第23話 日本の家系図SNS
日和花道の仕事は落ち着きを見せ始めていた。世界同時永代供養から、二週間ほどが経ち、それぞれ、仕事にも慣れ始めていた。勝厳寺境内に併設されている日和花道オフィスに、二週間ぶりに全員が揃った。お盆も無事に乗り越えて、夏も終盤へと向かっていく中で、全員の顔を見回して、英章は一時の幸福感に包まれていた。しかし、同時に、彼の心には新たな野心も芽生えていた。これまで考え続けてきた事が、ようやく頭の中でまとまってきて、これからの新しい一歩をどう踏み出そうかと、わくわくしていた。
大きなテーマのひとつとして、僧侶としてどう生きていくべきか、と言う問題が氷解していく感覚があった。思春期に入った頃から、ずっと考えていた事だった。生まれながらに寺に育ち、父は住職で、兄も小さな頃から、当然のように仏門へ入ると公言していた。もちろん、英章自身も何のためらいも無く、同じ道を進むのだと思っていたが、ある日、こんな事があった。
ロック歌手を目指す同級生から、お前はお坊さんになるのかと問われたのがきっかけだった。英章は、当然だよと、胸を張って答えたが、それを聞いた彼は、二つ目の質問を英章に投げかけた――親の敷いたレールの上を走るのか、と……。
その問いに、今度は答える事ができなかった。しかし、今ならば答えられると英章は思っている。何故なら、二つの質問の本質は同じ事を言っているのだと理解したからだ。二つ目の質問に対して、英章は、自分が僧侶になるのは、自らの選択であり、決して親の敷いたレールを走る事ではないんだと叫びたかった。だが、良く考えれば、親が敷いたレールだろうが、たまたま寺に生まれただけだろうが、例え、全く寺と関係ない生活をして育ったとしても、僧侶と言う立場に魅力を感じて、僧侶に憧れ、僧侶になるという心には何の違いもない。ただ、格好の良いロックスターを目指す友人に、格好いいセリフで問われた事に対して、自分もできれば格好いい言葉で装いたいという稚拙な感情が生まれたに過ぎなかったのだと今ならば分かる。英章が、僧侶になりたいか、なりたくないかが最も大切で、周りの環境は関係ない。この事に気が付いたのは、つい最近の事だった。
それまで、僧侶としてどういう人生を歩んでいくべきか、と考えて来たが、『僧侶として』と言う言葉自体が、僧侶としてどう生きるかと言う答えを妨げているのではないかと考えるようになった。矛盾しているようにも聞こえるが、『僧侶として』と言う言葉で、世界を小さく区切って、その中で考えるのではなく、自分の目指す世界があって、その世界の中で、『僧侶として』何ができるのかと考えなければならないのではないか――仮に、完全な僧侶がいたとして、彼が『僧侶として』考えるのならば、きっと最高の答えが出るのだろう。しかし、まだ自分は未熟者であり、僧侶とは何かも理解できていない状態で、僧侶としてどう生きて行くかなどと考えるのは、おこがましくもあり、ナンセンスではないかと感じ始めた。ならば、一度壊してしまおうと英章は考えた。これまでの価値観の中ではお寺を救う事ができなかったが、ひとたび世界を広げれば、目指すものはすぐ近くにあった。この経験が、英章を一回り大きく成長させた。
「なんだか、日本人総家系図の方も好調だねぇ」
英章は、鍋島が苦労して作ったシステムが、一体、何の役に立つのか、全く分からなかったが、とにかくすごいなあと思う気持ちを素直に伝えた。この家系図がどうやってお金を生み出すのだろうか――鍋島が考えた事なのだから、きっと自分には分からない金儲けの種が隠されているのだろう。例え、無料でも、登録数が増える事は良い事には違いないと漠然と思っていた。
