第18話 第二の暗号の解読
「お父さん、お母さんって頭の良い人だったんだね」一郎は、普段通りに午後十一時過ぎごろに返ってきた。理沙は、いつものように夕食の準備をして待っていた。いつもと違うのは、悶々とした暗い気分で一郎を出迎えた事だ。理沙は、自分にどんなに嫌な事があっても、一郎を笑顔で出迎えると決めていた。それは、理沙がどんなに嫌な気分であっても、一郎には関係がないからだ。自分の嫌な気分を相手に押し付ける事は、自分の風邪を治すために、相手に風邪を遷す様なものだ。しかも、どちらも、遷したからと言って、自分の悪い気分が治るわけでもない。わざわざ、二人揃って風邪をひく必要はない。
「なんだ、急に……。確かにお母さんは頭のいい人だったと思っているよ。それが――残念そうに見えるけど、どうかしたのかい?」一郎は理沙とは逆に良い気分だった。ずっと考えていた事が、人に認められ、一段落した所だった。もちろん本番はこれからだが、一人祝杯をあげても良いかな、と言う気分だった。
「うん……。お母さんから、贈り物をもらって、そこに暗合が書いてあったって話をしたよね。お父さんに言われて、理沙にしか解けない暗号かもしれないって……。それで、色々考えて、おばあちゃんにも話を聞いたりしていたんだけど、なんだか、わかんなくなっちゃって」
「わからないのは初めからなんだから、気にする事ないだろう」
「それはそうなんだけど、お母さんは、高校生になった私を、もっと頭の良い子になったと期待していたんじゃないかな……と思うの……書棚でたまたま見つけた本があるんだけど、本にタロットカードが貼り付けてあってね、そこには、とっても大事な事が書いてあるんだと思うんだけど、私には理解できそうも無くって……お母さんって色々考えていたんだなって分って、凄いなって……嬉しくもあるけど、本当に、私はお母さんの子供なのかしらってぐらいに、私は頭が悪いの」理沙は本当に打ちひしがれていた。母と別れて七年が経ち、辛い時を乗り越えて、この世にはいない涼子と、良い距離間で付き合えるようになったと思っていた。しかし、ここ最近、大好きな涼子の存在が、近づいたかと思えば、急に遠ざかったり、まるで、意地の悪い男への片思いが、その相手にばれてしまって、気持ちを弄ばれているかのようだ。もちろん、理沙はそんな思いをしたことはないが。
「ははは、お父さんに似たから、頭が悪くなったって言いたいのかい? それはごめんよ。お母さんの方が頭が良かったと、お父さんも思っているよ……タロットカードが本に挟まっていたのか……それは面白いな、お父さんにも見せてくれよ」理沙は、渋々食卓から立ち上がると、お父さんだって頭いいでしょ、と呟きながら、書棚の本を取りに行った。
(本当はお父さんには見せたくない。多分、なんとすばらしい事を書いてあるんだと賞賛して、がんばりなさいと言われるだけなんだ……。絶対に私には出来ないのに……だって馬鹿だから。でも、話してしまったからには、見せないとね……お母さんの思い出は私だけのものではないんだし……)
理沙は、本を一郎に手渡すと、目を伏せたまま、向かいの席に座りなおして頬杖をついた。一郎は手渡された本の表紙をしばらく眺めた後、四枚のカードが指し示す、本のページを一通り見終わって、にやりと笑った――理沙はそれには気が付かなかった。
一郎は、各ページのタイトルと、貼られたカードの注釈を読み上げた。最後のカードだけは、英語の注釈が入っていないので、何だかわからないカード、と呼んだ。
一七七ページ ザ・マジシャンのカード ――読書のススメ
一八二ページ ストレングスのカード ――知識と経験、自信と実力、ペダルの右と左
一九六ページ ザ・ワールドのカード ――ゴールはどこに
二一六ページ 何だかわからないカード ――お金とは
「なるほどね……ひとつ、思い出話をしてあげようか」一郎が涼子の話をするのは珍しい事だ。理沙が一郎に涼子の話をするのを躊躇していたからでもある。お互いに、お互いを気遣って、涼子の話をするのを避けている事に、二人とも気が付いていなかった。
「なに? お母さんの話?」
