第19話 金太郎と銀太郎
勝厳寺はもうすぐ訪れるお盆の準備に追われていた。お盆は寺の人手が一番必要な時だ。一般企業で働く者は、夏休みまでのカウントダウンをしている事だろうが、お寺には長期休暇と言うものが存在しない。英章は無長期休暇手当てと言う概念をお布施にも込めて欲しいな、と思っていた――勿論、半分冗談だが、人が働いていない時に働くというのは辛いものだ。今日も慌しく準備を続け、英章が落ち着いた時には、いつのまにか日が暮れてしまった。まだ、やる事は沢山残っているが、日中の汗を流す事にした。英章が風呂に向かって廊下を歩いていると、人の気配を玄関に感じた。
「夜分に失礼する」
誰かがやって来たらしい、何の連絡も無しに檀家が寺を訪れる事は良くある事だ。ましてや、お盆時期だ。
「おう、金太郎、早く上がれ」
続いて住職の声がした。親しげな口ぶりから、友人でも訪れた様だと英章は思ったが、住職を尋ねてくる友人など、ついぞ聞いた事が無い。英章は、様子を見に行く事にした。
「急に悪いな」まだ、姿は見えないが、英章は聞き覚えのある声だと感じ始めた。
「気にするな――しかし、何十年ぶりかの? お前がこの寺に来るのは」
「もう忘れたわ」
「そうじゃの、まあ、良いわ」英章が廊下の角を曲がると、軽快に話をする二人の姿が見えた。来客は……見覚えがあるような無いような、住職と同年代らしき着物姿の男性だった。
「あれ? もしかして、この前、天佑寺でお会いした……」
「おお、あの時の鼻緒の人か……。今日はジャージだからわからんかった」
英章は偶然出会った、鼻緒が切れて困っていた気品のあるご隠居さんらしき人と、住職が親しく話をしている事が不思議だった。話しぶりからは、友人関係のように思えるが、そんな友人がいる事を聞いた事が無かった。
「なんじゃ、知り合いか」
「一度お会いしただけですけど……お茶を入れてきますね」
「あの時は世話になったのう、どうぞ、お構いなく」
偶然であった老人が、父親の友人らしい……少し英章は興味を持った。
お茶を入れて戻ってくると、人間として最期を迎えるとは……と言う話で盛り上がっていた。鯨間の葬式から、英章は、死に向かう人の心中について、より深く考えるようになった。自分がその立場に立たないと、本当の意味で分った事にはならないだろうが、僧侶として考え、感じなければならない、大きな課題だと思っていた。お元気なお二人にはまだ早い話ですよ――と言いながら、お茶を出し、自然と話に加わった。
「人間としての最期……大変興味深いです。私も僧侶の端くれとして、是非お伺いしたいです。お二人は、死についてどうお考えですか?」
「おい、銀太郎、お前は息子にどう言う教育をしておるんじゃ? 英章君、お前は、僧侶である前に佐賀県民じゃろう。佐賀県民なら葉隠れの書を読め。そこに書いておろうが」
(銀太郎……雲銀住職は銀太郎と呼ばれていたのか、なんだか可愛らしいな……。それにしても、葉隠れの書を読めとは……僕だって、新渡戸稲造が書いた武士道の元になった本だと言う事ぐらいは知っている)
「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり……ですよね」
「そうじゃ、知っとるじゃないか、じゃあ、それはどう言う意味じゃ?」
「え? そのままの意味ですよね。武士に生まれたら、主君の為にいつでも死ねる事が美徳だって言う事でしょう? 今の時代にはそぐわないと思いますけどね」
「おい、英章、わしはお前にそんな事を教えてはおらんぞ、どこで間違って覚えてきた?」
「だって、一般常識でしょう? これって」
「英章君、それは、どこの常識じゃ? それでは、佐賀では非常識じゃよ。何でも死ぬ覚悟で当たれ、精一杯限界まで働け、死ぬ時に後悔が残るような生き方はするな、と言う意味じゃ。誰が死ぬ事は良い事だ何て言葉を残すものか! 大体、死んでしもうたら、誰が殿様を助けるんじゃ? 最後まで生き抜かなければならんじゃろう?」
英章はショックだった、自分の地元である、佐賀県に古くから伝わる書の言葉が、日本中をめぐりめぐって、全く違う言葉になって、自分の耳に届いてしまったと言う事だ。しかも、住職が言うように、幼い頃に英章は本当の意味を教えてもらっている、それなのに、テレビやメディアから入ってきた言葉は、すっかり英章の記憶を書き換えてしまったのだ。
「英章君、死を考える事は、生を考える事と同義じゃ。今日まで生きてこられた事に感謝して眠りにつき、目がさめれば、今日死ぬかもしれないから、今日死んでも後悔しないように、今日を大切にする事……それを毎日続けていれば良い」
「そうなんですね……全然知らなかった……」
「こりゃ英章! 何が知らなかったじゃ、忘れておりましたの間違いじゃろが」
「すみません……忘れておりました」
「英章君、どう生きるかは、どう死ぬかと同じ事、じゃからこそ、何かを志したものは、死に際が大切なんじゃ、死ぬまでにやり残したものは無いか、後悔しない為には、今、何をすべきか――そう言う話をしておったんじゃよ」
「そうでしたか、それで、金太郎さんは、何かやり残した事があるんですか?」
「そんなもん、腹いっぱいあるわ! 人間そんなに器用には生きられん」
「金太郎はな、一国一城の主になりたいんだと、立派な志よのう」
「一国一城……」
「銀太郎! 勝手に話すな! わしが本当にやりたい事は、後に残る者の事を――英章君、『葉隠れ』の意味を知っとるかな?」
「一説によると……で良いですか? 確か、葉隠の草庵で山本常朝が語った事を部下が書き写したからだったと思いますが……」
「うむ、それも正しかろう……。草庵があった場所は、葉隠れの郷と呼ばれておった――これは、わしの剣道の師匠が、道場で毎日言っておられた事じゃが――葉隠れの郷が、なぜ葉隠れと呼ばれたのか、それは、そこに咲く桜の花は皆、葉桜であったからじゃ。一世一代の晴れ舞台でさえ、葉っぱに隠れてつつましく咲く……それが、佐賀の美徳じゃ」
「確かに、佐賀の県民性には、縁の下の力持ち、不言実行が美徳としてありますよね。だから、逆に、前に出るものを良しとせず、徒競走で一位になっても、いい気になるな、次は二番の奴はもっとがんばるから、今よりもっとんばれって言いますよね」
住職は、英章の言葉を聞いて、少し顔をしかめてこう言った。「うむ、少し捻じ曲がって覚えているやつもいるがの」
「英章君、前に出るのがダメだと言っているんじゃない。現状で満足するな、出るなら、中途半端ではなく、もっと飛びぬけてみろ……と言う事じゃよ。出すぎた杭は打ちようが無いんじゃ、しかし、綺麗に揃った杭もまた、美しいと言う事じゃ」
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