第十回 証明

 怡土勤王党が、最後の呻吟しんぎんを見せた。

 二十六名の檄徒が、天雷山てんらいざんで武装決起したのだ。その第一報を目付組の御用部屋で耳にした赤橋は瞑目し、


「死ぬ為だ」


 と、吐き捨てた。

 確かにそうだろう。二十六名の小勢では戦も出来ない。脱藩もせず藩内に留まり、武装決起。滅びる為だとしか思えなかった。

 そもそも決起について、目付組では情報を掴んでいた。未然に防ごうと思えば出来たが、何故か執政府からの許可が下りなかった。睦之介は、その判断を会議の席で批判した。きっと、陰謀家の父が何かを企んでいるのだと。流石に赤橋や大須賀から、表立って言うものではないとたしなめられたが、この結果を見て唾棄したい嫌悪感を覚えた。

 決起した檄徒は、大筒神社おおづつじんじゃを本営にして〔天雷山党〕と名乗った。手勢は下士・足軽が中心で、刀槍の他に火縄銃で武装しているという。これも全て事前に把握していて、それだけに目付組の面々は悔しさで顔を歪めていた。無駄に同士討ちをしなければならないのだ。


「それにしても嫌な所で決起したものだ」


 大須賀が言い、皆が頷いた。

 大筒神社は、戦国の御世に城塞があった場所なのだ。天嶮の要害として知られ、原田武士団がその攻略に苦戦している。

 天雷山党は、藩庁に対し勤王への藩政転換と、投獄されている同志の解放を求めた。要求を受け入れない場合は、城下に進出し火を放つとの恫喝も添えていた。

 当然、藩庁は相手にしなかった。それどころか、翌日には総勢六百の軍を起こして大筒神社を囲んだ。

 総大将は種堅自身で、副将は首席家老である父。睦之介ら目付組も、当然動員された。赤橋と大須賀は参謀方に組み込まれて幕僚となり、睦之介と他の与力は、参謀方支配下の軍監として各部隊に配属された。

 戦闘は、怡土藩軍の銃声で始まった。怡土藩にとっては伴天連教徒の叛乱以来の実戦。睦之介は前衛の部隊にいたが、その戦闘は軍事行動というよりも、絶叫が飛び交う喧嘩の延長のような酷いものだった。火縄銃の斉射までは良かったが、突入後は刀槍を闇雲に振り回し、味方に手傷を負わせる者が続出したのである。それに加え、落とし穴や釣り天井など巧妙に仕掛けられた罠が、怡土藩軍を苦しめた。

 指揮官の傍らで督戦していた睦之介は、


(人殺しに慣れていない証拠だな)


 と、その狂乱を呆れ顔で眺めていた。

 汚れ仕事を、自分や楊三郎などの一部の人間に任せていたからこうなる。自らは刀を穢さず安穏と政事遊戯に興じていた。その代償が、この混乱だった。

 戦闘は二刻余で終了した。天雷山党は二十六名全員が戦死したが、藩軍も将校級の指揮官四名を含む三十七名が死亡し、倍以上の兵士が重軽傷を負った。天雷山党の奮戦よりも、怡土藩軍の不甲斐なさが目立った戦闘だったと言えよう。

 戦後の軍議で種堅は、


「我が武士団は、戦えぬ木偶揃いだったのか」


 と、高らかに一笑したそうだ。

 その話を軍議から戻った大須賀から聞き、睦之介の胸にある疑念が浮かんだ。


(まさかな……)


 かつて唐土に、三年間も愚かな振りをして、家臣の人物を見定めていた王がいた。種堅は、その故事に倣っているかもしれない。

 今までの種堅と違う。それは確かだ。優柔不断の暗君。そう思っていたし、口には出さないが藩内の評価もそうだった。しかし、最近では昔の面影は鳴りを潜め、日々鋭さが増しているように思える。天雷山党討伐の陣頭指揮もその一例で、陣中では細かな指示を出していたと聞いた。

 兎も角、この一件で勤王党は壊滅し、怡土藩は久方ぶりの平穏を取り戻していた。城下も華やかな賑わいを取り戻し、日々の役目も勤王党関連は減っている。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 大須賀の私室に呼ばれたのは、台所から紀和が拵える夕餉の香りがしてきた頃だった。

 睦之介を迎えた大須賀は、いつもの煙管を吹かせていた。


「ま、座りなさい」


 睦之介は、大須賀が目配せした場所に腰を下ろした。

 相変わらず、書物が山積みされている。大須賀は非番で、今日は一日書見をしていたようだった。その中には蕃書ばんしょもあった。大須賀は蘭学も修めているので、蚯蚓が這うような文字が読めるのだろう。


