夜見るとぬいぐるみは結構怖い
人形と同種のホラー感、あるよね。
「クィニアーーーー!!!! なんでここにいるの!? ね、元気だったー!?」
現れた金髪の女性、クィニアは、端的に言うと押し倒されていた。
オルクスに飛びかかられ、思いっきり尻もちをついて、そのまま抱きつかれて頬ずりされている。あれは、そう、なんというか……。
「大型犬にぺろぺろされる飼い主だな」
「大きな犬にじゃれつかれて嬉し恥ずかしな飼い主ですね」
クランとヘンリーは、お互いにその光景を見て、大きく頷いた。
「きゃー! わ、私は元気です、オルクス……貴方は……うん、元気そうですね……」
かわいらしい悲鳴を上げながらも、彼女はそうして、抱きついてきたオルクスの頭を優しく抱きしめて、撫でてやる。オルクスはされるがままに、ふにゃ、と間の抜けた声を上げた。
「……オルクス、俺たちにもその女を紹介してくれよ。何がなんだか、さっぱりだぞ」
「あ、ごめんごめん」
クランが声を掛けると、ようやくオルクスは立ち上がり、クィニアを助け起こす。
「えっとね。この人は死神クィニア! 死神として働いていた時に、僕の直属の上司だった人なの! あのねクィニア、こっちが僕の護衛のクランと、さっき知り合ったヘンリーおにーさん!」
その紹介に応じ、クィニアがクランとヘンリーに向かってぺこりとお辞儀する。
「ありがとう、オルクス。……改めまして、死神クィニアです。オルクスがお世話になっています」
「あ、これはどうも、ご丁寧に……って、いや、死神なんだよな? 俺たちに会いに来て、大丈夫なのかよ?」
「今回は、許可を取ってきました。表向きは偵察とかそういう感じになっているんですけど……、イスカ様が特別にって。だから、平気ですよ。ご心配ありがとうございます」
クィニアは温かい笑みを向ける。見る人を安心させるその表情には、クランも惹かれるものを覚えた。しかし、聞き捨てならないこともある。
「……イスカ、ってことは。お前、メイラの暗殺に関わってたわけか」
横のヘンリーが小さく反応した。
クランの強い語気に、クィニアは少し表情を曇らせて。
「はい。……私は創造主様や、上司には、逆らえません」
「だったら、やっぱり信用ならないな。オルクスを殺しにきたんじゃないとしても……こいつを懐柔しにきたとか、情報を聞きだしにきたとか……どうせそんなとこだろう?」
「それは……。違います。……でも、証明する方法がないことも、確かですね……」
「だろうな。オルクス、そいつから離れ」
――そこまで言った刹那。クランは思いっきり、オルクスの飛び蹴りを喰らってぶっ飛ばされた。
「へぶっ!!!???」
「クラン、さいってー!! クィニアは信頼できる人だもん! 僕がよく知ってる! それ以上悪く言ったらもう一回蹴るよ!!!」
「っ、お前なあ……!! こいつが何か逆らえない命令をされていないとも限らないだろうが!!!」
「そんなことない!!! 平気だもん!!!」
「ちょ、ちょっと、お二人とも……!?」
ヘンリーがあたふたと制止の声を掛けてくる。しかし、クランはそれを無視して更に言い返そうとした。
それを止めたのはクィニアだった。
「やめなさいオルクス!」
鶴の一声。ぴたっ、とオルクスの動作が止まる。クランも開きかけた口を思わず閉じた。静まり返ったところで、彼女は穏やかにクランへと声を掛ける。
「私のせいで、ごめんなさい。クランさん……少しだけ、話を聞いていただけますか」
「ちっ、なんだよ。オルクスを返せとかは、聞かないからな」
「はい。……私はかつて、オルクスを逃がす手伝いをしました。これは、今まで誰にも話したことのないことです」
「…っ!」
「ちょ、クィニア!?」
淀みない告白に、しかし、クランはぶん殴られるような衝撃を受けた。オルクスが困惑した叫びを上げる。
