我して貰っちゃ困るし」
「でも、俺の戦い方を見せろって言っただろ。こんなちょっとのやりとりで、何か分かったのかよ」
すると、シャハールはにーっこりと笑う。満面の笑みだ。
「勿論。二つほど」
「……!」
「一つは、君の赤い翼についてだ」
クランは思わず、自分の背中に生える翼をぴくりと動かす。
「これが、何か……?」
「うん。それは炎魔法の延長に見えるけど、違う。『祈魔法』って知ってる?」
「……き、まほう?」
オルクスが復唱する。
「まあ、知らないよね。物凄く貴重な魔法だ。祈る魔法と書いて祈魔法。これは――その人の望みによって授けられる、特殊な魔法なんだよ」
「……!」
「心当たりがあるようだね、クラン。話を聞かせてほしいな、こうして祈魔法を使える人間に巡り合うのは久しぶりだ」
「あ、ああ。心当たりっていうか……俺のこれは、確かに、崖から落ちた時に突然使えるようになった魔法だ」
「なるほど。君は祈ったんだね。飛びたいと」
シャハールは頷き、一様に「わけがわからない」という顔の三人に向かって、ゆっくりと説明する。
「そもそもこの世界の魔法の中でも、人間が使える属性は四種に大別される。火、水、風、土。そして、物にのみ宿る、空間、時間。確認されている魔法はこの六種で大体表すことが出来る。だけどね、俺は色々と魔法使いに会い、調査をするうちに、気付いたんだ。この世界には六つでは説明できない、謎の魔法が存在する」
「それが、祈魔法……ってことか」
「でも、お待ちになって。魔法の属性なんて具体的な論理があって六種に分けているんじゃなくて、こう分ければ説明出来るから、っていう後付けでしょう? 人間のした分類が間違っていた、というだけのことではないのかしら?」
シャーリィの疑問は尤もだ。シャハールにとっても想定質問であったようで、答えは淀みない。
「いいや、違うね。その特殊な魔法が、一番特殊たる所以は、『習得方法』だ」
クランは、さっきの彼の言葉を思い出す。
「望みによって習得する魔法……」
「そう。修練でもなく、知識でもなく。ましてやこの祈魔法、一切魔法が使えないような微弱な魔力の一般人にも覚醒しうる」
ふとクランは、それを聞いてシャーリィを見た。しかし彼女は平然としており、祈魔法を望んでいる様子もなかった。彼女は、庇護対象に甘んじ、ただ戦う者を信じることしかできない立場にいる覚悟を、もうとっくに決めているのだろう。
「……でも、シャハール、俺の翼が祈魔法だからって、それがなんだってんだ? 俺が強くなる助けになるのか?」
「うん、実を言うとそうでもない。というかね、祈魔法は一人一つなんだよねー基本的に。だから、君の伸びしろは一つ断たれている」
「えーーーー!?」
「わあ」
「悲しいですわね」
クランの悲痛な叫びと、見守る仲間たち。
翼は確かに大好きだ。これがあるから生きてこられたと言えるし、空間の制約から自由になれるこの能力、気にいっている。しかし、一生に一つだけ手に入る強い願いの力がもう使われているというのは、残念というほかない。
「覚醒してるだけでも凄いんだから、誇っていいと思うけどなあ。俺はないし」
「……え、シャハールはないのか」
「うん。俺は日常で満足しちゃうからかな。これだけ魔法に熟達していても、自分では発現できていないんだ。ちょっと悔しいよ」
少し寂しそうな表情で、シャハールは何処か遠くを見つめた。しかし直ぐに視線を戻す。
「っと、それはそうと。君のそれは、もう覚醒済みだから増えることはない、が……応用力を伸ばしていくことは出来る。俺が見立てた限り、君のそれは、翼を生やすだけの能力じゃない。結果的に翼を生やせているだけで」
「……どういうことだ。えーっと、つまり、他のことにも使える力なのか?」
「そうそう! 君のそれはね。『炎の魔力を身体器官に変換する能力』に見える」
「……!!!」
これは、心当たりがある、というレベルではない。
「クラン、それって……!」
「ああ。あれだ」
「………解錠」
三人は視線を交わし、頷いた。
解錠。クランの大技であり、溜めこんでいた魔力を体内に逆流させることによって、その体を魔力体に変換する魔法。あれが、炎の魔力と身体器官の相互変換の応用だとすれば、説明がつく。
