第10話

 静まり返った空気を破ったのは、ガラガラガラッというガレキの崩れる音だった。続いて、ガレキの下からすり傷をあちらこちらにこしらえたセロが顔を出す。

「……助かった。サンキュー、イヴ」

「もう……だから言ったじゃない。無茶とかしないでよ、って……」

 怒っている口調とは裏腹に、泣きそうな顔をしているイヴがセロに駆け寄った。レクスはその様を呆然と見つめ、それから首を巡らせる。

「スフェラ……スフェラは!?」

「……」

 おろおろと戸惑うレクスの姿を、セロが妙に静かな目でみつめている。その背後で、ガラッというガレキの崩れる音がした。

「スフェラ!?」

 音に反応して、レクスがセロの背後を見る。そこには、汚れてはいるが傷一つ負っていないスフェラと、微かにバチバチという音を発しながらも、しっかりと立っているリッターの姿がある。

「スフェラさん! リッターさんも……」

「無事だったんだな……良かった……」

 イヴとレクスが、同時に胸を撫で下ろす。だが、スフェラもリッターも、難しい顔をしたままだ。

 それだけではない。セロもまた、レクスとスフェラを交互に見ながら、難しい顔で黙り込んでいる。

「……セロ?」

 幼馴染の様子に不安を感じたのか、イヴがおずおずと名前を呼ぶ。すると、それが合図であったかのようにセロが声を発した。

「……おい」

「ム……?」

 自らに不意にかけられた声に、レクスはうなるように振り向いた。

 その目に見えたのは、先ほどまで自分の作ったロボットと戦っていた少年。その顔は無表情なのに、怒っているようにも、悲しんでいるようにも見える。

「もう……やめにしねぇか?」

「……何?」

 セロの言う意味が、一瞬、レクスには理解できなかった。そんなレクスに構う事無く、セロは淡々と言葉を続ける。

「元はと言えば、お前がこの時代へ来ようとか、この世界を滅ぼそうとか……そんな事を考えなきゃ、こんな風に俺達が戦う事も無かっただろうが。それが戦ったから、こうしてスフェラが危ねぇ目にあって……」

 そこで、セロは感情を抑えきれなくなったらしい。一旦言葉を切り、大きく息を吸い、レクスをにらみ付けて……そして。

「自分のせいで娘が危ねぇ目に遭ってんのに……お前が鉄人形をけしかけてこなけりゃ、俺達はお前と戦う理由なんか無ぇってのに。……なぁ、これ以上俺達が戦う必要があるのかよ!?」

 セロの言葉に、レクスは思わず目をそらした。セロが言わんとする事はわかる。だが……。

「うっ……うるさい! お前に何がわかる!?」

 緒が切れたように、レクスは怒鳴った。その剣幕に、イヴが思わず後ずさる。だが、レクスにはそんな事を気にかけている余裕は無い。

「どれだけ優れた発明をしても、金が無いためにサビドゥリア鉱石をろくに手に入れる事ができず、うまい汁は全て金持ちに吸われ……早くに母を亡くした娘に苦労をかけて……科学者として、父親として……それがどれほどむなしい事か、お前にわかるのか!?」

「わかるわけねぇだろ!」

 洪水のようにあふれ出ていたレクスの言葉をせき止めるような……大きく、そして鋭いセロの声が響く。

 レクスの言葉は止まり、イヴは息をのみ……辺りは一瞬で静まり返った。

「わかるわけねぇだろ……。スフェラの気持ちも、俺達の事も無視した、お前の勝手な被害者意識なんか、知りたくもねぇっ!」

 セロの言葉に、レクスの顔の色がみるみるうちに変わっていく。怒りと、狂気を表す赤色に。

「何とでも言うが良い! 私は……この地で、この時代で、サビドゥリア鉱石を独占し、障害となり得る魔法使いを殲滅して……スフェラを……スフェラを、幸せにしてやるんだっ!!」

 叫び、レクスはあの、黒く光沢のある板に手を伸ばした。この上でレクスが指を滑らせれば、きっとまた、あの巨大な鉄人形は動き出す。イヴの顔が強張り、セロは舌打ちをしながら剣を構える。