鈍いクランも流石に、悟らずにはいられなかった。ギデオンがかつて創造主への叛意を明確にしたあの時と同じ。この言葉は、もし他の死神に聞かれれば処罰を免れぬ一言だ。
「……私は創造主様のことを崇拝しています。ですが、オルクスがそうでないことは、分かっていました。オルクスは私にとって、我が子のような部下でした。……彼が望むままにさせてやりたかったから、彼が逃げるのを、助けました。今も、この気持ちは変わらないのです」
「だから何もする気はない、と?」
「はい」
「……」
クランは、じっと考えていたが、考えても無駄なことに気付いた。
彼女は根拠や証拠のあることを言っているわけではない。結局は証明する方法など何処にもない。彼女が嘘をついているかどうかを、直感で判断するよりほかにないのだ。
そしてクランはこういうのにとても疎い。ので。
「分かった。……分かったよ。オルクス、本当にこいつの言うことは信用していいんだな?」
「うん。大丈夫。全部、僕が責任を取るから。……心配かけてごめん」
「じゃ、俺はヘンリーと先に帰ってるよ。好きに話してきたらいいさ」
「ありがと」
オルクスがはにかむ。
彼がこう言うなら大丈夫だろう。オルクスは、自分よりずっと人を見る目のある人間だ。
踵を返しかけたところで、クィニアが一歩乗り出した。
「待ってください」
「……ん? どうした?」
「――クランさん。どうか、オルクスをよろしくお願いします。オルクスが慕う貴方のことを疑うわけではありませんが……どのような結果になっても。最後まで……オルクスの、相棒でいてあげてください」
寂しそうに、しかし精一杯笑みながら彼女は言って。その表情は本当に、我が子を死地に送り出す母親のようであった。クランはそういう人の顔を見たことがある。胸が締め付けられる。
オルクスが選んだ道は、誰がどう見ても死への旅路だ。オルクスとクラン、そしてティベリオ達や、或いはギデオン――仲間は増えてはいるが、創造主を倒すには不足もいいところ。それでもオルクスは、逃亡した後、クランと出逢い、『ヒーロー』を目指す道を選んでしまった。恐らくは逃がす手伝いをしたクィニアの望みに反し。
「分かってるよ。全てが終わるまで……俺は、こいつの望みを叶えよう」
「……感謝します」
「だが、クィニア。お前も、忘れるなよ。今でもオルクスにとって、あんたは唯一の親代わりなんだ。裏切ってくれるな」
「ええ、ありがとう。認めてくれて」
「……」
クィニアの明るい笑顔に、クランはなにも言わずにふいと顔を背ける。彼女の目に涙が溜まっているのは、夜なので見えなかったことにした。
「――あ、そうだ。一つ宜しいですか」
帰ろうとしたその時。黙っていたヘンリーが、缶ジュースを手の中で弄びながら、何でもない付け加えのように言葉を発した。
「はい、なんでしょう?」
「私に化け、メイラ様を殺したのは、貴方ですか?」
クィニアは、一瞬動きを止めた。ヘンリーの何気ない言葉は、しかし、鋭利な刃物を首筋に突きつけるが如き危うさで満ちていた。
彼はクィニアが、オルクスの恩人であり親代わりであり、同時に意に沿わぬ命令にも従わねばならない死神組織の末端構成員であることを知ってなお、恐らく――ここで彼女が首を縦に振れば、即座に攻撃を仕掛けるだろう。
「違います」
クィニアの言葉は、簡素簡潔だった。何か言い訳をするでもなく、言葉の矢を、真っ直ぐに突き返す。
「……そうですか。よかった。僕ね、貴方がもし下手人だったら……ちょっと理性を保てた自信がなかったので」
「……」
「貴方も、大変なんでしょう。いつかきっと……その板挟みから、解放されることを願っていますよ」
「はい。……遠からず、きっと……」
ヘンリーは、笑って頷く。
「さ、クランさん、戻りましょう」
「いいんだな」
「あはは。死神と敵対するとは言いましたけど、オルクスさんのお母さんと敵対するのは、無しってことで――。それに、彼女が知っている程度の情報は、貴方たちも持っているんでしょ? だったら捕まえる意味もない」