「その様子だと、既に応用も持っているようだね。ただ、知っておくのは悪いことじゃない。例えば君は、炎の魔力で腕をもう一本作ることや、目や耳と言った感覚器官を増やすことも可能だということだ。或いは骨を生成したりとかも出来るかも。その辺は、君の戦い方のヒントになるんじゃないかな」
「っ……!! そうか、そういうことも――!!」
今までクランは、炎の魔力で身体を形作れるという異能……シャハールいわく、祈魔法を、身体の再生、即ち欠損を補うことにしか使って来なかった。
新たな世界が開けた気がした。ぞくぞく、と背筋が粟立つ。
「これで祈魔法の話は終わりだ。それから、もう一つ」
そしてシャハールは、高揚感に胸を躍らすクランを見て、そのままの調子で告げる。
「君の弱点も、見つけた」
「!?」
「え、シャハールおにーさん! 今ので!?」
見ていたオルクスも驚いた様子で声を漏らす。
クランも信じられなかった。たったあれだけのやりとりで、シャハールは何を見つけたのだろう。
二人の様子を交互に見て、シャハールはたっぷりと間を置いた。そして明確に効果的に焦らしたあと、腰に手をやり、わざとらしく偉ぶって。
「簡単さ。クラン、君は遠隔魔法が使えない」
その一言で。クランは、口を開けて静止した。
「あっ……」
出来ないものだから、出来ないことにして、今までやってきてしまったこと。
「嘘でしょ!? え!? クラン、あれだけ火の魔力とシンクロしてるのに、遠隔魔法使ったことないの!? 嘘だ……絶対嘘だ、使ったことあるに決まって………、あ……れ?」
オルクスも、記憶を辿って、目をぱちくりと、何度も開閉させる。
無論有るわけがない。クラン自身は知っている。使えないのだ、それは。
「ちょ、ちょっとお待ちになって。“遠隔魔法”って、なんですの?」
話についていけないシャーリィが割り込む。オルクスが答えた。
「遠隔魔法っていうのは、手元じゃないところで魔法の効果を発生させることだよ。例えば、さっきシャハールおにーさんがやっていたように、敵の背後に氷の彫像を作りだしたりとか……」
「そう。いうなれば、こういうことだ」
シャハールが、手を翳す。すると、シャーリィの肩に前触れなく小さな氷の花が、ことりと着地した。シャーリィがそれを優しく手で掴み。
「……なんとなく、わかりましたわ。そういう魔法なら、私も結構目にしたことがありますの。普通のことかと思っていましたけれど」
「まあ、出来る人はすんなり出来ちゃうタイプの魔法だね。逆に出来ない人は本当に苦労する。クランは後者だ。しかも、炎魔法そのものは手足のように使えるものだから、自爆とか火球を投げるとか、そういう方法で全部対処できてしまった。だから、独学では覚える機会がなかった。違うかい?」
「……ああ。でも、どうしてそれを」
「簡単さ。鎖で身動きが取れなくなった時、普通は鎖を爆破する。でも君は、自然に自爆を選んだ。それは、遠隔魔法が使えないものとして、選択肢の外へ追いやってしまった動作だ」
「……」
あの攻撃は、それを見るためのものだったのか。
クランは、自分の手に目を落とした。彼は魔法の遠隔操作、遠隔発動が、シャハールの言う通り、全く使えない。
「てっきり僕は、クランがスリルジャンキーだからかと思ってた。じゃあ、クランは、遠隔魔法が使えないからこういう性格になったのかな」
オルクスが、黙ったクランと入れ変わりにそう言った。すると、うーん、とシャハールが唸って。
「俺は逆だと思う。スリルジャンキーでなければ、クランは、炎の魔法使いにはなれなかったんじゃないかな」
「なれなかった……」
「炎の魔法と言うのは、危ない。風、土、水と違い、炎は触れただけで人体に影響を与えるものだ。即ち、本来は一番遠隔魔法として使わなければならない属性なんだ。君がスリルジャンキーでなかったら、魔法使いになること自体が難しかったと思う」
「……そうかもしれないな」
クランは、頷いた。
恐らくは彼の推測は正しい。生死を彷徨うことを好むどうしようもない戦闘狂だったクランは、遠隔魔法が使用できないハンデをハンデとも思ったことがなかった。自爆ですら嬉々として行っていたのだ。
「そういう意味では、遠隔魔法を使わない君のスタイルは、ある意味君の性格にはぴったりだと言える。戦意高揚のために、敢えてそういう自爆戦術を使うことは、止めないよ。だけど、選択肢として、遠隔魔法は覚えておいて損はないんじゃないかな?」
「……ああ、あんたの言うことは、正しい。だけど現実的に、俺は遠隔魔法を覚えられるのか? 小さいころ試したことはあるが、全く感覚は掴めなかった」
「勿論だ。君が覚えたいと願うのなら、君の伸びしろは、まだここにあるよ。掴むためのコツは、俺が、教えよう」
だったら、覚えられるのなら、願ってもないことだ。
今必要なのは、『死に掛けるために、生き続けること』――アダムと、互角以上に戦える力。それが手に入るのなら、今までの戦法など、どぶにでも捨ててしまえ。クランの答えは、即断であった。
「それなら、教えてくれ!」
「うん、分かった。君は俺が、責任を持って面倒を見よう」
満足気に微笑んだ、先生然としたシャハールは、続いてオルクスへと向き直る。
「さて、次は君なんだけど……」
オルクスが、身構えた。また、クランの時と同様に戦えと言われると考えたのだろう。しかし、シャハールの言葉は全く違った。
「君には、最初にいくらか質問をさせてほしい」
「え? うん」
「君は、強くなりたいかい」
「なりたい」
「どうして?」
「……クランの足を引っ張らないため」
「君は今、クランの足を引っ張っていると思うのかい」
「……うん」
「だから、本当は、戦いが好きではない、得意ではないのに、クランのために強くなりたいと。そう望むんだね」
「……」
オルクスの表情が、翳る。
「ではオルクス。クランは君に、何を望んでいると思う?」
「……僕の、強さ。一緒に並んで戦える強さ」
「本当に、そうだろうか」
クランは、堪え切れずに何か言おうとした。しかし、シャハールが視線で遮る。
「クランが君に求めているものは、何か。まずは、それを考えるんだ。君が本当にクランの役に立ちたいと思っているのなら、少しの間足を止めて、彼の背中ばかり追いかけないで。どうか、ゆっくりと、周りを見て、自分の頭で考えて御覧」
「………」
「三日、あげよう。三日間、イーヴァリドで過ごしておいで。そして、そのあと答えを聞かせてほしい。もう一度、さっきの答えを」
言葉は穏やかながらも、シャハールの態度には、有無を言わせぬ空気があった。オルクスは不服そうだったが、やがて、静かに頷いた。
「分かった……、やってみる」
シャハールは、彼の頭を優しく撫でる。宥めるように。
「楽しみにしてるよ」
クランは最後まで何も口を出さなかった。心のどこかで、今シャハールのやっていることが間違っていないと、思っていたからなのかもしれない。
***
オルクスは、三日分の荷物と銭を持ち、直ぐにシャハールの家を出た。クランとシャーリィが口を開いたのは、木製の扉がばたんと閉まって、静寂の中、息を一度吐きだした後だった。
「……シャハール。あれは、どういうことだよ」
「どういうこともなにも。あの子は、分かっていないんだよ。君との実力差をずっと気に病んでいる。でも、彼が辿りつくべきところは、そこじゃないんだ」
「よくまあ、一日でそんなこと、分かったな」
「ははは。伊達に育成係をやっていたわけじゃないんだ。それに、朝食の時のオルクスのあの反応……彼が自分の才能に気づいてないのは、一目瞭然だったからねー」
「才能……?」
「ふふん。秘密!」
シャハールはにやにやと笑う。この意地悪な笑顔は、何を言っても教えてくれそうにないので、諦めることにした。会話を聞いていたシャーリィは、心配そうに眉を寄せる。
「貴方がオルクスに試練を課すのは構いませんけれど、あの子は私と同様に、追われる身ですわ。危ないのではないかしら……」
「ああ、それなら安心してよ。ティベリオ達に連絡して、こっそり護衛をやってもらうから。それと、俺の方でも一応こういうのはつけてる」
そう言って指を振ると、その先端から小さな氷の鳥が現れる。
