第14話
「……ねぇ、ママ。もしも悪い魔女が封印の丘から出てきちゃったら、どうなっちゃうの?」
ソファで昔話を語り聞かせてきた母親に、少女は問うた。少女は、まだ五つか六つぐらいの年頃だ。その顔は不安げで、オバケを怖がっているようにも見える。
「あら、怖いの?」
母親が優しく問いかけると、少女は「……うん」とうつむいた。そんな娘に、母親はくすくすと笑った。笑う口元に当てた左手の中指には、薄汚れた指輪がはめられている。
「大丈夫よ。でも、そうね……もし悪い魔女が出てきて、怖い目にあってしまったら……希望の祈りを唱えると良いわ」
「希望の祈り?」
初めて聞く言葉に、少女は首をかしげた。そんな娘を抱き寄せ、母親はその頭をくしゃりとなでる。
「そう。ママのママの、そのまたママの……ずーっと昔から伝わってきた、女神様が怖いものを追い払ってくれる、おまじない」
そう言って、母親はすうっと目を閉じ、そしてゆっくりと口を開くと、歌うように言葉を紡ぎ出した。
「いずれの時にか賜りし、言の葉結びて奉る。祖人に与えし救いの力、再び我らに賜らん。世を蝕むは邪悪な心。後顧の憂いを絶たんがために。憐れみたまえ、憐れみたまえ。慈しみ深き我らが女神。古よりの常闇祓い、来るべき明日を光で照らせ」
母親が一言発するごとに、部屋の中が明るくなっていくように、少女は感じた。優しく、温かい気配。ここにいれば、絶対に大丈夫。何者からも、女神様が守ってくれる。そう感じずには、いられなかった。
いつもは何となく怖いと思う、扉の向こうの夜の闇さえ、今はちっとも怖い気がしない。そんな娘の頭を、母は再び、優しい手つきで撫でた。
「闇を恐れないで。闇は、希望の祈りを唱える者を、守ってくれるわ。何十年も、何百年も、何千年も前から……真の闇は、希望を捨てない者を守り続けてくれているのよ?」
「? うん!」
母の言葉の意味がわからないまま、それでも何やら心強い物を感じて、少女は元気良く頷いた。
そして、早速希望の祈りを唱えてみようと、母の唱えた祈りの言葉を真似て唱えようとする。
しかし、聞き慣れない言葉を一度聞いただけで唱えるというのは思ったよりも難しく、少女は何度も何度も言葉をつまらせた。
「いずれの時にか……りし?」
何度も言葉を詰まらせ、舌をかみ、意味のわからない言葉に首をかしげる娘に、母親は「あらあら」と苦笑した。
やがて、少女は唱える練習に疲れたのか、ふわぁ……と大きなあくびをし始める。その様子に、母親はまた少し苦笑した。
「……もう遅いわ。明日また教えてあげるから、今日はもう寝なさい?」
優しく諭す母の声に、少女は「はぁい……」と残念そうに返事をした。そしてソファから飛び降りると、一緒にソファに座らせていたクマのヌイグルミを抱きあげる。
「おやすみなさい、ママ」
そう言ってパタパタと寝室に駆けていく娘の後姿を見送りながら、母親は優しく微笑み、声をかけた。
「おやすみ、スフェラ。……良い夢を」
(了)
未来から来た魔女 宗谷 圭 @shao_souya
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