「自分の家系図を調べる事は、前から静かなブームがあったんだ。やはり、自分のルーツを知りたい欲求は誰にしもあるものだ。俺の作ったシステムは、ユーザー本人の直系のご先祖様以外は、明治中期以降は匿名に伏せてあるが、ユーザー登録されている人物はハンドルネームが表示される。つまり、自分の遠い親戚も、このシステムを利用していると言う事がわかるからな、親近感が湧くのだろう」
「僕も、これを使ってみて初めて、意外と親戚が多い事に気が付いたよ。ハンドルネームで誰だか分ってしまう人もいて、笑っちゃったけどね」
「そう言う人は、自分を誰だか気が付いてほしい、自己顕示欲の強い人なんだろう。実名でハンドルネーム登録をしている人もいるし、顔写真を載せている人もいる。フェースブックやインスタグラムの影響だろうが、俺は、あまり、お勧めはしないがね」
「うちのお父さんは、このシステムを褒めていたわよ。票集めに利用できるって言っていたわ……それはどうかと思うけどね。鍋島君もご先祖様分かった? そう言えば、鍋島君のお父さんってどんな人なの?」
「父親はいない……」
「亡くなったの? ごめんなさい」
「謝る事は無い。初めからいないんだ」
「初めから……」
「そう、初めから。俺には父と言う存在が初めからないんだ。もう良いだろ」
「ごめん……」
「謝る事は無い――」そう言うと、鍋島は黙ってしまった。一緒に理沙も黙ってしまい、その雰囲気に我慢できなくなった英章が無理やり話を続けた。
「で、これってどうやって儲かるの? 僕は全然分からないんだよ。これって一体、何の役に立つのかすら、未だにわからない。ユーザー数が伸びたのは、きっと理沙のおかげなんだろうけど……」英章は、いつの間にか、二人の前で、自分の事を先生と言わなくなっていた。彼の中で、二人から多くを学んだ事がそうさせているのかもしれない。
「やめてよ。確かに、露出は多くなったけど、夏休みいっぱいで引退するつもりなんだよ」理沙は、テラカワ動画の後、ネット上で個人特定されてしまい、大変な事になったと、周りは騒いでいたが、当の本人は、菅野からのアイドルデビューオファーに即答で了解し、とんとん拍子にアイドルデビューを果たした。しかも、決意して、上京して、その日のうちに生番組に出演すると言う、とんでもないデビューだった。夏休み限定アイドルとして、楽曲も発売し、売上の一部は日和花道に入ってくる事になった。もちろん、菅野は夏休みだけで、理沙を手放すつもりなど無いだろう……。ネット上では寺ドルと呼ばれ、物珍しさもあって、知名度もぐんぐん上昇している。
少し前の理沙であれば、アイドルデビューの話は即座に断っていただろう。しかし、彼女にも英章と同じように人まわり大きくなった。馬鹿なら馬鹿で良い。ただ、自分を卑下したり、殻に閉じこもるような事をせずに、あるがままの自分を受け入れて、進みたいという欲求を、素直に行動に移す事を始めた。まだ、よちよち歩きだが、彼女を取り巻く世界は変わり始めた。理沙もまた、世界を変える事に成功しつつあるのだ。
理沙の宣伝効果は抜群で、地味な永代供養動画の再生数も、放送の度に数千人単位で増えて行く。そのライブで流している日本総家系図の広告から、かなりのヒット数をたたき出していて、ユーザー数は、すぐに二万人を超えた。初めは頑なだった、寺関係者も、二万人からの要望が集まると、次第に、家系図の提供をしてくれるようになり、内容も随分と充実してきた。苦労すると思っていた、家系図集めは、もう、日和花道からお願いして開示してもらう事はなくなった。ユーザーが自分で調査を始めたからだ。鍋島の作ったシステムには、ご先祖様コミュニティー自動作成機能があり、同じ系譜に突き当る人同士が、同じグループに勝手に登録される。また、血縁関係とは別に、ご先祖様同士が同じ地域に住んでいた人や、同じ仕事をしていた人のグループも作成してくれる。いろいろと差し支えが無いように、江戸時代前期以前のご先祖様に限っているのだが、その制限が、返ってユーザーの捜索意欲を掻き立ているようで、どうにか、自分のご先祖様を、江戸時代前期にまで遡ってやろうと言う人が続出し、登録者のほとんどの家系図が埋まりつつある。その中には、ねつ造や誤りも多く含まれているが、鍋島は気にしていないようだ――初めから織り込み済みだと言う。家系図には、情報提供者のハンドルネームが表示されているので、ソースが正しいかどうかの論争が起き、自浄作用で、だんだんと正確な家系図に近づいて行くと言うシミュレーション結果が出ているらしい。