「そう、お母さんはタロットカードに詳しいわけではないんだが、お友達に占い師をしている人がいてね、その人から、とても良い話を聞いたと喜んでいたんだ」
「なに?」
「お母さんは口癖の様に、『私って馬鹿だから』、『島育ちの野生児だから』、と言っていたので、その度に、そんな事無いよ――と、お父さんは否定していたんだが、占いをしてもらってから、言わなくなった」
「お母さんが、自分の事を馬鹿だからって言っていたの?」
「その通り……もしかしたら、理沙も小さいころに、お母さんがそう言っているのを、良く聞いていたのかも知れないね――で、占い師さんから言われた事なんだけど……」一郎は、ふてくされていた理沙が、食い入るように話を聞いているのを見て、おかしくて仕方がなかった。誰が、お母さんの子供じゃないかも、だって? 何から何までそっくりじゃないか――と言いたいのを、どうにか飲み込んで話を続けた。
「お母さんが、タロット占いで引いたカードは『ザ・フール』と言うカードだったそうだ。日本語では愚者かな? 要は、愚か者のカードなんだよ。でも、お母さんには、カードに書かれた愚か者が、愚か者に見えなかった――そう、占い師さんに話したら、それはとても素晴らしいと賞賛されたらしいんだ」
「愚か者のカードを引くって、お母さんは愚か者なんだって、神様が言っている――って事じゃないの? 私なら、落ち込むだろうけどな」
「そうだね、お父さんもそう思うよ、でもね、お母さんは、喜んで帰ってきた。それから、自分の事を馬鹿だと言わなくなった。いや、馬鹿だとは言っていた、『馬鹿だからダメなんだ』から、『馬鹿だから出来るんだ』に変わったんだ」
「馬鹿だから、出来る……」
「そう……詳しい事はお父さんには分らない。でも、お母さんがタロットカードから力をもらった事は間違いない。もしかしたら、タロットカードが暗合にも関係しているかもしれないぞ」
「暗合に関係しているって……なぜ?」
「いや……分らないけどね、そうかもしれないと思っただけで……だから情報をまとめてみたら? エクセルとか使って……」
理沙はいつものように食器を洗い始めた。一郎は風呂に入っている。理沙は『8』と書かれた暗号について考え直していた。カードが暗号に関係していると言っていた一郎の言葉が気になったからだ。
(お父さんは暗号の意味に気が付いたんじゃないかしら……だって、この本と暗号が関係があるだなんて、私は全然思わなかった。たまたま見つけた暗号と、たまたま見つけた本が関係があるなんて、思わないもの……)
理沙は、次第に洗い物に集中し始めた。洗い物に夢中になる程、涼子に近付く様な気がした。
「お母さん、暗号分からないよ、どう言う意味なの? この本と関係があるの? お父さんに聞いても分らなかったよ」
『宿題、もうやめちゃったの? 理沙は、賢いからあんまり、自分で考える事をしないのよね』
「馬鹿だから考えられないのよ」
『理沙は決して馬鹿じゃないわよ。だって、お父さんとお母さんの子供なんだから』
「賢かったら、暗号も簡単に解けるんじゃない?」
『賢いせいで、大事なものを見落としてしまう事もあるのよ。洗い物と同じ……最初は、ゆっくり時間をかけて丁寧に洗うのよ』
「暗号と、洗い物は違うと思うよ……」
『宿題は難しいよね……解らない問題があったら、人に聞いて教えてもらうのが、正解なの。それは、大人になっても同じ。でもね、まだ、理沙は小さいから、ちゃんと訓練しないといけないわ。自分で考える力を身につけておかないと――もし、無人島に一人で流されたら、質問する相手もいないじゃない?』
「自分で考える力か……。そんなもの、これから身に付くのかな?」
『賢いから、一番効率のよい方法を解っているんだと思うの。高い塔を建ているには、ブロックを真っ直ぐ上に積んでいくのが一番早いじゃない?』
「人に聞く事が、一番の近道だよね、だって、私、馬鹿だから、自分で考えても、全く前に進まないもの」
『ピラミッドみたいに、しっかり、一段一段積んでいけば、絶対に倒れない本当の実力が手に入るの』
「私は積み重ねているの? 自分で考えれば、前に進めるのかな?」