 そして、あの巨大な鉄人形――D‐08C号はセロ達に襲い掛かる……はずだった。

「父さん、もうやめて!」

 スフェラが叫び、レクスの思考が一時停止する。

「……スフェラ?」

「スフェラさん……?」

 レクスがやっとの思いで声をしぼり出し、セロとイヴはこれまで聞く事の無かったスフェラの悲痛な叫び声に呆然とする。

 スフェラはレクスの眼前まで進み出て、その両肩に手を置いた。そして、涙でぬれた顔でレクスの顔を見上げる。

「……父さん。私は別に、今までの生活が不幸だなんて思った事は無いわ。母さんが死んでしまったのはさびしかったけど、それで苦労をしたとは思ってない。……お金持ちでなくても、楽ができなくても良い。父さんがいて、リッターがいて……それで今まで通りの生活ができれば、それで良いの。私は、それで幸せよ。幸せだったのよ?」

「スフェラ……」

 かける言葉が見付からず、セロはただ、名を呼ぶ事しかできずにいる。

 そして、視線をそのままレクスへと移した。レクスの目はぼんやりとスフェラを見つめている。そして、呆然と口を開いていた。

「スフェラ……そんな……それじゃあ、私は一体何のために?」

 何のために時を超え、魔法使いを――人々を傷付けてきた?

 レクスはふらりと、スフェラから距離を取った。その様子に、スフェラはいぶかしげに眉を寄せる。

「……父さん?」

 名を呼んでも、呆然としているレクスの耳には届かない。スフェラの声も聞こえぬまま、レクスはブツブツとつぶやき始めた。

「私だって……私だって、魔法使い達を傷付けたかったわけじゃない……。私はただ、スフェラを幸せにしたくて……そのためなら、何でもしようと心に決めて……こうすれば、幸せにできると言われて……」

「? 言われて?」

 レクスのつぶやきに引っ掛かりを覚え、セロはすい、とレクスの前に歩み出た。泥とほこりだらけの手でレクスの両腕をつかみ、強く一回ゆする。

 その震動にレクスがハッとしたところで、間髪入れずに声をかけた。

「言われて、って言ったか? 今……」

「どういう事、父さん? 一体誰に……」

 セロとスフェラの二人に問われ、レクスは目を泳がせた。そして、しばらく言うのをためらった後、おずおずと口を開く。

「……それは……」

 レクスが言いかけたその瞬間、ズドン、という鈍い音がした。それと同時に、レクスが「うぐっ……」とうめき声をあげ、そのままどさりと倒れてしまう。

「……父さん? 父さん!?」

 慌ててスフェラが近寄り、レクスの肩をゆする。その手に真っ赤な血がべったりと付着しているのを見て、セロは血相を変えてイヴに視線を投げた。

「……っ! イヴ!」

「!」

 セロの呼び掛けに、イヴがハッと我に返る。そしてレクスに駆け寄ると、血が噴き出しているらしい腹部に手をかざした。

「聖なる光よ、彼の者を癒せ! ホーリーフィジシャン!」

 緊迫感漂う詠唱と共にイヴのレクスの腹部が白い光に包まれる。やがて光が消え、血が噴き出なくなると、レクスはうっすらと目を開けた。

「……う……す、スフェラ……?」

 弱々しいながらも聞こえてくるその声に、スフェラはホッと胸を撫で下ろした。

「父さん……!」

 心底、安心したのだろう。スフェラの目には、先ほどとは違う、安堵の涙が光っている。その様子に、セロとイヴもホッと安堵の息を吐いた。

「良かった……間に合ったみたい」

「けど、今の……一体何が……?」

 レクスは後から攻撃されたように見えた。だが、例えば剣でレクスを刺した者の姿を、セロは見ていない。矢が見当たらないから、射られたわけでもなさそうだ。

 ならば、魔法か? ……だが、魔法使いの姿は辺りに見当たらない。

 では、レクスが未来から持ってきた機械や、鉄人形の仕業か? ……それも違うだろう。スフェラの武器やリッターの光線など、今までの様子を見る限り、未来の攻撃手段というのはとかく派手な音がする。レクスが倒れるまで、本当にそれらしき音は聞こえなかった。

 辺りを慎重に見渡すセロの耳に、どこからともなく声が届く。

「ふふふ……命を永らえたか。無駄な事を。どうせまた、すぐに散る事になるであろうに……」

「!? 誰だっ!?」

 がばりと振り向き、そしてまた辺りを見渡すが、人影は無い。しかし、それでも洞くつの中で響くような不気味な女の声は聞こえてくる。

「誰だとは、ご挨拶だな。わらわを蘇らせぬために、細々と血をつないできた魔法使いの言葉とは思えぬ」

「……何?」

「その声……ヘラか!」

 言われた言葉の意味がわからず不思議そうな顔をするセロの後で、レクスが苦しげに叫んだ。イヴの魔法で傷はほぼ治っているが、それでもまだ顔色が悪い。しかし、今はそれを気にしている場合ではない。

「……ヘラ……?」

 レクスの口から飛び出した名に、スフェラは不思議そうに首をかしげた。そして、ハッと辺りを見渡す。

 いつの間にか、場がシンと静まり返っている。そして、その中でもイヴは真っ青な顔をして息をのんでいる。

「ヘラってまさか……大昔に世界を支配し、最後は勇者に倒されたって言う……あの悪しき魔女、ヘラ?」

「何だって!?」

 弾かれたように、セロがイヴを見た。

 その顔は驚いていると同時に、ひどく納得しているようにも見える。どこからともなく聞こえてくる声の不気味さと、さらにその声から発される威圧感の正体がわかったからだろう。

 だが、だからと言って安心できるような状況ではない。

 やがて、ゴゴゴ……と地鳴りが聞こえ始めた。建物全体がガタガタと音を立てて揺れ、やがて部屋の中心の空気がゆがんだように見える。

 錯覚ではない。

 やがてゆがんだ空気は人の形を作り出し、そして次第に肉体の質感を帯び、肌の、服の、様々なか所が色付いていく。

 そしてついには、血のように赤黒い色をしたドレスの上に、闇色のローブを羽織った女性が現れる。やせ細った身体に、青白い肌。そして金色の蛇のような目が、黒く長い髪の隙間からのぞいている。

 これが、ヘラなのだろう。太古の昔、世界を支配し、人々を苦しめてきた、悪しき魔女。その魔女が今、目の前にいる。

「どういう事? 何でそんな、魔女なんかと父さんが……!?」

 戸惑うスフェラに、ヘラは「ふふ……」と不敵に笑った。

「わらわはこの時代の、緑あふれる美しい世界を支配したくてな。無機質な建物に覆われた世界になぞ、興味は無い。だが、いかにわらわでも、未来から過去へと時空を越えるのはいささか骨が折れる」

「それで……父さんを利用したのね……!?」

 スフェラが声を荒げ、ヘラをにらみ付けた。だが、ヘラは毛ほども臆する様子は無い。それどころか、逆に楽しげに顔をゆがめた。

「この男の科学力とやらは、中々のものよ。この時代であればサビドゥリア鉱石を独占できる事、そうすれば娘を幸せにしてやれる事。この二つを餌としてチラつかせただけで、時空を越える装置と、あれだけの兵器を造り上げてしまったのだからな」

「そんな……!」

 レクスの顔が、みるみるうちに、先ほどまでよりも青くなっていく。

「じゃあ、魔法使いを殲滅しなければ、私がこの時代のサビドゥリア鉱石を手に入れる事ができないというのは……」

 ヘラはころころと笑い出した。おかしくて、おかしくておかしくて仕方が無いという。そんな笑いだ。

「虚言に決まっておろうて。取るに足らぬほど血が薄まったとは言え、魔法使いはわらわにとって小バエのように鬱陶しい存在なのでな。ついでに始末してくれれば手間が省けて良いと思ったのだが……まさか律義に、全ての魔法使いどもを殲滅しようとするとはな。おまけに、魔法使いどもを消し去るまではと、鉄人形に使う以外のサビドゥリア鉱石に手を付けようともしない。お陰で、わらわの復活に手間取ってしまったわ」

「……? どういう、事だ……?」

 ヘラの言葉の意味が理解できず、セロは思わず問うた。すると、ヘラはセロを見下したようにまた笑う。

「ふふふ……なぜわらわが、三千年の後の未来で復活できたと思う? ……それはな、魔法使いどもを滅ぼしてくれた科学者どもが、わらわの封印を解いてくれたからよ。安定したエネルギー源を手に入れるため、我先にと言わんばかりにな……」

