タラコおにぎりは美味しい

 明太子おにぎりも美味しい。








 ため息の音ですら、まるで恐怖を煽るラップ音だ。


 ドラゴノグの端、小さなホテルの陰に逃げ込んだオルクスとシャーリィは、その場に息を潜めて、じっと待っていた。


 アダムが三人を諦めなければ、勝ち目はない。神速から逃げることなど、叶わないのだ……特に、気配を感知されるオルクスは。唯一縋れるのは、『第三位はとても忙しい』という情報だけである。たった一発の不意打ちで、ままならない身体のクランが手傷を負わせたところで、厄介だと認識して後回しにしてくれるものだろうか。


 二人は、手をつないだままだった。

 クランがここへ来れば、生。アダムが現れれば、死。

 大通りを凝視する。そこを二人のうちどちらかがやってくるのを、どちらともなく、息を潜めて待っている。


 やがて、シャーリィが、言った。


「どうして……私を、こうまでして守ってくださるのです? 第七位の死神の女を人質にとるために、第三位と事を構えるなんて、信じられませんわ」


 オルクスは、シャーリィと絡めた指を、強く握りしめる。


「関係ないよ、そんなの。……おねーさんが死んだら、寂しい」

「……」

「一緒に寝たでしょ、一緒に戦ったでしょ。もう、他人じゃないよ」

「……そう」


 シャーリィも、指に力を込める。


 その時、大通りの方から影が差し、二人はびくりと身体を震わせた。

 ――しかし、その慄きは全て杞憂であった。そこに立っていたのは、ため息ついて、足を再び引き摺っている、クラン・クラインその人だったからだ。


「クラン!!!」


 どちらともなく彼の名を呼ぶ。安堵感が怒涛のように押し寄せて来て、強張っていた足の制御が効かず、オルクスはその場に座り込んだ。


「……ん。アダムは、諦めたみたいだ。なんとか救われたぜ……はは。生きた心地がしねえ」


 そう言って、クランはふてぶてしく笑う。

 オルクスが見るに、その表情は、レガートと戦っていた時より寧ろ鮮やかで、精彩に富んでいた。生きた心地がしない、などと言う割に。


「クラン……ほんっと、貴方って、スリルジャンキーですわね」

「あん?」

「にやついてますわよ」


 おっと、と声を上げ、彼は自分の唇をなぞる。そしてますます笑った。


「さあ、帰ろうぜ。あー、その前に、軽く治療頼むわ」


 オルクスは文句も言わず、うんうんと頷き、彼の得意な水の治癒魔法で、その傷を軽く癒す。

 当然ながら、さっきより悪化した怪我は、オルクスの治癒魔法でも容易に治るわけではない。特にもう一度折れた脚の骨はばきばきになっており、治癒を促進しても中々治る気配を見せない。オルクスは何度かやってから、諦めて息を吐く。