「ま、そうだな。直属の上司だったってことは、十一位だもんなあ」
クィニアは二人の会話を横から聞いて、苦笑した。
「本当、出世の道は、厳しいんです。執行、向いてないですし」
「あんたもかよ。この親にしてこの子あり、ってか」
「クィニアは僕よりはマシだよ!」
「ドングリの背比べは虚しいからやめとけ」
「むー」
「んじゃ、ティベリオんちで待ってるからな」
今度こそ、クランはティベリオ宅へと、足を向けた。
二人がどんな話をするのか分からないが、恐らく自分は邪魔であろう。それに、オルクスの過去には特に興味がない。
***
「ただいま帰りましたー」
「お帰りヘンリー。クランもか。オルクスはどうした?」
「ちょっと用事が出来たみたいで。直ぐ帰ってきますよ。大丈夫」
「そうか。それならいい」
凄まじく適当なヘンリーの返答にも、ティベリオは疑義を挟む様子を見せない。ヘンリーが大丈夫というなら何が何でも大丈夫だ、と思っているかのようだ。
「あんたら、本当に信頼し合ってるんだな。……何年前からの付き合いなんだ?」
「五年ほど前ですかね」
「案外短いな……」
「色々と、死線は越えてきたからな」
「そんなもんか」
「お前たちだって似たようなものじゃないか?」
クランはそう問われて、少し唸った。
オルクスとは、よい仲間だ。だが、お互いに全てを理解し合っているわけではない。先ほどだって言い争ってしまった。
そんなことを考えていると、ティベリオが笑う。
「ああ、すまない。考えすぎないほうがいい。私たちが辿りついた信頼の形が、こうであったというだけのことだからな」
「……そうだな」
クランはティベリオの言葉に、素直に頷いた。
「それじゃ、そろそろ再開しようか。おい、ヴァルナル、シャーリィ!」
クランはティベリオの呼びかけた方に目をやる。そこには、ヴァルナルがポーズをとり、シャーリィが写真を取っている、とても平和な休憩中の風景がある……。
……。
「何してんだよお前ら!」
流石につっこまずにはいられなかった。
「あら。言いましたでしょう、私、筋肉好きですの」
「知るか!!! なんで撮影会始まってんだよ!!!」
「いつものことですよ、クランさん」
「そうなの!?」
ごく当たり前という顔をしているヘンリー。クランは頭痛を感じた。
ティベリオに呼ばれたヴァルナルは、クランへとずんずん近寄ってくる。簡単にヴァルナルの状況を説明すると、上半身裸で艶やかな筋肉がむき出しになっており、傘型の電灯の下で異彩な輝きを放っている一方、やはりシャイなのだろう、真っ黒なサングラスはかけたままのわけで、要するに正直怖い。
「待ってストップ服着ろ!!!」
「あ。すまん」
ヴァルナルは、ぼそっと言って上着を羽織る。何処か残念そうだ。顔は一切見せてくれない癖に肉体は披露していたいらしい……。
そういうわけで、また会議が始まったが、開始直後にティベリオがこう言った。
「国への報告に関しては、後回しにしよう。クラン達がいなくても考えられる。それより、クラン。お前、この後どうするつもりなんだ?」
「どうするって……」
「一応、我々の権限で、明日には君たちを解放してやれるつもりだ。そのあとのサポートについて……こちらから、何か支援できることはないだろうか」
クランは唸った。
もう、上位の死神に巡り合えるような情報は持っていない。振り出しに戻る、というところ。出来ることと言えば、恐らくはシャーリィやクランを狙ってくるであろう死神を迎撃することだけ。しかし、それにティベリオ達の部下を同行させるのは流石に忍びない。
正直にそう話す。ティベリオは、ふむ、と一つ頷いて。
「……やはりか。一つ提案があるのだが、どうだろう」
「提案?」
「ああ。クランもオルクスも、魔法に関しては独学だったな? それなら、私たちの師匠を訪ねてみないか」
