第十七回 野心と策謀

 思わず、笑っていた。

 それはさぞ醜悪なものに見えたであろう。

 が、原田種堅はすぐに気付くと、その笑みを扇子で覆う事で堪え、何とか怒りの表情に変える事が出来た。

 怡土城、二の丸御殿。午前の政務を終え、昼の膳に箸を伸ばそうとした時である。


「もう一度、申してみよ」


 種堅は、報告に現れた村内壮之丞をめ付けて言った。


「谷原織部様が、お亡くなりになられました」


 村内は、いつもと変わらない淡々とした調子だった。この男が取り乱す事は、滅多

にない。一国の宰相が殺されても、この男にとっては大した事ではないのだろう。


「死んだじゃと。それは真実まことか」

「昨日、遅く」

「なんと……。村内、人払いをせよ」


 種堅が命じると、膳が下げられ村内と二人になった。襖も閉められている。


「死んだか、あの男が」

「田原の別邸にて、鏖殺されたようでございます」

「そうか」


 織部は、人の恨みを買い過ぎていた。異例の出世だけでも、周囲の妬みを買う。その上、勤王派を弾圧したのだ。こうなるのも時間の問題だった。


「世間は儂が殺したと疑うだろうの」

「恐らく」


 勤王党が瓦解した後、種堅と織部の主導権を巡る対立は、家中のみならず城下にも伝わっていた。


「いい迷惑じゃな」

「……」

「もしや、お前が手を下したのではあるまい?」


 種堅の問いに、村内は表情を寸分も変えず、首を横に振った。


御大おやかた様のご命令が無い限り、私は動きませぬ」


 寡黙な男である。歳は四十を重ねるが、背が高く筋骨逞しい。頭も切れるが、腕も立つ。元は江戸の浪人だった。千葉派壱刀流の免許を持ち、その評判を聞きつけ、自らの家臣に加えた。表向きは書院番士であるが、裏では白糸しらいと衆と呼ばれる隠密を束ねさせている。


「そういう事にしておこうかの」

「ですが、御大様が動き易くなったのも事実」

「世間はどう見るであろうのう、村内。案外、下手人は儂の評判を下げる為かもしれぬの」


 と、種堅は苦笑いを浮かべた。

 評判と言うものを、種堅は常に意識していた。こればっかりは、一朝一夕に得られるものではない。いくら権力があっても、銭があっても人の心はどうにも出来ないのだ。その辺りを、種堅は暗愚を装っていた時代から冷静に見ていたのだ。


「差し当たり、下手人を必ず捕える事だ。逃がしでもしたら、儂が逃がしたと世間は思うであろうしな」

「はっ。山林奉行に命じ、藩境の警備を厳重にし、町奉行と小普請組に目付組へ協力するよう命じましょう。そして、殿が怒りの余りに倒れられたとの噂を、手の者を使って流します」

「そちは儂に仮病を使えと申すのか」

「対立はしていたが、最も信頼していた家臣が凶刃に斃れた怒りと哀しみで倒れたあらば、皆々は殿の人柄を讃えるはずでございましょう」


 流石は村内。そう思ったが、言葉にはしなかった。誉めた所で、この男は喜びもしない。


「よかろう。早速手配するがよい」


 それから、種堅は二日寝込んだ。退屈ではあったが、それで評判を得られるのならば容易いものである。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 床上げしたその日、村内が報告に現れた。

 どうやら城下では、村内が流した噂が広まり、藩主の怒りに裏打ちされた厳重な探索網が、民衆の間で好意的に受け止められているらしい。

 また、下手人の捜査は、赤橋が直々に指揮を執っているとの事だった。中でも、実父を殺された睦之介の怒りは凄まじく、小普請組を指揮し、徹底的な勤王狩りをしているという。


「面白い男だの、大須賀睦之介は」

「勤王狩りでございますか」

「織部と不仲だったと聞いたが、中々どうして似ておるではないか。勤王派の残党を捕えておるのか?」

「いや。かつて勤王党に属していた者を訪ね、話を聞いているそうです」

「話?」

「加藤楊三郎の所在を知らないか? と」


 その名を聞いて、種堅は腹の底から湧き上がる笑いを堪えられなかった。


「そうか。そういう事か」


 加藤楊三郎。あの男がいたか。我ながら、かつて玩具にしていた男の存在を忘れていた。

 楊三郎は、種堅の〔相手〕だった。白く柔く美しい少年だった楊三郎を、種堅の玩具として差し出したのは、実父である加藤甚左衛門だった。甚左衛門は、出世の為に我が子を生贄に差し出したのだ。楊三郎が十五歳になるまで、その身体を種堅は溺愛した。


「加藤楊三郎には、織部を斬る理由がございます。改めて言う事ではございませぬが」

「ふむ。下手人にしても哀れな男じゃ」


 楊三郎は父の命で上洛すると、〔天誅〕と称して人を斬っていたという。怡土勤王党が瓦解すると荻藩に落ち延びたらしいが、それからの消息は不明だった。甚左衛門が織部に殺されたと知れば、仇討ちに走るのも理解できる。


(しかし、人とは判らんものだ)


 甚左衛門は、楊三郎を生贄にしたのだ。玩具として主君に差し出し、飽きられると人斬りとして使った。楊三郎にとって、甚左衛門は憎むべき存在ではないか。なのに、仇討ちをする。一言では語られぬ親子の愛憎があるのだろうが、種堅には理解出来ない事だった。