理沙は、もう一度、自分で考えてみる事にした。そう言えば、タロットカードの意味については、全く意に介していなかった事に気が付いた。理沙にとってタロットカードは、言ってみれば別世界の魔法の道具だ。自分には分りようが無いと思い込んでいた。でも、涼子は占い師に――専門家に意味を聞いて、そこから何かを得た。そして、自分を変える事に成功した。
(タロットカードの意味か……。そう言えば、解説書の様なものは入っていたなぁ……英語だけど)
理沙は洗い物を終え、部屋に戻るとカードの解説書と、辞書とノートを机の上に並べた。英語は得意な方だが、カードの説明書に並んでいる単語は、教科書には見かけないものも多い。しかし、四枚程度の和訳なら、さほど大変ではないだろう。今となっては、なぜ、初めにそれをしなかったのか、疑問でさえある。
一七七ページ ザ・マジシャンのカード ――読書のススメ
一八二ページ ストレングスのカード ――知識と経験、自信と実力、ペダルの右と左
一九六ページ ザ・ワールドのカード ――ゴールはどこに
二一六ページ 何だかわからないカード ――お金とは
理沙は四枚のカードの解説を、それぞれ和訳してみた。難しい事ではなかった、と言うより、ほぼ、単語しか書かれていない、簡素な解説書だっただけだ。しかし、訳してみたは良いが、分ったような、分らないような……。余計に混乱してきたので、訳した文字と、カードの図柄から、自分の印象で勝手に解釈してみる事にした。
※カードの図柄を挿絵にする。
一七七ページ 一番 魔術師 ザ・マジシャン――読書のススメ
印象:チャンス
一八二ページ 八番 力 ストレングス ――知識と経験、自信と実力、ペダルの右と左
印象:実行力、勇気
一九六ページ 二一番 世界 ザ・ワールド ――ゴールはどこに
印象:完成、ハッピーエンド
二一六ページ コインの二番 ――お金とは
印象:自由自在なコミュニケーション
カードを眺めているうちに、気が付いた事があった、魔術師のカードに書かれている、男性の頭の上には、天使の輪っかの様に無限大のマーク『8』が書かれている。この本のタイトルは、『何かを成し遂げるには――可能性は無限大』だった、無限大が重なるところには、何か意味があるのだろうか……と、思って改めてカードを見直すと、ストレングスのカードに描かれている女性の頭にも、天使の輪っかの様に『8』のマークがある……これはどうやら偶然ではなさそうだ。理沙は少しわくわくしてきた。だんだんと苦痛になりつつあった、暗号解読作業が、楽しみに変わっていく、好奇心と言う推進力が働き始めた。
どうやら、無限大は涼子が配置した、キーワードの様だ。
本のタイトルに無限大の文字
魔術師のカードに『8』のマーク
力のカードに『8』のマーク
こうなってくると、他のカードにも、何かしら、無限大と関係のあるものがあるのでは無いかと思い始めた。
(あった、無限大のマーク、コインのカードで、ピエロの様な人がジャグリングしている紐が、『8』の形になっている――と言う事は、最後のカードにも……)
しかし、最後のカード――ザ・ワールドには、どうしても、マークを見つける事は出来なかった。いたずらに時間だけが過ぎて行く――時間が止まってくれればいいのに、と理沙は思った。
(はあ、ちょっと疲れてきたなぁ、そろそろ寝ようかな)理沙は、タロットカードの解説書を元の様に二つ折に畳み、箱に戻そうとした。しかし、箱にはカードが詰まっていて、なかなか解説書が収まらないので、一度カードを引き出して、解説書とそろえて入れ直す事にした。カードを引きだすと、ゲンじいの家で、このカードを見つけて、最初に目にとまったカードが出てきた。
(あの時、目にとまった、かわいい仔犬のカード……夕飯に呼ばれてあわてて片付けた時、一枚だけ、後でケースに差し込んだからだ。このカードだけ、他のカードとは裏表が逆になってしまっている)
理沙は、このカードの意味も知りたくなった。疲れてきたが、また少し、好奇心が発動したようだ。
(えーっと、このカードは……フール……。聞きおぼえがあるなぁ、日本語では――馬鹿者……これか……馬鹿のカード。やっぱり私はバカなのね……。えぇっと、和訳は――)