彼の提案を聞いたヘンリーも、手を叩いた。
「いいですねえ、それ! 師匠なら、死神の特殊な能力についても、何か説明をつけられるかもしれません」
「ああ。それに、戦いの指導もしてくださるだろう」
「ちょ、ちょっと待てよ、ついていけないぞ。師匠って、お前ら、共通の師がいるのか?」
この世界で、魔法の使い方を教えてくれる師に出会えること。それは、魔法使いとしては最高に恵まれていることだ。魔法を「教える」ということが出来る人間は、この世に何人もいないのだから。
当然クランも、興味が湧いた。国家に仕える魔法使いを指導できるほどの、魔法使い。それは、どれほどの天才――あるいは、どれほどの努力家であろう。
ティベリオが、その名を口にする。
「そうだ、第一部隊には指導者がいた。名を、シャハール・フェリエという」
「シャハール……」
「我々は彼に魔法の全てを教わった。今は指導を辞め、隠居して魔法の原理や応用についての研究を続けている。きっと、君たちの力になってくれるんじゃないかな」
「っ……」
クランは思わず身を乗り出した。
「会いたい! 会わせてくれ!」
「……はは。貪欲だな」
「そりゃそうだ。俺は、もっと強くならなきゃいけないんだ。誰にも、負けないように――」
そして、何度でも死の淵に立つために。
幾度も、その狂気のままに。
「いいとも、勿論会わせてやろう。シャーリィ、君もそれでいいか?」
「元より私は、クランとオルの人質のようなものですわ。それに、どうせ行くアテもありませんし、賛成です」
ティベリオは二人の反応に、満足気に頷いて。
「分かった。あとはオルクスだが……彼はいいと言うかな」
すると。丁度いいタイミングで、背後の扉、出入り口が開いた。涼しい夜の空気と共に、ひょっこりとオルクスが顔をのぞかせる。
「たっだいまー!!」
「お帰りなさい! もういいのですか?」
ヘンリーが聞くと、うん、とオルクスは大きく首を縦に振る。クランが見るに、その表情はさっき別れた時よりも精彩に富んで生気に満ち溢れていた。それとも、この明るい空間がそうさせて見えるのだろうか。いや――。
隣に座るオルクスを見て、クランは嫌が応にも確信する。
やはり彼のいるべき場所は、温かな家族のいる場所。
「……オルクス」
「ん?」
「この戦いが終わって……死神が、本来の役目に……生死を司り、輪廻を見届ける役に戻ったら。その時は、あの女のところに、きっと、帰らせてやるから」
小声でそう言うと、オルクスは、驚いたようだった。まんまるにその目を見開いて、しかし、その後少し寂しそうに、笑う。何故寂しそうなのかは、クランには、分からなかった。考える暇もなく、ヘンリーの発言が遮る。
「オルクスさん、実は、クランさん達は私たちの師匠を訪ねたらいいんじゃないかな、って話をしてましてね」
「ししょー? それって、魔法の?」
「そうらしいぜ。俺たち行くアテもないし、戦いの指導も出来るって話だから、言って損はないだろ。どうだ?」
「でも、死神が襲ってくるかもしれないよ。仲間認定されて、殺されそうになるかも……」
オルクスの言ったことも、尤もだ。すっかりそのことを失念していたクランは、あっと声を上げたが、ティベリオはそれを笑い飛ばした。
「それなら心配はいらない。最近は何もなくて退屈していると言っていたし……好きに巻き込んでくれ」
「え……いいの? だって、死神の上位の人は、すっごい強いんだよ!」
「ああ、分かっている。大丈夫――」
その時のティベリオは、ヘンリーやヴァルナルへ向ける信頼とはまた違う、不敵で尊大な笑みを浮かべ、高らかに言いきった。
「――師匠は、私の知る中で最強の魔法使いだ」
***
暗い死神の歪城に、クィニア一人の足音が響く。今日はだいぶ遅くなった。一人歩きながら、オルクスの声を、顔を思い出す。
“あのね、あのね!”