「んー。このくらいが限界かな……」

「ちぇ、やっぱくっつかねえか。まあ、いい、痛みは随分和らいだ。行こうぜ」


 三人は頷いて、オルクスがクランに肩を貸し、ゆっくりと歩きだした。

 街の中心部へ戻ってくると、自分が何をしていたのか分からずに首を傾げている人々が、そこかしこに溢れていた。


「洗脳前後の記憶は、曖昧になりますの。個人差はありますけれど、今日洗脳されたばかりの人たちは、何も覚えていないはずですわ」

「……その方がいいだろうな。自分が人を殺そうとしていたなんて記憶、ない方がいい」

「そうだね……僕たちも、何も知らないふりをしよう」


 三人はめいめい頷いた。

 魔法はおとぎ話、死神は会うことの出来ない天上の者。そう思っていられる彼らは幸せなのだ。ぶち壊すなんてことは、しない。


 宿につき、中へ入ると、案内の娘が少し上の空な音色ながらも、お帰りなさいと挨拶をしてくれた。それから、通り過ぎようとする三人に続けて声を掛けた。


「クラン様、少しお待ちください。伝言を預かっております」

「ん? ……誰から?」

「はい。エルシー様からです。『謝りたいことがあるので、駅の直ぐ傍の病院に来てほしい』とのことでした」

「誰だそいつ……」


 クランはぼんやりと口走る。オルクスもそんな名前の人物は聞いたことがない。そう思って二人が首を45度くらい傾げていると、シャーリィがクランをせっついた。


「多分、ネヴェアとオリビエの仲間ですわ」

「あ。あの時の、風使いの女か」

「……そっか。あの三人は洗脳されてから時間が随分経ってるから、全部、覚えてるんだね」

「………」


 三人は顔を見合わせた。




***




 病室の扉を開く。吹き込んでくる秋の夕暮れの風は、少し冷たい。

 正面のパイプ椅子に腰かけているのは、ニット帽の少女。――恐らく彼女が、エルシーだろう。そして、奥の半開きの窓を挟んで、左右にベッドが一つずつ。オリビエとネヴェアが、包帯を巻かれて横たわっている。


