第12話

「やべぇ! させるかぁぁぁっ!」

「うるさいハエだ……のいておれ!」

 ヘラは闇の塊から一時的に右手を離し、人差し指をセロに向けた。すると、子どもの頭程度の大きさの闇の塊が放たれ、セロのみぞおちに直撃する。

 急所に攻撃を食らったセロはすぐに立ち上がる事ができず、必死に上体を起こしながら叫んだ。

「……っ! イヴ、スフェラ! 逃げろぉぉぉっ!!」

「死ね! 小娘ども!」

 セロの必死の叫びと、ヘラの無情な叫びが重なった。そして、ヘラは両手をイヴ達に向け、巨大な闇の塊を放とうとする。

 だが、その時だ。

「させるものか!」

 第三の叫び声が響き、続いてバチィッ! という音が聞こえた。セロにとっては聞き慣れない音だが、生木を力任せに割り切った時の音に似ていたような気もする。

 見れば、いつの間にかヘラの背後にレクスがいた。恐らく、ヘラはレクスに関してはもう相手にするのが終わったものだと思っていたのだろう。だからこそ油断し、レクスの接近に気付かなかったのだ。

 レクスの右手には、炎のような赤色に輝く石が握られている。恐らくはあれが、サビドゥリア鉱石という物なのだろう。

 レクスは右手に握ったサビドゥリア鉱石を、ヘラの背中に押し当てている。そのヘラの顔が青ざめた。今まさに放たれようとしていた闇の塊が、音も無くすうっと消えていく。

「な、何……!? 体が……動かぬ!?」

 氷漬けにでもなったかのように動けなくなったヘラに、レクスは眉ひとつ動かす事無く、淡々と言った。

「サビドゥリア鉱石は、お前を封印するために使われた石だと言ったな、ヘラ。ならば、そのエネルギーを利用すれば、お前の動きを止めるくらいは容易かろう」

 それだけ言うと、レクスはふう、とため息をついた。そして、済まなそうな顔をして視線を横へとずらす。

 セロがつられてレクスの視線の先を見ると、そこにはリッターが倒れていた。だが、先ほどまでと違い、腹部に大きな穴が空いている。つまり、今レクスが握っているサビドゥリア鉱石はリッターの……。

「おっさん……」

 思わずつぶやいたセロに、レクスは照れたようにフン、と鼻を鳴らした。

「やはり、魔法という物は効率が悪いな。精神などという不安定な物に頼るから、ヘラを封じるのに本来必要な量の何十倍もの鉱石を必要としてしまったのではないかね?」

 科学の力を使えば、こんなに少ないサビドゥリア鉱石でもヘラの動きを止める事ができるというのに……とレクスはため息をついて見せた。

 そのわざとらしい挑発的な態度に、セロは思わずクスリと笑った。そして、立ち上がりながら不敵な笑みを顔に浮かべて見せる。

「……その代わり、魔法は使い手の精神力次第で、本来の力の何十倍もの力を出せる事もある!」

 返答するように、レクスも笑って見せた。

「ふ……どちらも、一長一短というわけか」

「そういう事!」

 そしてセロは、イヴとスフェラに視線を向けた。慌てて詠唱し、失敗するのを防ぐためだろう。二人の口は、動いていない。その代わり、二人は目を閉じ精神を研ぎ澄まし、さらに魔力を高めているように見える。二人を取り巻く空気が、これ以上無いほど清く神々しいものとなっているようにセロは感じた。

