第24話 飯盛一郎の約束

 英章のスマホに飯盛一郎から連絡が入った。

『英ちゃん、今日時間あるかな? 久しぶりに飲まないか』

 飯盛家は、勝厳寺の建立当初から檀家となった古い家柄で、大野兄弟と一郎は、一郎が長男の三人兄弟のようにして育った。理沙は英章にとっては姪のようなものだ。英章が成人したときには、一郎から佐賀の繁華街で朝までお祝いと称して飲み歩いたりもしたが、涼子が亡くなってからは、一度も誘われる事は無かった。

(何かあったのかな……)

 英章は久しぶりの誘いに驚いたが、嬉しくもあった。涼子が亡くなって、いろいろと大変なのだろうと言う事は想像が付くが、一度も飲みに誘われないと言うのは、なにか、一郎の中に押し込められたものがあるのではなかろうかと、心配もしていた。久しぶりに、腹を割って話してみたい、そう思って、誘いを快諾した。

 昔、飲み歩いていた時にお世話になった、カウンターバーは今でも盛況だった。今では、愛敬町でも古株となった店のオーナーが笑顔で出迎えてくれた。

「おう、久しぶり。あいあいは、もう来ているぞ」

 飯盛一郎(いさがい いちろう)頭文字を取って、あだ名は『あいあい』だ。一郎は若い頃、マスターの店でアルバイトをしていた事がある。その時から長く呼ばれ続けている、一郎にとっては愛着のあるあだ名だが、英章がからかってあいあいと呼んだ時には、顔を真っ赤にして怒った。英章だけは、マスターの店で一郎をあいあいと呼ぶ事を禁止されている。

「どうも、ご無沙汰しています」

「二人そろうのは五年ぶりぐらいかな。英章も半年振りぐらいなんじゃないか?」英章は塾の講師を始めてから街に出るのは控えている。

「英ちゃんと飲むのは……五年ぶりですね。あれから、仕事の関係で飲む事が多くなったんですけど、関係者をここに連れてくるのはなんだか嫌でね」

「まあ、わからないでもないけど、あいあいも、たまには一人ででも飲みに来いよ。お前は俺が育てたようなもんだからな、恩返ししないとだめだぞ、トイレ掃除からみっちり仕込んで……理沙ちゃんも、もう、高校生だろ? それに、アイドルデビューまでしちゃって、店でも話題になっていたぞ」

「恐縮です」一郎は、この店で夜の仕事の難しさと大切さを肌身で知った。接客の最前線で、相手の気持ちを深く考える事、仕事に対する姿勢、立ち振舞いや話し方、それから一番大切なトイレ掃除を学んだ。それは、今の県議の仕事にも大きく影響している。

 静かに答える一郎を見て、英章は一郎が昔と違って、ずいぶんと落ち着いた――はしゃいだようなところがなくなってしまったと感じていた。やはり、涼子が亡くなった影響が一郎を変えてしまったのだと思った。

「英章、ぼさっとしていないで、早く座れよ。あいあいとは、もう、一通り思い出話も終わっちまったぜ」オーナーは昔と全く変わらない。

 英章は、一郎と同じ酒を頼み、隣に座った。しばらく三人で、昔、飲み歩いたころの思い出話をしていたが、時間が深まるにつれ、客も多くなり、マスターも席を離れて、沈黙が続くようになった。一郎は、用があって呼びたしたのに、一向に切り出さないのは、きっと言いづらい事があるのだろう。英章は自分から切り出す事にした。

「五年……。涼子さんが亡くなって以来だよね――二人で飲むのは」

「ああ……そうだな……」

「いち兄……何か、話したい事があるんだよね?」

「ああ……」一郎は意を決したように話し始めた。「実は……英ちゃんを俺の仕事に巻き込む事はしないで置こうと思っていたんだが……これは、涼子との約束への第一歩になる――次の県議会選なんだが、どうしても、絶対に勝ちたいんだ。それで、英ちゃんに、協力してほしい」

「涼子さんとの……。そんなの、喜んで応援するよ。でも、僕にできる事なんかあるのかな? それに、いち兄が落選する要素なんて無いんじゃないの」

「そんな事はない、誰にだって当選のチャンスも、落選のリスクもある。それに……今回は、勝負に出ようと思っている。佐賀県議会全員を無所属で固めたいんだ」

「無所属で? そんな事が出来るの?」

「もちろん難しい事だ。でも、これは、私の目標の一つなんだ。これまで、その為に活動してきた。今回は、もう少しで行けそうなんだ。だから、お願いしたい……日本を変えたいんだ」

(日本を変える……。いち兄は、いつもそんな事を考えているんだ……)

 英章は、寺の事で手がいっぱいで、これまでは、佐賀県の事、日本の将来についてなど、考えた事は殆んどなかった。ただ、漠然と、このままでは日本はダメになってしまうのではと言う危機感も感じていた。かといって、自分にできる事があるなどとは夢にも思っていなかった、つい最近までは……。

「でも、それって、無所属で全員を固めるより、自分で政党を立ち上げて、最大派閥になる方が簡単なんじゃないの?」

 英章は日本の将来に興味はなくとも、塾で社会の講師をしているだけあって、政治の構造には、それなりに詳しい。

「それでは意味がない――実は、政党政治を終わらせたいんだ」

「政党政治を終わらせる? 政党があってこその国政じゃないの?」

「もちろん、それがセオリーだ。でもそろそろ、変わった方が良いと思っている。国をどちらの方向へ動かすのか……これまでは国民の多数決で決めてきた。民主主義の大原則だ。しかし、日本はすでに成熟国家だ。全てにおいて多数決の決議が有効とはいえない。ひとりとして同じ人間はいない。国民はマイノリティーの集合体だと考えるべきだ」

「それってどう言う事なの? よくわからないな」

「例えば、農業推進派と工業推進派が対立していたとして、選挙の結果で、片方が与党、片方が野党となる。農業派が勝った場合は、農業のみが推進され、工業は推進されない。でも今は、そう言う時代じゃない。農業も工業も大切なんだ」

「ううん。分るけど、そんなに極端な事もないんじゃないかな。それに、政党がなければ、まとまりが無くなって、何も決まらなくなるんじゃない? 政党交付金も貰えないし」

「さすがに詳しいな。確かに、物事が決まりにくくなる恐れもある。しかし、そうならないように考えた事があるんだが……なかなか難しい。そこで、英ちゃんの出番だ。短期間で勝厳寺の危機を救った、手腕を見せて欲しい」

「そ、そんな手腕なんて無いよ。あれは、鍋島が考えた事なんだから……そうだ、鍋島に頼もうよ。僕からもお願いしてみるから……」

「鍋島君は確かに見所がありそうな若者だ、理沙の話を聞いてそう思っているよ。しかし、勝厳寺を救ったのは、君たち日和花道のメンバーが力を合わせた結果だ。バイトの理沙も含めてね。だから、代表である英ちゃんに話をするのが筋だろう」

(雇われ社長だけどね。鍋島オーナーの……)

「分ったよ。どっちにしても、いち兄の頼みなら断れない。で、何をすれば良いんだい?」

「よかった、宜しく頼む。早速なんだが、知事に会ってくれ」

「知事? 佐賀県知事?」

「その通り、いつにするかい? 明日はどうだ?」

「あ、明日?」






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