「あ。……来てくれたんだぁ……」


 エルシーは嬉しさと気まずさの入り混じった表情で、こちらを見る。

 彼女の怪我は、軽そうだ。頭に包帯を巻いているだけだ。


「ああ。ちゃんと洗脳は解けてるみたいだな、その様子だと」

「……うん、まあね」


 ネヴェアが頷く。今はかっちりとした黒スーツではない。

 クランに殴られた所が痛むのか、時折さすっている。しかし、それ以上に、彼女はオリビエを気にしているようで、ちらちらと視線がそちらへ向く。

 クランもつられてオリビエを見た。

 彼女の怪我が、傍目に見て一番酷い。顔面から胸にかけて包帯が巻いてあり、その隙間からいたましい火傷の痕が覗く。


「お。お前、生きてたか、よかった」


 クランはなんの気もなしにそう言った。オリビエが、ふっと笑う。


「おかげさまで。……はは。私たち、何してたんだろなあ」

「洗脳されてたんだろ」

「……うん」

「人も殺したのか?」

「殺したよ」


 彼女は今にも泣きそうだ。笑ったまま、顔をゆがめている。


「あのなあ。そのことで辛気臭い雰囲気になるのも結構だが、俺の前ではやめてくれない? めんどいし掛ける言葉もない」

「……はっきり言うよね、あんた」


 ネヴェアがむすっとした顔になる。こちらは泣いてはいないものの、やはりどことなく暗い。


「仕方ねーだろ。ご愁傷様、としか」

「クラン・クライン、お前は――」


 オリビエが言葉を遮る。


「――もし自分が操られて、人を殺したら、その時は、どうする?」


 クランは首を捻る。

 自分のことと思って考えてみて、それから。


「さあ……どうもしないと思うなあ……」


 どうでもいいのだ。自分が悪人だろうが、善人だろうが――人殺しだろうが。

 誰かの幸せなんて願ってやる気はない。ましてや自分の意志の外で死んだ人間など徹頭徹尾どうでもいい。


「何それ。……なんなんだよ、あんた」

「別に。ただの魔法使いだけど。……それで、話したいことって?」


 エルシーに向き直ると、彼女はこくんと小さく頷いた。


「うん。……ありがとう、なのぅ。……私たちのこと、倒してくれて……殺さないでくれてさ……」

「俺は結構本気で戦ったぞ。生きてたのはお前らが強いからだろ。お礼言われてもなあ」

「でも……でも、ありがとうなの。私たち、一生あの男の奴隷になるとこだったんだからぁ……!」


 そのやり取りをただ眺めていたシャーリィが、三人に口を出した。


「そういえば貴方たち、随分と仲がよろしいようですけれど、どういう間柄ですの? 洗脳される前から、繋がりがあったのです?」

「あ、私たち、三つ子なんだ。私、長女のネヴェア・トリス。で、こいつらが、次女、オリビエ・トリス、末っ子、エルシー・トリス」

「あら。そういうこと……」


 クランは改めて、トリス三姉妹を見やる。確かに何処となく顔立ちが似ている気がしなくもない。


「ほえ……。魔法使いって、魔力の残滓が胎内に宿ることで生まれてくるって言うけどさ、三つ子って凄いねえ、なんかお得感」

「人をセール品みたいに言わないでよぅ、死神!」


 きっ! とエルシーがオルクスを睨みつける。オルクスは、きゃあ、だの叫んで、病室のカーテンの後ろに隠れた。


「……あいつ、オルクス・マヴェット? レガートの野郎から聞いてたけど、全然怖くない死神って本当だったんだ」

「うちらの戦った戦闘狂の方が、よっぽど、だね」

「へへーん、エルシーちゃん当たりくじひいたのぅ!」

「負けたくせに」

「負けたよねあんた」

「ぴーーーーー!!!」


 エルシーもまたカーテンの後ろに……行ったが、そこにはオルクスがいたので。


「どけお子ちゃまぁ!!!」

「やだー!!!!!」


 ……。

 ………。


 この二人は放っておこう。


「それにしても、あんたたち、灰竜山のふもとまで連れ出されたんだろ? よく勝てたね!」


 オリビエが、感心した様子で言う。

 そういえば、あの場所へ三人をおびき寄せたのはレガートその人であるのだが……クランとシャーリィは顔を見合わせる。


「それが、よくわからなかったのですわ。罠というほどの何かがあったかと言われると、そうでもなかったような」

「そういやそうだな。あいつ、何がしたかったんだ?」


 すると、ネヴェアがぷっと吹き出した。


「……はは。流石。レガートの能力……見た?」

「ん? ああ、見た見た。『伝承の権化』だっけか……」

「そ。それって、その地に根付く伝承や伝説の存在に、なりきる能力なんだ。その由来となるものに近ければ近いほど、恩恵が大きい。今回は、この地に伝わる灰色の竜になりきった。……もし火口までおびき出されてたら完全な竜が出て来てた、と思う」

「あー……」

「なるほどそういう」


 能力発動のための、誘導だったわけだ。クランは一人で頷いた後、気付く。何かを守るためならともかくも、色んな場所に出張して人を殺さなければならない死神に、その能力は……。


「……くっそ使いにくそう」

「私も同意見ですわ……。恐らくは自ら望んで貰った能力でしょうに……つくづく、戦闘に関しては分かってない人でしたのね」

「というより……、自分の力で戦うって考えが、抜け落ちてた奴なんだろうな」


 洗脳という能力を持って、今まで他人任せでやってきて、他人の力を自分の実力と過信した死神。人を操って高みの見物をすることに味を占めた彼が次に望んだ力は、人ではなく、架空の、より強い存在を味方につけるということだったのだろう。

 そして彼は自分の戦い方を忘れたのか。

 いや、それとも、彼自身の戦い方なんて、まだ存在すらしてなかったのか。


 一撃を加えただけで簡単に崩れたレガートを思い出す。単調な攻撃、パワー任せのごり押し。クランが得意な戦術と同じ。しかし、彼はそういう戦術を選んでいることにすら気付いていなかった。


「レガートは、ずっと、私たちに任せっぱなしだったから……」

「そうそう! 自分で戦うこと、全然なかったよ」

「だろうなあ。つまんねえ奴」

「……下衆い奴だよ」


 オリビエは、またその顔を暗くした。色々と思い出してしまったらしい。


「おい、また暗くなってんじゃねえぞ」

「……ごめん」

「てめえがレガートに洗脳されて人を殺したってのは分かる。気に病んでるのも分かる。でも、俺にはどうにもできんから、そんなん」

「分かってるよ……」

「それで、お前たち、これからどうするんだ?」


 カーテン陰からオルクスと二人で何やらたたき合いながら出てきたエルシーが、クランの言葉に応じて叫ぶ。


「故郷へ帰るー!」

「ああ、そうなのか。そりゃいいや。おいオルクス、お前もうそろそろやめてこっちこい。ガキっぽいぞ」

「ぶー」


 エルシーと掴みあい取っ組み合いしていたオルクスは、しぶしぶ離れてクランのもとに帰ってくる。もう言い逃れ出来ないレベルで子供だ。オリビエもネヴェアも、その様子を見て、頬を緩ませる。