「……イヴ! スフェラ!」

 セロの呼び掛けに、イヴとスフェラはすう、と目を開いた。

 いける。心のどこかでそう確信したセロは、「今だ!」と叫んだ。

「ヘラが動けないでいる今のうちに、一気に唱え切れ!」

 セロの声が聞こえてか、聞こえていないでか。イヴとスフェラがゆっくりと口を開いた。そしてその口から、旋律のように言葉がつむがれる。

「世を蝕むは邪悪な心」

「後顧の憂いを絶たんがために」

 そして、イヴとスフェラの、二人の声が重なった。

「憐れみたまえ、憐れみたまえ。慈しみ深き我らが女神。いにしえよりの常闇祓い、来るべき明日を光で照らせ!」

「や、やめろ! やめてくれ! その魔法を……その魔法を唱え切られたら、わらわは……わらわは……っ!」

 懇願するように、ヘラが悲鳴をあげる。だが、イヴとスフェラはためらう様子を見せる事無く、声を重ねた。

「レディアントグレイス!!」

 古より伝わる女神への祈りが唱え切られ、辺りは強烈な光に包まれた。白く温かい光はセロ達を心なしか癒し、逆に闇を焼いていく。

 光に照らされ、蘇りかけていたこの時代のヘラの気が弱まっていき、ゆがんでいた空気が正常に戻っていく。

 そしてまた、未来から来たヘラも光に苦しんでいた。両手で胸やのどをかきむしり、今にも血泡を噴きそうだ。青白い顔は、ますます青くなっている。

「馬鹿な……わらわが……わらわが倒されるだと? そんな事が……そんな事があってたまるものか!」

 血を吐くように叫んだ瞬間、ヘラから強烈な闇がほとばしった。闇は巨大な爆発を起こしたかのように急速に広まり、光を打ち負かしていく。

「なっ……」

 セロは言葉を失い、イヴの顔が青ざめた。

「そんな……! 希望の祈りが効いてない……!?」

 正確には、まったく効かなかったわけではない。実際、蘇りかけていたこの時代のヘラは、再び封印されている。

 だが、未来から来たヘラはまだそこに立っている。希望の祈りが多少は堪えたらしく肩で息をしてはいるが、その顔は勝ち誇っている。

「ほほほ……やはり、所詮は血の薄まった弱き魔法使いどもよ。わらわを必ず封ずるはずの希望の祈りですら、わらわを倒す事ができぬのだからな」

「何て事……これじゃあ……」

 悔しそうに、スフェラが歯がみする。その姿をヘラは満足そうにながめ、そして両手を前にかざした。

「さて。これでそちらの手札は終わりであろう? 次は、わらわの番……今度こそ朽ち果て、滅びゆくが良い。魔法使いどもよ!」

 ヘラの両手の中に、あの雷を帯びた闇の塊が生み出されていく。今度はそれを放つ様子は無い。その代わり、闇はどんどん大きくなっていく。どうやら、巨大化した闇でそのままこの建物を飲み込むつもりだ。

 ヘラの闇に呼応するかのように、ゴゴゴゴゴ……と地鳴りが聞こえ始めた。その音に、セロはあせって周りを見渡し、そして考えようとする。

「くそっ……何か……何か無いのか!? 今のこの状況を、何とかする方法は……」

 だが、考えても考えても、名案は浮かばない。あの闇を受けて、無事に済む可能性は無い。それはリッターの事を思い出せば考えるまでも無い事だ。

 かと言って、今のセロにはあれを防ぐための魔法を使えるほどの魔力は残っていない。イヴも同様だ。先ほどの希望の祈りで、ほとんどの魔力を消費してしまったように思える。

 辺りに、盾になりそうな物は無い。あったとしても、それがいかほどの力を持っていると言うのだろう。

 万事休すだ。そう、セロが希望を失いかけた時。セロの横から、スッと手が伸びてきた。その手には、赤い石がはめ込まれた金色のリングが載っている。

 セロは目を見開いて、顔を上げた。そこにはレクスの顔があり、強い眼差しでセロの事をみつめていた。

「セロ君……これを使いなさい!」

「おっさん? ……これは?」

 リングをみつめたまま、セロはレクスに問うた。するとレクスはセロの手にリングを握らせ、説明する時間が惜しいと言わんばかりにまくし立てる。

「ロボット達を造るかたわらで作成していた物だ。これを使えば、私の手元にあるサビドゥリア鉱石の欠片だけでも、大量のエネルギーを生み出す事ができる。君達が魔法を使うのに必要な魔力と同質のエネルギーを、な……」

「! じゃあ……」

 レクスは頷き、そしてヘラをにらみ付けた。

「君が魔法を使うのに必要な魔力の数値は分析済みだ。その鉱石から生み出されるだけのエネルギーがあれば、アレが使えるだろう。遠慮はいらない……思い切り、ヘラに向かってぶちかましなさい!」

 セロはレクスの横顔を頼もしそうにながめると、自らの手に置かれたリングをギュッと握り締めた。そして、意を決してリングを左手の中指にはめる。

「……わかった。サンキュー、おっさん!」

 言うや、セロはスラリと剣を抜き放ち、ヘラに向かって構えをとった。その様子に、ヘラは怪訝な顔をする。

「……何だ? この期に及んで、一体何を……」

「悪あがきだよ! 誰がお前の望み通りに、絶望したりするもんか! たったひと欠片でも希望が残っている限り、俺は……俺達は絶対に諦めない!」

 セロの叫びが合図だったかのように、セロから黒く濃い闇が生まれ出た。ヘラの闇と同等か、それよりも深く黒い。だが、不思議と恐怖や冷たさは感じさせない。温かく眠りに誘ってくれる、心安らかな夜を思い出させるような闇だ。

 闇が、セロの手元の剣へと集まっていく。そして刃が闇に包まれた時、セロは渾身の力を込めて朗々と唱えた。

「堕天せし神のしもべを葬りし牙、其の声は全ての闇を地へ降す! 黒き獣の咆哮よ、我がつるぎに宿りて、悪しき魂を切り裂かん!」

 セロの声に呼応するかのように、闇はセロの剣に纏わりついていき、やがて闇が剣に吸収される。セロは闇の刃を持つ剣を振り上げ、そして振り下ろしざまに叫んだ。

「ダークネスファング!!」

 瞬時に闇の刃が爆発的に膨れ上がり、巨大なつるぎへと姿を現す。セロの背丈の十倍はあるであろう刃はくうを貫き、辺り一帯のガレキを吹き飛ばしながらヘラへと突き進んでいく。