そうやって、可愛らしい口を開き、彼は沢山のことを語った。殆どがクランのことだった。そしてクィニアは、彼の楽しそうな生き生きとした顔を見て、確信したのだ。彼は生死を掛けて共に在る仲間を見つけたのだと。
彼にはもう、母は必要あるまい。大切に想うが故に外へと解き放った死神は、立派に親離れを果たしている。そして母の望みに背く行為であっても、戦いを挑み続ける道を選び取った。嬉しくもあり、少し寂しくもあった。
でも、会えてよかった。
その気持ちだけは確かであった。
「あ」
ふとクィニアは立ち止まる。死神イスカから、報酬として貰った白猫のぬいぐるみ。どうせならオルクスに渡してくればよかった。夢中になって話しているうちに、すっかりと忘れてしまっていた。
それから、オルクスの後任の死神に想いを馳せる。こうなったら彼に押しつけよう。まだ起きているだろうかと思い、下層居住区の談話室を覗くと、人影もまばらな中、部屋の隅の方で、まさにその人が精神統一をしていた。
近寄ると、クィニアの気配に気づいたか、彼は目を開き、こちらを向く。
「あァ。なんだ、あんたか、お帰り。随分遅かったじゃねェの」
彼は第十二位だが、上司たるクィニアに敬語を使ってくれない。敬意も払っちゃいない上から目線の言葉が飛んでくる。
しかしクィニアはなんとも思わなかった。
――なぜなら、彼は第七位から異例の降格をした死神なのだから。
「あなたこそ、随分と夜更かしなんですね、……ギデオン」
そう言うと、彼は、両の腕についた飾りの鎖をじゃらりと鳴らし、笑う。
――死神ギデオン。
それが、長らく空席だった元オルクスの椅子にやってきた、後任の死神。
「まァな。こういう静かなところで、精神統一ってェのは、いいもんで。つい長引く」
「ふふ、あんまり似合いませんよ」
「おお、なんとでも言え。精神も肉体も、鍛えなきゃ鈍るんだぜ」
ギデオンはへらりと笑った。クィニアが見る限り、彼はいつでもそうやって何かしらの鍛錬をしている。軽薄な表情や言動とは裏腹に、どうも、努力家であるらしいとは、薄々感じていた。
彼が何故降格したのか、詳しい事情をクィニアは全く聞かされていない。能力に関わることで何かやらかした、とだけ聞いている。だから最初はどのような問題児かと身構えていたのだが、ふたを開けてみれば、寧ろ全く心配の要らない優等生であった。
それに、彼は……どうも、オルクスと似たような思想を持っている気がする。
用心深く、直接明かしてはくれないが、少なくとも彼は単純な創造主の崇拝者ではなかった。
「ギデオン、そちらのお仕事はどうでした?」
「上々。流石に十二位の仕事でしくじらねェわ」
「そうでしょうね。でも、楽しそうだわ」
ギデオンは肩を竦める。
「あァ、俺は下界が好きでなァ。いいもんだぜ、人間と付き合うのも」
「人間も……私たちと、同じですものね」
そう、殆ど変わらない。そのはずなのに、大抵の死神たちは、人間のことを殺してもいい家畜だとか、その程度にしか思っていない。
「おっと、これ以上はダメだ。お互いになァ」
「……はい。そうですね」
ギデオンが視線だけでぐるりと周囲を示す。そこには、めいめい本を読んだり残った仕事をこっそりやったりしている他の死神たちがいる。これ以上は、創造主への叛意と取られかねない領域。口は災いの元だ。
そういうことで気を取り直して。
「そうだ、ギデオン。貴方に今日はお土産があるんですよ」
「………ストップ」
「はい」
「お前今日、イスカとの仕事だったよなァ」
「……はい」
しまった。そういえばギデオンは、クィニアがイスカに誘われたことを話した時、昔イスカと共に仕事をしたことがあると言っていた。……だとすると、彼はイスカが噂通り仕事相手にぬいぐるみを配っていることを知っている可能性が……。
「ぬいぐるみは!!! 要らねェぞ!!!」
……やっぱり。
「くっ!!! 私も要りません!!!」
「女ならいいだろうがよォ!! 貰って飾っとけやァ!!!」
「私は子供ではありません!! 何百年も生きて、今更こんなもの貰っても……」
「だからって部下に押し付けんなァ!!!」
クィニアはそれ以上何も言えず、しょんぼりしてため息をつく。
「はあ……オルクスなら絶対貰ってくれたのに……」