「こいつはオルクスの周囲を飛び回り、強大な魔力放出反応を感知するとこちらに場所を知らせてくれるようになってるんだよ。だから、交戦した場合は直ぐに場所が分かる。直ぐに周囲の第一部隊の面々を急行させるさ」
「それなら、一応は安心か……。にしてもすげえな。遠隔魔法ってそんなことも出来るのか……」
「そ。ね、夢が広がるでしょ?」
「ああ。ちょっとわくわくしてきた」
少し高揚した様子のクランを見て、シャハールは微笑む。
「うんうん。貪欲なのはいいことだ。っと、そうだそうだ。今一度、ご本人様に答えを伺おう」
「答え?」
「そう。クラン。君はオルクスに、何を望む?」
考えるまでもない。
クランは応えた。
「俺はオルクスに――――を望む」
オルクスにしてほしいこと。そんなのはたった一つだ。本当に簡単なことだ。
「ああ、そうだろうね。……オルクスが、それを、理解して帰って来てくれることを、期待しようじゃないか。さ、クラン! 君は君で、遠隔魔法の練習だよ!」
シャハールは笑顔で一つ、手を叩き、家の中へと入っていく。
立ち止まったままのクランは、ふと、ひんやりとした感触に身を竦ませた。見ればシャーリィが、氷の花を揺らす。それをクランの頬に押しつけたらしい。
「……なんだよ」
「いいえ。ねえ……もしかして、後悔、なさってる?」
「何をだ」
「オルクスに、今まで、自分の気持ちを伝えていなかったこと」
「んなことか。してない」
即答。
「あら、意外」
「口下手なんだよ、俺は。何を言っても、伝わったかどうか」
「……きっと、何も言わないよりは伝わったと思いますけれど」
「だとしてもだ。俺の素直な気持ちを、あまさず伝えるには、きっと、口に出さないほうがいい」
「どうかしらね」
シャーリィはくすっと笑うと、室内に戻っていく。
クランも従った。オルクスの歩いていった方向を、一度振り返ったあとに。
***
召集は大体突然かかる。
死神が一般に使用する、黒い水晶で出来た通信用魔導具は、今日もその通知の役目を果たして誇らしげだ。死神の歪城、上層にて、第三位の死神ララベルは片付けていた書類を放り投げると、直ぐにそれに応じて己の執務室を出た。面白いことを命じてもらえるといいのだが。
場所はいつも決まっている。開かずの間、と呼ばれる、主に第一位の死神ファラリスと第三位たちが集まる会議場。その名前の所以は簡単で、ファラリスが背にしている扉は創造主の居場所に続いており、ファラリス以外が開けることが出来ないからである。
ファラリス・オーバーロードはその日も扉を守るように仁王立ちして、第三位の全員が集まるのを待っていた。
「ララベルか」
「はい。ララベル・オーガ、参りました。ご用件は」
「全員集まってからにしよう」
見回すと、ファラリスのほかに、既にイスカ・コーネルは膝をついて静かに待っていた。アダムとギルベルトの二人が来ていないようだ。ギルベルトはともかく、アダムの遅刻理由はいつも一つ。
「あの人はまた胃痛かしら」
「でしょうね」
イスカの隣で同様に膝をつきつつ、ララベルが言うと、僅かに唇だけ動かしてイスカが答えた。結局アダムが来たのはそれから五分後。いつものことなので、ファラリスも、もう慣れっこで何も言わない。
残りはギルベルト。彼は物凄く早く来る時もあれば遅れることもあるので、ララベルにもいつ現れるか判断がつかない。いつまで待てばいいのか分からないのは、中々精神的には面白くない。
とはいえそんな時間も直ぐに終わった。やはりその五分後、第三位最後の一人、ギルベルト・カイネスヴェークスは、飛び込むように現れたかと思うと、ファラリスの前に華麗なスライディング土下座を決めた。
「おお!!! 主の代理人よ!!! 時を誤った我が身を許したまえ!!!! これは決して反逆にあらず、謀反にあらず、憎しは大罪人、その裁きに長い時を要し――」
「分かった! もういい!!」
ファラリスに一喝されると、ギルベルトはしぶしぶ、アダムの隣に座る。
「……やあ、ギルベルト。久しぶりじゃないか」
律儀にアダムがそう声を掛けた、が、ギルベルトは声の主を一瞥すると、何も言わずにふいと視線を逸らした。