「何を……小癪な!」

 今までで最も巨大になっていた闇の塊を、ヘラは咄嗟にセロに向かって放った。冷たい闇の塊と、温かな闇の刃がぶつかり合い、烈風を巻き起こす。

「……っ! すごい力……イヴ、吹き飛ばされないように、気を付けて!」

「は、はい! ……あっ!」

 スフェラに向かって頷いてから、イヴは思わず身を乗り出した。その姿に、何事かとスフェラもイヴの視線の先を追う。

 二人の視線が行きつく先では、セロとヘラの闇が激しく競り合っている。

 だが、やがてセロの闇の刃がじりじりとヘラの闇に食いこみ始め、そしてついに冷たい闇の塊を斬り捨てた。両断された闇は行き場を失い、その場で轟音を発し爆発する。

 そこで動きが止まる事無く、セロの闇の刃はヘラをも貫いた。

「あ、あぁ……っ!」

 ヘラの口から、悲鳴が漏れ出た。次いで、同じ口から緑色の血が流れ出る。緑色の血は刃に貫かれたヘラの胸からも湧き出し、ヘラが慌てて両手で塞ぐも、止まる事無く流れ続ける。

 次に、ヘラの体に変化が現れ始めた。青白かった肌が次第に灰色に変化していく。……肌だけではない。髪も、瞳も、服までもが、次々に灰色になっていく。

 そして、灰色になった服の一部がパキリと音を立てて崩れた。一度崩れ始めた体は留まる事を知らず、どんどん崩れていく。

「体が……わらわの体が……!」

「ヘラの体が……崩れていく……!?」

 目を見開くイヴとスフェラの横に、レクスが静かに立った。そして、動じる様子も無く、ヘラの体が崩れていく様をみつめている。

「先ほどの……希望の祈りとかいう魔法で、ヘラは既に大きなダメージを受けていたからな。そこへきて、セロ君のこの魔法だ。体が耐え切れなくとも、無理は無いだろう……」

 静かに語るレクスの眼前で、ヘラの体は既に三分の一ほど崩れている。崩れながらも、ヘラは憎々しげな目でセロをにらみ付けた。

「……なぜだ? 血の薄まった魔法使いに、なぜこれほどまでの魔法が使える!? こんな……あの憎き勇者ですら、わらわを倒す事は敵わず、封印するにとどまったというのに……!」

「……血の濃い薄いなんか、関係無ぇよ」

 静かに、セロはつぶやいた。闇の刃は、まだ消える事無くヘラの胸を貫いている。セロはその様子を、優しい静かな目でみつめている。

「俺達はただ、希望を捨てなかった。そして、皆が精一杯、自分のやれる事を頑張ったんだ。リッターが俺達を守ってくれた。イヴとスフェラは、あんな危険な中で希望の祈りを唱え切った。おっさんはお前を足止めしただけじゃねぇ。俺の魔力を回復させてくれた。皆のその真剣な想いに、魔法が応えてくれた。……それだけだ」

「馬鹿な……そんな事で!?」

 ありえないと言わんばかりにヘラは目を剥き、首を激しく横に振った。崩れ落ちていく体から、尚も冷たい闇をまき散らさんとするかのように、シューシューと黒い煙が立ち上る。その煙を打ち消さんと、セロは剣を握る手に強く強く力を込めた。

「お前にとってはそんな事でも、俺達にとっては大切な事だ! 諦めない心……それが、俺達の力になるんだ!」

 叫び、セロは剣を握ったまま一歩前に踏み出した。ヘラを貫いていた剣がますます深く突き刺さり、それと比例してヘラの体が崩れ落ちるスピードがどんどん上がっていく。

「うぉぉぉぉぉっ!!」

 雄叫びと共に、ついにセロは剣を握ったままヘラに肉迫した。闇の刃は、もはや柄しか見えぬほどヘラに深々と突き刺さっている。

 ヘラの左肩が崩れ、腰から下が無くなり、体が地に落ちる。落ちた反動で刃は体を切り裂き、右肩を斬り落としてヘラから抜けた。

 胸から上だけとなったヘラが、なおも恨みのこもった叫び声をあげる。胸の部分が崩れ、ついに首だけを残すところとなった。

「馬鹿な……。わらわが……わらわが滅びるというのか!? あり得ぬ……そんな事はあり得ぬ! わらわは認めない……認めないぞぉぉぉぉっ!!」

 ヘラの首が、縦に割れ、崩れた。

「おのれぇぇぇぇぇっ!!」

 断末魔の叫びを残し、ヘラの首は完全に崩れ落ちた。後に残ったのは、先ほどまでヘラだった物――灰色の砂のような物だけだ。

 ヘラは、滅びた。

 そう確信したセロはフッと力を抜き、振り上げたままになっていた剣を静かに下ろした。剣に吸収されていた闇が発散され、そして霧のようになって消えていく。

 その闇の霧が消えた時……セロ達の立つ場所は、本来天井のあった場所から注ぎ込む陽の光に照らされて、ようやく本来の明るさを取り戻したように思えた。

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