「エネルギー源……! まさか……」

 スフェラの顔もまた、みるみるうちに青ざめていく。それを見つめるヘラは、心の奥底から楽しそうだ。道化師が転ぶ様子を見て楽しむような顔をしている。

「そう! お前達がサビドゥリア鉱石と呼んでいるものは、その昔、憎き勇者がわらわを封ずる際に用いた封印石よ! そのほとんどを取り除いてくれたお陰で、わらわはこの世に蘇り、そして今再び、この世を支配できるというわけだ!」

 高笑いをし、ヘラは「そして……」とレクスに向かって言葉を続けた。

「お前が少しずつではあるが、この時代のサビドゥリア鉱石を採取してくれたお陰で、この時代に封じられているわらわの封印も解き易くなった。あとはわらわが外から力を加え、封印を破壊すれば良い」

 そこで一旦言葉を切り、ヘラは現在の状況に陶酔しているような顔をした。……いや、実際、陶酔しているのだろう。

 うっとりとした目で、「そうすれば……」とつぶやいた。

「そうすれば、この時代にわらわが二人。血の薄まった魔法使いどもに、うだつの上がらぬ科学者では、二人に増えたわらわ達に勝てるはずもない。そしてわらわ達はお前達を滅ぼし、歴史を塗り替え、世界を支配するのだ……昔のように。その際、失われる未来から来たわらわ自身は消えるであろうが、なに、問題は無い。どちらにしても、この世界を支配するのはわらわである事に変わり無いのだからな」

 その言葉が終わらぬうちに、ズズズ……という気味の悪い音が響いた。そして、ヘラが現れた時と同じように空気がゆがみ始める。

「これは……!?」

「地下からサビドゥリア鉱石の反応があります。恐らく、この真下にセロ様達の言う〝ヘラの封印〟があるものと思われます」

「それってつまり……この時代のヘラの封印も解けかけてるって事!? ヘラが言っている通り……」

 淡々としたリッターの解説に、イヴの顔が青ざめる。その様子に、ヘラは満足そうに頷いた。

「そうとも。もっとも、予定よりもずいぶんと遅くなってはしまったがな。その男が積極的にサビドゥリア鉱石を掘り出していれば、もっと早くに封印が緩んだであろうに……」

 レクスが、呆然と宙を見た。視線の先には、この時代のヘラが蘇ろうとしている、空気のゆがみが見える。

「では、私は……スフェラを悲しませてしまっただけではなく、魔女が歴史を狂わせ、世界を支配する手助けをしてしまったという事か……!?」

 悔しそうに、悔むように、「なんと言う事だ……」とつぶやく。その様子を、ヘラは楽しそうに眺めている。

「ふふ……嘆くなら、我が身の不運を嘆くが良い。……さて、お前達と戯れるのも、そろそろ飽いた。協力してくれた礼として、苦しまぬよう一撃で葬ってやろうじゃないか」

 そう言って、ヘラはレクスに向かって右手を突き出した。指先に闇が現れ、次第にバチバチと音を立て始める。雷を帯びた闇の塊を手の上でもてあそびながら、ヘラはニィ、と口の両端を吊りあげた。

「……さぁ、滅びよ!」

「……っ! させるかぁぁぁぁっ!」

「! セロ、駄目っ!」

 セロがヘラに突っ込んで行くのと、ヘラが標的をレクスからセロに切り替え、闇の塊を放ったのは、ほぼ同時だった。

 そして、イヴが叫ぶのと、闇の塊がセロの目の前で爆発したのも、ほぼ同時だった。

「うわぁぁぁっ!!」

「セロっ!」

 爆風に吹き飛ばされ、セロがガレキの山に叩き付けられる様を、ヘラは冷ややかな視線で見つめている。

「ふ……他愛も無い。血の薄まった魔法使いの、児戯にも等しき攻撃で……わらわを止める事ができるとでも思うたか?」

「……っ!」

 痛みをこらえながら、セロは立ち上がった。足がよろけ、ガレキがガラリと音を立てながら崩れる。さほど大きくないその音が、妙に大きく聞こえた。大きく聞こえた音に、心臓が飛び跳ねる。飛び跳ねた心臓に突き動かされるように、セロは剣を、ヘラに向かって突き付けた。

「まだだ! 風の剣に裂かれて果てよ! ブラストセイバー!!」

 だが、セロの勢いとは裏腹に、風はそよりとも吹かなかった。セロの顔から、一気に血の気が引いていく。セロは蒼ざめながら、何度も叫んだ。

「……ブラストセイバー! ブラストセイバー!!」

 喉が破れて血を吐くのではないかと思えるほどに、脳の血管が切れるのではないかと思えるほどに、それほどまでに力強く、何度も何度もセロは叫んだ。だが、それでも風は吹かない。

(……駄目か。さっきまでの戦いで、魔力を使い過ぎた……!)