ゼロ番 愚者 ザ・フール 理沙が一番初めに開いたカード
正位置の意味
自由、型にはまらない、無邪気、純粋、天真爛漫、可能性、発想力、天才。
逆位置の意味
軽率、わがまま、落ちこぼれ、ネガティブ、イライラ、焦り、意気消沈、注意不足。
(ふむう……。刺さるなぁ、心に刺さる……でも、天才と言う意味もあるの? 何故だろう、愚か者のカードの意味が天才って……)
理沙はとても意外だった、そして、気になるキーワードをもうひとつ見つけた。
(可能性――この本のタイトルに入っている言葉だわ、可能性は無限大――ところで、何故このカードが愚か者なのだろう。どう見ても、楽しそうな男の人と、同じように楽しそうな可愛い子犬だと思うのだけれども)
理沙は、もう一度、注意深く、カードを見てみた。それから、やっと理由に気が付いた。
(崖だ、男の人の歩く先には、崖が描かれている……。このまま歩いていけば、崖に落ちてしまう……それに気がつかずに楽しそうにしている愚か者……こう言う事だ)
これに気が付いた時、理沙は体中に鳥肌が立った、とても恐ろしいと感じた。それと同時に違和感を覚えた。
(愚か者のカード、意味は、可能性、天才。そして、崖……。何だか正反対な気がする。タロットカードには、正位置と逆位置で意味が変わると言う事は知っているけど、これって、正位置の意味に、注意不足って言葉が入った方がしっくりくるのに、何故逆なんだろう)
この時、さっき一郎が言っていた言葉が思い出された――『馬鹿だからダメなんだ』から、『馬鹿だから出来るんだ』に変わったんだ。
(お母さんも、このカードを引いたんだった。馬鹿だからできる? 馬鹿だから出来ない、が正解じゃないの? 何故逆なの? 可能性? 自由? 型にはまらない? 発想力?)
理沙は、もう一度、カードを見てみた。発想力を、型にはまらず自由に発揮して、あらゆる可能性を考えてみようと心がけながら……。
(このカード、確かに、二人の向かう先は崖だけど、もしかしたら、このカードの枠には入りきらない景色があって……崖の先には、実は普通に道が続いているのかもしれない。崖は、実は数センチの隙間しかなくって、数センチ先には、また道が続いているとしたらどうだろう……。何にも恐れる必要なんかない……。分ったわ、お母さんが言っていた意味、占い師さんが言っていた意味が……愚か者が愚か者に見えないと言う事が素晴らしいと言うのは、型にはまらず、自由な視点で物事を見る事ができると言う事、可能性は無限大で、自分が信じたように生きればいいと言う事なんだ)
理沙は、さっきあきらめた、最後のカード――ザ・ワールドをもう一度見た。そして、今度は見つける事が出来た。無限の可能性を。
(あった、この、たすき掛けに結んであるリボン……。紐をくくってあるから、向こう側は見えないけど、紐を抜いてみたら、きっと……リボンは『8』の形をしているんだ。そして、暗号の『8』と言う数字……ずっと勘違いしていたけれど、これは、縦に『8』と読むんじゃなくて、横にして『8』と読むんだわ)
理沙には、ここに、涼子が伝えたかったメッセージを見つけた。
一七七ページ 一番 魔術師 ザ・マジシャン――読書のススメ
印象:チャンス
一八二ページ 八番 力 ストレングス ――知識と経験、自信と実力、ペダルの右と左
印象:実行力、勇気
一九六ページ 二一番 世界 ザ・ワールド ――ゴールはどこに
印象:完成、ハッピーエンド
二一六ページ コインの二番 ――お金とは
印象:自由自在なコミュニケーション
(チャンスを自分で捨てる事をしないで読書をしたり、人に協力してもらって、勇気を持って行動して、右でも左でもいいから、とにかくペダルを漕ぎ出して、ゴールを目指せ、って事なんだわ。そしたら、お金だって自由自在になる――固定概念に惑わされないで、お金を稼いだっていいって事なんだ!)
理沙は、自分で考えた。自分で答えを見つけて、前に進む勇気を得た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます