三分も時間を与えると城が滅んじゃったりするので

 そんなに時間をやるわけにはいかんな! 五秒だ!








 飛び交う風の刃、あめあられ。

 飛んでいくのは更衣室のドライヤーに、籠に、それから。


「きゃー!!!!」


 それはクランが、オリビエとネヴェアと戦いを繰り広げていた頃のこと。オルクスもオルクスで、レガートに洗脳されたニット帽の少女と、戦っていた。


「ちぇーい!! 逃げるなぁー!!」

「やだー!!! 逃げるーっ!!!!」


 ……舌っ足らずの少女と、オルクスの間に交わされるのは、緊張感のないやりとりだが、本人たちは至って真剣である。

 オルクスは防戦一方だった。風の刃はそこかしこに無作為に吹き荒れ、オルクスが作りだす氷の盾を時に粉砕する。その軌道が読めない。回避が出来ないために彼は魔法で防御を行うしかなく、中々攻めに転じられないのだ。


 こういう時、オルクスは考えてしまう。

 あの相棒、戦闘狂いならば、どうするか、と。

 そして、自分の身を情けなく省みるのだ。


「ああーもうぅー!!! あんたなんかに構ってる暇、ないのにぃ!!! 私、ねえさま達を追わなきゃなのぅ!!」


 膠着した状況にしびれを切らしたのか、少女は叫んだ。

 オルクスはやはり氷の盾を作る。しかし、その膠着状態で状況を見るまでもなく惰性で繰り出していた盾は、あだとなった。――無作為だった風の刃が、一気に収束していたことに気づかず、薄い盾を一気に貫いたのだ。


「っあ、あああっ!!??」


 貫通したそれが、そのままオルクスの肩を貫く。思わず彼は、持っていた死神の鎌を手放した。金属の落ちる音が、湿気の強い室内に広がる。


「やりぃー。そこまでだよぅ!! 子供はお休みのじかんなのぅ」

「……っ」


 泣きたくなった。

 けど、泣くわけにはいかない。彼は、望んでここに居る。彼を子供扱いしてくれない、シビアで、血にまみれた世界に。

 クランに戦いを望み、徹底的に死神達と敵対すると決めた時から。彼は子供ではいられなくなったのだ。


 だから彼は何度でも言う。


「僕は、子供じゃない!!」


 感覚を研ぎ澄ます。

 クランのように、クランがいつもそうしているのを思い描いて。

 オルクス・マヴェットにとって、クランは、大切な存在でありボディーガードであり、何より、ヒーローなのだ。彼を絶対的な消滅という、逃れられないはずの裏切り者の定めから救い上げてくれた、ヒーロー。

 ずっと憧れていた、オルクスにとっての“正義”の味方。


「僕は、いつか――なるんだ。ヒーローにッ!!!」


 魔法を発動する。もっと強く、もっと早く。

 彼が選んだのは、風の魔法。風に風をぶつけて、押し返す。単純な魔力勝負であり、彼としては珍しい選択であった。

 だが、それでも、クランの気持ちに寄り添い、彼に憧れる時、彼は稀に、その戦い方をも模倣する。


 ぶつかりあう風と風。

 やがてオルクスの裂帛の一撃が、少女の暴風を相殺し尽くし、喰らい、少女へと襲い掛かる!


「あぁっ……!?」


 少女は風圧で吹き飛ばされ、更衣室の棚に衝突し、籠を落としながら、その場にへたりこんだ。衝撃で、気を失ってしまったようだ。


「……は、はあっ……、うー」


 オルクスは脱力した。

 戦いは、苦手だ。いつまでたっても慣れやしない。人間を刈っている時から、そうだった。

 勝利の味は、苦い。苦すぎる。受けた痛みだけが身体に残っている。


 いつか、憧れのヒーローのように、己の戦いに勝ち、その勝利に酔うことはできるのだろうか。




***




 クランとシャーリィは、更衣室へ戻り、そのありさまに目を見張った。先ほどよりも、更に酷い惨状になっている。……ただ、それをやった張本人、風の少女は倒れている。

 オルクスの姿は、ぱっと見ても見当たらない。クランはぐるりと見渡して、ようやく入口の傍の壁にぐったり座り込んでいる死神の姿を発見した。


「……クラン。ちゃんと勝ったからね」

「オルクス、大丈夫か?」

「大丈夫。僕は、平気」

「平気じゃねーな」


 クランが断定すると、オルクスは、首を左右に振った。


「ううん。ただ、戦って疲れちゃっただけだよ。……クラン、そっちはなんで戻ってきたの?」


 そう言いながら、ようやくオルクスはクランに目を向けた。

 そして、目を逸らした。


「おいオルクス。何故こっちを見ない」

「なんか知らない間に満身創痍になってる馬鹿がいるんだけどー」

「これはシャーリィを守った名誉の傷だ!!! いつもみたいにスリルを楽しんだわけじゃない!!!」

「そ、そうですわよ、オル。私がふがいないから……」

「べー。どうせ、また、シャーリィおねーさんのこと放って戦いに興じようとして、その隙を突かれたとかそんなんでしょ」

「なんで分かるんだ!」

「分かるよーだ。クランだもんね」


 そう言って、彼はどことなく嬉しそうに笑う。クランのそんな欠点も、しぶしぶ肯定してくれるような、暖かい眼差しで。……何処かおかしかった、表情を強張らせた彼の姿はもうなかった。


「……うるせーや。せっかく心配してやってんのに」

「クラン、その体で僕に大丈夫とか聞く権利ないよ」

「うるせえ。俺はこれで大丈夫なんだ!!!」

「片足引き摺ってるじゃん。もー。治療するね」


 二人のやりとりを聞きながら、横のシャーリィが、ふっと息をついた気がした。


「……オル、貴方は、やっぱりまだ子供ですわね」

「子供でいたかったけどね」


 いつものように怒るでもなく、彼は、そう返した。

 その言い方は、十分に大人びていた。


「……オル……」

「ん? どーしたの?」

「いえ。貴方も……大変、なのですね」

「僕が選んだことだから。やり遂げなくちゃね」

「……」


 一度息を吐きだして、オルクスはその思考をリセットしたようだった。シャーリィは、敵対した時の彼の大人びた言動を思い返す。彼は、そういう素養があったというよりは、そうなるよう迫られているのだろう。この状況に適応するために。


