第七回 槍

 天誅。

 その絶叫が聞こえたと同時に、睦之介は三之平兼広に手を伸ばしていた。

 背後。背の高いかやの原から、抜き身を手にした覆面の武士が二人、飛び出してきた。

 振り向き、向かってくる武士の顔面に抜き打ちに横凪ぎ一閃すると、返す刀でもう一人に袈裟斬りを放った。

 肉を断つ感触が両手に伝わり、絶叫が挙がった。一息だった。我ながら流れるような手並みに驚きを禁じえない。

 慣れていくのだ、人殺しに。最近では、血で穢れるという感覚すら無くなりつつある。


(斬らねば、こちらが殺される)


 そう自分を納得させるしか、心のやり場がない。

 人斬りにだけはなりたくなかった。かつて、同門の兄弟子が人を斬る事に魅入られてしまった。何度か藩命で人を斬り、その快感が忘れられず、夜な夜な辻斬りを働いていたのだ。その最後は無残なもので、目付組に待ち伏せをされ、激しい斬り合いの末に膾切りにされた。家門も取り潰しに合い、一族もまた離散してしまった。惨めな末路である。


「見事。まるで背中に目が付いているみたいだ」


 大須賀が歩み寄って言った。


「それにしても、寺で襲うとは不謹慎極まりない」


 城下の外れ、大須賀家の菩提寺からの帰りだった。今日は亡妻の命日らしく、墓参の帰りを狙われた。大須賀の護衛を請け負って、三ヶ月。襲われたのはこれで二度目になる。


「しかし、手間が省けますよ。墓場が近いですから」


 そう言うと、大須賀が手を叩いて笑った。それでも目は笑っていない。だからか、自分にはそれが冷笑に見えてしまう。

 二人が事切れているのを確認しようとした時、睦之介は猛烈な吐き気に襲われた。慌てて路傍に駆け込み、胃の中のものを全て吐き出した。

 嘔吐について、大須賀は何か言う事はない。彼なりの気遣いなのだろうか。睦之介が吐いている間、大須賀は遺体から身元が判るものを探っている。


「何もなしか」


 吐き終えて顔を上げた睦之介に、大須賀は言った。喉にはツンとした感覚が残っている。人を斬る事に慣れつつあるとは言っても、この気持ち悪さは未だ収まらない。


(吐かなくなった時、俺は人ではなくなるな)


 そう思えば、吐く事に気が楽になるが、吐かなくなった時が怖くもある。

 風が吹き、嫌な臭いが漂ってきた。自分の嘔吐臭ではない。糞尿の臭いだ。死んだ人間は、全てを垂れ流す。糞も尿も鼻汁に至るまで。それを知ったのは、大須賀の護衛を引き受けてからである。


「だが、この二人は田内壮太郎たうち そうたろう川原伝兵衛かわはら でんべえで間違いない」

「この二人をご存知なのですか?」

「面識はない。だが、二人が私の暗殺を目論んでいる事は掴んでいた」


 大須賀によれば、二人は怡土勤王党に加盟した足軽であったが、過激な攘夷を唱える二人は方針の違いから脱盟。大須賀を討ち、その首を手柄に勤王諸藩へ亡命する算段をしていたという。


「大須賀殿も人が悪い。知っていたのなら、言って下さればいいのに」

「私は君の力量を信頼しているのだよ。何度も助けられたからね」

「物は言い様ですね」


 睦之介が口を尖らせると、大須賀が鼻を鳴らして微笑した。

 先月、四人の刺客に襲撃された。さる中老との面会の帰り、逢魔が時だった。数的不利の中、大須賀を守りながらも二人を斬り殺し、一人を捕縛した。生け捕りにした刺客には、目付組による拷問が行われた。その現場には立ち合わせてもらえなかったが、刺客は全員浪人で、赤橋か大須賀を殺す為に雇われたと語った。だが、肝心の雇い主については知らなかった。きっと幾重にも仕掛けた偽装があるのだろう。専任で目付を動かしているというが、黒幕にまで辿り着くには数年掛かるかもしれない。

 だが大須賀の話を聞くに、今回の襲撃は先月の件と無関係だろう。そう決め込むには早過ぎるかもしれないが。


(しかし、俺も甘いというか)


 睦之介は舌打ちをしたい気持ちになった。周囲に人家は無く、両手に茅の原が広がる狭路である。襲撃するには絶好の場所だ。今回の襲撃は、このような道を通る事を止めなかった自分の落ち度である。