「あァ。確か、俺の前任か。逃げたんだったなァ」
「……ええ。私の監督がもっと行き届いていれば、あんなことには」
本当はわざと逃がしたのだ。オルクスは素行不良が指摘されており、クィニアは決して仕事の時に一人にしてはならないと、上司のアズラエルという死神から指示を受けていた。しかし、“間違って”彼を一人で仕事に行かせたのである。
だが、流石にそんなことは言えない。
「にしてもそのオルクスって死神、なんで逃げたんだ」
「……色々、疑問に思うことや、嫌なことがあったみたいです」
「アズラエルのババア、うっせェもんなー、生まれたばかりの死神にゃ堪えたか」
「そうかもしれないですね……」
「あいつが部下に私刑してたなんて噂も聞いたけど、本当かァ?」
「……」
クィニアは目を逸らした。
オルクスだけではなく、クィニアの下にいる第十二位は誰も、少なからずアズラエルに虐げられていた。今も、それはまだ続いている。
「っと、噂をすれば、だぜ」
「え?」
ギデオンが顎で談話室の入り口を示す。そこへ入ってきたのは、第十位の死神アズラエル。クィニアの直属の上司である。緑の長い髪、整った目鼻立ち。しかし、それを『美しい』と表現する気にはならない。彼女は外見の美しさを帳消しにするレベルで、性格がねじ曲がっている。
「あら、お二人揃って……何のお話しを?」
「あんたの話をしてたとこだよォ、ババア」
ぶちり、とアズラエルの短い堪忍袋の緒が切れた音がした。
……彼女の沸点はびっくりするほど低い。
「だ、誰がババアだ!! その呼び方をやめろと何度言ったら分かるんだよてめえはああああああ!!!」
アズラエルの怒声は凄まじい。クィニアの後方で、本を読んでいた死神が取り落として紙束が床とぶつかる音が小さく響いた。しかしギデオンはといえば、全く動じることなく軽薄に笑う。
「はァ? その直ぐヒステリックにキレるとこもまた、ババアっぽいんだよォ。挙句の果てに部下に逃げられてりゃ世話ねェな! 監督責任問われなかったのが不思議なくらいだぜ!」
「なあっ!? あれはこの馬鹿なクィニアが!!! へまをしただけだろうが!!! 私に罪なんかあるもんか、創造主様もそれをわかってらっしゃるから私に罰を与えなかったんだ!!! てめーの言うことなんか的外れなんだよ!!!」
この話題、昔だったらそろそろ耳を塞いで部屋に帰りたくなるところだ。しかし、ギデオンが快活に言い返すので、クィニアも最近は随分マシに聞いていられた。
「どーだか。創造主様、万年第十位の死神如きに興味がねェだけじゃねェの? くっく……あんた死神になってから何年だっけ? もう三桁いったかねェ!! あはははは!!! よくまあその地位で威張れるもんだ」
「き、きっさまああああ!!! 後で――」
「後でどうするつもりだァ? 前の部下にもそうしていたようにこっそりと私刑かい?」
「っ……!!」
ぐ、とギデオンは顔をアズラエルに近付けて。
「忘れて貰っちゃあ困るなァ。俺は中層の奴ら……第七位前後にたくさーん同期がいて友達がいる。そいつらが第十二位に落伍した俺を見捨てたかどうか……俺を虐めて試してみるかい?」
アズラエルはその体を震わせ、首をぶんぶんと横に振った。
彼女もクィニアも、よく彼の部屋を中層の友が訪れ、談笑しているのを見ている。異例の降格であるが、彼は彼を簡単に切り捨てるような友達は作ってはいなかった。そして、中層の死神は低層の死神を裁く権利を持っている。ここで彼に何かしようものなら、処罰されるのはアズラエルなのである。
アズラエルは何か言い返したそうに口をぱくぱくと開閉させていたが、結局反論することは叶わなかった。代わりに悔しそうに言葉を漏らす。
「く、くそっ。落ちぶれた元第七位如きが……っ。さっさと寝ろ! 明日も貴様は下界で人間狩りだろうが!!」
「あんたが寝ろ。美容に悪いぜ」
「ああああ五月蠅い!!!」
アズラエルは吐き捨て、その場から逃げるように立ち去ってしまった。ギデオンがその背中にわざとらしく手を振っている。
「は。小物すぎんだよババア。出直して来な」
「……ありがとうございます」
「あん?」
クィニアがお礼を言うと、ギデオンは怪訝そうな顔をする。
「別に、あのクソ上司にゃムカついてるだけさ」