 淡い光が、クランを包み、その傷を癒していく。治癒力を一気に高める、清めの水の魔法。暫くすると、ん、とクランが一つ声を上げた。


「骨、くっついた気がする」

「一応繋げたよ。ただ、激しい運動したり思いっきり衝撃喰らったりしたら一撃で吹っ飛ぶと思ってね」

「了解。十分! さて、行こうか。いい感じに貧血になってきた! レガートの野郎、ぶっ殺してやる!」

「……クラン頭大丈夫?」


 クランはその頭部に触れる。血がべっとりと手についた。まだ止まっていないらしい。


「ああ。さっき叩きつけられた時、ちょいと切ったんだな。ま、これくらい平気だろ」


 するとオルクスは、とってもいい笑顔を向けてきた。


「違うよ、クランの頭脳は大丈夫かってことだよ!」

「燃やすぞ!!!」

「にゃー!!!」

「俺は正常だ!!!」

「だったらそんな全く治ってない身体で戦おうとか考えないでよ!!! 馬鹿か!!!」

「うるせえ。このままだとこの街の観光客が殆ど洗脳されちまうんだよ!!!」

「え……!?」


 と、その時である。

 言い争いをぶち壊し、その場に乱入してきたのは、観光客らしき男だった。


「見つけたぞ! 殺せ!!」


 怒号が響く。仲間が近くにいるらしい。もたもたしてはいられないようだ。


「まずい! 洗脳されてますわ!!」

「話は後だ!! 行こう!!! オルクス、死神の気配は!? レガートは恐らく来ているはずだ、分からないか!?」

「い、今は何も感じない! ちょっと遠いのかも!」


 言いながらシャーリィが観光客に飛び蹴りを決め、三人は駆けだし、再び外へ。

 しかし、三人を待っていたのは、凄まじい惨状だった。


「これは……!」


 この宿だけでなく、他の宿にまで洗脳が広がっている。めいめい、武器を持った町人たちが、恐らくは三人を殺すよう仕向けられ、うろつき始めたのだ。


「いたぞ!!! 追え!!!」

「奴らだ!!! 捕まえろ!!!」


 全員を相手している暇はない。三人は誰からともなく、頷き合って逃走を図る。

 洗脳されていない人もちょくちょく見掛けたが、彼らは首を傾げているばかり。何かの撮影か、くらいに思っているのかもしれない。その方が彼らにとっては、洗脳よりよっぽど現実的なのだ。


「ち、さっきまでいなかったのに、なんでこんなに……!!」

「恐らくは、私たちがレガートの刺客を倒したからですわ! 先ほどまでは彼女らの邪魔をしないようにと遠ざけていたのでしょう!」

「めんどくせえな!!! 本人が出て来いっつーんだよ!!」

「いえ――きっと、出てきますわ」


 シャーリィは、息を切らせながらも、そう断言した。クランとオルクスの視線が集まる。


「……こういう手段に出た以上、貴方たちに太刀打ちできる刺客はっ、あの三人だけだったのでしょう……! つまり、あと貴方たちに太刀打ちできるのは、レガート本人だけ……」

「だったらなんでこいつらに追わせるんだ!」

「単純に疲弊を狙っているのと――私たちを、追いたてるためですわ!!」


 言われて、クランは気付いた。町人が襲って来ない方向があるのだ。無駄な戦いを避けるためそちらへと走っていたが、これは、誘導か。


「ってことは、罠か……!?」

「恐らくは!」

「よし、乗るぞ!!!!」

「そうなると思ってましたわ!!! 野蛮人!!!!」

「行こう!! どうせ倒さなきゃ、この人たちの洗脳は解けないんでしょ!!!」

「わかってるじゃねえか!!! そういうこった、覚悟決めろよ!!!」


 三人は心を決め、走り続けた。誰もいない方へ、誘われるがままに。

 終着までには、そう時間はかからなかった。殆どの町人を振り切り、辿りついたのは、駅とは反対方向、灰竜山の麓。人気の薄れた、山道の入口。木々に囲まれた場所に、一人の死神が待っていた。


 茶のショートヘア。かなり小さいクランより更に小柄な、少年の体。

 クランはふと、思う。きっとオルクスが年相応の身体をしていたら、こうだっただろうと。まさにその体は、10歳程度の子供のものであった。


「てめえが、死神レガートか」

「その通りだ! お疲れ様、裏切り者の諸君……そして初めまして。全く、僕はそこの女を刈りに来ただけだってのに、散々やってくれたものだねえ!」


 ――その口から発される言葉は、その雰囲気は、狡猾な大人のそれだ。大袈裟な言い回しと動作で、両手を広げ、彼は笑い掛ける。三人を蔑む視線を向けて。


「……ふん、最初から俺達がいると知っていたくせに。オリビエはお前から聞いたと言ってたぜ」

「くっ、ふふ、はははは!! それでもここまでやるとは予想外さ!!! 僕の可愛い可愛い駒を、よくも倒してくれたものだ。だが、お前たちは僕の出世の踏み台にされる運命なのさ!」


 クランは、既に先のことに気が行っているレガートを見て、ため息をついた。


「ごちゃごちゃうるせえな。やってみろ。……オルクス、シャーリィを守れ!」

「おっけー! 任せたよ、クラン!」


 クランは一歩踏み出す。ぞくぞく、と、戦闘の高揚が身体を支配する。自然体で立ち、ただ目の前だけに、目の前だけに意識を向ける。そう、ここが戦いの極点、最高の一点だ。


「何処までも、何処までも馬鹿な奴だ……救いがない!! ここに誘い込まれたからには、貴様らの負けは最初から決まっているのさ!!! 教えてやろうじゃあないか! この僕の、もう一つの能力をねえ!!!」


 レガートもクランと同様に一歩踏み出す。その皮膚が、ぱきり、と奇妙な音を立てる。

 ――異変はそれだけではなかった。彼がもう一歩歩むと、その両腕が、首元が、ぱきぱきと音を立てながら、変化していく。それは、まさに。


「……鱗」


 レガートの急所を隠す、頭部、そして首回りから胸にかけての、灰色の鱗。そして、攻防一体の、四肢の鱗と、そこに生える鋭利な爪。その体の背後から伸びてきたのは、翼と尾。


 その色形の特徴は、この街の土産物屋で見た覚えがある。――ドラゴン。灰竜山の名前の由来である、灰色の竜だ。

 半人半竜、とでも言うべきであろうか。


 伝承にしか存在しないはずの、竜。

 その姿を借り、力を得たように見える、眼前の死神。

 ――シャーリィが、混乱した様子で、叫んだ。


「……待って……ドラゴンは存在しないって、オル、貴方が!!」

「僕にも分からないよ!!! あれは……なんなの……? ドラゴンなんて架空の存在なのに……」


 オルクスも分からないようで、驚愕を隠せていない。だが、クランは、何も言わなかった。驚きは、一瞬だった。

 彼にとって興味があるのは、その竜の正体ではない。その所以でもない。


 強いか、弱いか。


 その瞳が、真っ直ぐにレガートを見極める。その強さを、推定する。どれくらいの速さで飛行するか? 身体能力は? 考えうる攻撃手段は? 彼が考えているのは、そんなことばかりだった。

 レガートは、少し目を見開いた程度で済ませたクランに、一瞬不満げな表情を見せたが、気を取り直したかのように、更に一歩。距離を、詰める。


「これが僕の二つ目の力――『伝承の権化』。さあ……行くぞ、戦闘狂。竜の力の前に、ひれ伏せ!!!!」


 レガートが動いた。

 その姿がクランの視界から消える。


「そら!!!」

「ッ……!!!」


 クランが反応する前に、背後からの一撃。吹っ飛ばされて木に叩きつけられる。

 なるほど、速い。しかも力強い。……せっかくオルクスに繋いでもらった骨が、また軽い音を立てて折れた。だがクランにとっては消耗品だ。些末なことにすぎない。


「おやおや、この程度で反応できないのかい!! 弱いなあ……視界に入れるのも嫌になるほどのゴミだ!!!」

「――黙、れ」


 それにしても五月蠅い。

 反応する労力が惜しい。戦闘中には、戦闘以外のことに気を向けたくなかった。


 クランはぶつかった木を無事な足で蹴り飛ばし、大きく空中へ飛び上がると、翼を広げた。そして下に居るレガートに向かって、炎弾の雨を降らせようとする。

 しかし、飛行速度も、レガートの方が上だった。彼もその竜の翼で飛びだすと、軽々とクランの上、背中へ回り込み、地面に向かって竜の尾で叩きつける。


「ち……!!!」


 地上戦でも、空中戦でも、速さで負けている。芳しくない状況である。


 空中で向きを変え、羽を背中に、落下の衝撃を和らげる。上を見た時には、もうレガートはいない。

 立ちあがる。見まわす。姿はない。逃げたということはあるまい。

 案の定、一部始終を見ていたオルクスが叫ぶ。


「クラン、気をつけて! あいつ、その辺の木の陰に隠れた!」

「……おっけー」


 オルクスの言葉には、悲壮感はない。オルクスはクランが勝つことを信じている。それは、素直に嬉しい。


 周囲の木々がざわめく。クランは意識を集中する。狙われないように動く、なんてのは無意味だ。あっちの方が速い以上は体力の無駄。ならば、出来ることは、魔力を溜め、静かに迎撃することだけ。


 負ける気は、しなかった。

 レガートは確かに、得体のしれない強化能力を持っている。だけど、それだけだ。強い能力を持っている、だけ。


 やがて。また、あの速さで、レガートが木々の間から飛び出し、クランを襲う。

 それは不可避の一撃――で、あるはずだった。

 しかし、悲鳴を上げたのは。


「――ぐあああっ!!!!????」


 レガートの方だった。


 半人半竜のレガートは、その速さゆえに、クランが放った爆炎の渦中に思い切り突っ込んでしまい――そして、それを目の前にして混乱し、怯んだゆえに、彼の一撃はクランに届くこともなく。綺麗に撃ち返され、身体は宙に舞った。