 ――こうやって場を和ませる、子供特有の魅力は、少し羨ましい。


「お前らの故郷ってどこなんだ?」

「うん。マールジェ、っていうとこだよぅ」

「マールジェ! ご飯がおいしいところだあ!」


 オルクスが目を輝かせる。

 確か新鮮な魚が美味しいと評判の、海に面した北の地方都市だったか。クランは行ったことはないが、覚えている知識を脳内から引っ張り出す。


「へえ……あそこは賑わってると聞くし、いいとこじゃねえか。こっからだと……電車で首都イーヴァリドまで行って、そこで乗り換えて……一本だったかな」

「母さんたちに、心配かけちゃったし……ちゃんと顔見せないと、だからねぇ」


 エルシーは、苦笑する。

 彼女たちがレガートに洗脳されていた時間は、どれくらいだろうか。どれだけの時間を失ったのだろうか。クランは少しだけ考えた。すぐに考えるのをやめた。


「もう連絡はしてありますの?」

「うん! すっごく驚いて……喜んでくれたよぅ!」

「もう、死んだと思われてたみたい。見舞いに来る、なんて張り切ってたけど、断った……ちゃんと治して、気持ちの整理つけてから、会いたい」

「そうか」

「それで、クラン、あんたらはどうするんだい?」


 これから。

 それは、オリビエに言われずとも、道すがらクランも考えていたことであった。


「とりあえず療養して……とは思ってるが……、イスカ・コーネルの執行まではまだ時間があるはずだし」


 すると、ぴくっとその単語に、ネヴェアが反応した。他の二人も、何かが引っかかったような顔をしている。


「――あ! クラン。そいつの名前、レガートから最近聞いたことある」

「なに? ……レガートはなんて?」

「イスカは執行を早めるんじゃないか……って。クランとオルクスが一緒にいるかも、ってのをレガートに教えたのも、イスカって奴なんだ。その通信の中で、そんなことぼやいてたらしい」

「!!!」


 執行を早める。どうして。

 その疑問にシャーリィが答えた。


「恐らく、私たちが一緒にいること、そしてギデオン様から情報提供されたことは、あちらに、ばれているのでしょう。イスカ・コーネルは私達を警戒して、処刑を早めるつもりですわ。レガートを差し向けた理由はわかりませんけれど」

「……待ち伏せでもなく、第三位が、俺達を避ける? そんなことがありうるのか」

「一応強い人は多いけど、階級が上だからといって、直接戦闘が強いとイコールではないよ。ギデオンおにーさんも、『最弱』の第三位、って言ってたし」

「ちっ……そういうことかよ。なら今すぐにでも向うぞ!」


 クランは踵を返そうとして、シャーリィに足を引っ掛けられてすっ転んだ。


 ……かっこわるい。


「なにすんだ、シャーリィ!!!」

「貴方こそ、何をなさるおつもりですの?」

「第三位が地上に来るまたとない機会だ。倒せれば相手方の戦力を大きく削れ……」

「倒せるわけないでしょう、そんな身体で」


 クランは自分の身を省みた。それから三姉妹の表情を窺った。

 全員が物凄い勢いで頷いている。


「ていうかクラン、あんた、私たちより重傷だよね」

「ぼろぼろーってかんじぃ」

「普通に、それは死ぬ」

「畜生!!! うるせえ!!! 俺はまだ戦える!!」


 シャーリィに踏みつけられる。ぐえ、と変な声が腹から漏れた。


「ダメです。せめて一週間は療養なさいな。行って、殺されました、じゃあ元も子もありませんわ。いくら相手が第三位最弱とはいえ、ある一定の戦闘能力はあるはずですもの」

「……」

「クラン、悪いけど、僕も賛成。せめて解錠が使えるくらい魔力が溜まるまでは、待つべきだよ。例えそれが、相手の思惑通りだったとしても」

「お前は……それでもいいんだな、オルクス」

「……うん。それで、もし、間に合わなくても……それは僕たちの力不足で、どうしようもなかったことだ」

 

 オルクスの言葉に、ようやくクランも渋々、首を縦に振った。

 一週間休めば、身体を魔力体に変える切り札、≪解錠≫も不完全ながら使えるようになる。被弾を再生できる回数こそギデオンと戦った時より少なくなってしまうが、それでもないよりはましだ。