「お呼びでしょうか?」


 睦之介は、怪訝な表情で訊いた。大須賀とはいつも話している。改めて呼ばれるとなると、何か折り入った話である事は間違いない。


「大切な話だ」


 大須賀が、煙管盆で雁首を叩き、煙管を置いた。睦之介は黙礼した。やはり、何かある。不審は強まり、次の言葉待った。


「驚くな、と言っても無理だが」

「……」

「加藤楊三郎が脱藩した」


 睦之介は、あっと伏せていた目線を上げた。


「今年の夏の事らしい」

「何故でございますか?」

「判らん。だが、時勢が不利になったからであろう」

「脱藩など俄かに信じられません。あいつは利巧で藩法を破るような男ではないのです」

「だが事実だ」


 語気が強くなった睦之介の言葉に被せるように、大須賀が容赦なく否定した。


「ですが」


 大須賀が、茶に手を伸ばした。


(信じれない)


 だが、大須賀が言うのだから事実だろう。駒の報告は正確だ。それに、脱藩は有り得ない話ではない。今や志士の多くが藩を脱し、浪人となって国事に奔走している。


(むしろ、生きている事を喜ぶべきか)


 怡土藩に留まっていれば、無事では済まないはずだ。何かしらの罪を着せられ、処刑されていた可能性がある。今の父ならば、加藤家を潰す為にやりかねない。事実、楊三郎の兄達も刑場の露と消えた。そう思うと、脱藩を喜ぶべきかもしれない。


「駒に命じて加藤楊三郎の動向を探らせていた。彼は諸藩の勤王派や公家と交流し、また天誅と称して人斬りなどもしていたという」

「あいつが、人斬りを」

「彼は御所近くの猿ヶ辻で、右近衛権少将を襲った一味にいたとも噂されている」

「そのような大それた事まで……」


 猿ヶ辻の一件は、耳にしていた。朝廷内の過激派で尊王攘夷を掲げていた国事参政の右近衛権少将が、何者かによって暗殺されていた。下手人は捕縛されておらず、右近衛権少将が攘夷から開国に変節したのでは? という疑惑が暗殺の原因ではないかと囁かれている事件だ。


「今は何処に?」

「それが行方知れずだ。しかし、荻藩の軍勢にまで加わったという所まで確認されている」


 楊三郎が哀れでならない。そして遠い存在になったとも同時に感じた。別世界の住人。もう共に生きるべき存在ではない。大須賀の話が真実ならば。


「彼を待つべきではない。それが君の為だ」


 睦之介は目を伏せ、膝の上の握り拳を見つめた。

 意を決するべきかもしれない。脱藩は衝撃だった。人を斬っている事も。ただ、生きているかもしれない。その事が唯一の希望だが、もう共に生きる道はない。楊三郎は天下の大罪人になり、自分はそれを取り締まる立場にある。


「もう君は以前の君ではない」

「……」

「大人になる時だ」

「判りました。楊三郎の事は金輪際、忘れます」

「証明できるか?」


 力強い言葉に、睦之介は頷いた。証明。そこに込められた言葉の意味は、すぐに理解できた。

 睦之介は立ち上がり、振り向かずに大須賀の私室を出た。もう後戻りは出来ないが、罪人となった楊三郎との決別する証はこれしかない。ただ幸いな事に、この決断は自分にとって不本意なものではないという事だ。

 廊下を進み、台所に行き着いた。三和土たたきで、紀和が忙しそうに働いている。


「あら、睦之介さん。夕餉が待てなくなったのですか?」


 紀和は、振り向かずに言った、竈に掛けた鍋を混ぜている。味噌の香りがするが、何を作っているかは判らない。


「待って下さいね。もうすぐですから」


 睦之介は、それは違うと言うように、一つだけ咳払いをしてみせた。


「紀和さん、夕餉の催促ではありませんよ」

「じゃ、何かご用?」


 と、振り向く。忙しいのか、鬢には微かな汗が浮かび、小窓から入る夕陽に反射されて光った。

 睦之介は三和土に降りて、紀和の目の前に立った。


「私の妻になって欲しい」


 紀和が、菜箸を三和土に落とした。驚いた顔。小麦色の肌が、みるみるうちに赤く染まっていく。


「その催促です」

「私が睦之介さんの?」


 その問いに、睦之介は深く頷いた。瞳には、大粒の涙。今にも零れ落ちそうである。


「お父様に言い付けられたのですか?」

「いえ、私の意思です。私が紀和さんに頼んでいるのです。妻になって欲しいと」

「命令ではないのですね」

「ええ。頼んでいます。私の傍に、私の傍にだけいて欲しいと」


 その時、紀和の頬に涙が伝った。睦之介はそっと抱き寄せた。紀和の両肩は見かけに寄らず、細く華奢だった。女だ。楊三郎ではない。紀和だ。この女を愛す。それが、自らに与えられた道だと確信した。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 祝言は、翌月挙げた。

 一切は父が取り仕切り、首席家老の権勢を見せつけるかのように派手なものになった。参列者も御一門から執政府、奉行衆などそうそうたる顔ぶれで、


「まるで、佐幕派の会合だな」


 などと、媒酌人を務めた赤橋が苦笑していたほどである。

 藩主からの使者も受けた。

 そして、睦之介は大須賀睦之介と姓を改め、目付組与力頭取の座を与えられた。

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