 火傷を負い、地面に転がったレガートは、うろたえながらふらふらと立ちあがる。


「な――何故? 何故反応した……、見えていなかった筈だ!!!」

「ああ、見えてなかったよ。速さはすげえわ。でも、お前、弱いよ」

「は……!?」


 困惑するレガートをよそに、クランは、詰まらなさそうに、歩み寄る。

 いつの間にか、自分の表情から笑みが消えているのを、自覚しながら。

 そう、詰まらない。とても、詰まらない――。


「さて。その焼けただれた翼で……その焦げくさい足で。さっきみたいな速度、出せるかい」

「っ!!!」


 答えは、蒼白な顔を見れば分かった。


「どうして……なんで……!! 僕の何が弱いと言うんだ!!! どうして、さっきの、攻撃を……撃ち返した!!!!」

「だってお前、俺のこと見てねえんだもん」

「見……て……?」


 説明は、嫌いだ。殴り合いで分かってくれないのは、面倒だった。それでも、ため息とともに、言葉を紡ぐ。冥土の土産とはこういう気分で教えるものなのだろうか、などと考えつつ。


「“俺が何をしようとしているか”を一切見てない。自分のやりたいことしかやってない。だからワンパターンで、読めるんだよ。お前は、出来るだけ安全な獲物の背後から、その速度に任せて攻撃するだけ……んなの、どんなに早くても撃ち返せるわ」


 クランは強い殺気を感じた瞬間に、後ろに向かって魔力を叩きつけたのだ。大砲の如き炎の噴射。その方向を見もせずに――しかし、躊躇なく。それだけだった。


「な、そ、そんなこと……」

「自分の癖にも気付いてないたあ、呆れたな。つまんねえ。せっかく殴り合うんだ……俺を見てくれよ。なあ。俺と愛し合えよ。死ぬほど見つめろよ。それが命のやり取りだろうが」

「ひっ……!!!」


 レガートは、座り込んだまま、震えて動かない。

 彼は確かにもう、先ほどのような高速移動は出来ないだろう。翼も焼け、飛ぶのは難しい。それでも、彼にはまだ、普通の魔法は残されているし、人並みに動くことも出来る。本来、片足の骨が折れ、打撲と切り傷で一杯のクランとは、まだ互角以上であるはずだった。

 それなのに反撃もしてこないのが、更にクランを不機嫌にした。


 当のレガートは、完全に怯えていた。己の能力が破られた――その事態に対処できなかったのだ。彼には圧倒的に、戦闘経験が足りなかった。


 そして混乱した彼は、勝つために、最悪の手段を取った。


「……ち、近寄るな。近寄るな!!!! す、少しでも動いてみろ!!! 洗脳した住人を――自害させてやる!!!!」

「な……!?」


 クランもこの言葉には、流石に動きを止めた。オルクスが声を荒げる。


「いくら死神だって、執行対象以外の一般人を巻き込んで殺せば、重罪だ!!! できるもんか、そんなこと!!!」

「は、はははっ!!! そんなの、お前たちがやったことに……死体を、全部燃やしてしまえば、いいだけのことだ……!!! ここには他の死神なんて、いやしないんだ!!!」