「でも、私は、とても救われてます。あんなふうに言い返せる人、今までいませんでしたから。貴方がいたなら……オルクスだって、逃げださなかったかもしれない」
すると。ギデオンはにっこりと笑って。
「俺はあいつが逃げだしてくれて、よかったと思ってるがね」
口元に浮かべた笑みとは裏腹に、その目は氷のように冷えている。
……背筋が、寒くなる。
「ど……どうして?」
「あァ……どうしてだろうなァ」
「……貴方は……、まさか」
クィニアは口を噤んだ。
それ以上言うことはこの場では許されなかった。
「んじゃ、また明日なァ」
「……はい。また明日」
クィニアはギデオンと別れ、ふらふらと自室に戻った。同室の死神達はもうすやすやと寝息を立てている。暗闇の中、彼女は一人、さっきのギデオンの態度について考える。
彼は……オルクスが逃げてよかった、と言った。
それはすなわち、“彼が創造主に反逆して良かった”と、遠まわしに言ったに等しい。つまり……。
「っ……」
クィニアは気付いてしまったことに、身体を震わせた。その情報を上に報告しようか迷ったが、彼は仄めかしただけで確証はない。それに、クィニアが報告する相手は中層の死神達。元よりギデオンに友好的なのだ。下手をすれば破滅するのはクィニアだ。
ギデオンはクィニアには何も出来ないことを見越して、このことを漏らしたのだ。だが、彼は何故、クィニアにそれを仄めかしたのだろう。一体どんなリターンを求めて、僅かとはいえ、リスクを犯したのだ。
「あの人は私に、何をさせるつもりなの――?」
いずれにせよ、今の彼女に出来ることはなかった。イスカから貰った白猫のぬいぐるみが、こちらをじっと監視しているような気がして、クィニアはその顔にハンカチを掛けた。
「主よ……お許しください……」
祈りの言葉は、部屋の中、何処にも届かない。
***
翌日、ヘンリーたちと別れ。オルクスとクラン、シャーリィは、教えられた住所へと……シャハールの居場所へと向かった。
彼は首都イーヴァリドから列車で一時間ほどの郊外に、大きな家を持っているのだという。電車を乗り継ぎ、駅から降りると、イーヴァリドの近くとは思えない田園風景が広がっていた。来た方を向くと、遠くにうっすら見える都会の建物が、なんとかここら一帯が首都近郊であるということを主張している。
「……首都の周りにもこういうとこはあるんだな」
「首都に近いと流通費も安く済みますからね、こういう農作地帯は珍しくはありませんわ。特にここ一帯は土が良く、いい作物が育つと聞いておりますの」
「へえ……」
シャーリィの説明を受けつつ、住所を駅前の地図と照らし合わせてゆったり歩く。
シャハールの家は、駅から随分遠い。一時間近くかけて、ようやく辿りつくことが出来た。起伏のない道だったので、そこまで苦ではなかったが、少しシャーリィは疲れた様子だ。
大きな庭は広い割に何もない。柵はあるが、開いていた。その先に二階建ての家がある。特別なことは何もない、黒い屋根の家。
オルクスが古めかしいベルを鳴らす。ほどなくして、ぱたぱたと足音がしたかと思うと、木製の扉がきぃと開く。
「はーい、どなたさま?」
「あ、僕ら、ティベリオおにーさんの紹介で……」
「ああ、君たちが! あはは、よく来たねえー」
ゆったりとした口調で、現れた男はにっこりとほほ笑んだ。
「俺がシャハール・フェリエ。ティベリオ達の師匠さ。宜しくねえ!」
――無造作に跳ねた黒の天然パーマ、少したれ目の優しそうな顔。歳は見た目では分かりにくいが、恐らくは20代か30代だろう。思っていたよりずっと若い。服は少しエスニックな雰囲気で、頬には小さなダイヤマークの刺青がある。何より目を引いたのは、彼の服の袖……腕があるはずの部分が、二本とも、ない。外の風に晒されてひらひらと揺らいでいる。
「おにーさんが、そうなんだ! えっと、僕がオルクス・マヴェット。それからこっちが、クラン・クラインと、シャーリィ・ライトおねーさんだよ!」
オルクスの紹介を受けて、クランはぺこりと頭を下げる。
「ティベリオから事情は聞いてると思うけど……魔法を学んだことがないもんで、色々と教えてほしいんだ」