アダムとイスカ、ララベルは、ばれない様に視線だけ交わし、小さな小さな――しかし万感を込めた――ため息をつく。
皮肉や嫌味を込めて『狂信者』と呼ばれる、ギルベルト・カイネスヴェークス。ある意味全員が狂信者であるこの死神の中にいてなお、多数の死神からそう揶揄されるのには、理由がある。
彼は、創造主、そして第一位および第二位の死神にのみ言葉を尽くして臣従し、それ以外の人とは全く交流しようとしないのである。
アダム、ララベル、イスカという同僚三人に対しても、同じであった。必要最低限の仕事上の会話を除けば、挨拶の一つすら交わしてくれたことがないというありさま。仕事はきちんとこなすから性質が悪く、無碍には扱えないが話は通じないという、第三位内随一の問題児である。
第三位たちが集まって愚痴や世間話をする時も、彼だけがいないのは、これが理由であった。
「さて」
ファラリスが話し始めると、全員の注目が集まった。
ファラリスの容姿は独特だ。痩せた身体に、いつもどこかしら跳ねている癖っ毛。眼鏡を掛けた姿は、インドア派という言葉が良く似合う。聞くところによると第一位というのは、何らかの形で死ぬまで永久に位を降りることのない特別な死神だというが、その死神の姿が何故こうも不健康な感じなのかは、ララベルの長年の疑問である。
その彼の口から、冷めた声音の言葉が発される。
「……今日、諸君らを呼んだのは、ほかでもない。創造主様の頭を悩ませる、反逆者のことだ」
「オルクスとクランかね」
「ああ」
ファラリスはちらりとアダムを見て、頷く。
彼の冷徹な視線には一分の歪みもない。彼が悩んでいるとか言っても全く信憑性がないのが悲しいところ。
「奴らの力は最早無視し難い。第七位、ギデオン。第五位、レガート・フォルティ。前者は七位ながら戦闘力では飛びぬけており、後者は戦闘特化ではないとはいえ堅実に仕事をこなしてきた。この二人が倒されたとあっては、第三位が出るよりほかにない、と私は考えている」
「……一つ宜しいですか、ファラリス様。第四位にも討伐への志願者がおりますが」
「彼らの気持ちも分かるが、今は確実に始末をつけることこそ重要だ。お前たち第三位が忙しいことも重々承知だ。しかし、長引かせてはさらに業務に差し支えが出る。お前たちの誰かがケリをつけろ」
それは、少なくともアダム、ララベル、イスカにとって、待ち望んだ言葉であった。
第三位が出なければ被害が拡大する。それは三人の共通の見解であったのだ。
「異論はあるか?」
「いいえ、ありません」
「無論、ない」
「ありませんわね」
これで、ようやく終わる。
「では誰が向うか、だが……」
ララベルはアダムを盗み見た。一番確実で安全なのは彼だろう。こと戦闘に関して、アダムの右に出る者はいない。案の定アダムも、名乗り出ようとした。しかし。
「主の代理人よ!! それならば、是非この私めを!!!」
ギルベルトの志願の方が、僅かに早かった。
「お前が行くか。勝算はあるな?」
「無論!! 我が能力は死をも超越する信仰の力。主に逆らう者などに、どうして負けましょうや!!」
「……ふむ。まあ、お前の能力に万が一もないとは思うが」
ファラリスは、そう言ってから、承諾を求めるように他の第三位を見た。
アダムは口を閉じた。出来れば自分でやりたい、という表情をしていたものの、ギルベルトの力を知る以上、特に否を唱える理由もないようだった。
ララベルも、ギルベルトと言い争いをするくらいなら任せたい気持ちだし、イスカは何を思っているか分からないが、とりあえず言葉は発さぬまま。三人の沈黙は、是としてファラリスへと届く。
「よし。決まりだ。では、他の三人は通常業務を続けるように。ギルベルトは準備が整い次第、オルクス・マヴェット、およびクラン・クラインの抹殺に向かえ」
……その日の会議は、その決定をもってお開きとなった。
***
「クランが僕に、求めてること……なんだろ……」
とぼとぼと、オルクスは首都イーヴァリドを歩いていた。