「分かった、分かったよ! ……休む。それでいいんだろ」

「うん、そうしよう! 僕が癒しの魔法で促進してあげるからね!」

「あ……癒しの魔法、使えるんだ」


 オリビエが、ぽつんと言って、自分の顔に触れる。包帯の巻かれた顔。


「あのさ……こんなこと言うの、厚かましいって分かってんだけどさ。この火傷、跡が残るって言われててさ、その……」

「一緒に治療してほしいんだね! うん、良いよー! 僕、火傷治すの得意だからねっ」

「あ、ありがと…!!! 恩に着るよ!」


 オリビエの顔が、明るくなる。なるほど、顔は女の命なんだろうなあ、などとクランは考えた。


「それでしたら、クランもこの病院に入院させてしまえば……」

「おいやめろ。俺は宿で十分!」

「あははー。クランはこんなとこに閉じ込めたら逆に暴れ出しそうだもんね。じゃ、毎日僕がここに通うよ!」


 オルクスはにっこりと笑う。そこはかとなく明るいその笑みには、三姉妹も、めいめい釣られて笑みを返した。病室内が明るい雰囲気に包まれる。

 日は沈もうとしている。長い一日が、終わったのだった。




***




 クラン達がそうして一日を終えた夜。

 嵐の前の静けさの中、首都イーヴァリドの一角では、女が甲高い声を上げていた。


「ティベリオ! いる!?」

「おりますよ、メイラ様」

「ねえ、誰も来てない!? 誰も――」

「はい、大丈夫です。どうぞ、安心してお休みください」


 ――扉越しに聞こえていた声が止まる。


 防衛省の、非科学対策本部第一部隊隊長、ティベリオ・セディーンは、ため息を漏らした。護衛対象のメイラ・アルテミラは、彼が守っている扉の先、寝室にいる。

 彼女は追いつめられていた。死の恐怖に取りつかれていた。


 戦えるのは、貴方しかいないんでしょう。……メイラの震えた声を思い出す。


 二週間前、メイラは謎の魔法使いに襲撃された。

 たまたま居合わせ、メイラを助けたティベリオは、狂ったようにメイラから頼られた。それまでは『魔法なんてただの手品でしょ?』と自分を蔑んでいた相手から、縋られたのだ。

そして彼女は、夫たる首相に頼みこみ、ティベリオ率いる非科学対策本部第一部隊――秘密裏に国家が率いる魔法使い部隊の、選りすぐりの精鋭を専属の護衛につけた。今、ティベリオ含め、六人の魔法使いが、かわるがわる彼女の護衛を行っている。


「ティベリオさん、こんばんは」

「ん……」


 声をかけられ、とりとめのない回想を中断して顔を上げる。

 使用人のオランジェ。決して派手ではないが、何処か清楚で心地よい雰囲気を持つ女性だ。


「悪いな、毎晩色んな奴らがお邪魔して」

「いえ……メイラ様のお命を守るために来てくださっているのでしょう。感謝こそすれ、邪魔だなんて、そんな」

「ならいいんだが……もし何か、私や、私の部下が粗相をしたら、直ぐに訴えてくれ」

「はい。分かりました」


 と、オランジェの言葉にかぶさるように、ティベリオの腹の虫が鳴った。


「……うっ」

「ふふ。また、夕飯抜きですか?」

「メイラ様の呼び出しが、その……なんというか、神速を尊ばれる感じで……」


 本来、今日は十九時から警備の予定だったのに、ティベリオの部下で昼の警備に当たっていたヴァルナルが何か機嫌を損ねたらしく、十八時に呼び出しが掛かった。それで夕飯を食べる間もなく、飛びだしてきたのである。


「ヴァルナルさん、メイラ様とは折り合いが悪いようですもんね」

「仕方ない。ヴァルナルは悪い奴ではないんだが、筋肉だからなあ」

「魔法使いだと伺っていたのに、お会いしたら筋肉でしたからね……」


 ヴァルナル・ローマイア。端的に言えば筋肉、長く言うとキンニク。

 ティベリオの部下、非科学対策本部第一部隊の副隊長である。


「それに比べて、ティベリオさんは、美形だからメイラ様もお気に入りみたい」

「私がか?」

「その金髪も、緑の目も、随分誉めてましたよ」


 ――確かにティベリオは美形である。自覚もしている。ふわりとした美しい金の髪、澄んだ翡翠の目。しかし、襲撃される前にはメイラはティベリオのそんな容姿をも「生意気なプレイボーイ」などと罵倒のネタにしていたのだ。

 全く、死の恐怖は人を容易に変えるらしい。


 ただ一つ女の色香だけを武器にして、媚びず、蔑み、見下し、それでもギリギリ復讐されないラインを読み切って生き抜く。元首相愛人、現首相夫人メイラ・アルテミラは、そういう女のはずだった。