「ああ、分かってるよ。あいつの頼みとあっちゃあ、断れないもんねー。正直解明できてないことばっかりなんだけどね……出来る限りで色々と、指導させてもらうよ」
「あと、私たちが追われる身であることは、聞いていらっしゃいますかしら?」
シャーリィが不安そうに問いかける。するとシャハールは悪戯っ子のようににんまりと笑い。
「あっは、勿論さ。死神とかいうUMA集団に追われてるんだろう! 俺は最近退屈続きでねえ、是非俺の家にいる間に襲って来てくれることを願うよ!」
「UMAじゃないよ!! 僕も死神なんだからね! そんな不思議生物には見えないでしょ?」
「おっと、そうだった、オルクス君はUMAだったね」
……なんか話が通じないタイプの相手な気がしてきた。
「ぼ、ぼく違うもん。そんなツチノコとかネッシーみたいな存在じゃないもん」
「そうだ聞いておくれよ! 最近俺の畑にネッシーっぽいものが」
「ネッシーは湖だろ!!!」
「ん? じゃああれモグラだったのかな……」
「ネッシーとモグラを間違えるな!!! 天と地ほどの差がある!!」
クランが渾身のツッコミをするも、シャハールは何処吹く風だ。あはは、いやはや参った参った。そう言って頭を掻くと、一歩下がって扉の前を開ける。
「とりあえず、中に入りなよ。最近はめっきり肌寒くなったもんねえ」
「……」
なんかもう何を言っても無駄だと悟り、促されるままに、中へ入る。
中は……雑然としている。お世辞にも片付いているとは言い難い。テーブルや戸棚の上だけではなく、床にも色々なものが散らばり、足の踏み場は僅かだ。すると、そんな考えを見ぬいたのか、シャハールが笑った。
「すまないね、散らかってて。腕がないと、片付けも骨が折れるんだよ」
「……腕……」
改めてシャハールの両腕に目をやる。やはり、ない。何も言えずにいると、シャハールが続けた。
「俺こう見えても昔は、非科学対策本部第一部隊の、隊長だったんだ。ティベリオの、前任だね」
「その時に、任務で腕を……?」
「ああ、そうだ。魔法で悪さをする盗賊の討伐任務に出かけ、全ての悪党を倒してひっとらえ……よし、帰るぞ! ……って時に間違って、その建物に元から仕掛けられていた罠踏んでねえ。あっははは」
「………」
なんか理由まで間抜けだった。沈鬱な顔して聞いていたこっちが馬鹿みたいである。
「それで、現役を引退して指導をなさっていたんですの?」
「うん、そういうこと。流石に腕無しで最前線に立ち続けるのは難しいし、何よりその時にはもう、一生遊んで暮らせるだけの金は貰ってたからね。ま、いっかなーって。でも、ティベリオ達だけでの任務も危険そうだったから、彼らが一人前になるまで指導をしたってわけ。それも終わったし、今はこうして引きこもりなんだけどさ」
言いつつ、座って、と彼はテーブルを示す。物を掻きわけてなんとか三人が椅子に腰かけると、彼はキッチンらしき場所へと向かう。
「お茶淹れるからね。何がいい?」
「あ、俺、なんでも」
「僕も!」
「私も適当で構いませんわ」
「あ、そう、んじゃ俺のイチオシの緑茶かなー! 何がイチオシってこれを売っている店の、売り子のお嬢さんが皆ボインなんだ!!」
「味と関係ねえ!!!」
「気にするな! ではちょっと待っててね!」
作り始めたらしいシャハール。ふんふふん。謎の鼻歌が流れてくる。
「るるーるるん」
オルクスが乗っかった。
「ふんふふーん」
「るるーん」
何も合っていないセッションが始まってしまった。お互い楽しそうなのが、性質が悪い。
「……」
その適当な音程に頭を抱えながらも、クランは疑問に気付く。
――あの両腕でどうやってお茶を淹れているんだ?
はっとして振り向くと、彼は氷魔法で作った綺麗な氷の両腕で、全く不自由なくお湯を沸かし、茶葉を用意していた。
シャハールと目が合う。
「……」
「……」
「なあ、その腕があればお前、片付け出来るよな?」
「………」
沈黙は雄弁に肯定を物語った。目を逸らし、鼻歌で誤魔化そうとするシャハール。
「片付けろォ!!!!」
クランの叫び声がこだまし、何故かその日の半分はシャハールの家の片付けに消費されることとなったのだった。
(第九話 了)
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