それから、予想していない事もあった。登録者のほとんどが、父方、母方を辿っていくと最終的に天皇の系譜につながる――つまり、高天原の神々にまで辿り着くのだ。これは、日本人全員が親戚だと言う事でもある。もちろん、正確かどうかは判らないが、現存する国で、唯一神話の時代につながる日本の財産となるかもしれない。鍋島と同様に、思春期の悩みを抱えていた子供たちも、きっと、救われた事だろう。
英章は、人種差別の問題などが出てくるのではないかと心配していたが、今のところ、せいぜい、関ヶ原の合戦の東軍と西軍に分れて、どちらが正しかったのかなどと言う論争が起きているぐらいだ。なんにしても、ユーザーが歴史に興味を持ち、自分の故郷を調べ、愛着を深め、先祖の時代に思いを馳せる事を素直に喜んでいた。
「実は、どうやって儲けようとは考えていないんだ」
黙っていた鍋島が、急に話しだした。金銭に貪欲な男だと思っていた英章は、少し驚いたが、嬉しくもあり、黙って鍋島の言葉に耳を傾けた。
「人が集まるところには、必ず争いも起こる。だが、その反対もある。人が集まるところにはアイディアも生まれるんだ。アイディアとアイディアが重なって、更に新しいものを生み出していく。これが文化だと思う。飯のタネは、放っておけば、そのうち出てくるかもしれない。とにかく大切なのは、場を提供してやる事だと思っている」
「なるほどね。お金を生まないアイディアが鍋島から出てくる事は意外だけど、なんだか嬉しいよ」
場を提供する事は、ビジネスにとって大きな意義がある。鍋島も、今のところあまり意識はしていないが、デジタル世代と呼ばれる子供たちには、デジタルツールを利用したビジネスプランの種が、自然と備わっているのかもしれない。
「そうは言っても、広告収入だけで、累計二千万ぐらいの売り上げは出ている……大野英章が間違えて発注した、カードリーダー代に、ほとんど消えたがな」
英章は遺骨のカード化を行なうに当たって、カードリーダーを日和花道で購入したのだが、発注数を入力ミスし、とんでもない数のカードリーダーが送られてきた。カード化されて保存場所に困らなくなった遺骨が保存されていた場所――山の中の小学校の体育館に、遺骨と入れ違いにカードリーダーの在庫が保存されている。
「そ、そうなの? それは、まあ、良かった……良かったよね?」英章は話を変える事にした。「ところで、鍋島は日本の家系図にユーザー登録したのかい?」
「俺は使わない。ほとんどの人間が神話に繋がると言う事がわかれば十分だ」
「そうなのか……」英章は、少しためらったが、思い切って聞いてみる事にした。これからやりたい事は、鍋島にも手伝って欲しい、その為には、避けては通れない道だと思ったからだ。
「鍋島……お父さんって、もしかしてご存命じゃないのかい? しかも、結構な有名人とか?」理沙はきょとんとして聞いている。黙って、口を出さないところは、流石の嗅覚だ。
英章には、これから初めようとしている計画があった。その為に、関連情報を集めていたのだが、偶然、その中に鍋島の出自に関わると思われる情報があった。
「……その男は生きている。しかし、俺は敵と呼んでいる。これ以上話す事はない……」
鍋島の心の闇は、英章が思っているよりも、ずっと深い。
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