 叫ぶにつれて頭は冷えていき、やがてセロは叫ぶのをやめた。やはり、モルテとの戦いで大技を使ってしまったのが痛い。アレが無ければ、まだまだ何度でも魔法を使えていただろうに。

 平静を取り戻し、逆に勢いを失ったセロに、ヘラはつまらなそうな顔をした。

「使えぬ魔法を唱え続けるとは、滑稽な。……それにしても、弱い。この程度であれば、モルテとやらをけしかけて、魔力を削るまでも無かったわ」

「あれも、お前が……!?」

 目を見開くセロに、ヘラは相変わらずつまらなそうな視線を投げかける。その視線をずらし、この時代のヘラが蘇りかけているゆがんだ空気を眺めた。そして、共に世界を滅ぼすこの時代の自分が蘇るまでの暇潰しだとでも言わんばかりの顔で、口を開いた。

「アレにさらなる力を与え操るなど、わらわには空気を吸うも同じ事。……さぁ、格の違いを思い知ったからには、絶望し、果てるが良い!」

 言うやいなや、ヘラは先ほどと同じ、雷を帯びた闇の塊をセロに向かって放った。それも、先ほどよりもずっと大きく、帯びた雷もずっと強い。当たれば、まず助からないだろう。

 そんな闇の塊が、セロの眼前に迫ってくる。

「うっ……うわぁぁぁぁっ!?」

「セロぉっ!」

「セロっ!」

 セロが思わず叫び、イヴが悲鳴をあげ、スフェラの声があせりに満ち、そして闇が爆発する。建物のあちらこちらが破壊され、さらなるガレキの山が築かれていった。

 やがて、そのガレキの山の上でセロは起き上がった。

「……あれ? 俺、助かって……?」

 あれだけの攻撃だったというのに。なのに、なぜ自分は助かっている?

 首をかしげながら視線を前にやり、そしてセロは息を飲んだ。

 そこには、リッターがいた。両腕を広げ、セロを守るように立っていた。

 リッターの姿は、どう見ても無事ではなかった。服も皮膚も破れ、あちらこちらから色とりどりの管が飛び出している。そして、体のあちこちから、バチバチという音が聞こえてくる。

 ギギギ……という不穏な音を立てながら、リッターが振り向いた。その顔は、焼けただれたように赤くなり、眼球がむき出しになっている。ほおの辺りからも、青い管が数本、飛び出していた。

「セ……セセ、セロ、様……ごぶ、ご無事……です、ですか?」

 今までのリッターからは想像もできない、途切れ途切れで、ざらついていて、何度も何度も同じ単語を繰り返す喋り方。

 そこで初めて、セロはリッターが鉄人形の仲間なのだと心の奥底から納得した。そして、なぜ自分がヘラのあの攻撃から助かったのかも。

「リッター! お前、俺をかばって……? どうして!?」

「ヘラ、を……たた、た、倒す、ため、には……セ、ロ様の、力、が、ひひ必要だと、判断し、たから……です」

 言葉こそ途切れ途切れだが、それでも淡々としたその喋り方は、相変わらずのリッターだ。その様子に、セロも、そして遠くから事の成り行きを見ていたイヴとスフェラも息をつまらせた。