 彼女のことは、好きではないが嫌いでもなかった。ただ、そういう生き方が出来ることを、少し尊敬していた。

 ……それが襲撃を受けてからというもの、メイラのプライドも高慢さも上から目線も何処かへ消え失せて、夜も眠れずに、手品と笑っていたティベリオたちの魔法だけを頼みに震えて怯えて生きている。その姿は、ティベリオにとっても見るに堪えない。


 だから、その誉め言葉も、素直に喜ぶことはできなかった。


「……どうかしましたか?」

「いや、なんでもない。……誉める、か。私が誉められるのは有難いが……私としては、ヴァルナルと仲良くなってほしいものだ」

「はい、そうですね。ヴァルナルさん、いい人なのに……筋肉以外は」


 話題が逸れてほっとする。ヴァルナルは話のネタに最適である。そういうところもいい人だ。


「あ、そうだ、ティベリオさん。きっとお腹がすいているだろうと思いまして、これを、お持ちしましたよ」

「おや……」


 差し出された小さなお弁当箱の中には、おにぎりが二つ、入っている。手作りらしく、湿った海苔に少し不格好な三角形。こういうおにぎりは、ティベリオの好物の一つだ。


「ありがとう。いいのか、これ」

「勿論です。メイラ様は高級なものしか召し上がりませんしね」

「なんと勿体ない。こういうおにぎりこそ美味しいんだ。……では、お言葉に甘えて」


 手にとって、一口ほおばる。中にはたっぷりのタラコが入っている。


「どうですか?」

「このタラコ、美味しい……」

「マールジェから取り寄せた新鮮なタラコなんですよ」

「マールジェ! それ、メイラ様用のものじゃないのか?」

「えへへ、料理長に無理言って、少し端っこをいただきました」


 ティベリオは苦笑した。しかし、何か苦言を呈す前に口が動いてもう一口、頬張っていた。空腹にこの美味なおにぎりは、耐えきれない。

 二つのおにぎりを食べ終わると、ティベリオは満足げに息を吐きだした。


「ごちそうさま……とても美味しかったよ。ヘンリーやヴァルナルにも食わせてやりたいくらいだ」


 ヘンリー・カラドは、ヴァルナルと共にティベリオの隊の副隊長を務める男だ。特にティベリオは、この二人に絶対の信頼を置いていた。当然、会話に出てくるのもこの二人が多くなる。


「お粗末さまです。今度、皆さんの分も用意しておきますね」

「本当か、ありがとう。すまないな」

「気にしないでください。無茶言って、護衛をしてもらっているのは、こっちの方ですから」

「いやいや、そんな。……っと、もう夜も遅い、寝なさい。護衛はしっかりとやっておくから」

「はい、宜しくお願いします」


 一旦踵を返そうとしたオランジェは、その足を直前で止めると、少し不安げにティベリオを見つめた。


「……ティベリオさん、メイラ様はまた狙われるでしょうか」

「狙われるだろうな。私は、そう思っている」

「守って、いただけますよね」

「勿論。……全力は、尽くす。私も、私の部下も」


 今のメイラ・アルテミラは、端的に言って嫌いだ。

 だからと言って、この任務、手を抜く気はない。暗殺者を捕まえて断罪する。ティベリオにとっての動機は、それだけで十分なのだ。




 そして、何事も起こらないまま、一週間が過ぎる。




***




 それは、一週間後の昼下がり。

 まだ療養中の三姉妹に別れを告げ、クラン達は、温泉街ドラゴノグを後にした。目指すは首都イーヴァリド。クランの身体もほぼ全快し、魔力も十分。とりあえずの、戦う準備は出来ている。

 首都までは列車で一時間も掛からない。直ぐに都会の街並みが姿を現す。観光の名所とはまったく異なる無骨な街。周辺部は住宅街で割と静かだが、中心は繁華街だ。ともすれば、歌と享楽の街アルカニアを連想させるような、人々の喧騒で満ち満ちている。とはいえ、この喧騒は寧ろ、仕事や用事で行きかう人の放つ焦りや疲れまじりの熱気に近い。


