第31話 本当の願い事
少し冷たく、しんとした空気、時折、風が吹いて竹の葉をこする音が、ざわざわと騒ぐ。両脇の民家と竹林から、竹が、頭を垂れる稲穂の様に覆いかぶさって、まるで、空から見えないように、いつでも、この小道を隠しているようだ。
敷き詰められたとは言い難い、もうしわけ程度の石畳にコツコツと音をたてながら、理沙は姿勢を正して歩き出した。足音に合わせて、小気味良く、赤いピアスをがキラキラ揺れる。
今日は、祠の掃除をしにやって来た。モヤモヤしたものは掻き消えて、澄み切った心で、やっと、雑念を入れずに掃除が出来る。
理沙は、この小道を歩いていると、とても懐かしい気持ちになる。ざわざわと竹の葉をこする風の音が心地良い。囁きの様に揺らぐ風の音に誘われて、ぼんやりとした記憶は、徐々に薄っすらとした映像となって蘇ってきた。幼い頃、母と二人でこの小道を歩いた。奥へ進む度にだんだんと暗くなって行く細道は、なぜだか怖いとは感じない。見上げると母の顔がとても遠い。手をいっぱいに伸ばしても、母の手を握るのが精一杯だ。母子二人で竹のトンネルをくぐって行く。待ち合わせしていた何人かのママ友達と合流し、理沙は、一緒に来ていた同い年の男の子と鬼ごっこをして遊んだ。
(そうだ、お母さんと……みんなでここに集まったことがあるんだ……何度か……)
自宅から持ってきた竹箒で祠の周りを掃いて回りながら、感覚だけが時間を遡り、理沙は、どんどん現実から遠ざかっていく。しかし、その理沙を呼び戻すかのように、ざわざわと葉をこする音が、徐々に大きくなり、加速しながら近付いて来たかと思うと、突風が通り過ぎ、後ろで一つに束ねた理沙の髪をなびかせた。理沙は思わずスカートを押さえて、その場にしゃがみ込んだ。
その時、後ろから声が聞こえた。
「ちょっと、君」
振り向くと、そこには、茶髪にスーツの男が立っていた。夕日を背中にして、少し幻想的で神々しく見えた、それもそのはずで……。
「神様! 見ましたね!」
「な、何を? 願い事を叶える為に出てきたのに、ご挨拶だな」
「え? 今ですか? まだ、夏は終わっていませんよ。それに……まだまだこれからで、お父さんを総理大臣にする為には、私、何も頑張れていないんですよ。それに、神様に頼るんじゃなくて、自分の力で何とかしなくちゃって考えるようになったんです。せっかくなんですけど……」
「ああ――やっぱり間違えているな。僕はちゃんと言ったじゃないか。お父さんの願い事をかなえるんじゃなくて、君の願い事をかなえるんだって」
「だから、『お父さんが総理大臣になる』んじゃなくて、『私がお父さんを総理大臣にする』って話ですよね」
「違う、違う、願い事はその前に言っていたでしょ。君の心の底からの願い事――お母さんに会いたいって……僕は君のお父さんが総理大臣なる手伝いなんかこれっぽっちもしてないよwww」
神様の後ろから、一人の女性が顔を出した。それは紛れもなく――涼子だ。
「理沙ちゃん、久しぶりね。元気にしていた?」涼子は生前と変わらず、美しい姿だ。
「お母さん……」理沙は声にならない声で、つぶやいた。
「実はね、お母さんも、神様に願い事をしていたのよ。お母さん、掃除が好きだから、この祠のお掃除をたまにしていたの。小さい頃は、理沙ちゃんも、連れて行ったのよ。三歳……四歳ぐらいだったかな覚えていない? ある時ね、その日は理沙と二人だけだったかしら――祠に、大願成就って書いてある事に気がついてね。願い事を叶えてくれるの? ってつぶやいたら、神様が出てきて……こんな、茶髪でスーツじゃなくって、ちょんまげで、お奉行様の格好をしていたんだけど……」
「お母さん……時代劇好きだったから……」理沙の声は、もう、嗚咽に近かった。
「私は、あなた達の頭の中にある、理想像をお借りして出てくるのです。話が通りやすいからね。でも、相手が二人になると、紛らわしいから元の姿に戻りましょうか」
そう言うと、神様の姿はみるみる小さくなり、一匹の小さな赤い蛇が現れた。
「ちっさ!」思わず理沙の言葉が零れ出た。しかし、その先は言うことができなかった。神様にギロリと目を光らされ、思わず口を噤んだ。まさに、蛇に睨まれたカエルの様に……。
「それでね、お母さんの願い事は、大きくなった理沙の姿が見た言ってお願いしたの。でも、願いを叶えてもらう前に、お母さん、すぐ死んじゃったから……」
「本当はね、もっと大義を抱いたお願い事を聞くんですよ、『大願』成就なのでね……。でも、涼子さんたちは、いつも綺麗に掃除をしてくれたから、特別サービスです。掃除をしてくれた、みんなの願い事は聞いたのに、涼子さんだけ叶えないままになっていたのが気になっていたんです。でも、娘さんが、お母さんに会いたいって願い事をしてくれたので、こりゃ一石二鳥だなと思って……って、あの……僕の話、二人とも聞いてないよね? 神の言葉なんだけど……。まあ、しょうがないか……」
涼子と理沙は、ゆっくり近づくと、しっかりと抱き合った。理沙は子供のように泣きじゃくっていたが、しばらくしておさまりが付いてくると、やっと話しをし始めた。
「お母さん、ありがとう、暗号の答え、分ったよ」
そんな事? と、赤い蛇がつぶやいたが、それも二人には聞こえない。
「魔法の言葉ね。正解よ……でも、意外だわ、良く分ったわね、お父さんに聞いたの?」
「ううん、お父さんには聞いたけど、自分で考えたの」
「そう……凄いじゃない。てっきり理沙は文系女子に育つものだと思っていたわ。お母さんが死んでる内に理系女子に転向したのね?」
「どう言う事? 暗号に、理系も文系も関係ないでしょ?」理沙はすっかり泣きやんで、母の言葉にキョトンとしている。
「タロットカードが貼ってあるページナンバーがキャラクタコードに対応しているって気が付いたんでしょう? お父さんとお母さんが、恋人時代に使って遊んでいた暗号なのよ。エクセルに、キャラクタコードだけ書いて渡してね、コードとして変換したら、カタカナ表記に変わるって言う……お父さんには、一七七、一七八、一八八、一九五、二一七で、変換すると『アイシテル』なんてね、ふふふ……。理沙に出した暗号は、一七七、一八二、一九六、二一六だったかな? それを、キャラクタコードに置き換えて、半角カタカナで、『ア、カ、ト、リ』並び変えると『ア、リ、カ、ト』つまり『ありがとう』が答えよ。本当は、もう一文字分欲しかったんだけど、無限大マークの入っているカードは四枚しかなかったんだよねぇ。でも、ちゃんと言えていたわね。偉かったわ。もう、理沙はとっくに幸せ者よ」
「お母さぁん」また、理沙は嗚咽をあげ、大きな声で問いただした「なにそれ? じゃあ、タロットカードの意味は? 本に書かれていた内容は? お父さんを総理大臣にする為の秘策は?」
「なにそれ? 知らない――と言う事は、暗号を解いてないのに、答えを出したの……それはそれで凄いわね。さっき私に言ったでしょ? ――おかあさん、『ありがとう』暗号の答え、分ったよって……」
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