「っ……」

「さあ、動くなよ……お前たちが動けば、罪もない人が死ぬんだからねぇ……!!!」


 レガートは立ちあがると、わざとだろう、緩慢な動作でクランに向って腕を振り上げる。


「っ、ぐ!!!」


 クランは、動けなかった。他人などどうでもいいと思っている彼であっても、オルクスが悲しむことは、唯一の相棒を絶望させてしまう行動は、取れなかったのだ。

 舗装されていない地面と接吻する。立ちあがろうと指を動かすと、それをレガートが踏みにじった。


「おい、動くなと、言っただろう!!!!」

「がっ……て、めぇ……」


 痛みを受けながら、クランはなんとか、思考を巡らせる。

 この状況を打破するたったひとつの手段は、至近距離での一撃でレガートを戦闘不能にし、ギデオンの時と同じように、肉体の機能停止によって、能力を解除することだ。

 ――ただ、不安要素があるとすれば。

 死神レガートは、まだ、急所に鱗を持っている。半人半竜は、損傷しても解けたわけではない。この鱗をぶち破る一撃でなければ、彼の怒りを買い、大量に犠牲が出るだろう。


 覚悟を決めなければ。


 オルクスに目くばせする。もしクランの一撃が失敗しても、次の一撃を最速で入れてほしい。そんな願いを込めて。オルクスの鎌が届けば、致命傷を与えられる可能性は残る。オルクスは、気付いたのか、焦燥に駆られた表情ながらも、一つ頷いた。


 そして、二人が最後の賭けに出ようとした……、まさに、その時だった。




***




 少し、余談を語ろう。

 死神は、第五位以上になった時、創造主からもう一つ能力を貰うことが出来る。そして、その能力に関しては、本人の意向が出来る限り叶えられる。


 例えばララベル・オーガは、己の持っていた重力操作に価値を付加する能力を希望した。それは傷と痛みの共有。悲劇を好む彼女の嗜好が、そうさせたのだろう。

 では、アダム・ノートリアスは、どうだろう。


 彼が『神の両足』――超高速移動を望んだ理由は、殆どの人が、戦闘のためだと思っている。

 勿論、戦闘のためでもある。だが、一番の理由は、違う。

 彼がこの能力を望んだ動機は、『どんなに時間がなかろうと、下位の死神を出来るだけ守れるように』……そんな、お人好しなものだ。


 そしてもう一つ。

 彼は基本的に下位の死神にとても優しいが、無用な犠牲を出す者は、許さない。

 それ以外にまだ方法が残されていたならば、特に。


「はあ……助けに来た相手が、こうだとは」


 クランとレガートが戦っている麓から、ほんの少し離れた山の中。第三位、アダム・ノートリアスは、そこにいた。死神の気配をその神速で街中探しまわり、辿りついたのだ。

 彼は頭を掻いた。せっかく仕事の合間、たった十分ほどの休みに様子を見に来たというのに、時間を無駄にした。どっと徒労感が押し寄せる。

 それというのも、現場へと到着した彼の聞いた第一声が、死神レガートが、最悪の方法でクランを倒そうとする、その宣言であったからだ。


「私は助けに来たのであって、殺しに来たのではないのだが。……見てしまったからには、見過ごせんな」


 えらく気乗りしない態度ながらも、彼は、その現場へと歩みを進める。


「死神は、生と死の管理者。無用の殺戮を犯すは、重罪なり」


 更に近付き、声だけでなく、木々の隙間から“ターゲット”を視認した瞬間。アダムは、その力を発動する。

 戦闘能力としての、『神の両足』を。




「執行する」




 その場に、厳かで低い壮年の声だけが残された。




***




 ――クランが見たのは、かろうじて理解できたのは、閃光が己を踏みつけていたレガートを吹き飛ばした、ということだった。


 あっけに取られながら身を起こす。吹き飛ばされたレガートの身体は、力なく木の枝に突き刺さっており、明らかに機能を停止――端的に言えば、死んでいた。尤も、彼は死神である。魂さえ霧散していなければ、まだ本来の死ではないだろう。

 そして……クランの目の前には、レガートを一撃必殺した張本人が、何食わぬ顔でこちらに目を向けている。


「すまないね、酔狂な鳥……いや、もうクラン・クラインと呼ぶべきだろうね」


 白いコートの男。アダム・ノートリアス。

 たった一度邂逅しただけだが、忘れるわけもない、第三位――執行最高位の死神。

 ノーナが死んだ時、彼女の仇討を邪魔したあの男だ。クランはよく覚えている……全く歯が立たなかったことも。


「……ようやく、俺の名前を呼ぶ気になったのか」

「はは、そうだね。残念ながら覚えてしまったよ。お前たちの活躍ぶりは、中々に胃に来るものでね。ま、とにかく……」


 彼はそこで、自分が吹き飛ばした死神レガートを横目でちらりと見て、人の良さそうな苦笑を浮かべる。


「うちの死神が迷惑をかけたようだ。執行対象でない人間の殺戮は重罪。流石に、あのやり方はいかんねえ。……肉体を殺したから、もう街の人の洗脳は解けただろう。安心してくれたまえ」

「……どーも。それで、そいつを連れてさっさと帰ってくれんのか」


 アダムは、にっこりと笑う。身にまとった闘気は衰えない。

 それを見た時、クランは確信した。今日の彼は逃がす気がない。


「胃痛の原因は除かないといかんのだよ」

「……お前、別に俺のことがなくても、普段から胃痛だろ」

「何故それを!?」

「そういうオーラ出てる……。っていうか俺の言葉にいちいち反応するあたりも、本当人がいいっつーか……ご苦労様です」

「うぐっ!! やめんか!」


 こほん、とアダムは咳払い。


「それは置いておいてもだ。まだ、レガートの執行対象は消えていない。その始末は、私がつけさせてもらおう」


 はっと、シャーリィが息をのむ。クランも、そもそもの原因はシャーリィが執行対象に選ばれたことだというのを、数分ぶりに思い出した。レガートと戦っているうちに、すっかり頭から抜け落ちていた。


「クラン、オル。私……」


 決意を込めたその言葉は、しかし、遮られる。


「シャーリィ、下手なこと言ったらぶん殴るぞ」

「おねーさん! 手、繋ごう!」

「……」


 シャーリィは、遂に先の言葉は紡がずに、オルクスの手を握った。


「一応聞いておくがね。その女の命をこちらへ渡してくれるのであれば、見逃してやらんでもないぞ。時間が惜しいのでな」


 アダムは、本当に投げやりにそう言った。まるで期待していない口調だ。

 そしてそれはおおよそ当たっている。

 ここで引き下がるような人間は、まず、彼の胃痛の種にはならないのだから。


「お断りだ」

「絶対、やだ!!!!」


 ――クランは拳を。オルクスは鎌を、それぞれ構える。


「よかろう。覚悟は出来ているな?」

「覚悟するのはお前だろうが。絶対にぶっ飛ばしてやる」

「その満身創痍の状態でなにが出来る?」

「……ふん」


 クランは戦闘狂だが、また、スリルジャンキーだが、自殺志願者ではない。

 構えながらも、解錠すら使えない満身創痍のこの状況では、クランに勝ち目がないことはよく分かっていた。この場で必要なのは、どんなに卑怯でも構わない、生き残る方法だ。

 一度でも多く死に瀕するために、彼は這いつくばってでも生き残らなければならない。


 だから彼は、尊厳などかなぐりすててこう言った。


「そうさ、俺は満身創痍。分かってんじゃねえか。どうだ、このままじゃお前も詰まらねえだろ。一つハンデを寄こせよ」

「ハンデ、だと?」


 踏み込みかけたアダムの足が、止まる。


「そうだ。五秒待ってくれ。五秒たったら、何してもいい。一矢報いる準備期間をくれよ」

「……いいだろう。好きに足掻け。――一、二……」


 ゆっくりと、彼は数える。

 全く、本当にお人好しで、律儀な人間だ。


 ――僅かに、五つ。クランは、カウントダウンを聞きながら、その手に全魔力を集中させる。生きる意志が、彼を高ぶらせる。

 いつの間にか、また彼は、笑っていた。


「三、四」


 淡々と進む数字。そして。


「――五」




 クランは、五の言葉と同時に、魔力を解き放つ。




***




 アダムは、クランの動き一つ一つを、注視していた。

 ……彼の能力は攻めのみに特化している。だからこそクランは、この提案をしたのだろう。防御に使える能力がない以上、そして五秒は待つと言った以上、次のクランの、おそらくは最大出力である一撃を、アダムは五数えた直後に避けなければならない。それがクランにとっては最初で最後のチャンスであり、アダムにとっては最初で最後の隙だ。