 クラン達が到着したのは、繁華街の中心も中心、イーヴァリドの心臓部とも言うべき巨大な駅だ。ホーム傍の売店に、シャーリィが目をやり、一つ新聞を買ってきた。


「どうだ?」

「まだ、メイラって人の襲撃事件は、起きていないようですわね」

「間に合った、のかな……僕たち」


 ふー、とオルクスが肩を撫でおろす。


「とにかく、メイラって奴の屋敷まで行ってみよう」

「ええ。メイラ・アルテミラは首相夫人ですから、居場所は知れてますわね。ええと……確か、ここからは……」


 シャーリィの先導で駅を歩く。どうやら、更に二つほど乗り換えが必要らしい。首都のあたりはまるで蜘蛛の巣のように路線が張り巡らされているとは聞いたことがあったが、実際に使ってみると、言い得て妙だ、と思う。

 列車を乗り継いでそこからは歩き。

 なんだかんだで、時刻はもう夕暮れ時だ。

 中心部からほど近い、交通の便も良い閑静な住宅街。そのひときわ大きな敷地が、首相とメイラ夫人の家らしい。建物の大きさは石壁と周囲の建物のせいで俯瞰できず、はっきりとは分からないが、だだっぴろい庭と二階建ての建物があることは分かる。


「……ここか。静かに見えるな」

「まだ、何も起こってなさそうだね……。どうしようか。出来れば屋敷の中で待ち伏せしたいけど……事情を話しても、分かってくれるかなあ」

「適当に言い繕って試してみる価値はありますわね。……イスカ・コーネルが出てくるということは、誰かほかの死神が失敗した案件ということ。あちらも狙われていることは分かっているはずです」

「でもそれさあ。俺たちが不審人物扱いされねえ?」


 クランが真顔で言った。

 三人は顔を見合わせた。


「確かに……」

「クランだもんねえ」

「クランですものねえ」

「原因は俺なのか!?」


 と言いつつ、正面までやってくる。警備員のおじさんが、門の傍の窓口からうろんな目でこちらを見ている。もたもたしていると、声を掛けられた。


「あんたら、ここのお客さんかい? アポ取ってる?」


 勿論取ってない。というか取れるはずもない。

 なんと返したものかと、三人が返答に詰まっていると、後ろから、すたすたと誰かが歩いてきた。すらりとしたスーツ姿の男。品のいい黒い髪。あからさまに、警備員の顔がほころんだ。


「おお、ヘンリーさん。随分お早いんですな、今日は」

「あはは、最近は早めに呼びだされることも多いですし、いっそ先に来てしまおうかと思いましてね」

「それはそれは。どうぞお入りなすって。今は、ティベリオさんが警備に当たってますよ」

「そうですか。ティベリオ隊長にも、たまには早めに休んでもらわないとなあ」

「あの人は根が真面目ですからな」

「全くです、隊長は真面目すぎるんですよ」


 談笑しながら、警備員が門を開ける。……勿論クラン達は入れてはくれないだろう。ヘンリーはそのまま、中へと消えていく。

 と、その時である。横にいたオルクスが叫んだ。


「変だと思ったけど、もしかして、あれ――死神だ!!!」

「え!?」


 クランはヘンリーを見やる。もう、彼は屋敷の中へ入ってしまっている。


「待って、オルクス! 貴方、それは確かなの? だって、あの人、警備員の方とも知り合いで――何度もこの屋敷に出入りしているようでしたわよ!」

「うん、だから僕もまさかとは思ったんだけど……でも、あれは確かに死神だ! 信じて!」

「お前の感覚は一番正確だ。疑う余地はねえよ」

「……考えられるのは、変装能力か――或いは憑依か……いずれにしろ、まずいですわ!! メイラ夫人が!!!!」


 三人はお互いに視線を交わし、頷いた。

 もうこうなった以上、取るべき手段は一つだけ。


「「「正面突破だ!!!」」」


 もうどちらが悪人だかわからない。しかしそんなことは言っていられないのである。


「あ、おい、こら!!! 貴様らなにをする気だ!」


 警備員の制止を振り切り、三人は門を飛び越えた。

 門の先には、屋敷と呼ぶには小さいくらいの一軒の建物。それと、離れがある。ヘンリーが入ったのは正面の建物である。その建物の中へ、鍵ごと扉を蹴破って飛び込むと、金髪の男が眼前に現れた。