「睦之介殿。この件をどう処理すべきか考えを言ってみなさい」

「はい」


 睦之介は返事をすると、二つの死体に目を落とし沈思黙考に耽った。

 大須賀によれば、今回の件は怡土勤王党から脱盟した足軽による単独犯行である。またその動機も、勤王諸藩に対する手土産のようなものだ。真相はそうだとしても、勤王派に与する足軽の襲撃という事実だけ見ると、加藤甚左衛門が指示したように思える。無関係だとしても、ここで黒幕を表立って追及すれば、加藤の警戒もより一層厳重なものになるのではないか。加藤には、今のところ天狗になってもらわねばならない。


(それにしても……)


 仕事は護衛だけと思っていたが、最近では助手のような真似もさせられている。時には、こうして意見を求められる。的外れな事を言うと、大須賀は誤りだと悟るまで深く追求するのだ。

 初めは苦痛だった。基本的に考える事が億劫で好きではない。それが最近では楽しくも思えるから不思議である。

 充実感。そういうものが、関係しているのかもしれない。大須賀の下で護衛し、戦い、考える事で、以前には無かった生きているという実感というものを得られているのかもしれない。だからか、京へ行った楊三郎の存在が日々薄れていく。離れてすぐは楊三郎の事ばかりを考えていたが、今では思い出さない日の方が多いくらいだ。


「大須賀殿。ここは表沙汰にせずに処理しましょう。幸い死体は二つあります。暗殺ではなく、二人が喧嘩の果てに決闘になったという事でどうでしょうか?」

「そして?」

「勿論、秘密裏に探索を。裏に加藤甚左衛門がいないとしても、何かあるかもしれません」

「そうだな。〔こま〕を動かすか」


 駒とは大須賀が抱える密偵の事だ。大須賀は密偵を統括し、情報を分析する立場にある。襲撃を知っていたのも、駒が働いたからだろう。駒が目付組直属のものか、大須賀個人が抱えるものなのか判らないが、この情報力が異例の出世に関わっているのは間違いない。これも大須賀の護衛を引き受けて知った事だった。


◆◇◆◇◆◇◆◇


「さ、私達は戻るとしよう。遅くなると、紀和が心配するからね」


 大須賀はそう言ったが、睦之介はその袖を握って大須賀の歩みを止めた。

 強烈な殺気が、全身を打ったのだ。肌が粟立つ。伝わる氣は、尋常なものではない。


「どうした?」

「まだいます。何人かは判りません」

「何処に?」


 そう言った大須賀に、睦之介は口に指を立て静かにするように促した。

 周囲は茅。風が鳴り、ぼうが揺れる。音はそれだけだ。他は何もない。

 寂とした空間だった。だが、感じる。何かが潜んでいると。しかも、かなりの使い手だ。殺気で、空気が張りつめている。

 氣を探った。だが掴み切れない。自分の実力とはこんなものなのか。少々、人を斬った。それだけで、天狗になっていたようだ。


(ならば、下手は下手なりにやるしかない)


 睦之介は、意を決し三之平兼広を抜いた。

 両手に茅の原が来るように立ち、八双に構える。左右は茅。どちらから現れるのか。読みが外れれば、死が待っている。自分と大須賀の死が。信じるしかない。勝負はそこだろう。自分を信じ切れるかどうか。

 氣の潮合いは、波のようだ。来るようで、引く。引いては来る。だが、達するまでは来ない。

 睦之介は、八双から上段に構えを移した。一ノ太刀に賭ける。それしか、勝機はないと感じたからだ。

 汗が、鬢から頬を伝う。静寂。風の音。腰を落とす。両足を踏み締める。光が見えたのはその時だった。

 刃。自分ではなく、大須賀に伸びていた。押しのけ、伸びる光との間に入る。槍。穂先を突き出された。脇に来た。刺客の顔。目が合う。中年の武士。知った顔だった。構わず、三之平兼広を振り下ろした。


「糞が」


 声が聞こえた。視線を上げると、刺客の身体が頭蓋から胸まで二つに裂けて斃れた。


「大丈夫か」


 大須賀が駆け寄る。声が聞こえただけで、視界が反転した。空が見えた。どうやら倒れたようだ。


「大須賀殿、お怪我はございませんか?」


 喘ぐように、睦之介は言った。


「馬鹿者。私より君だ。傷を負っているぞ」


 そう言われ、睦之介は左脇に熱感を覚えた。そうか、俺は槍を脇に受けたのだ。

 脇に手をやる。見ると血が着いていた。痛みがないのが不思議た。


(死ぬのか)


 何となく思った。惜しいな。これから、世の中が面白くなるというのに。楊三郎は、京都で何をしているのだろう。

 大須賀の声が、遠くに聞こえた。

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