 ばちり、と足に青白い閃光が走る。『神の両足』――神速の発動準備だ。

 アダムは伊達や酔狂、ましてや同情などでこの提案に乗ったのではない。彼には、彼なりに、自信があった。絶対にクランの攻撃を避けられるという、確信が。


 ゆっくりと、数え、そして。


 ――五。


 それが彼の口から漏れた瞬間、クランは動いた。

 相手もこちらの速さは承知。攻撃範囲の広さで来るか、それとも、他の何か――追尾型か。

 少しばかり、この駆け引きを楽しんでいる自分に気づかないまま。

 アダムは、身構えた――が。


 クランの放った魔法は、そのどれとも違った。


 それは、凄まじい閃光。


 殺傷能力、皆無。

 速度、光速。

 回避不能の、最大出力の、『めくらまし』――。


「――!!!!!」


 言うまでもなく予想外、紛うことなく完全に考えの外だった。

 逃げるためだけの魔法――この状況で、あれだけの啖呵を切って!


 クランの動きをこれでもかと注視していたのが完全に災いした。アダムはその閃光を正面から直視した。せざるを得なかった。いくら彼でも、光より速く背を向けることなど出来ず、反射的に目を閉じた時には視力は一時的に奪われていた。


 そして感じる。視界がなかろうと、死神同士の気配感知はまだ働いている。オルクスの気配が遠ざかる。このままでは感知の範囲から抜けてしまう。


「は……、やってくれる!!」


 一度も逃げ腰にならず、戦う構えを見せ、シャーリィを決して裏切らず、徹底抗戦の構え――全ては、『逃げに徹していることを悟られないため』、だとしたら。

 気持ち悪いまでの、生への執着だ。アダムは一つ、乾いた笑いを漏らす。


「だが――逃がさんよ!!」


 視界が縛られる時間は僅か。アダムの神速ならば、この街を探しまわるのに数分も掛からない。頭を左右に振り、視界が戻ってくるのを待つ。




 ――この時アダムは、最大の誤算を犯した。

 これまでの行動が予想できなかったことなど、些細なことだと思えるような、大きな見過ごしをしていた。


 クランがオルクスと共に逃げた…、アダムは、そう、思いこんだのだ。クランの全ての言動が、逃げるためのカモフラージュだったと、そう結論付けて、彼は完全に逃げに走ったのだと決めつけた。


 よくよく考えれば、気付いたはずなのに。

 死神の気配がそこから遠ざかったからといって、オルクス・マヴェットが逃げたからといって、相棒が同じように逃げていることの証明には、一切、なっていない。




「―――あぁぁぁあああッ!!!!」




 閉ざされた視界が、ようやく開けた瞬間、アダムが見たのは、飛び込んできたクランの姿だった。

 突き出されるは渾身の炎拳。


 宣言通りの、“ぶっ飛ばす”。


 熱が、衝撃が、爆炎が。弾けるようにその身に伝わる。

 舞い散る砂塵、吹き荒れる熱風。


「っ、ぐぁ……!!」


 アダムは思いっきり吹き飛ばされた。地に足をつけていられず、身体が宙を舞った。

 山の中に突っ込み、背中を強く木に打ちつけて、ようやく止まる。


「………」


 顔を上げ、立ちあがった時には、クランの姿はなく、オルクスの気配も既に感知不能であった。身体を動かすと、痛む。ダメージを受けたのは久しぶりだ。


「ふむ……今回は、私の負け、かねえ」


 今から追いかけても、最終的には始末出来るだろう。だが、こちらも手傷を負ってしまったし、倒すために結構な時間を取られることは間違いない。……腕時計で確認する。もうすぐ、十分休みは終わってしまう。レガートの処理を考えると今日は残業確定だし、これ以上次の仕事開始は延ばせない。


 アダムは、頭を掻いた。苦笑いが漏れた。


「思ったよりも、ずっと、胃痛の種だ」


 レガートが敗北したからには、正式に第三位に依頼が行くだろう。あの二人の始末はその時でいい。アダムはそう結論付けて、動かないレガートを抱え、死神の歪城へと戻ることにしたのだった。




(第六話 了)

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