「な、なんだ君たちは!?」

「ねえ、ここに入っていった、さっきの黒髪の人はっ!?」

「それをどうしてお前たちに教える必要が――」

「あの人は偽物で、メイラって人の命を狙ってるんだ!!!」


 オルクスが必死の形相で叫ぶ。すると、金髪の男はぴくりと反応した。


「なに――」

「違和感を覚えなかった!? ほら、雰囲気が違うとか、普段取らない行動をとるとかさ……」

「……あいつは、いつもは時間ぴったりに来る男だ。っ、まさか……!!」


 金髪の男は、思い当たる節があったようで、さっと青ざめて振りかえり走り出した。奥の扉を、開けようとして――。


「開かないっ!?」

「なに!?」


 クランも駆けよって扉を開けようと試みる。しかし、開かない。まるで、後ろから何かの力で抑えつけられているように。

 どう考えてもこれは、何かが起きている。

 金髪の男も事態の逼迫を認識したらしい。クランを一瞥すると、扉を目で示す。


「ぶち破るぞ!」

「ああ、分かった!」


 二人は、力任せに壁にぶつかる。普通に鍵が掛かっているくらいなら吹き飛ばせそうな、青年二人の突撃。しかし、やはり扉は開かない。

 クランは、ふと足元を見て気付く。扉の隙間から、砂が零れて来ているのだ。


「ちっ、これ、向こう側から大量の砂で堰き止めてやがるんだ!」

「土の魔法か――!」


 金髪の男は、すんなりとその状況を受け入れた。クランは驚きながらも頼もしく思う。彼も魔法の世界に住まう、常人とは一線を異にする人間なのだろう。恐らく一度目にメイラを襲った死神を撃退したのは彼なのではないか、などとも考えた。


「お前魔法を知ってるのか、なら話が早い。メイラって奴がいるのは何処だ。こんな砂を除けるのは無理だ、それより最短距離で突っ込んだ方がいい!」

「メイラ様は、この奥の階段を上った先、二階の書斎にいらっしゃる!」

「よし、だったら天井ぶち抜いていくぞ! この上、誰かいるか!?」

「いない、はずだ!」


 頷き合う。

 名前も知らない相手と、しかし、強く目的を共有し、芽生えた小さな仲間意識が少し心地よかった。


「お前、使える属性は」

「風だ。お前は」

「俺は炎。そこの相棒は、なんでも」

「よし、それなら二人の炎で天井を爆破してくれ。破片は私が防ぐ」

「了解。いいな、オルクス」

「勿論。任せといて! シャーリィおねーさん、離れててね!」


 オルクスに言われるがままに、シャーリィが入り口付近まで下がる。オルクスの手には死神の証たる鎌が顕現する。しかし、幸運なことに金髪の男はそれを見咎めることはなかった。それだけ焦っているということでもあろう。


「せーいっ!!!」

「はあっ!!!」


 クランとオルクスの、裂帛の一発。

 火種が宙を舞い、天井に達した瞬間、二つの爆発が起こる。

 吹き飛んでくる破片を、金髪の男が器用に風で吹き飛ばし、それを防ぐ。粉塵が収まると、天井には丁度人が通れそうな穴が開いていた。流石に上階は砂で満たされてはいないらしい。

 オルクスがもう一度鎌を振ると、土の不格好な階段がその穴に向かって伸びる。


「助かる。……行こう」


 互いに無駄口を叩く暇もなく。金髪の男を先頭に、クランとオルクス、シャーリィの順で、二階へと上った。

 下では気付いた使用人たちによる小さな騒ぎが起こっているが、二階はしんと、逆に静けさを保っている。金髪の男が先導する。その整った表情は、曇っている。


 無言で、四人は走った。ほどなく辿りついたメイラ夫人のいるはずの、書斎。

 ――つんと、血の匂い。


「ああ……」


 金髪の男は、扉を開けて、嘆息した。

 クランも続けて、部屋の前につき、そして、広がる血の赤を見た。


「……やられた、か」


 ぎり、と思わず歯ぎしりする。

 そこには、メイラ・アルテミラが無惨な姿となって、横たわっていた。




(第七話 了)

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