思えば、そんなことを考える暇など、今まで殆どなかった。ひたすらに誰かの要求に応え続け、しかしそれでも認めてもらえなかった、死神時代。そして逃げだしてクランと出逢い、襲い襲われるままに戦いの渦中に身を置き、我が身を省みる余裕などなかった、今の生活。
こうして人の営みを見ながら、あてもなく考えごとをしながら街を歩くことは、オルクスにはとても久しぶりのことであった。
とはいえ、彼はまだまだ子供である。答えは出ないまま、自分でも気付かないうちに、ふらりふらり、いい匂いのする屋台へとつられていった。見えてきたのはクレープ屋。丁度今買い終わったと見える客とすれ違う。
その手に握られた生クリームとバナナ、チョコソースの掛かった美味しそうなクレープを見ては、彼に耐えられる道理はなかった。唾を飲み込み、小銭片手に店頭へ向う。
「すいませーん! バナナチョコスペシャルひとつー!」
「はいよ」
気の良さそうなおばさんが、てきぱきとクレープの生地を焼き、具材を乗せていく。すぐに焼きたてのクレープが出来あがると、オルクスは小銭を手渡し、それを受け取った。
おばさんの挨拶に見送られながら、屋台に背を向けて歩きだす。
しかし、クレープに夢中になっていたせいか、オルクスは少し歩いて細道に入ったところで、向かいから来る金髪の男に気づかずに、その体に思い切りぶつかってしまった。
「にゃ!?」
「ちっ、どけ!!」
乱暴に男がオルクスを突き離し、オルクスは尻もちをつく。しかし、オルクスが衝撃に怯みながら見上げると、男は更に後ろから彼を追いかけてきた男たちに追いつかれ、あっという間にその胸倉を掴まれていた。あれよあれよという間に男は、狭い細道でぐるりと屈強で柄の悪い男に囲まれる。……そしてなんとなくオルクスもその輪の中にいた。
「待ちやがれ、ガドガ!!!」
「逃げられると思ってんじゃねえぞ!!!」
最初にぶつかった男は、ガドガと言うらしい。胸ぐらを掴まれ揺さぶられ、彼の身体が揺れるのが、視界の片隅で映る。
「ガドガっ、お前、分かってんだろうなあ。チームから抜けようだなんて、んなの許すわけねえだろうが?」
「……うるせえ! 俺はもうお前らなんか……」
「黙れェ!! 寛大な兄貴がお前のことをもーっと可愛がってくれるってんだぜ? ほら、こっち来いよ!!」
続いて聞こえるのは、頬を叩く派手な打音。
――オルクスは、耐えかねてすっくと立ち上がった。
「やめろ!!!」
精一杯不良たちを威圧する。しかしながら、決していかついとは言えないオルクスの顔では、それにも限界がある。取り囲む不良たちは、一瞬だけ固まったものの、それから嘲笑をオルクスへ向けた。
「なに口出してんだよ、ガキ!」
「はははは、黙ってりゃ見逃してやったのに、よ!!」
男が一人、殴りかかってくる。
戦いたくはなかった。何よりも戦うことは好きではないし、魔法を見せて怖がられるのも嫌だった。それでも、どうしようもない。オルクスは、せめて手加減しながら、風を起こしてその男を石垣まで突き飛ばす。
「な……!」
「こいつ、何をした!?」
「くそ、超能力者か! 兄貴に報告しねえと!!!」
意外にも、男たちは即座に退いた。オルクスはほっと息をつく。しかし、超能力者、という言葉が少し気になった。彼らはどうも、オルクスのやったことを『超能力』であると決めつけているように思える。
「……おい、お前」
考えていると、声を掛けられた。ガドガだ。彼はぽりぽりと恥ずかしそうに頬を掻いて。
「ありがとよ、その」
「ううん、いいんだよ! ごめんね、僕のせいで」
「あー……いや、元はと言えば、俺が……」
謝り合いに発展しそうになったとき、ガドガの視線が下へと向かった。オルクスがなんだろうとつられて目をやると、そこには、ぶつかった時に吹っ飛んだクレープの残骸が横たわっていた。
「あー、坊主。クレープ、奢ってやるよ」
「! 本当!?」
「ああ。クレープにわりぃことしちまったからな。俺は、ガドガ・ゴルシドル。お前は?」
「僕は、オルクス・マヴェット! 宜しくね、ガドガおにーさん!」
……こうして、二人は行動を共にすることになった。
(第十話 了)
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