 リッターは、ちらりとスフェラの方を見た。そして、また視線をセロに戻す。

「セ、セロ、様……ス、スス……スフェ、スフェラ、様を……おま、おまおま、お守り、下さ……」

 リッターが言葉を最後まで言う事は無く、ピー……という甲高い音が辺りに鳴り響いた。それと同時にリッターは全く動かなくなり、ガシャン、とその場に崩れ落ちてしまう。

「おい! リッター! リッター!?」

 セロの必死の呼び掛けにも、リッターは答えない。喋りも、動きもしない。これでは、人間の形をしているだけの鉄の塊だ。これでは本当に、鉄人形ではないか。

「リッター……!」

 スフェラが、やっとの事で声を絞り出した。その声も、手も、小刻みに震えている。見兼ねたイヴが、スフェラの手をギュッと握った。

「茶番は終わりか? たかが鉄人形一体に、よくそこまで騒げるものよ」

 呆れた顔をして、ヘラがセロ達に一歩歩み寄った。その言葉が、琴線に触れたのだろう。スフェラは銃を、ヘラに向けて構えた。

「……っ!」

 スフェラが引き金を引き、辺りに銃声が何度も響く。だが、ヘラは涼しい顔をして結界を張り、全ての弾を防いでいる。

 やがて弾が尽き、スフェラが銃を構えた手を力無く下ろしたところで、ヘラは楽しそうに、馬鹿にした顔で言った。

「そのような鉛玉ごときで、わらわが傷付くものか。……さぁ、お前達も絶望し、その末に果てよ! お前達に、希望は無いのだからな!」

「希望……」

 ぽつりと、無意識にセロはつぶやいた。その無意識のつぶやきが、セロの脳裏に一石を投じ、思考の波紋を広げていく。

「……いや、希望ならあるさ!」

「……何?」

 不愉快そうに眉をひそめるヘラを他所に、セロは勢い良くイヴを見る。

「イヴ! 希望の祈りだ!」

「……え!?」

 セロの言葉に、イヴは困惑して一歩後ずさった。イヴの惑いを打ち払うように、セロは力強く言う。

「その魔法……ずっと昔から、危ねぇ時に唱えろって、イヴの家に伝わってるんだろ? その危ねぇ時ってのは、ヘラと戦う時って事じゃねぇのか!?」

 セロの言葉に、ヘラがピクリと眉を動かした。だが、様子を見るためか、すぐに動く様子は無い。

 しかし、イヴもまた動かない。惑いが打ち払われるどころか、ますます濃厚になってしまった様子だ。

「そ、そんな事いきなり言われても……今まで一度も使えた事が無いのに……なのに、こんな時にいきなりできるようになるわけが……」

 自信が無さそうにうつむくイヴの元へ、セロは駆け寄った。そして、イヴの両肩をしっかりとつかむ。

「今まで使えなかったのは、ヘラとの戦いじゃなかったからじゃないのか!? ……大丈夫だ、お前ならできる! 誰も信じなくっても、お前自身が信じなくても、俺はお前ならできるって信じてる!」

「……」

 まっすぐに目を見てくるセロに、イヴは視線をそらした。再び視線を上げる様子は、無い。

「……世迷言は終わりか? ならば、覚悟を決めるが良い。希望の祈りが絶望への呪詛となり、世界は闇に包まれる!」

 ヘラのあざけるような声が、セロ達の耳を打つ。だがセロは、恐れる事無く、キッとヘラをにらみ付けた。

「ふざけんな! 希望が絶望になる、闇に包まれた世界? そんな世界は、お断りだ!」

「セロ……」

 不安げに名を呼ぶイヴに、セロは振り向き、そして力強い笑顔を作って見せた。不安を感じさせないその顔に、イヴは一瞬だけ見とれてしまう。

「イヴ、俺が時間を稼ぐ! その間に、お前はちょっとだけ……ほんのちょっとだけ、頑張ってみてくれ。な?」

「……」

 イヴが言葉を探している間に、セロは視線をヘラへと戻した。

「スフェラ! 悪いけど、イヴを頼む! ……いくぞ、ヘラ!」

 ヘラをにらみ付けたままスフェラに声をかけ、セロは駆け出した。そんなセロに、ヘラは不快そうにフン、と鼻を鳴らす。

「生意気な。わらわに向かって二度とそのような減らず口をたたけぬよう、喉を切り裂いてくれるわ!」

 言うや否や、ヘラは腕を振り上げ、セロに向かって闇の魔法を唱え、放つ。それをセロは間一髪でかわし、力強く床を蹴ると剣を振り上げヘラに突っ込んだ。

「でりゃあぁぁぁぁっ!!」

 叫び声と共に振り下ろされるセロの剣をヘラは難無く避け、そしてまた魔法を唱える。それをまたセロがかわし、ヘラに斬りかかり、避けられる。

 辺りで闇が弾け、火花が散る。二人の激しい攻防を、イヴは思い悩んだ表情のまま、ただ見つめていた。

「……」

「……唱えないの? ……希望の祈り」

 いつまでも唱えようとしないイヴに業を煮やしたのか、スフェラが静かな声音でイヴに問うた。すると、イヴは不安と悲しみと恐怖と自信の無さがごちゃ混ぜになったような顔で、首を横に振る。