「明日、大須賀睦之介を呼べ。父を失った彼奴きゃつと話がしたい」


 それだけを命じ、村内を下がらせた。

 独りになると、種堅は父親の事を思い出した。原田右京大夫長種。父は風流人だった。芸術を愛し、手厚く保護した。ただ、その反面で政事を顧みず、財政に大きな禍根を残した。世間での評価は〔放蕩の限りを尽くした暗君〕である。その父に対し、種堅は何の想いも抱いていない。親子の情に想いを馳せるほど、同じ時を過ごしていないのだ。父は風流以外の事に興味を持たず、それは我が子へも同じだった。寂しいとも思わず、憎いとも思わない。軽蔑も尊敬もしていない。ただ、灰色の無味無臭の父が一人、存在しただけである。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 睦之介が現れたのは、翌日の午後だった。

 怡土城二の丸には、大きな池を備えた庭がある。池に突き出すようにして四阿あずまやが備えられ、睦之介はそこで待たせていた。


「そちは待っておれ」


 種堅は、村内と付き従う小姓に言うと、一人で四阿まで歩いた。

 睦之介が、したたかに頭を下げる。


「忙しい中というのに、済まぬのう」


 種堅は、卓を挟み睦之介の対面に座した。

 変わった。

 睦之介を見て、種堅はまずそう思った。陽に焼けた逞しい体躯と、武骨な顔付きには変わりはない。だが、目が違う。父親の死が変えたのか。今目の前にいるのは、底冷えのするような鋭く暗い目を持つ、冷酷無比な酷吏だ。


「父の仇を討とうと、意気込んでいるようだのう」

「いえ、これも目付組の役目でございますれば。また谷原織部は、殿にとって大切な家臣。殿の右腕を毟り取るが行為を、私は許せませぬ」


 睦之介の返答に、微かな皮肉の色を種堅は感じた。


「そうだ。織部は我が腹心。我が師。この件で儂は怒りの余りに卒倒してしもうたほどじゃ。そちの怒りと哀しみに比べれば僅かかもしれぬが」

「そのような勿体無いお言葉、痛み入りまする。織部も黄泉で喜びましょう」


 と、礼は言ったものの、それが心からのものではないという事は、すぐに判った。


(彼奴は、儂が織部を殺したと思っておるな……)


 それならそれでいい。いずれ判る事でもある。


「ところで、そちは勤王狩りをしているようだが」

「狩り、と申しても捕縛や斬ってはおりませぬ。抵抗すれば、やもえず害を加える事もありますが」

「睦之介、それを咎め立てしておるのではない。そちは加藤楊三郎を探しておるのだろう?」

「左様でございます」

「何故かのう? 織部を憎む者は、何も楊三郎だけとは限るまい」

「如何にも。しかしながら、一人で別邸に斬り込み、丹下流羽島道場の師範代であった鴨井逸平を含む全員を斬り殺せる腕を持つ者は、楊三郎の他におりませぬ」

「他の可能性はないのか?」

「勿論、それは否定出来ませぬ。世は乱世。我らの与り知れぬ所で、悪しき陰謀は蠢いているのは必定。故に、楊三郎は一つの可能性として追っているまででございます」


 睦之介は、手分けをして様々な可能性を潰している事を説明した。


「成る程。楊三郎は儂と少なからず関わりがある者なのだ」

「殿に?」

「もう何年も前じゃが、とぎの相手をしておったのだ。儂のな」


 その一言には流石に驚いたのか、睦之介の目が一瞬だけ見開いた。


「驚いたかの」

「いえ。ただ、それを聞いて迷いも生じました」

「迷いじゃと? 申してみよ」

「楊三郎が殿の相手となれば、罪人として捕縛してよいものかと」

「睦之介。それは要らぬ遠慮じゃ。むしろ捕縛し、楊三郎を楽にしてやるがよい」

「判りました。では、遠慮なく処置をいたします」


 そう言った睦之介を見て、種堅は肺腑を突かれる心地がした。

 似ている。織部と瓜二つなのだ。親子だから似ているのも不思議ではない。しかし物言いや、身体から発する存在感というものまで似てきている。変わったのではなく、似た。まるで、目の前に織部がいるようだ。

 それから幾つかの質問をした。その全てを、睦之介は端的に答えた。


(この男は、手駒として欲しい)


 そう思ったのは、睦之介が去ってからだった。睦之介と、村内。上手くいくが判らないが、二人がいれば〔裏向き〕の事は盤石になるように思える。

 種堅は、四阿から庭に目をやった。菊の花が咲こうとしている。もう季節は秋だった。暑さも和らいでいる。


(儂を阻む者はいなくなった)


 最後の壁であった、織部が死んだ。そこには、幾分かの寂しさもある。もし、自分に協力をしてくれていたのなら。思っても栓無き事だが、あの男の力は欲しかった。

 だが、これも天命である。織部が死んだ事で、藩主親政は成ったようなものだ。不満分子はいるだろうが、一つ一つは微小で、それを糾合できるほどの者はいない。

 世は乱世。幕府が荻藩を武力征伐しようとしている。その裏で、隈府藩が何やら蠢動しているとも、耳に入っている。もし荻藩が勝てば、この国が南北朝のように二つに割れるかもしれない。


「楽しみよのう」


 呟いてみた。

 野望がある。この乱世を掻き混ぜ、それに乗じて上に登る事だ。幕閣。大老。その先は、征夷大将軍。関白になるのもいい。いや、その上も……。

 折角、面白い時代に生まれたのだ。これを愉しまずにおられようものか。

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