「……無理です。だって、今まで一度も使えた事が無いんですよ? それが、今回は使えるなんて、そんな虫が良い話……」

「そんな事……やってみなくちゃ、わからないわ」

 スフェラの言葉に、イヴは首を横に振った。そして、「それに……」とうつむく。

「こんな時に……世界の存亡がかかっている時に唱えるなんて……。私の唱える希望の祈りに、世界の平和がかかっているなんて……。それじゃあ、もし私が失敗したら? そうしたらきっと、ヘラの言う通り、希望の祈りは絶望への呪詛になってしまうもの……。世界にとっても、今、私を信じて戦っているセロにとっても……」

 自信の無さとプレッシャーから、イヴの声はどんどん小さくなっていく。そんなイヴの両肩を、スフェラは力強くつかんだ。その震動に、イヴはハッと目を上げる。

「……良い? 今あなたが言った通り、この場を切り抜ける事ができるかどうかは、あなたにかかっているのよ、イヴ。……恐れないで。例え失敗する可能性が高くても、あなたが希望の祈りを唱えれば何とかなる可能性は残るわ。けど、唱えなければ可能性はゼロになる。……私が言っている意味、わかるかしら?」

「……」

 まっすぐに見つめてくるスフェラの力強い視線に、イヴはおずおずと頷いた。だが、それでもまだ顔は不安げだ。

 すると、スフェラはイヴの肩をつかんでいた手からフッと力を抜き、優しく微笑んで見せた。

「……一人で成功させる自信が無いと言うなら、私も祈るわ。あなたと一緒に。だから、そんなに簡単に諦めないでちょうだい」

「一緒にって……え?」

 スフェラの言葉の意味がイヴは一瞬飲み込めず、きょとんとした。そして、困惑した顔になる。

「だってスフェラさん、希望の祈りを聞いた事なんて……」

「良いから! どうするの? 諦めて可能性を失うか、限りなくゼロに近い可能性にすがるか! どちらを選ぶか決めなさい! 今すぐに!!」

 強いスフェラの口調に、イヴは口に出し掛けていた言葉を飲み込んだ。そして、目を閉じ数秒の間考えると、目を開ける。その目には、先ほどまでは見る事ができなかった決意の色が現れている。

「……わかりました。やってみます……スフェラさんは……」

「さっき言った事に嘘は無いわ」

 迷う事無くはっきりと言い放ち、スフェラは視線をイヴから動きを停止したリッターへと移した。そして、次に事の成り行きを呆然と見守っているレクスに視線を移し、最後に攻防を繰り広げているセロとヘラを見る。

 ヘラを強くにらみ付け、スフェラは胸元で祈るように手を組んだ。

「私もあなたと一緒に祈る。あなたとセロが、ヘラから世界を守ってくれると信じて……!」

「……はい!」

 スフェラの言葉にイヴは少しだけ顔をほころばせて頷き、そして杖を眼前に祈るようにして捧げ持つ。

 目を閉じ、精神を集中させると、次第に杖に埋め込まれた青い宝石が美しく輝き始めた。その輝きに浄化されたかのように、辺りが神々しい神聖な気に満ちていく。

 やがてイヴは目をゆっくりと開き、静かな声でゆったりと歌うように唱え始めた。

「いずれの時にか賜りし、言の葉結びて奉る」

 イヴに続いて、スフェラも口を開く。その声もまたゆったりと歌うようで、まるでイヴとスフェラで輪唱をしているかのようだ。

祖人そひとに与えし救いの力、再び我らに賜らん」

「! その詠唱は、かの憎き勇者の……!」

 イヴとスフェラが希望の祈りを唱えている事に気付いたヘラが、サッと顔色を変えた。そして、振りかかるセロの攻撃をかわすと、魔法の標的をセロからイヴ達へと切り替えた。

「唱えさせるものか!」

 叫ぶヘラの両手には、巨大な闇の塊が、強力な雷を帯びながら発生している。先ほどセロとリッターが食らった物よりも、さらに大きい。こんな物に当たったら、イヴもスフェラも無事では済まない。……いや、確実に死んでしまう。

「やべぇ! させるかぁぁぁっ!」

 あせりを感じさせる叫びを発しながら、セロがヘラに向かって全力で駆ける。その様子を、レクスは呆然と見つめていた。

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